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2014年3月26日 (水)

松尾寺(大阪府和泉市)を訪ねる - 昔は、大阪府でも秘境の地も、今は新興住宅地が間近に

 

  昔は大阪府でも秘境の地のお寺として有名であった松尾寺(まつおでら/まつおのでら/まつおじ)は紅葉の名所として知られていました。

私も、大阪在住時に何度も訪れる計画を練っていましたが、なかなか徒歩旅行者にとっては訪れにくい場所で実現にまで至りませんでした。

しかし計らずも、今回、友人の車で訪れることができましたので幾つかの写真を上げてみます。

ただ、秘境のお寺と言うのは昔の話で、現在は新興住宅地が間近に迫ってきており、本当に昔ながらの雰囲気が残るのはお寺の近くのみという風景でした。

それでも、徒歩旅行者にとっては依然お寺までのアクセスは厳しく、泉北高速鉄道線の終着駅である和泉中央駅からのバスが1日に3本、松尾寺から和泉中央行きバスは4本しかありません(3月末時点での時刻表)。

所要時間は15分で大人260円(3月末時点)。

南海バスホームページ。4月以降はこちらで。

 

  下の現在地とある場所に「松尾寺バス停」があります。

  バス停から松尾寺まで徒歩で10分ぐらい。

Dsc00727

 

  松尾寺の駐車場から山門への石段を登ります。

Dsc00672

 

  山門への途中、左側にある首堂(こうべどう)。

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  山門。

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  山門を守るのは金剛力士ではなく右が増長天、左が持国天。

Dsc00681

 

  境内深く入ります。

Dsc00684

 

  本堂。

  織田信長による1581年(天正9年)の紀州高野山攻めで諸堂は焼失し、現在の建物は豊臣秀頼の寄進によるもの。

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  三天堂。

Dsc00699

 

 

  三天堂の右手にある長諭和尚の碑。

  信長の焼き討ちの際に本尊及び寺宝を持って難を逃れ、いずれも現存することへの功績を称えた碑。

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Dsc00694

 

  不動尊堂。

  この横を行くと春日神社があります。

Dsc00703

 

  春日神社。

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  拝殿と後ろに本殿。

Dsc00714

 

  帰り際、山門内右手に寿老神堂、向こう側念仏堂。

Dsc00716

 

  山門内側から振り返って手前念仏堂、向こう側寿老神堂。

 

  境内を見てみると桜も多いことがわかりました。

  もうすぐの桜の季節に訪れるのも良さそうですね。

Dsc00719

 

  さて、松尾寺バス停には「くす」の巨木があります。

  樹齢約700年の巨木です。

Dsc00722

Dsc00725_2

 

  後ろに川があるのですが、そちらに下りると尾崎稲荷大明神があります。

  その手前には白龍大善神。

Dsc00730

Dsc00732

 

  私自身は、最近これだけの巨木を見たことがありません。

Dsc00733

  撮影 2014/03/22

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コメント

和泉市という名前は知っていますが、まったくイメージのない地域です。地図を見ると近くに桃山大学があるのにびっくり。河内長野のやや南にあたるのですね。泉北がここまで通っているのもはじめて知りました。
大阪に来て二度、チャリで中百舌鳥へ行ったことがあるのですが、二度とも帰路で迷子になってしまい、三時間ほどかけて家に帰ったという苦い思い出があります。何より道に人がいないのが恐ろしかったです。こんな恐怖は西武ドーム近くに紛れ込んで以来でした。

投稿: ddol | 2014年3月27日 (木) 19時57分

まったくイメージのない地域です。
>ddolさんもそうなんですね。
私もです。
実を言うと泉州は南北で考えると大体分かる・・つまり南海本線と阪和線沿いというイメージがありますから。
ところが東西となると全くイメージが湧かなくて、「河内長野のやや南に(多分西の間違いかな?)あたるのですね」のコメントで、ワッ!そうなんやという事になります。
横に河内があるという感覚が出てこない^^;
和泉でも山沿いは本当にわかりません。
和泉から河内長野につながっていると言うのがまったくイメージが湧かなくて。。


それから、藤井寺から中百舌鳥までは自転車だと相当距離がありますね。
ddol さんは健脚ですね^^・

中百舌鳥から戻るとなると、どこで近鉄沿線に近付くかですが、早く北に向きを変えると多分私でも道に迷うでしょうね。
私はどちらかというと電車でしか基準位置が考えられないので^^;


何より道に人がいないのが恐ろしかったです。
>そうなんだ。でも車は走っていたのではないのですか?

投稿: mino | 2014年3月27日 (木) 23時08分

>実を言うと泉州は南北で考えると大体分かる・・つまり南海本線と阪和線沿いというイメージがありますから。
>ところが東西となると全くイメージが湧かなくて

うんうん、泉州は海沿いというイメージが強いんやけど、紀伊山地にへつながってる自治体が多いし、その方面への昔の街道も多い。車で阪和自動車道や外環状線を走るとわかるんやけど、こんな山間地帯が大阪にもあったのかと、驚くと思うわ^^

泉州は、海側も山側も言葉や食べ物も知らないことが多く、面白いです。それに、中世・戦国における政治的経済的な重要地点だったわりには、忘れられている地域という感じがします。

ddolさん
>二度とも帰路で迷子になってしまい

うんうん、難しい。大和川以南は、開発が無茶苦茶で、道路は迷路のようなもの。
車なら遠回りと思っても国道を走る方が早く着くんや。でも自転車なら、コンパスを携帯せんとあかんで^^正しい方角を維持できるのなら、あぜ道のような近道がきっとあるわ。

投稿: tera | 2014年3月29日 (土) 06時53分

私はどちらかというと電車でしか基準位置が考えられないので^^;>
実際に車などで走らないと土地勘が得られないので自転車で走り回っています。電車は昔の街道沿いに走っていることが多いので、昔の人たちも同じ感覚だったのではないかと思ったりします。

うんうん、泉州は海沿いというイメージが強いんやけど、紀伊山地にへつながってる自治体が多いし、その方面への昔の街道も多い。車で阪和自動車道や外環状線を走るとわかるんやけど、こんな山間地帯が大阪にもあったのかと、驚くと思うわ^^>
大和川以南は大阪湾・大和川・石川沿いに狭い平地があり、その間に丘陵地帯が広がっていて、平地のあちこちに古墳と貯水池があって、これが道路網を複雑にしているという感じですね。それにしても石川沿いは本当に狭いです。

