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2014年6月17日 (火)

近鉄大阪線 河内国分駅、JR関西線高井田駅あたり2014年5月 - 所用で1日潰す

 

  所用で大阪市近郊に赴いた際に利用した近鉄と、そこから奈良、京都を経て丹波へ向かったJRと実に無駄な日となった一日の一コマ。

名古屋から近鉄で特急、急行、普通と細切れに乗車して大阪へ向かい、旅程上最終的にはJRの山陰線に乗らねばならないということで、近鉄大阪線河内国分駅からJR関西線高井田駅へ徒歩で乗り換え、奈良へ向かいました。

その途中の近鉄名張駅からJR関西線王寺駅までの主に駅撮りの何枚かです。

 

  大和八木駅にて。

  大阪難波行き特急21000系「アーバンライナーplus」の到着。

Dsc02218

 

  同じく大和八木駅にて。

  向こう側は23000系「伊勢志摩ライナー」京都発賢島行き。

Dsc02219

 

  近鉄河内国分駅から徒歩でJR関西線高井田駅に向かう途中、近鉄の大和川橋梁を行く特急21000系「アーバンライナーplus」。

Dsc02231_2

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  大阪上本町(うえほんまち)行き特急30000系「ビスタEX」。

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Dsc02252

 

  JR関西線高井田駅。

Dsc02257

 

  高井田駅にて。

  大阪天王寺方面行き普通電車。

Dsc02263

 

  王寺駅にて。

  奈良方面へは王寺駅で「大和路快速」221系に乗り継ぎ。

Dsc02265

  撮影 2014/05/02

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コメント

近鉄大阪線河内国分駅からJR関西線高井田駅へ徒歩で乗り換え>
これはいい情報を頂きました。高井田には博物館や史跡が色々あるので行ってみたいのですが、柏原からの道が細いわりに交通量が多いので躊躇していた所でした。河内国分ルートをとれば安心して行くことができそうです。
国分には玉手山があり、ここも史跡が豊富なのですが、自転車で行く関係でまだ行っていません。親の話では、子供の頃は羽曳野市古市から玉手山遊園地まで徒歩で遊びに行っていたそうで、自分のことながら、昔は元気だったんだと感心します。

投稿: ddol | 2014年6月20日 (金) 20時07分

国分には玉手山があり、ここも史跡が豊富なのですが
>ええ!そうなんですか。
玉手山の名前は懐かしいです。
高井田駅から玉手山学園へのスクールバスが出ていて、近くに大学があるのだなあといつも見ていました。

高井田には博物館や史跡が色々あるので
>これ、全く知りませんでした^^;
もう少し探検すればよかった・・

河内国分ルートをとれば安心して行くことができそうです。
>このあたり実際にはあまりよく知りません。
高井田駅からすぐ西にJRの柏原駅があり、近鉄道明寺線が南大阪線に連絡していることぐらいしかしりません。
藤井寺はそこからすぐだという事は分かりますが^^;

投稿: mino | 2014年6月20日 (金) 22時59分

このあたり実際にはあまりよく知りません。>
私も藤井寺に住むまではまったく知らない地域でした。
「豊富」というのは多少オーバーですが、東京の田舎者にとっては史跡が多くて感嘆してしまいます。

この地域は、大和川が石川と合流し、川の流れが西から北に変わる地点になるので、古くから交通の要衝で史跡が比較的多いそうです。
academic3.plala.or.jp/dou-e/kokuannai/kawa.hashi/yamatogawa/yamatogawa/m-yamato.gif

参考までに、柏原市のHPから「柏原史跡と名所案内マップ」
www.city.kashiwara.osaka.jp/siseki/siseki-map.htm
「国府物語」
komatsu0513.heteml.jp/kawachi.html
私は後者を見て河内国府をうろついたのですが、駐輪スペースが見つからないのでまだ訪れたことはありません。

投稿: ddol | 2014年6月22日 (日) 19時58分

藤井寺のあたりはなかなか見所が「豊富」と思います。

ddolさんに示して頂いた地図を見てみると、国分って石川を挟んで古市古墳群があるんですね^^;う~んこんな位置にあったんだ。
しかも国府にはまったく気づきませんでした。
交通の要衝と言う意味では、大阪夏の陣で幕府軍は近鉄線沿いの関屋越えで大和から河内に侵入していますね。そして道明寺合戦が起こりました。

なんにしても面白い場所ではありますね。

もうひとつ、地図を見ると明らかになりますが、近鉄大阪線は河内国分から北に向かっていますし、柏原駅は高井田駅の真西には無いですね^^;

投稿: mino | 2014年6月23日 (月) 04時19分

>親の話では、子供の頃は羽曳野市古市から玉手山遊園地まで徒歩で遊びに行っていたそうで、自分のことながら、昔は元気だったんだと感心します
>高井田駅から玉手山学園へのスクールバスが出ていて、近くに大学があるのだなあといつも見ていました。

