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2014年7月

2014年7月31日 (木)

(フェリーを利用して)下関(山口県下関市)を散策(5) - 城下町長府(3)長府毛利邸

 

  山口県には毛利邸が二つありますが、一つは防府市の毛利邸、そしてもう一つが長府の毛利邸です。

長府の毛利邸は長府藩毛利家の邸宅です。

明治の時代になり長府藩最後の藩主である毛利元敏が東京から長府に帰住して建てられたのが現在の長府毛利邸。

長府毛利邸は明治36年(1903年)に完成、大正8年(1919年)まで本邸として利用され、昭和23年(1948年)東京移住のために土地、邸宅は下関市に寄付され、平成10年(1998年)から一般公開されて現在に至っています(案内板等参照改)。

 

  乃木神社から横枕小路を抜けて切り通しの道路に出ました。

  左へ向かいます。

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  方向は南になりますが少々下り坂。

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  途中、左手に古江小路。

  古江小路は長府の街並みの最大の見どころとも言えますが、ここは後回しにして先に進みます。

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  振り返って。

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  長府毛利邸の石垣の下にある案内板。

  覚苑寺(かくおんじ)に行けなかったのは惜しかったです。

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  長府毛利邸。

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  毛利邸前にある総社跡の説明板。

  なるほど、総社というのはこういう経緯があったのですね。

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  立派な門構えです。

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  石畳の坂を上り左手が入り口。

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  建物の正面右手から入ります。

  入場料は大人200円、小人100円。

  入場料とは別に夏季限定で「冷たいお抹茶」400円(菓子つき)、「冷たい自家製梅ジュース」200円(菓子つき)のおもてなしがありますが、申し込まなければ入場料のみです。

  別に入場料のみでの拝観で何の差し支えもありません。

  私も入場料のみでの拝観でした。

  詳しくは長府毛利邸ホームページで。

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  蔵と思しき場所。

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  長府毛利家の家族写真。

  後列左から三番目が当主の毛利元敏(14代)。

  その右が15代の元雄(もとかつ)。

  撮影年は記されていませんでしたが、元敏は明治41年(1908年)に長府で死去しているのでそれ以前の写真。

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  撮影 2014/07/26

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2014年7月30日 (水)

(フェリーを利用して)下関(山口県下関市)を散策(4) - 城下町長府(2)乃木神社から「横枕小路」

 

  長府藩は毛利藩の支藩として6万石で立藩。

初代藩主は毛利秀元。

毛利秀元は毛利元就の四男である穂井田元清(ほいだ もときよ)の子。

江戸時代には長府藩毛利家から宗家の長州藩に二人の藩主を送り出しています。

本拠の櫛崎城(くしざきじょう)は元和の一国一城令(1615年)で廃城となり、長府藩は幕府内では城主格の待遇を受けるも藩庁は以後陣屋となります。

秀元から数えて14代で明治維新となりました。

 

  さて、忌宮(いみのみや)神社から次は北西にある乃木神社に向かいます。

そして乃木神社からすぐ南にある「横枕小路」を西に抜けました。

 

  地図中央に三角風の屋根が二つ見えますが(赤色の現在地の上下)、左下が忌宮神社、右上が乃木神社です。

  乃木神社の真上に屋根瓦風の色をしたのが覚苑寺(かくおんじ)。

  覚苑寺(かくおんじ)は行きそびれましたが、その覚苑寺(かくおんじ)から真っ直ぐ左の方にある同じような屋根型のある場所が功山寺。

  功山寺から乃木神社に向かっての直線上の中間にあるのが長府毛利邸です。

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  忌宮(いみのみや)神社の鳥居前に戻り、「乃木さん通り」と名付けられた大通りを左へ。

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  乃木神社の鳥居を目指して左手へ入って行きます。

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  途中、木々に挟まれた中を奥に歩いて行きます。

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  神社は道路の突き当りにあります。

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  社殿。

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  神社の竣工は大正8年だったたことなどが記されています。

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  乃木神社の前の道路を神社に向かって左へ。

  左の塀の内側は忌宮(いみのみや)神社の西端となります。

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  歩いてすぐ右側に「横枕小路」。

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  奥の方。

  方角的には西に当たるのですが、どうしても北と錯覚してしまいます。

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  途中、左側が開け、公園がありました。

  どうも工事中のよう。

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  そこから振り返って。

  気が付きませんでしたが忌宮神社の鳥居が見えますね。

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  もう少し行き再び振り返って。

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  これも振り返って。

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  最後に振り返って。

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  反対側の石柱。

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  反対側に出ました。

  ここから左方向へ長府毛利邸に向かいます。

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  撮影 2014/07/26

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2014年7月29日 (火)