車なら遠回りと思っても国道を走る方が早く着くんや。でも自転車なら、コンパスを携帯せんとあかんで^^正しい方角を維持できるのなら、あぜ道のような近道がきっとあるわ。>
私はとんでもない方向音痴で、日が照っていても迷ってしまいます。東京なら目印になる建物がいくつかあったのですが、こちらでは「はるかす」くらいですね。それから久宝寺に異様に高いアパートがありました。

松尾寺は松尾川沿いに開けた場所にあって云々ということが、『松尾谷の歴史と松尾寺』(和泉市史編さん委員会編)で展開されているそうで、紹介文が二本ありました。
岩城卓二 「<時評・書評・展示評>和泉市史編さん委員会編『松尾谷の歴史と松尾寺』」 (『地域・大学・文化(神戸大学大学院人文学研究科 地域連携センター年報)』3 (2011年))
www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81003379.pdf
古市晃「<書評>『和泉市の歴史2 松尾谷の歴史と松尾寺』」(『市大日本史(大阪市立大学日本史学会)』 12 (2009年))
dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/111E0000017-12-6.pdf
市大に日本史学会があるなんてはじめて知りました。

投稿: ddol | 2014年3月29日 (土) 18時05分

遅くなりました^^;

車なら遠回りと思っても国道を走る方が早く着くんや。
>ddolさんが貼ってくれたリンク先の書評を地図を見ながら読んでましたが、現在でしたら大きな道路を行く方が着実に目的地に着きますね。
どうしても自転車だと小回りが利くので、近道をしようとするのですが、それが命取りとなることもママあったりして^^;

ddolさん teraさん
>松尾寺までの途中が書評で述べているように谷になっているんですが、そういう谷や丘陵が重なりあっていて、そこここに(地域の中心となっていたであろう)お寺があるのも面白いですね。
春木荘の話が出てきますが、春木には南海の駅があるのでなんとなく位置が分かるんです。
書評の中には槇尾山の話もチラと出ていましたが、そのず~っと南が紀伊になるという、そういう地理感が私たちにはなかなか分からないんですね。

teraさん もう一つ、昔調べていて行きたかったお寺があるといっていたのは大威徳寺でした。
地図をみたらとんでもないところにある^^;

投稿: mino | 2014年3月30日 (日) 14時22分

前回いくつかコメントし忘れてしまいました。

それから、藤井寺から中百舌鳥までは自転車だと相当距離がありますね。>
実はそんなに遠くないんです。堺までほぼ直線の道路があり、中百舌鳥までは40分くらいだったと思います。天王寺へ出るより近いです。

何より道に人がいないのが恐ろしかったです。>
>そうなんだ。でも車は走っていたのではないのですか?>
車は走っているのですが、人家がなくて道を尋ねることができませんでした。最後は北へ向かうことだけを考えて走りました。このあたりは道路がまっすぐ走っていないので随分迷ってしまいました。

松尾寺までの途中が書評で述べているように谷になっているんですが、そういう谷や丘陵が重なりあっていて、そこここに(地域の中心となっていたであろう)お寺があるのも面白いですね。>
松尾寺は、和泉府中あたりで熊野街道から分岐する松尾谷街道の途中にあります。和泉府中は国府が置かれていた推定されているので、その関係で重要な寺がこの地に造られたのでしょうね。

書評の中には槇尾山の話もチラと出ていましたが、そのず~っと南が紀伊になるという、そういう地理感が私たちにはなかなか分からないんですね。>
これは同感です。歴史の同窓会に出た時に泉州が話題に上がりましたが、京都や摂津の人は泉州を和歌山だと言っていました。冗談なんでしょうが、そういう感覚のようです。

投稿: ddol | 2014年3月31日 (月) 19時37分

実はそんなに遠くないんです。堺までほぼ直線の道路があり、中百舌鳥までは40分くらいだったと思います。
>そ、そうなんですか。私だと40分自転車を漕ぐとかなり遠いみたいな感覚です^^;

車は走っているのですが、人家がなくて道を尋ねることができませんでした。
>そういう事だったんですね。コンビニなんかがあればいいんですけどね。

松尾寺は、和泉府中あたりで熊野街道から分岐する松尾谷街道の途中にあります。和泉府中は国府が置かれていた推定されているので、その関係で重要な寺がこの地に造られたのでしょうね。
>なるほど。

歴史の同窓会に出た時に泉州が話題に上がりましたが、京都や摂津の人は泉州を和歌山だと言っていました。冗談なんでしょうが、そういう感覚のようです
>昔の地図なんかが無い時代には、よそ者には絶対分からない地理感覚があって、そういった意味では情報はとても大切だったんでしょうね。
これが軍事となると、いわゆる忍者の出番です^^。

江戸末期に日本を訪れた外国船がそここで測量をし、海の深さを測るというのはそんな意味もあったのでしょうね。
少し話がずれましたね^^;

投稿: mino | 2014年4月 1日 (火) 06時06分

>こちらでは「はるかす」くらいですね。それから久宝寺に異様に高いアパートがありました。

河内からは、久宝寺マンションもそうやけど、堺市役所とJR堺市駅のツインタワーもランドマーク。それと北野田の高層マンションと「はるかす」で西方面の大体の方角がつかめるんやないかな。なんといっても、お日さんが出てる方角。カーナビを入れる前は、これが決定的やったわ。あとは、北極星やろね^^

>そのず~っと南が紀伊になるという、そういう地理感が私たちにはなかなか分からないんですね
>歴史の同窓会に出た時に泉州が話題に上がりましたが、京都や摂津の人は泉州を和歌山だと言っていました

うんうん、その通りやろうね。おいらも高速道路ができて、泉州の山深さというか紀伊山地に連続してることに気づかされました。同じように大阪の北側もそうで、箕面から亀岡へ走ると実感させられます。

山深さという点では同じ感じなんやけど、「水」では、確かに摂津と和泉は違う。一つは水運。摂津は、淀川水系~難波津~瀬戸内の大動脈やし、和泉は紀州~尾張・伊豆・房総と土佐・薩摩への「黒潮の道」。この名残が、言葉にも食べ物にもある感じがします。
もう一つは「宗教」。摂津は、京の「穢れ」を流す地。「根の国」につながる泉州は、「分け入っても分け入っても青い山」の果てに、南方浄土の補陀落信仰がある。
余談やけど、県別で多い和歌山からのブラジルへの移民。そういう感じが残ってたのかとも。