「応神陵」の「正門前」に住んでたので、小学生の頃、玉手山には友達とよく遊びにいきました(自転車でやけど)。短大があったんやけど、いつのまにか大学も(関西福祉科学大学)。娘のセンター試験の会場で、久しぶりに行って驚いた^^

当時のおいらの家の横には池があり、「道明寺合戦」の首を洗った池との言い伝えがあったんや。そこも今は埋めたてられ、住宅が建ってます。

投稿: tera | 2014年6月24日 (火) 04時57分

teraさんにとって河内地方は庭みたいなものですね^^

私も藤井寺あたりは仕事での関係で割りに知っていますが、住んでいた人には敵わないです^^;

当時のおいらの家の横には池があり、「道明寺合戦」の首を洗った池との言い伝えがあったんや。そこも今は埋めたてられ、住宅が建ってます。
>これ、地方だったら説明板付で保存されていますね、公園化されて・・。
関西は歴史的な遺構が豊富でぜいたくですね^^;。

投稿: mino | 2014年6月24日 (火) 21時12分

ウィキの「道明寺の戦い」の布陣図の方がはっきりしますね。玉手山には後藤基次の碑をはじめとして、この戦いに関した供養塔や墓があります(まだ行ってませんが)。

高井田駅から玉手山学園へのスクールバスが出ていて、近くに大学があるのだなあといつも見ていました。>
これは教育大ではなかったのですね。関西福祉科学大学は、道明寺線がネックとなり南大阪線からは行きづらそうです。
この地域は私も印象がなかったのですが、90年代後半にマンションがいくつか建って驚きました。大阪線沿線なので大阪市内に出るには便利でしょうが、日常生活では多少不便だろうという感じです。

投稿: ddol | 2014年6月24日 (火) 21時13分

ddolさん、時間的に被りましたね^^。

玉手山には後藤基次の碑をはじめとして、この戦いに関した供養塔や墓があります(まだ行ってませんが)。
>玉手山にはいろいろあるんですね。

道明寺の戦いはWikiも読んでみましたが、両軍の損害が無茶苦茶少ないのですが、どういことでしょうね?

八尾・若江の戦いでは幕府軍は藤堂高虎や井伊直孝が参戦し激戦だったと聞いていましたが、道明寺合戦よりも損害は大きかったようですね。
それでも、当時の戦いでは数百の損害は大きかったということなんでしょうかね?

これは教育大ではなかったのですね。
>たぶんそうだったと思います。玉手山学園とバスにあったような気が・・。そう言われると自信が無くなってきました^^;

大阪線沿線なので大阪市内に出るには便利でしょうが、日常生活では多少不便だろうという感じです。
>当時は職場がJR関西線沿線だったので、名古屋を経て岐阜へ帰る便利も考えての当地でした。

投稿: mino | 2014年6月24日 (火) 21時40分

小学校の頃、家庭教師をしていただいた先生(土師ノ里在住)から電話があり、昨日(火曜)、久しぶりの藤井寺に。20年ほど前にあったきりで、年賀状のやりとりだけの関係になってたんやけど、彼の一番下の子が今年おいらの授業を履修してて、それで会おうかということに。彼は、きっとminoさんとほぼ同じ歳(「全共闘世代」)です^^

それで驚いたのは、史跡がとても整備されてる。小学生の印象では、単なる草が生い茂る林だったところが、人の手がはいり○○古墳に。ああ、前方後円墳や方墳・円墳だったんやなと^^;
「アイセルシュラホール」という修羅の形状をデザインした施設にも連れてってもらいました。展示物はとても興味深く勉強になったんやけど、おいらが通ってた小学校の前の池を埋め立てて造った施設で、ここで鮒釣りやザリガニとりをしたなあという記憶がそれ以上にあって。なつかしさと幾分かの残念さが混じり、不思議な気分でした。

人も場所も記憶も、どんどん変わっていきます。

投稿: tera | 2014年6月25日 (水) 06時15分

彼は、きっとminoさんとほぼ同じ歳(「全共闘世代」)です^^
>こ、これこれ^^;

人も場所も記憶も、どんどん変わっていきます。
>本当やね。
昔に通学していた中学校は移転して名前だけはあるけど、小学校は合併話が出ていて、無くなるのなら私の母校であろうと推移を見守っています。

人も場所も記憶も移ろうから、歴史なんでしょうね(シミジミ ^^

投稿: mino | 2014年6月25日 (水) 10時24分

道明寺の戦い、八尾・若江の戦い>
菊池寛「大阪夏之陣」(www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/1366_37259.html)が簡潔に記述しています。