(フェリーを利用して)下関(山口県下関市)を散策(3) - 城下町長府(1)忌宮神社(いみのみや じんじゃ)

 

  長府の散策では大まかに言って二地域に分かれていると考えた方が良さそうです。

一つは最寄りのバス停が「市立美術館前」の市立美術館、長府庭園、櫛崎(串崎)城跡、関見台公園地域、もう一つが功山寺、忌宮神社や乃木神社、土塀の小路などのある町並みの長府中心部の地域。

下調べをして行ったつもりでしたが、この後の「みもすそ川公園」から赤間神宮、日清講和記念館、春帆楼、亀山神宮、唐戸の洋館等を散策することを考えれば時間的にかなり無理な旅程であると長府の街並みを歩いていて気づきました。

さらに私の頭の中では巌流島や門司港レトロの先の和布刈まで予定に入っていたというこの無謀さ。

 

  ということで時間的に無理と悟った時点で、櫛崎城跡と和布刈(門司城跡)は一括り、それに巌流島を加えて機会があれば次回に訪れることにし、取り敢えず長府の町をじっくりと散策することにしました。

長府の地名はは長門の国府が置かれた事が由来だそうですが、また日本書紀に記されている第14代天皇である仲哀天皇が7年の間「豊浦宮(とゆらのみや)」を建て皇居としたという伝承がある歴史のある町。

そして高杉晋作維新回天の挙兵の地としても有名な功山寺。

また土塀のある小路など見どころの多い長府の町です。

 

  城下町長府バス停までは唐戸バス停から所要時間16分、運賃350円(小人180円)。

  下関駅からは所要時間23分、運賃380円(小人190円)。

  サンデン交通ホームページ

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  バス停北の西(左)に延びる道路を行きます。

  まず目指すは忌宮(いみのみや)神社。

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  突き当りが忌宮(いみのみや)神社。

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  石段から鳥居前通りを振り返って。

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  忌宮(いみのみや)神社は長門国二宮。戦前までの旧社格は国幣小社でした。

  境内が豊浦宮(とゆらのみや/とよらのみや)に比定されています。

  祭神は「本殿 第一殿:仲哀天皇、第二殿:神功皇后、第三殿:応神天皇(Wikiより)」

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  石段を登り切って右側にある荒熊稲荷神社。

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  荒熊稲荷神社由緒。

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  上の由緒にある通り荒熊稲荷神社例大祭に行われるのが奉納相撲(長府の三日相撲)。

  縁のある岩国出身の元大関魁傑(放駒親方 2014年5月死去)を顕彰した相撲資料館が横に併設されています。

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  その内部。

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  放駒親方(魁傑)が育てた横綱大乃国。

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  忌宮神社の奇祭である数方庭祭(すほうていまつり)の準備に余念がない人々。

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  境内社の八坂神社。

  多数の神社が合祀されています。

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  神社裏手にある「豊浦皇居趾」碑。

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  Wikiなどでは「とゆらのみや」との記述があります。

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  その後ろにある集童場場長室の建物。

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  鳥居の前に戻り大通りを北へ。「乃木さん通り」と名付けられています。

  北隣にある乃木神社へ向かいます。

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  撮影 2014/07/26

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2014年7月28日 (月)

(フェリーを利用して)下関(山口県下関市)を散策(2) - フェリー下船後 門司港から唐戸港(下関)へ

 

  大阪南港を前日の19時50分出航の名門大洋フェリー下り第2便は8時30分に新門司港に入港。

その直前数十分前に甲板に出てみました。

右舷から左舷に回り込むと港外で停泊している第1便を見つけました。

そして第2便は定刻の8時30分に接岸。

ターミナルビル前から連絡バスで20分、門司駅北口で降車。

連絡バスはさらに20分かけて小倉駅北口(新幹線口)へ。

 

  さて、今回の旅行は常に通り道でしかなかった下関を散策してみようということで、時間が許せばこちらは何度も訪れている門司港レトロも歩いてみようという計画。

取り敢えず門司港駅に向かい門司港からの関門汽船で下関側に渡ることにしました。

門司港駅到着が9時15分ごろで、下関側の唐戸港には9時40分ごろ。

まず、バスで城下町長府へ向かいました。

 

  8時少し前。フェリーの右舷から。

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  船尾から回り込み左舷へ。

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  遠くに第1便が沖合いに停泊していました。

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  今回乗船した特別2等洋室A。

  現在は「ワンランクアップキャンペーン(2等洋室の料金で特2等洋室A・Bが利用できる)」と「インターネット割引(2割引き)」で片道7000円。

  インターネット割引と往復割引(2割引き)は重複して利用できません(インターネットで往復利用を申し込んでも2割引きのみ)。

 