摂津と和泉をわかつ堺。大小路から五街道がでてるといわれてるけど、古代の竹ノ内街道を除けば、東西高野、紀州、熊野街道。どれも「霊場」への道。

>teraさん もう一つ、昔調べていて行きたかったお寺があるといっていたのは大威徳寺でした。地図をみたらとんでもないところにある^^;

大威徳寺は、粉河に抜けるルートで何回かいったことがあるんや。
道路事情が悪い(今は知らないけれども)ルートでは、七宝瀧寺のある犬鳴峠越えで打田にいく道。「犬鳴伝説」の道です。それと風吹峠を越えて根来にいく道。どれも中世の重要な道です。
次回は、このあたりを攻めようか^^

投稿: tera | 2014年4月 5日 (土) 06時37分

一度は鉄道が敷設されて昔の街道や河川路は忘れ去られますが、車の発達で道路に変化して昔の街道を思い出す。
その代わり地域密着の鉄道が今度は忘れ去られることとなりました。

鉄道は昔の街道のように峠を越えないでトンネルで反対側へ抜けてしまい、山岳、高地の感覚を無くしてしまいました。
そういった意味で鉄道利用者は地域の後背にある「山深さ」をあまり意識できませんね。

箕面から亀岡へ走ると実感させられます。
>この感覚、鉄道利用者には絶対に気づかない、というより分からないです。
峠越えの感覚、その前後の山深さが意識できないので、お互いに峠を通じてつながっているという感覚が無いですね。

次回は、このあたりを攻めようか^^
>うん、お願いしますね(^^/

投稿: mino | 2014年4月 5日 (土) 17時45分

堺市役所とJR堺市駅のツインタワーもランドマーク。それと北野田の高層マンション>
東西の移動には竹内街道か長尾街道を使うので、堺市駅には気付きませんでした。北野田は知らない地名でした。南海高野線で中百舌鳥から三つ目なんですね。初芝から北東へ向かって迷子になっているので、いい印象がありません。
泉州はあまり幅がなさそうなので、どうしても八尾や大阪方面に向かうことになってしまいます。

山深さという点では同じ感じなんやけど、「水」では、確かに摂津と和泉は違う。>
摂津と和泉をわかつ堺。大小路から五街道がでてるといわれてるけど、古代の竹ノ内街道を除けば、東西高野、紀州、熊野街道。どれも「霊場」への道。>
これは本当になるほどと思いました。ただ、18世紀初頭の大和川付け替え以前の光景は想像しづらいです。南北は大和・東西除川の水路、東西は竹内・西高野街道の陸路ということだったのでしょうか。確かに「水」では河内とも違いますね。

この感覚、鉄道利用者には絶対に気づかない、というより分からないです。>
峠越えの感覚、その前後の山深さが意識できないので、お互いに峠を通じてつながっているという感覚が無いですね。>
これは自分で走ってみないと駄目ですね。でも車だと傾斜に気付かないことも多いので、本当は歩くのが一番なんですが。。。
それと現在の行政区域が頭にあるので感覚の邪魔になっているのだろうと思います。

投稿: ddol | 2014年4月 5日 (土) 19時26分

先週末は出張続きで松山だったので、香川からオートバイで行って、週末松山城、湯築城、今治城を回ってきました。
桜が満開でした。香川辺りも今週がぎりぎり花見の限度かも。

和泉の松尾寺は行ったことがないので興味深く見させていただきました。
南海本線沿いは知らない所が多いんですが、そのさらに河内側の滝畑ダムの横の施福寺(西国4番札所)と金剛寺は高校生の時に行ったことがあります。
特に金剛寺の仏像は特色があって、大日如来の脇侍に不動明王と降三世明王がならぶという不思議な形式ですが、慶派の作と言われる重文。どれも2m以上の大迫力の像です。
本来不動明王(と降三世明王も)は大日如来の化身とされるので脇侍にはなりませんし、不動明王も降三世明王も五大明王の一つで5体セットで表されることが多いのですが、ここはかなり変則的。
降三世はシヴァとパールヴァティーを踏んづけてるのが印象的な明王です。

さらに和泉と和歌山(と四国?)の話ですが、和泉はもともと河内の一地方で、分離が結構遅い。
奈良遷都して、去年1300年祭の美作・丹後分国と風土記編纂の詔がでて、その後の716年にできた国です。再来年で1300年を迎えるのでイベントとかあるんじゃないかなと。さらに740年に河内に再編、757年に安房、能登と共に再分離、この後加賀が823年に分離して大体旧国が定まります。
後の分離は近世以後のことになります。よく耳にする五畿、は奈良以前は四畿、だったんですね。

で、和歌山は今でこそ近畿ですが、元は畿内ではありません。
古代行政区では南海道に属します(だから南海電鉄)。
南海道は、紀伊から淡路に渡って、阿波、讃岐、伊予、土佐と続く道です。言ってみれば紀伊は四国の仲間w。
和泉は南海道と大和を結ぶ起点として生まれた国です。
なんで土佐の山内なんかも、南海の大大名と言われたり、南海トラフが四国沖を走ってたりします。

このあたりが関係するのかどうかわかりませんが、香川県の島々では、どこにでも茶粥があったり、粟島神社(和歌山)へ人形を流したり、と、割と結びつきを感じさせるものがのこっています。

投稿: tera2 | 2014年4月 5日 (土) 19時56分

ddolさん、
それと現在の行政区域が頭にあるので感覚の邪魔になっているのだろうと思います。
>これは随分と大きいですね。
tera2さんが南海道の話をされましたが、古代の行政区分ではあれが普通の意識なんですね、ルート的には。
高校生の時に歴史地図を見て不思議に思ったものです。

tera2さん、

四国は桜の開花が早いので、つい行きそびれてしまいます^^;
まだ丸亀城と宇和島は桜の時期に行ったことがないのですが、今年も逃してしまいました。
松山城、湯築城の桜もよいですね。湯築城はお城跡というよりすっかり公園化して、花見客が凄かったのを覚えています。そういえば今治城の桜も行っていない・・

特に金剛寺の仏像は特色があって
>こちらの方は本当に疎くて・・tera2さんの話は耳学問の私にとってはうってつけです。
というより、ここに書き込んでくれる人は皆さんよくご存知で、いつも感心しています^^.