道明寺合戦について、『藤井寺市史 第二巻 通史編二』(2002年)は、「続く大阪夏の陣では、すぐ近くの道明寺河原から玉手山で後藤又兵衛、薄田隼人らと東北仙台藩の重臣片倉小十郎らが激戦したが、道明寺は焼失を免れ、直接的な被害はあまり被らなかった。」(422頁)と記すだけで、戦闘の経緯については参考になりませんでした。
参考までに、「戦国合戦CGシリーズ『真田幸村』 道明寺・誉田の戦い」(http://www.youtube.com/watch?v=KQhm3QhnCUg )が、兵力と陣の移動を描いています。
また、岐阜市歴史博物館編『館蔵品図録 戦国合戦図屏風』(www.rekihaku.gifu.gifu.jp/kanzouhin/pdf_data.pdf)には道明寺合戦の絵とその解説が掲載されています。

八尾・若江の戦いに関しては、『八尾市史 (前近代)本文編』(1988年)(web-lib.city.yao.osaka.jp/yao/yao-archive/pdfs/113452551/113452551-k530s.pdf)に戦闘の経緯が詳述されています(ただし1958年版とほぼ同じ。元のHPはweb-lib.city.yao.osaka.jp/yao/yao-archive/)。

道明寺合戦の死者数が多いか少ないか私にはわかりませんが、圧倒的な戦力差があったこと、真田勢が到着した時には退却するしかなかったことから死者が増えなかったのではないでしょうか。対して八尾では湿地に苦しんだり、火が放たれたりしたので、相対的に被害が大きかったというくらいしか思いつきません。
八尾も道明寺も戦闘が始まる前、幕府側の保護を取り付けているのはなかなかしたたかです。

投稿: ddol | 2014年7月 2日 (水) 19時58分

ddolさん、読ませて頂きました。いつも有難うございます^^

それにしても地元の岐阜市歴史博物館にこんな収蔵品がある事も知らず、トホホの感です。見応えがありました。

それから『八尾市史 (前近代)本文編』もなかなか読みごたえがありました。
細かい土地名までは分かりませんが、それなりに土地勘のある場所なので読んでいても位置関係が大まかに分かり、それが助けとなり、より面白く読めました。

市史というより、まるで軍記物を読んでいるようで、それも良かったです。
大坂方の武将の墓があちこちに点在しているのですね。古戦場巡りとしては一級の場所みたいです。

YouTubeのCGはシリーズとしてアップされているようで、他の戦いもさがしてみます^^。

戦死者についてはやはりWikiの数字は妥当なのかなと。

道明寺合戦の死者数についてはddolさんが仰っているようなことが理由なのでしょうね。

八尾も道明寺も戦闘が始まる前、幕府側の保護を取り付けているのはなかなかしたたかです。
>そうですね。住民にとって戦は迷惑この上ないです。必ず火が放たれますしね。
それでも合戦の最中でも耕作したいと願い出ているところは興味深かったです。


投稿: mino | 2014年7月 3日 (木) 06時52分

>「戦国合戦CGシリーズ真田幸村』 道明寺・誉田の戦い」
これ、面白い。地理感があるだけに、ここを通って戦闘してるんやなあと。

メジャーリーグの合戦多い美濃・尾張の合戦CG。minoさん作ってくださいね^^

投稿: tera | 2014年7月 5日 (土) 06時21分

これ、面白い。地理感があるだけに、ここを通って戦闘してるんやなあと。
>面白かったでしょ^^
でも、地理を知らないと面白くないのではとも思います^^;
時間軸もビジュアルなので分かりやすいですよね。

メジャーリーグの合戦多い美濃・尾張の合戦CG。minoさん作ってくださいね^^
>作るのは無理なので、YouTubeさがしてみます^^;

投稿: mino | 2014年7月 6日 (日) 00時22分

私も、小学校から玉手山まで1kmもないような状態だったので、長く玉手山は藤井寺市だと思っていました。玉手山は普通に放課後に遊びに行くエリア。
古墳ネタや道明寺合戦ネタもわかりやすいんですが、ここではあえて鉄道ネタを。

地図を見ると、近鉄道明寺駅から、盲腸の様な線路が柏原駅まで走っていて、そこから近鉄大阪線の堅下の駅までは300m位なんですがつながっていず、柏原が終着駅ですw。
これは、近鉄の前身に大阪鉄道と奈良軌道の2社があり、違う会社だったのでつながっていないんだそうです。大鉄は関西本線も持っていました。なんで、柏原駅は今でも一塊。
大阪線とつながっていないのもそのまんま。

うぃきぺとか見ても、近鉄の創業は1910年で、みたいなことを書いてありますが、実は近鉄の路線で一番古いのは、大阪鉄道(河陽鉄道)が1898年に柏原から富田林まで開いた線です。
もともとこっちが本線だったので、まっすぐ走っています。