  特別2等洋室Aと特別2等洋室Bの違いは個室ごとにTVがあるか無いかとカーテンがBは布製の左右開き。

  コンセントはAもBも個室ごとに一つずつあります。

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  門司駅から門司港駅へ。

  210円でした。

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  残念だったのは門司港レトロのシンボルとも言うべき門司港駅駅舎が工事中だったこと。

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  2012年1月9日の門司港駅駅舎。

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  門司港駅前の交差点から海側すぐに関門汽船の門司港があります。

  チケットは自動販売機で購入。

  下関の唐戸港までは片道400円(小人200円)。

 

  私は窓口で「関門周遊パスポート」1440円を購入しました。

  「関門周遊パスポート」は関門汽船の関門連絡船2回乗船可能、サンデン交通の下関駅~唐戸~城下町長府間のバス乗り放題、西鉄バスの門司港駅~和布刈(めかり)間のバス乗り放題。

  子供料金は720円です。

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  関門橋と下関側の火の山。

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  対岸から連絡船が到着。

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  中はこんな感じ。

  船によって内装は異なります。

  帰りは一回り小さい船でした。

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  桟橋をバックして出発。

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  門司港レトロあたり。

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  右手に関門橋。

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  下関側の唐戸港に到着。

  所要時間はきっかり5分でした。

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  巌流島への上陸付き遊覧船。

  時間があればと考えていましたが全然でした。

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  唐戸港の前、右側が旧秋田商会ビル。

  現在は下関観光情報センターで無料。

 

  左が下関南部町(なべちょう)郵便局。

  明治33年(1900)に建てられた下関に現存する一番古い西洋建築。

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  旧下関英国領事館(国・重要文化財)を歩道橋上から。

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  唐戸バス停から16分の所要で城下町長府バス停へ。

  唐戸~城下町長府間350円(小児180円)。

  ちなみに下関駅から城下町長府へは所要時間23分、運賃380円(小児190円)です。

  サンデン交通ホームページトップ

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  撮影 2014/07/26

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2014年7月27日 (日)

(フェリーを利用して)下関(山口県下関市)を散策(1) - フェリー乗船前大阪にて 阿倍野ハルカスを遠望

 

 

  フェリー(名門大洋フェリー)を利用して下関市の城下町長府、関門海峡下関側の史跡、神社等を散策してきました(門司港レトロも少し散策)。

当地での滞在は1日のみで、その日のうちに再びフェリーで大阪へ戻り、そのまま岐阜へ帰るというとんぼ返り旅行となりました。

往きの下り新門司港行きフェリーの乗船前に、大阪環状線 新今宮駅から天王寺駅までを阿倍野ハルカスを眺めながら歩いて少々時間を潰した様子。

 

  大阪駅から環状線に乗り換え新今宮駅で途中下車。

  ホームの最も西端からの阿倍野ハルカス。

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  JR新今宮駅の西端で南海電鉄の新今宮駅がクロスするように接続しています。

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  西側にある南海新今宮駅の改札手前を左へ下の道路に下ります。

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  下りるといわゆるあいりん地区の「あいりん労働公共職業安定所」のビルの前。

  真っ直ぐ東へ行くと阿倍野ハルカスの真下である天王寺駅前の交差点。

  この道を行くのではなく左に入り環状線・関西線のガード下を北側へ。

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  JR線の北側。

  大阪らしい猥雑さが残る道路の東を阪堺電車(はんかいでんしゃ)が行きかいます。

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  写し損なったと思いきや、すぐに恵美須町駅(えびすちょう えき)からの電車がやってきました。

  こちらは阪堺線(はんかいせん)。

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  ガードのすぐ南側にある南霞町駅(みなみかすみちょう えき)。

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  先ほどの大通りの下を地下鉄御堂筋線が通っていますが、このあたりが地下鉄動物園前駅。

  ガード北にも出入口がありますが、そのあたりから。

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  そのすぐ東にあるスパワールド。

  「スパワールド 世界の大温泉」と銘打っていますが、入ったことはありません。

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  すぐ横にジャンジャン横丁への入り口があります。

  ここから新世界、通天閣一帯は大阪の一大観光地となってしまいました。

  観光バスが道路にいたりします。

 

  新世界や通天閣に関する記事 「阪堺(はんかい)電車(大阪市、堺市)で散策(3) - 通天閣とその界隈」はこちら。

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  もう少しで谷町筋という場所。

  途中にあった踏み切りが無くなったことで、以前に訪れた時より撮影ポイントがほぼ皆無の状態となっていました。

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  天王寺駅前の交差点より。

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  交差点の北側は谷町筋、東の方からあびこ筋(すぐ東で本来の南北の道路となる)、南へはあべの筋。