それから、古代の行政区分(国)がそんなに変化しているとは知りませんでした。なるほどなあと思いました。

投稿: mino | 2014年4月 6日 (日) 16時00分

ddolさん。
>でも車だと傾斜に気付かないことも多いので
うんうん、バイクを愛用してはるテニス友達の話しでは、紀州に至る道はもっとあるとのこと。

おいらは人生の大半を河内で暮らしてるんやけど、あまり知らないんや。tera2さんが紹介してくれた金剛寺もいったことがないし^^;
面白い所があれば教えてください。車、だしますよ^^

tera2さん
>言ってみれば紀伊は四国の仲間w。
うんうん。南阿波を旅して思ったことは、言葉と地名が和歌山沿海部と似てる感じがして。
まあ、もう行くことはないかもしれないけれど、とても貴重で面白い旅行でした。

次はいえいえ。「香川県の島々では、どこにでも茶粥があったり」なんや。でも、おいらのテニス仲間達(奈良、京都、三重出身)は「おかいさん」の話しで盛り上がるで^^
それと「鯖寿司」。四国ではどうなの?

投稿: tera | 2014年4月 7日 (月) 06時18分

でも、おいらのテニス仲間達(奈良、京都、三重出身)は「おかいさん」の話しで盛り上がるで^^
>へ~、岐阜でも「おかいさん」と言いますよ^^

投稿: mino | 2014年4月 7日 (月) 08時28分

最初に訂正を

粟島神社→淡嶋神社
あと、淡嶋への流し雛が今も残っている北木島は、岡山県でした。

minoさん

>湯築城は
すっかり花見公園でした。屋台も出てて、花見客がいっぱいで…。
しかし、あれほど街中にあって、さして観光集客もできない城跡を残すには、公園化しかないんでしょうね。逆にあの規模のものを残している松山市に尊敬の念を抱きます。
高松でも(古)高松城(喜岡城)は半分お寺、半分公園になっています。遺構は全然残っていないので、ここがそうだったんだという想像補完が多量に必要です。

teraさん

>「おかいさん」の話し
茶粥は奈良が大元の様なので、奈良隣県は茶粥があるみたいですね。お水取りでも出てくるとか。
香川では四国側ではほとんど茶粥が残ってないんだけど、島にはしっかり残ってます。
聞き取りだと昔は「団茶(固めて麹で発酵させた茶)」を使ったとか。この辺かなり古くに伝わったのかもしれません。

>鯖寿司
スーパーでは見るんですが、地元で一般的かどうかは不明。
鯖ももちろん獲れるんだけど、岡山、香川では、鰆(サワラ)がとっても重要な魚です。
香川で寿司というと、鰆の押し(出し)寿司。
大体今頃出てきて、お接待(お遍路さんの)にもよく使われる。
酢飯を型にいれて、上に鰆、ソラマメ、生姜なんかを押して、型から抜きます。抜くときの音で、カンカン寿司とも。
また、鰆の味噌漬けや、鰆のカラスミも名産です。

投稿: tera2 | 2014年4月 9日 (水) 22時56分

tera2さん
>鯖寿司
スーパーでは見るんですが、地元で一般的かどうかは不明。
鯖ももちろん獲れるんだけど、岡山、香川では、鰆(サワラ)がとっても重要な魚です。
香川で寿司というと、鰆の押し(出し)寿司。
大体今頃出てきて、お接待(お遍路さんの)にもよく使われる。
酢飯を型にいれて、上に鰆、ソラマメ、生姜なんかを押して、型から抜きます。抜くときの音で、カンカン寿司とも。
また、鰆の味噌漬けや、鰆のカラスミも名産です。

>すべてコピペ引用させて貰いましたが、このあたりの話は面白いですね。
岐阜県は海無し県ですからなかなか海の魚がわかりません。
ただ、寿司の話はとても興味があります。
押し(出し)寿司は関西のお寿司のイメージですが、名古屋で修行をした経験のある父が子供の頃に押し寿司(簡略なもの)をよく作ってくれました。
少し調べて見ましたが、押し寿司は必ずしも関西、大阪だけではないのですね。
多分、土地によって様々な形で(魚も土地によって異なる)あったのでしょうね。
このあたりも岐阜県では海の魚の料理が無いのであまりわかりませんが。

投稿: mino | 2014年4月11日 (金) 00時22分

>あと、淡嶋への流し雛が今も残っている北木島は、岡山県でした。

これって、北木島から和歌山の淡島さんに向けて、雛人形を流す行事なの?
加太の淡島さんは、椿のきれいな神社というイメージがあります。

>香川では四国側ではほとんど茶粥が残ってないんだけど、島にはしっかり残ってます。
>聞き取りだと昔は「団茶(固めて麹で発酵させた茶)」を使ったとか。この辺かなり古くに伝わったのかもしれません。

おお、そうなんや。四国側は白粥なんかな。島々には残ってるんや。とても面白いです。
子供の頃の記憶では、和歌山の親戚の家に行くと、まず茶粥。おなじ「おかいさん」でも、白粥は病気の時に食べるものだという記憶があって。

>鯖ももちろん獲れるんだけど、岡山、香川では、鰆(サワラ)がとっても重要な魚です。

先週、岡山に行ったときに、鰆、食べてきたで^^
せっかくの岡山行きなので、うまい郷土料理をと思って調べたところ、岡山は鰆とままかりとバラ寿司とのこと。お寿司屋さんに行き、3つともいただきました^^

それで、寿司の話

>香川で寿司というと、鰆の押し(出し)寿司。
>押し(出し)寿司は関西のお寿司のイメージですが、名古屋で修行をした経験のある父が子供の頃に押し寿司(簡略なもの)をよく作ってくれました。

大阪ではバッテラなんやけど、これも子供の頃の記憶の寿司といえば押し寿司ではなく、たんに笹の葉にくるまれただけの鯖寿司(柿の葉寿司にちかいイメージ)なんや。なれ寿司や箱寿司、あるいはめはり寿司は、あとで知った(食した)寿司で、「なれ」から「ハコ」に至る歴史的経緯にはとても興味あります。

塩の流通と関係が深い鯖は、西日本では和歌山・四国沖、愛媛・大分、山陰と若狭など。鯖の流通は、古代・中世の重要な陸路とのつながりが深いけど、それぞれの地域での食され方は、興味深いです。

皆さんの地域。なれ寿司はありますか?