近鉄創業○○周年のチケットは、大和川を渡る道明寺線の車両がよく出てきます。

投稿: tera2 | 2014年7月 7日 (月) 23時14分

>大阪鉄道
これは河南鉄道の方やな。ぼんやりの記憶をもとにしたコメントなんやけど、河南鉄道の頃の私鉄は、寺社仏閣=観光地への旅客目当てと水運の代替が多かったような。

河南鉄道も、観心寺とかと石川水運。現ルート(近鉄長野線)は石川の西岸やけど、当初は東岸ルート(壺井や大ケ塚など)の計画もあったという記憶が。「玉手山遊園地」も南海の「天下茶屋遊園地」や浜寺のノリやね^^

関西線の方は、お国に召し上げられたしまったんやけど、近鉄のもう一つのルーツは大軌で河南鉄道系も「買収」されてしまいます。それで、いまも近鉄は大阪線の方にきれいな電車を走らせてるんかな。この春に天理参考館でやってた「近鉄電車展」のポスター(出所は昭和初期の絵)も奈良へ行く路線ばっかりで。以上は、河南鉄道沿線住民のひがみです^^;

戦前の鉄道は、まずは近代化(のための国家意志としての)国鉄。でも国鉄は財政難で無理、一方、儲かるやんかということで私鉄が乱立。井上勝と渋沢栄一の論争の時代で、
「帝国」でいくのか「市場」でいくのかの国の形を議論した時代です。ちなみに井上勝は、「長州ファイブ」で井上聞多や伊藤俊輔ら(のテロリスト達^^)と一緒にイギリス留学。

その後は、やっぱり軍事やということで国有化され、もう一度、大正期に市場やなあ(地方は、「民権」政治家による国鉄路線延長のばらまき合戦)ということになるんやけど、最終的に軍事優先ということに。

最後に道明寺関係の小噺。
天満宮は小さな社しかなかったのに、江戸時代に道明寺と肩を並べるくらい繁栄。廃仏毀釈が決定的で、寺領と「文化財」が天満宮に。道明寺界隈の言い伝えです。

投稿: tera | 2014年7月 8日 (火) 05時27分

それから『八尾市史 (前近代)本文編』もなかなか読みごたえがありました。>
細かい土地名までは分かりませんが、それなりに土地勘のある場所なので読んでいても位置関係が大まかに分かり、それが助けとなり、より面白く読めました。>
私はまだまだわからないので、地図を見ながらということになります。ちなみに市史に登場する玉串川は、今は小さな川で、春には桜の名所となっていて家族連れが弁当を広げて花見をしています。

メジャーリーグの合戦多い美濃・尾張の合戦CG。minoさん作ってくださいね^^>
>作るのは無理なので、YouTubeさがしてみます^^;>
いやいや、最近はフリーのすぐれものがあるのでやってみる価値はあるかも知れませんよ。昔は単純なモデルのレイトレーシングに一日を費やしたりしましたが、今はほほいのほいで出来るので、あとはセンスだけです。

もともとこっちが本線だったので、まっすぐ走っています。>
なるほど、そういうことですか。それにしても道明寺-柏原は不便です。
少しだけ補足します。当初は古市で分岐して藤井寺を通る案と、道明寺で分岐する案があったのですが、玉手山遊園と天満宮を考慮して道明寺経由に決まりました。
また22年には、京都進出を念頭に、柏原から京阪寝屋川までの延長計画で免許を得ますが、結局大阪進出と並行するということでご破算となりました。

それで、いまも近鉄は大阪線の方にきれいな電車を走らせてるんかな。>
阪急宝塚線のボロさも負けていません。
こういう「差別」は東京では思いつかないです。是政線なんかも多少ボロいですが、短い路線なのでそんなものだと思います。地下鉄では銀座線・丸ノ内線は古い路線ということで、90年代中端までは車内の照明が消える車両が走っていました。記憶違いかも知れませんが、昔の御堂筋線も明かりが消えたのではないでしょうか。

投稿: ddol | 2014年7月 8日 (火) 19時33分

なるほどね。
鉄道話に限らず、その土地、その土地の話は面白いですね^^。

tera2さんの坂出の話を見て思い出したのは、teraさんに教えて貰った児島の野崎家の下津井電鉄の話。
このあたりはtera2さんがよくご存知だろうと思うのですが、電鉄が敷かれた理由やその過程が大変面白かったです。

こういう「差別」は東京では思いつかないです。
>JR西日本での岡山、広島地区の扱いが酷い^^;
最近になってやっと新車が投入されることとなり話題になってますよ。

あとはセンスだけです。
>ddolさん、残念ながらそれが無い^^;

tera2さん、鉄道話に振って貰いありがとうございます。面白かったです^^

投稿: mino | 2014年7月 8日 (火) 20時26分

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