  そのあべの筋を南北に走る阪堺電車(はんかいでんしゃ)の天王寺駅前駅。

  こちらは上町線で先ほどのは阪堺線。

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  撮影 2014/07/25

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2014年7月25日 (金)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(8)2010年1月 - 長谷院(ちょうこくいん 愛知県清須市)の多宝塔

 

  長谷院(ちょうこくいん)は堀江観音として親しまれているお寺です。

現在は清須市に含まれ、最寄りの駅は須ヶ口駅(すかぐち えき)。

須ヶ口駅は名古屋本線の駅で当駅から津島線が分岐しており、隣接して名古屋鉄道の車両基地である新川検車区があります。

駅の南側から南方向(実際には南西)に歩いて行くと美濃路との交差点に出て、これを突っ切り真っ直ぐ道なりに行き、駅から300mから350mぐらいで左手にコンクリートの塀で囲まれた木々の茂みのある場所が見えてきます。

その手前の道を左に折れると右側に境内へ入る空間があり、多宝塔が見えます。

周辺は住宅街、それも開放感のある住宅街です。

 

  須ヶ口駅。南側が表。

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  道路から路地に入り右手を見たところ。

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  江戸時代の天保5年(1834年)尾張藩主徳川斉朝が寄進した多宝塔。

  文化財指定はありません。大変均整のとれた綺麗な多宝塔です。

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  山門(仁王門)。

  南側に面しています。

  奥が本堂、右手に多宝塔の相輪がわずかに見えています。

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  本堂。本尊は十一面観世音菩薩。

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  再び先ほどの出入り口から出ます。

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  この後、駅に戻る途中の交差点から美濃路をたどって東に向かいます。

  途中、家並みが切れて駐車場になっている部分から新川検車区。

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  新川に出て堤防上から新川検車区。

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  新川を東側に渡り、東岸にある新川駅にて。

  特急「パノラマスーパー」1000系 名古屋方面行き。

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  撮影 2010/01/30

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2014年7月23日 (水)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(7)2011年9月 - 密蔵院(愛知県春日井市)の多宝塔

 

  名古屋市の大曽根駅から名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン)を利用して春日井市の密蔵院の多宝塔を訪れました。

2011年の9月下旬のことです。

名古屋ガイドウェイバスは大曽根駅から高架を走り、名古屋市守山区の小幡緑地駅を最後に地上の道路に降り、以北は一般のバスとして春日井市まで走ります。

当日は守山区の上島東バス停で降車し、西に戻って吉根東交差点を北に歩いて庄内川に架かる「きっこ」橋を春日井市側に渡りました。

そして密蔵院は橋から少し北の道路右手にあります。

春日井市は中央線沿いにある人口30万人の都市で、名古屋市のベッドタウンの役割を果たしています。

 

  名古屋ガイドウェイバスの始発着駅である大曽根駅。

  西側にJR中央線大曽根駅、さらに西側に名鉄瀬戸線大曽根駅が並んであります。

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  高架の専用軌道を走るため渋滞に巻き込まれることがありません。

  結構な乗客数でした。

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  小幡緑地駅を過ぎてからは一般道路を走ります。

  竜泉寺口バス停にて。

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  庄内川に架かる「きっこ橋」を向こう側へ。

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  橋の上から庄内川上流を。

  大雨による洪水後で川が荒れていました。

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  橋を渡ると春日井市。

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  もう少し先と勘違いしていましたが、ふと右手を見ると塔が。

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  密蔵院でした。

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  密蔵院は天台宗のお寺。

  「葉上流の灌室を有して僧侶に位を授ける寺であるため檀家を持たず、このため明治以降は維持が困難になった。(Wiki)」。

  そのためか境内が少々荒れ気味という印象を持ちました。

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  密蔵院の多宝塔は室町時代前半の建築で、

  当寺では木造薬師如来立像(平安時代後期)と共に重要文化財に指定されています。

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  南側に総門があります。

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  多宝塔の西にある開山堂。

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  北側、門内に本堂と庫裏があります。

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  門内の本堂。

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  撮影 2011/09/24

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2014年7月22日 (火)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(6)2012年2月 - 三明寺と豊川稲荷の三重塔(いずれも愛知県豊川市)

 