投稿: tera | 2014年4月12日 (土) 06時28分

まず茶粥。おなじ「おかいさん」でも、白粥は病気の時に食べるものだという記憶があって。
>話に割り込んで申し訳ないですが、茶粥というものを私は知らない。
私の考える「おかいさん」は白粥。病気の時に食べるものというのは、今でも同じです。

塩の流通と関係が深い鯖は・・・
>なるほど。

皆さんの地域。なれ寿司はありますか?
>時代的な関係もあるのでしょうが、なれ寿司の存在自体を知らなかった。
ひょっとしたら私が知らないだけかも。

投稿: mino | 2014年4月12日 (土) 17時14分

>北木島から和歌山の淡島さんに向けて、雛人形を流す
まさにその通りです。夏越の大祓いの人形(ひとがた)流しはいろんな所で見られますが、雛流しはちゃんと残っているところは割と少ない。鳥取の用瀬が有名だけど、そのうちの一つが北木島です。本家の淡嶋神社の流し雛も有名です。

北木島の流し雛は、虫送りの精霊船をを一部とりこんだような感じで、藁で作った船に毎月作った12体(閏年は13体)の紙雛と船頭の紙人形を作って、旧暦3月3日(近くの週末)に海に流します。
閏年は13、っていうのは船霊様もそうなんで、いろんな漁業風習がまざってできたんだと思います。

https://www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/28/b-nagasi.html
http://www.kitagi.com/photo/index.php?category_id=25&pageID=3


>なれ寿司はありますか?
なれ寿司は普通にレアだと思います。
あのネッチョリ感はなかなかつらい。

もちろん以前からあったんだけど、戦国時代に座が解体して、寺社の寡占が崩れて塩以外の調味料、味噌、醤油、酢、が広がりだして、これが広く市井に行きわたるのが江戸時代、ととらえてます。

妙な誤解から獣肉食がタブーになった日本で、動物性タンパク質は基本魚からとるしかない。流通が基本人力の世界だと、沿岸と言えるのはせいぜい海から五里位でしょう。それより遠くなると海水魚は保存法が必須です。
ほとんどが塩蔵と干物、あるいはミックス、短期だと膾。
さらに内陸で海水魚が割高だと淡水魚に頼る。また、寒冷地だったりで供給が不安定だと、超長期保存が必要なんで、乳酸発酵、なれ寿司が加わるんじゃないかと。
淡水魚にはいろいろ大変な寄生虫が多いんですが、この辺もさすがに長期乳酸発酵させちゃうと大丈夫、というのがあったかも。

それに対して、酢飯が普通に作れるようになるのが江戸時代、なれ寿司の旨味と保存性をちょっと残した感じで、さっと作れる押し寿司ができます。少し下って、沿岸大消費地の江戸で握り寿司がでてきます。
タイムスクープハンターでもやってましたね。

初期の酢の名産地はそれこそ和泉、紀伊です。

で、鯖の話ですが、鯖は鱈と並んで、とってもアニサキスが多い魚です。普通に魚屋で買ってきて内臓さぐると大抵コンニチワ、って感じです。頑張ると一尾に200匹位見つかることがあります。
で、こいつは酢じめではほとんど死にません。
内臓捨てると数は激減するんですが、たまに筋肉にまぎれこんでて、食べると時に激烈な疝痛を起こす。死ぬことは稀ですが、症状がきついと七転八倒することになります。
これで時々寿司屋が営業停止になりますが、正直運の部分も大きい。中にもぐりこんだ奴は普通わかりません。殺すには一日以上の冷凍が必要ですが、味は落ちちゃうし、実はムシごと食べてるw
恩師の教えは、「よく噛んで食べれば大丈夫」でした。

江戸時代の急な腹痛のある程度の比率は、こいつが占めてたんじゃないかと思っています。

投稿: tera2 | 2014年4月14日 (月) 22時44分

tera2さん
雛流し
>なるほど。面白い話ですね。
tera2さんはその背景までご存じなので、私のように余り知らない者には読んでいてとても勉強になる。
というよりも、こういう話は面白い。

一つ質問です。

妙な誤解から獣肉食がタブーになった日本で、動物性タンパク質は基本魚からとるしかない。
>「妙な誤解から獣肉食がタブーになった日本で」という部分が気になって・・
話がそれて申し訳ないですが^^;

初期の酢の名産地はそれこそ和泉、紀伊です。
>これは以前にミツカン酢の半田市を訪れた時の記事でteraさんが玉ノ井酢(タマノイ酢)が古くからある、という指摘があったのを思い出しました。

う~ん、これも何故紀伊、和泉だったんでしょうね?
玉ノ井酢は堺なんですよね。
黒酢の伝統製法があって、とあるのでやはり堺との関係が大きかったのでしょうか?
黒酢って元々は中国が発祥みたいですし。
どんどん話がそれて申し訳ないです^^;

アニサキス
>調べてみました。なるほど。

なれ寿司は普通にレアだと思います。
>やはり、そうですよね。

投稿: mino | 2014年4月16日 (水) 14時33分

minoさん
>私の考える「おかいさん」は白粥。

うんうん、お粥を「おかいさん」と呼ぶ人達でも、白粥と茶粥でわかれるんや。嫁(大阪出自)は、「おかいさん」は白粥で、茶粥は知らないとのこと。それで和歌山だけかと思ってたら、「おかいさんは茶粥」という人もけっこういたりして。面白いです^^

tera2さん
>北木島から和歌山の淡島さんに向けて、雛人形を流す
>>まさにその通りです。

う~ん、そうなんや。人形(ひとがた)流しは、河川などでけっこう各地で今もやってるけど、北木島では加太の淡島さんに向けて流すんや。なんでやろ。受取先の淡島神社(和歌山)が、再度流すシステムになってるのかなあ?