  豊川市の豊川稲荷を訪れた2012年2月。

豊川稲荷には過去に何回も訪れていますが、同時に必ず三明寺(さんみょうじ)も訪れることにしています。

稲荷は駅の西にありますが、三明寺は駅の東側にひっそりとあります。

三明寺は曹洞宗のお寺で通称は豊川弁財天。

境内が定まらないぐらい開放的な三明寺は、その境内に三重塔があり、稲荷を訪れる前に必ず寄り道をします。

この日は名鉄電車の豊川稲荷駅で下車し、JR豊川駅の自由通路を東に渡り、駅の西口とは裏腹に静かな佇まいの東口から少し東にある三明寺へと向かいました。

 

  名鉄豊川稲荷駅とJRの豊川駅。

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  名鉄豊川稲荷駅はJR豊川駅と西口広場を共有しています。

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  JR豊川駅の自由通路を東側に渡ります。

  豊川駅の改札は自由通路にあります。

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  境内は開放的。

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  境内に「宝飯(ほい)の聖泉」跡があります。

  宝飯とは現在は消滅しましたが宝飯郡(ほいぐん)のこと。

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  かっては豊かな水が湧いていたであろう聖泉は今は枯れてご覧の通りです。

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  本堂。

  1712年(正徳2年)の再建。

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  弁財天を安置している本堂内の宮殿(くうでん)は1554年(天文23年)の再建で重文。

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  三重塔は1531年(享禄4年)の再建で重文。

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  豊川稲荷へ向かいます。こちらはさらりと。

  稲荷にも三重塔があります。

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  豊川稲荷は曹洞宗のお寺。

  本堂。

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  昭和51年(1976年)に建立された三重塔。

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  撮影 2012/02/24

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2014年7月21日 (月)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(5) - 性海寺(しょうかいじ)、萬徳寺(まんとくじ)の多宝塔(何れも愛知県稲沢市)

 

  「塔を巡る」の5回目は愛知県稲沢市の性海寺(しょうかいじ)と萬徳寺(まんとくじ)の両多宝塔。

何れも室町時代建立で文化的には重文指定を受けている多宝塔です。

また性海寺はあじさい寺として有名。

そして萬徳寺も花のお寺で牡丹のお寺として有名です。

訪れたのは5月1日。

名鉄国府宮駅(こうのみや えき)で下車し、性海寺、尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ 一般的には国府宮神社)、萬徳寺の順で散策しました。

 

  稲沢市には名鉄国府宮駅とJRの稲沢駅があります。

  まず性海寺に近い国府宮駅で下車しました。

  名鉄国府宮駅にて2200系特急。

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  駅の西口に出ます。

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  取り敢えず駅から西に向かい南北の通りである県道65号線に出て、さらに南に向かいます。

  歩きとしては結構長い25分から30分、下の案内板「大塚性海寺歴史公園→」の先の交差点を右(西)へ。

  東西の道路を「せんき薬師西福院」から「日吉神社」を左に見て次の次で左に(南に)折れると性海寺。

  国府宮駅からは徒歩ですと結構な距離です。

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  性海寺境内の三方を取り囲むようにあじさい公園があります。

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  性海寺の多宝塔。

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  性海寺境内。

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  あじさいの公園に入ってみました。自由に入れます。

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  公園の西側が小高く、境内が見渡せます。

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  一旦、国府宮駅に引き返します。

  特急「パノラマスーパー」。

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  国府宮駅の西口のベンチで軽食を取りながら休憩。

  その後、はだか祭りで有名な尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)へ向かいます。

  尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)は一般的には国府宮神社(こうのみやじんじゃ)と呼ばれ、旧暦1月13日の儺追(なおい)神事は通称「国府宮はだか祭」と呼ばれています(wikiより)。

  国府宮駅の北側の踏み切りを東に行くと尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)の前。

  そしてさらに東に向かいもうすぐJRの稲沢駅というあたりの北側に萬徳寺があります。

 

  萬徳寺。

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  鎮守堂。

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  こちらが萬徳寺の多宝塔。

  やはり室町時代の建築で重文。

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  萬徳寺が牡丹寺なのは前述したとおりです。

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  撮影 2010/05/01

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2014年7月20日 (日)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(4)2008年1月 - 名古屋市八事(やごと)の興正寺五重塔

 

  東海地方では唯一の木造五重塔が名古屋市八事の興正寺にあります。

興正寺(こうしょうじ)の創建は貞享3年(1686年)。

五重塔は文化5年(1808年)の建立で、私が訪れた2008年はちょうど建立200周年の節目の年にあたり、当寺では記念行事が行われた、もしくは行われようとしていました。

名古屋市の八事は興正寺の門前町として発展し、明治以後は別荘地等の建ち並ぶ保養地としての高級住宅地、戦後は中京大学、南山大学、名城大学、名古屋大学などが進出して名古屋有数の学生街となりました(WIki参照)。