それで、minoさん、tera2さん。寿司の話ね。

>なれ寿司は普通にレアだと思います。

まあ、そうですわ。おいらもおっかなびっくりで食する^^
でも、京を中心とすると、現在でも常食されてるものでは滋賀の鮒ずし・福井のへしこ。和歌山にはたくさん残ってるし、奈良にもある。minoさんの岐阜でも鮎寿司がそれとの話が(食べてみたい^^)。全国でも、けっこう残ってるみたいやで。

魚の保存法では、塩か焼で(膾もあるんや)、干物が続き、年を越すとなると「なれ」やないんかな。

>アニサキスが多い魚です。
生鯖の食する地域があるね。臆病なおいらはそんな冒険はしないんやけど、義弟の話しでは、外洋を回らない鯖はアニサキスが寄生しにくいという説があるとのこと。tera2さん、コメントを^^

投稿: tera | 2014年4月17日 (木) 06時39分

>妙な誤解から獣肉食がタブー
では、「五戒」の話から(w

仏教で、在家信者が守るべき指針(あくまでその程度)が、五戒です。僧侶になると十戒になってずっと厳しくなります。
不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒。
最後のは日本ではほぼ無視されます。般若湯って…まぁ…いいけどね。
殺人はもちろん、論外です。

そうして日本のみで、不殺生戒の拡大解釈「獣肉食禁止、でも魚はOKで鳥もまぁ、あり、兎は羽と数えて鳥の仲間。鯨は魚だからOKね」という奇妙なローカルルールが成立します。もともと仏教ではすべての命は平等なんで、○○はダメだけど××はアリ、とかアリエマセン。

元来仏教は、自分のために殺されたのでなければ、僧侶も肉食可、というルールから始まります。教団によって、この制限はいろいろ変わりますが、在家信者に肉食を禁じるのは概ね日本だけ。まぁ、当然のことで、中国には仏教は南北朝の北朝、後趙辺りから本格的に伝わります。
(漢代から伝わってはいますが、日本でのイスラム教やモルモン教位の扱いだと思います。三国志にほとんど全く仏教の記述がないのもそれで。)
遊牧民由来の北朝の民衆に、肉食禁止を強制して布教が広まる筈もありません。隋、唐、元、清も同様。
中華料理に豚が絶えたことはありません。

つまり、肉食禁止を言い出した、甥殺しで精神不安定な天武天皇や、脅迫観念でガクブルの聖武天皇の近くに、「民に肉食を禁止させると殺される獣が減って陛下の功徳になりますよ、極楽行けますよ」という妄言を吹き込んだ奴が必ずいます。
実際は栄養障害で死んでいく庶民の恨みと罪業がずっしりとのしかかった筈ですが。

天竺から一番遠い仏教国である日本には、その距離の分だけオリジナルルールが一杯存在します。
中でも僧侶に対するルールは、ほんと末法な感じで変質します。

これは、日本人の中に、原典をちゃんと現地に調べに行こう、という僧が、近世に至るまでついに出なかったことにも理由があると思われます。ちなみに、インドから日本にやってきた僧はいます。東大寺大仏の開眼供養を行った菩提僊那は、南インドのバラモンです。

僧侶には、先に言った十戒以上に、犯してはならない罪、「四重禁戒(波羅夷)」が存在します。これを犯すと僧でなくなり、また二度と僧になることはできません。
1.婬、2.盗、3.殺人、4.大妄語
の4つです。

このうち1.は性交禁止です。そこで日本の僧は「衆道はOK」というルールを作ります。勿論他国の僧から見ると論外です。普通にキモい。
そのうち、「阿弥陀様がみんな許してくれる」と言って妻帯すらOKと言い出します。さらに教主の子孫が代々跡を継ぎます。お釈迦様が息子を捨てて出家したことを知りながら。他国の僧から見たら、北朝鮮もびっくりの制度です。

2.普通の盗みは禁止です。でも領地を得て領民から年貢をむしり取るのはOKです。集団で押しかけて権利を脅し取るのもありありです。この辺の先鞭は比叡山で、南都仏教も、東寺も高野山も追随します。高野山の黒歴史として、「税金払わないと呪うよ 地獄に落ちるよ」という文書が残っているのは、痛恨の極みと言えるでしょう。僧籍の大名とか、笑うしかありません。

3.殺人
まぁ、変質の原点は中国にあるんだけど、日本ほど「僧兵」というクラスが一般的な国はありません。彼らは堂衆であり、身分は低くても僧侶です。下間家とか極みです。さらに、この罪は殺人教唆はもちろん、自殺教唆も許しません。「法敵と戦って死ねば極楽往生」とか、大妄語もセットでぶっちぎりの罪、地獄まっしぐらです。

4.大妄語は妄語(嘘)の範疇を超えます。自分が悟りを開いた、神仏の化身である、とか全部大妄語です。特定の業者に救いがあると言って利権を集中するのもダメでしょう。何をやっても阿弥陀様が…、とか、これでは阿弥陀様は仏ではなく、ただの装置と化します。こう唱えつつ四十九日(裁判期間)はちゃんとありな精神構造はびっくりです。

これら4つを全部破ったのが上杉謙信、3つ位怪しいのは武田信玄、本願寺顕如あたりでしょうか。教義の観点からは、浄土真宗がぶっちぎりで酷い。

これらの戒律については、鑑真が命がけで日本に伝えています。でも日本の僧侶は守りませんでした。
元々、仏教を広めるために敵を殺す、という選択を聖徳太子が行った時点で、日本の仏教は異端であらざるをえなかったのかもしれません。

仏教は日本の文化に大きな影響を与え、残っている文化財とかとっても好ましいのですが、少なくとも古代末~中世期の寺社は、かなりクソだと思っています。まぁ、それも含めて「興味深い」、とも思うんですが…。

投稿: tera2 | 2014年4月17日 (木) 20時20分

>酢

産地の理由は不明ですので、単に類推を
元々酢は、酒造とセットです。
醸造酒を蓋空けて置いておくと、好気性菌の酢酸菌が酢にしてくれます。乳酸菌も手伝います。
また平安時代に貴族食と庶民食の分離が起こり、ほとんどの調味料は貴族の独占となります。

この辺をふくめて、
1.都に近い→技術の伝播が近い
2.海外に近い→1.を補完
3.適度にあったかい→菌が元気
辺りは要因であったかと思われます。

>流し雛
特に江戸時代、淡嶋願人という、勧進の人々が瀬戸内を廻ります。
そのあたりから婦人病の権威として淡嶋への人形流しが広まるような。淡嶋に向けて流すんだけど、早いので有名な瀬戸内の海流にのると簡単に沈んで淡嶋に届くことはありません。淡嶋の雛流しは、普通のでっかい飾り雛を小舟に山積みにして海に流します。
この辺の「流して届ける」で、ちゃんと届くのは、金毘羅宮の流し樽。これは今でも届けるシステムが生きてます。