私自身は昔、大学入試模試が名城大学で行われ、それで一度訪れた思い出がある場所なのですが、2008年に訪れた時には以前とは異なる賑やかな印象を受けました。

 

  この日は岐阜から名鉄で犬山へ向かい犬山城を訪れ、その足で名鉄犬山線 上小田井駅(かみおたい えき)から名古屋市営名城線に乗り入れる電車で南に向かい八事駅で下車しました。

 

  興正寺の総門。

  地下鉄名城線の通る国道153号線(飯田街道)に面しています。

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  総門を入ると中門と五重塔が見えます。

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  中門。

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  興正寺のシンボルとも言うべき重要文化財の五重塔。

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  さすがに五重塔はその高さから(興正寺の五重塔は30mあるそうです)すっくと立っている感じがあります。

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  撮影 2008/01/06

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2014年7月19日 (土)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(3) - 尾張四観音(龍泉寺、甚目寺、荒子観音、笠寺観音)の多宝塔、三重塔

 

  名古屋城築城に際してお城を中心として四方向にある四寺を鎮護のお寺として定めたのが尾張四観音(おわりしかんのん)。

その年の恵方(えほう)にあたるお寺を参拝すると特に利益があるといいます。

その恵方(北北西/甚目寺観音、東北東/竜泉寺観音、南南東/笠寺観音、西南西/荒子観音)は「笠寺観音(1)、龍泉寺(2)、荒子観音寺(3)、笠寺観音(4)、甚目寺観音(5)の順番に、5年で一巡するようになっている。」(Wikiより)そうです。

そして、この四観音にはそれぞれ多宝塔と三重塔があり、これを巡ってみました。

 

  最初は龍泉寺。

  龍泉寺は名古屋市守山区にあり、方角は東北東。

  大曽根駅からガイドウェイバスの「ゆとりーとライン」で小幡緑地駅か次の地上バス停、竜泉寺口バス停で下車。

 

  名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」。

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  龍泉寺はその地形ゆえに戦陣が置かれることが多く、

  小牧・長久手の戦いでは秀吉軍が一時滞陣しました。

 

  仁王門越しに本堂。仁王門は重文指定です。

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  龍泉寺の多宝塔は明治28年の建築。

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龍泉寺撮影 2010/01/06

 

  二つ目は甚目寺(じもくじ)。

  甚目寺の方角は北北西。実際の方角は西北西もしくは西にあります。

  私が訪れた時は甚目寺町でしたが現在はあま市に属します。

 

  名鉄津島線甚目寺駅下車。

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  東門。

  1634年(寛永11年)の再建で重文指定。

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  本堂。

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  南大門(仁王門)。

  1196年(建久7年)の再建で重文。

  「安置されている仁王(金剛力士)像は1597年(慶長2年)福島正則の寄進による(Wikiより)」。

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  三重塔は1627年(寛永4年)の再建で重文。

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  甚目寺撮影 2009/02/01

 

  三番目は荒子観音。

  方角は西南西ですが実際には南西に近い。

  名古屋駅から「あおなみ線」で荒子駅下車、もしくは地下鉄東山線高畑駅下車。

  名古屋市中川区。

 

  「あおなみ線」名古屋駅にて。

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  荒子は加賀百万石の前田利家ゆかりの地。

  荒子観音は前田利家の菩提寺であり天正4年(1576年)に利家により本堂が再建されました。

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  荒子観音は円空仏でも有名で1255体存在します。

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  多宝塔は天文5年(1536年)の再建で重文指定。

  多宝塔は「名古屋市内に現存する最古の建物(Wikiより)」。

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  荒子観音撮影 2009/02/01

 

  最後に笠寺観音。

  笠寺観音の方角は南南東で実際にもこの方角にあります。

 

  名鉄本笠寺駅(もとかさでら えき)下車。

  旧東海道に面してあり、東南に5、600mの場所に笠寺一里塚が現存します。

 

  本笠寺駅(もとかさでら えき)にて。

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  名古屋市南区にあります。

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  多宝塔は江戸時代初期の正保年中の1664~1667年の建築。

  特に指定はありません。

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  笠寺一里塚。

  左の道路が旧東海道。笠寺観音から5、600m南東の方向にあります。

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  笠寺観音、笠寺一里塚撮影 2009/03/26

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2014年7月18日 (金)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(2)1992年9月 - 羽黒山五重塔(山形県鶴岡市)、善宝寺五重塔(山形県鶴岡市)

 