>アニサキス

アニサキスの生活環は、オキアミなど→海魚→イルカ、クジラなど、です。そう考えると、海生哺乳類の少ない地域では自然に減ります。しかし、どことは言いませんが、×サバで有名な○県沿岸あたりでもちゃんといます。
有名なのは△△県産で、実習用の定番はこれだよね、というのは業界の秘密です。

投稿: tera2 | 2014年4月17日 (木) 21時21分

本日金曜夜7時半からNHKプレミアムの『美の壺』という番組で「すしの旅」を放映。

tera2さんの仏教の話。じっくり読ましてもらってからコメントします。

アニサキス。×サバで有名な○県、△△県産って、どこなんや^^;
こういうのは不確定情報でも、共有した方が世のためになると思うよ(判断は別やからね)。

テレビの番組表をみての、緊急コメントです^^

投稿: tera | 2014年4月18日 (金) 05時01分

>妙な誤解から獣肉食がタブー
>>tera2さん、なるほど!と納得するお話でした。
 いつも、tera2さんの批判精神には、その知識とともに、感心しています。
 とても面白かったです。日本ならではという事も多いのですね。
 内容に一々コメントができないほど「目から鱗・・」のお話でした。
 
これらに関する本を出されたら良いのに^^

ローマ法王庁などでの最近の不祥事を見るにつけ、聖職者という存在は本来的に無理なのではと勘繰ったりします。
まあ、なで斬りの信長の時代でなくて良かったですね^^;


酢の話といい、少々無茶振りで御免なさい^^;


teraさん、『美の壺』は谷啓さんの時によく見ていました。
最近もたまに見ているのですが、よくこれだけネタが続くもんだと感心しています^^;
情報ありがとうございます^^。

 

投稿: mino | 2014年4月18日 (金) 09時01分

5月の連休。tera2さんと和泉市を散策しました^^
久保惣記念美術館、いずみの国歴史館、葛葉稲荷神社、泉井上神社等です。

それで思ったのは、和泉市はかなり「歴史」に力をいれてるんやと。
けっこう表示板などが設置されているし、関連施設も多い。

ddolさんが紹介してくれた『松尾谷の歴史と松尾寺』(和泉市史編さん委員会編)も、「いずみの国歴史館」で実物を見てきました。

http://www.city.osaka-izumi.lg.jp/bizikankosan/rekishi/index.html

泉州の明治以後の繊維業の話は、昔まあまあ読んだ記憶があるんやけど、古代・中世の話しはほとんど知らなかったので、こんな立派なシリーズを刊行してるとは。

和泉の国の発祥という泉井上神社も面白かったけど、「うらみ葛の葉」の葛葉稲荷神社は、とてもよかったです。

投稿: tera | 2014年5月13日 (火) 06時13分

葛葉稲荷神社>
信太の森はこんな場所だったのですね。知らなかった。でも鳳より向こうとは少し遠いですね。

JR堺市駅のツインタワー>
長尾街道を西に向かって行くと見えました。いつも、あびこ筋で北上していたので気付かなかったようです。このビルだけが高いのでちょっと不自然な感じです。それと「仁徳陵」が中央環状沿いにあることを地図で知りました。堺東まで何度か通っているのに気が付きませんでした。

和泉市はかなり「歴史」に力をいれてるんやと。>
藤井寺や松原も同じで、史跡には大抵説明板があり、この点は東京と大違いです。

投稿: ddol | 2014年5月13日 (火) 19時52分

ddolさん

>でも鳳より向こうとは少し遠いですね。
うんうん、遠いわ^^。でも、阿倍野から南は、古代・中世の史跡がいっぱいあり、とりわけマイナーなそれは面白いです。つぎにminoさんが来た時に、「恨み葛葉社」行きましょう。

>それと「仁徳陵」が中央環状沿いにあることを地図で知りました。
「仁徳陵」は嫁の実家近くなので、なじみです。おいらは少年時代、「応神陵」のすぐ横に住んでたので、庭を掘ると円筒埴輪がごろごろ出てきた記憶が^^

>藤井寺や松原も同じで、史跡には大抵説明板があり、この点は東京と大違いです。
ああ、そうなんや。だいぶん前の話しやけど、三好氏の河内での活動を調べていた時、羽曳野市の教育委員会が高屋城の発掘調査に関する冊子を出してるのを発見。その後、三好長慶(あるいは松永弾正かも)を扱った小説で、この資料の丸写しの箇所が。小説家もよく調べてはるけど、羽曳野市はえらい^^

投稿: tera | 2014年5月14日 (水) 06時12分

5月の連休。tera2さんと和泉市を散策しました^^
>前回連れて行ってもらってなかなか興味深い土地だと思いました。
tera2さんも戻って来ていたのですね^^。
そういえば昔深井で発掘のバイトに行った思い出があるのですが、あそこは堺市かな?
土地の神社仏閣は面白いですね。その地域の歴史が詰まっている。

藤井寺や松原も同じで、史跡には大抵説明板があり、この点は東京と大違いです。
>ddolさん、これは全国的な流れだと思います。
岐阜市でもかなり整備が進んでいますよ。ちょっとした事跡にも説明板が附してあったり、道路のあちこちに案内の石柱が目立つようになりました。東京のことは分かりませんが、地方でそのような動きは顕著に見られます。

小説家もよく調べてはるけど、羽曳野市はえらい^^
>でも、小説家はある意味いい所取りですね^^;。
昔の司馬遼太郎の「国盗り物語」、岐阜市の岐阜城館長だった人の本がネタ元となってました。
もちろん、小説にする技量は司馬さんのものですし、他の資料も渉猟しての小説ですから非難している訳ではありません。
この辺りは学術論文との違いですね^^

投稿: mino | 2014年5月14日 (水) 14時15分

 連休に、和泉市周辺に連れて行ってもらって、翌日天王寺の博物館を廻って帰りました。

 大阪市美で、山の神仏 吉野・熊野・高野という特別展をやってました(~6/1)。
 まずは、吉野、大峰、役行者と蔵王権現が主で、蔵王権現を本尊とする吉野曼荼羅や吉野子守明神像も含まれます。遍路路でも、山岳信仰との絡みからか、巻物(ないし独鈷杵)と錫杖を持って、脛を出して磐座に座る役行者の像を時々見かけるんですが、その原点ですね。以前麓に住んでいた、葛城山の一言主命の絡みでも、役行者はなじみ深いです。
 大峰関連では、蛇頭の天川弁財天の絵姿があったのが印象的でした。勿論芸術の女神なんですが、宇賀神など蛇神信仰にも関わりがあるんですね。元々の河神の関連でしょうか。
 熊野は、もちろん熊野三山の神と、これの本地仏で、後は大量の熊野曼荼羅。和泉の熊野街道との絡みはこの辺ですw。四天王寺、住吉大社経由で延々熊野三山まで、「蟻」の様に出向いた結果か、初めて聞く社寺に、質の高い神像仏像がごろごろ残ってるようです。
 高野では、密教仏も多いのですが、地主神である丹生明神、高野明神と、いつしか加わった気比明神(福井)、厳島明神(広島)の四社を表したものが印象に残りました。厳島は、市杵島姫命→天河弁天→空海→高野山つながりでまぁ、ありかと思うんですが、なんで気比なんだろう…
いつもは1F使い切ることもまれな大阪市美が、2Fも使って大々的にやった展覧会で、みごたえたっぷりでした。奈良・和歌山にはまだまだいいものいっぱいです。
 あと、よく考えると、茶粥圏だなぁ…。

 そのあとは、できてのハルカス美術館の初展示、『東大寺展』にも。
これは18日(今日)で終わっちゃうんですが、国宝の誕生釈迦仏や重源上人坐像他、さすがに初回と感じさせる、かなり気合の入った展示でした。
 こっちも茶粥関連で、修二会(お水取り)の僧の食事として、今でも茶粥が出てくるそうです。


 和泉の方の話はほぼ同じなんだけど、話に出てこなかった美濃との関連を…。
熊野街道は別名小栗街道なんですが、これは浄瑠璃や歌舞伎の小栗判官から。小栗判官の妻となる照手姫は、美濃の国の青墓(大垣市)に売られて下女として小栗判官と再会します。
この物語の関連の結神社、というのが安八町に残っているようなので、機会があれば行ってみたいなぁと…。

熊野街道関連の地図で参考になったのは、
大阪府の歴史街道ウォーキングマップhttp://www.pref.osaka.lg.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html#kumano
府大の横走ってたんですね。

投稿: tera2 | 2014年5月17日 (土) 00時56分

tera2さん、天王寺博物館も行かれたんですね^^

また、tera2さんのお話で少し勉強になりました。
なかなか聞くだけで返せないのが辛い^^;でも、いつも面白いです。
やはり茶粥圏ですか?

初めて聞く社寺に、質の高い神像仏像がごろごろ残ってるようです。
>これは、確かに日本の精神社会の奥深さが窺えます。これでも随分歴史から消えている部分が多いのではとも。

大阪府はちゃんと仕事してますね。
最近はどこも街道云々の話題が多く、○○街道という石柱が目立つようになりました(岐阜にも鮎街道の石柱を最近見つけた)。
やはり、熊野古道が世界文化遺産に登録されたのが大きい?。

何にしても良い連休を過ごされました^^。

投稿: mino | 2014年5月17日 (土) 18時57分

>以前麓に住んでいた、葛城山の一言主命の絡みでも、役行者はなじみ深いです
うんうん、河内も和泉も摂津も、山側は役行者^^。
小説では、黒岩重吾の「役小角仙道剣」(新潮文庫)

>厳島は、市杵島姫命→天河弁天→空海→高野山つながりでまぁ、ありかと思うんですが、なんで気比なんだろう…

うんうん、不思議や。同じ一の宮でも若狭のそれなら納得なんやけどね。minoさんの気比神社を紹介してくれた所で、水と水銀と断層の道というような(無理やり横にそれた^^;)コメントをした記憶が(あと、火と食と八百比丘尼の道も)。

平家物語やったと思うけど、清盛が落雷で焼けた高野山の大塔を再建する場面で、気比と厳島がどうのこうのという爺さんがでてきて、それでは次は厳島を再建しようかとかの話しがあったような。

もう一つは、丹生都比売神社の祭神にも気比と厳島が。
http://www.niutsuhime.or.jp/goyuisho.htm

余談やけど、このページから神社の中世の様子を再現した3DCGが落とせます。丹生都比売神社はえらい。他の寺社仏閣のHPもこういうのを作って載せてほしいです^^

本題に戻って、この由緒では、
>鎌倉時代には、行勝上人により気比神宮から大食都比売大神、厳島神社から市杵島比売大神が勧請され、社殿が北条政子により寄進され、本殿が四殿となり、このころから舞楽法会が明治のはじめまで盛んに行われます。

これを読んで思ったのは、貞暁(頼朝と大進局の子)。時期からいっても、行勝上人と二位の尼を結ぶのは、彼やろうと。実朝暗殺の直前で、貞暁は将軍になりたくなくて目をくりぬく(高橋直樹、無明の将軍、「霊鬼頼朝」文春文庫、所収)
それでも気比の勧請のことは、わかりません^^;

>こっちも茶粥関連で、修二会(お水取り)の僧の食事として、今でも茶粥が出てくるそうです。
修二会も朱と丹やね。茶粥で思い出したのは中上建次の「日輪の翼」

>熊野街道は別名小栗街道なんですが、~美濃の国の青墓
>岐阜にも鮎街道の石柱を最近見つけた
うんうん、青墓。いってみたい。「鮎街道」。minoさん、記事を期待してるで^^。

近藤ようこ、説教小栗判官、白泉社

>大阪府の歴史街道ウォーキングマップ
これ、いいね^^

投稿: tera | 2014年5月18日 (日) 06時05分

teraさん、丹生都比売神社はえらい。
>普通のHPではここまではできないですね^^
でも、廃仏毀釈って結構な広がりがあったんですね。

tera2さんの本題にはなかなか知識不足でついていけないのですが、それでも聞く分にはこういう話は好きです。

「鮎街道」。minoさん、記事を期待してるで^^。
残念ですが、面白いテーマながらも、今少し脇に置いときたいと思います(^^;

黒岩重吾の「役小角仙道剣」(新潮文庫)、高橋直樹、無明の将軍、「霊鬼頼朝」文春文庫、中上建次の「日輪の翼」、近藤ようこ、説教小栗判官、白泉社
>teraさん、さすがによく読んでいる(^^V

投稿: mino | 2014年5月19日 (月) 08時38分

「鮎街道」
>ごめん、さっき通りかかってみたら「御鮨街道 おすしかいどう」やった^^;
尾張街道の別名ですね。鮎鮓街道(あゆすしかいどう)とも言うらしいです。

投稿: mino | 2014年5月19日 (月) 12時02分

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