  「塔を巡る」第2回目は1992年の第2回東北大旅行の一環として訪れた何れも山形県鶴岡市の善宝寺(ぜんぽうじ)と羽黒山の両五重塔。

親戚の居住する福島県郡山市を拠点としたのがこの旅行の特色で、最初の旅行は羽黒山と角館で各一泊して郡山に一度戻り、その後仙台市、山形市に日帰りの旅行を二度行うという変則の旅行でした。

利用した切符は「均一周遊券」という今でいうところのトクトクきっぷです。

新幹線を除く特急自由席が乗り放題の「東北ワイド周遊券」という周遊券で価格は31620円と私の手元には記録されています。

この時代はかなり贅沢な旅行をしていたなあと思います。

ちょうどバブル崩壊の時代・・・ですね。

 

  角館からの帰りの盛岡行き特急の中で隣り合わせた職業が郵便局員という人とお話をする機会がありましたが、その人は盛岡からは青春18きっぷを利用して仙台方面に帰ると仰っていたので、その時初めてそういう切符があるんだと知りました。

その後、青春18きっぷは私の旅行で大活躍することになるのですが、まだその頃は青春18きっぷの有用性には全く気づいていませんでした。

 

  当日、新庄までの経路は失念してしまいましたが、新庄から最上川沿いに陸羽西線で下り、余目で乗り換えまず鶴岡へ向かい、駅前からバスで善宝寺を訪れました。

この時の最上川の車窓風景が忘れられず、のちに再び訪れることになります。

天気が雨模様で、写真的には最悪でした。

そして鶴岡市内に引き返し古い建築物が集められている致道博物館を訪れて後、羽黒山へ向かい民宿の宿坊に一泊。

 

  あくる朝歩いてすぐの随身門から入り羽黒山五重塔を見て、そのまま羽黒山に登ると思いきや引き返し、門前のバス停からバスで上に登るという怠惰な観光客の見本となりました。

そのあと、酒田市へ向かい市内観光、その日のうちに角館へ向かい角館で一泊という旅程でした。

 

  羽黒山五重塔。

  国宝に指定されています。

  現存の塔は応安5年(1372年)の再建と伝えられています。

  創建は承平年間(931年 - 938年)と伝えられているものの、これは定かではないらしい。

  慶長13年(1608年)には山形藩主最上義光(もがみよしあき)が修理を行ったとあります。

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  随身門。

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  山頂の出羽神社(いではじんじゃ)三神合祭殿。

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  善宝寺(ぜんぽうじ)五重塔。

  比較的新しい1883年(明治16年)の建立。

 

  時系列的には善宝寺が9月4日、羽黒山が5日です。

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  撮影 1992/09/04,05

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2014年7月17日 (木)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(1)2012年9月 - 最勝院(さいしょういん)の五重塔(青森県弘前市)

 

  私の旅行では写真撮影は必須です。

と言っても写真撮影が自己目的化している訳ではなく、旅行の楽しみの内の一つとして写真撮影がそこに組み込まれているという形です。

ただ、それでも旅行の中での写真撮影の占める比重は大きく、もしカメラなしの旅をするという事になれば、私の旅への興味は半減するに違いありません。

そして旅の目的には温泉に入るとか、おいしい食事をするとか、きれいな景色を堪能するとか様々ありますが、私の場合は簡単に要約すれば歴史と鉄道と言っても過言ではありません。

歴史と言っても幅が広く、お城、古い町並み、神社仏閣等がそういったものに含まれます。

よく他の旅ブログを拝見すると、当地での食事のメニューの写真がアップされていますが、私にはどうしてもできません。

これは私との旅のコンセプトが異なるからなのでしょうね。

 

  で、実際に他人のブログを覗く時というのは、一部の読者を除いては、ほぼ情報を仕入れることが目的だろうというのが私の実感です。

写真にしても、どんな風に撮影したらよいのかという撮影者目線での情報が欲しい人が多いのではと考えています。

もちろん鑑賞して頂く人もいらっしゃるとも思いますが、普通に考えて素人の写真を鑑賞することは大変少ない。

したがってブログ(ホームページも)というのは写真も含めて情報を得るツールというのが基本であろうと考えています。

自らは自己表現の場としてブログを開設しているのですが、現実はそんなに甘いものではなく、90%の人々はチラと見て他のサイトに移動するのが常態なのです。

ただ、それでも懲りずにブログで自己表現していくつもりですが・・・。

 

  さて、最近は天候もかんばしくなく、旅行する機会も減ってきているので、過去写真を利用して塔のお話をしようと思います。

と言っても寺院における塔の成り立ちとか構造とか意味とかという専門的な話ではありません。

単に見て美しい塔を愛でる(めでる)というぐらいのものです。

私の旅行では、写真とい意味では塔は大きな位置を占めているのですが、残念ながら塔だけの記事はほぼありません。

ということで、しばらくは私が過去に訪れた各地の塔の紹介と、その旅行の概要を書いてみます。

 

  第一回目は2012年9月に訪れた青森県弘前市の最勝院(さいしょういん)の五重塔。

前置きが長かったので旅の概要はカットしますが、該当の記事のリンクを張っておきます。

「弘前(青森県弘前市)へ旅行(2) - 最勝院の五重塔と弘前城追手門へ」の記事。

アーカイブでは2012年9月に前後の記事があります。

 

  弘前市は観光地としては大変魅力に富んでいます。

弘前城と城下町、ねぶた祭り、岩木山、特産のりんご、少し足を伸ばして黒石市の雁木の通りのある町並み、津軽鉄道で行く太宰治の斜陽館、大鰐温泉、津軽鉄道と並んで弘南鉄道等々。

その中で余り注目されていませんが最勝院の五重塔も忘れないでください。

また、洋風建築の青森銀行記念館も寄ってみたい場所。

他には数ある教会建築も面白いですよ。

 

  最勝院の五重塔は十年以上かけて寛文7年(1667年)に完成。

  現在は国の重要文化財に指定されています。

  初めて訪れたのは1991年でした。その時の写真は手違いがあって残っていません。

  大変綺麗な五重塔です。

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  この旅行で訪れた主な場所です。

  現存天守12城の内の一つである弘前城天守閣。

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  城内から岩木山。

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  津軽鉄道金木(かなぎ)駅。

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  金木駅から500mほど歩いて太宰治記念館(斜陽館)。

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  弘前駅から弘南鉄道で黒石市へ。

  黒石駅にて。

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  雁木(がんぎ)のある町並みの黒石市。

  雁木は青森県では「こみせ(小店)」と呼ぶそうです。

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  弘南鉄道の車内から岩木山。

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  撮影 2012/09/08,09

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2014年7月14日 (月)

南紀への旅1999年(「新宮夜行」の記憶(2000年9月30日をもって廃止))(2) - 大阪市内発大阪市内着切符で伊勢神宮&帰省

 

  新大阪発新宮行き夜行のいわゆる「新宮夜行」は2000年9月30日に廃止されました。

前回も書きましたが、大阪から、特に天王寺駅から和歌山、御坊、紀伊田辺までは通勤の足としての最終電車という側面も持ち合わせており、そのため「新宮夜行」は通勤客で大変混雑する列車でした。

最初こそ天王寺駅から「新宮夜行」を利用しましたが、これはこの混雑ではまず座れないと悟り、以後2回の利用は和歌山駅で乗車するという形をとりました。

夜行列車(電車)の雰囲気となるのは午前1時頃に紀伊田辺駅を出発してから。

電車は165系だったそうですが、当時はそんなに鉄道への思い入れは強くなく、旅行するには鉄道、したがって電車、気動車の写真も撮っておこうぐらいの考え方でした。

ある意味、当時の鉄道への思い入れは中学生時代のそれから退化したともいえる状況でした。

 

  さて、1999年の2回目の「新宮夜行」を利用した旅は、発着駅が同じで一周する通し切符を利用して行われました。

経路は大阪市内~和歌山~新宮~多気~亀山~名古屋~岐阜~米原~京都~大阪市内(多気から伊勢市往復は別途)。

通しきっぷの運賃は10050円という記録が残っています。

このような周回の通し切符を利用したのは高校生時代以来2回目でした。

この年にはすでに青春18きっぷを利用しているので、この通し切符で旅行してみようと考えたのは5月という時期だったからと思われます。

  明けて2日目は新宮からの一番列車で参宮線との分岐駅である多気へ、そして参宮線で伊勢市へ向かい伊勢神宮を訪れました。

その後一路岐阜まで向かい実家に帰省の形で逗留。

そして後に大阪市内へ帰るという旅行でした。

これはもう完全に「乗り鉄」状態の旅行でしたね。

 

  新宮駅にて。

  多気方面への一番列車には1時間ぐらいの待ち時間があったと記憶しています。

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  多気駅にて。

  伊勢市へ向かうベく乗り換え待ち。

  キハ58気動車。新宮から乗車してきた列車。折り返し新宮行き。

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  キハ28 松阪行き表示。

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   以降5枚は1999年当時の伊勢神宮内宮の様子。

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  撮影 1999/05/20

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2014年7月13日 (日)

南紀への旅1999年(「新宮夜行」の記憶(2000年9月30日をもって廃止))(1) - 那智大社、那智の滝、青岸渡寺を観光

 
 

  前回に「新宮夜行」の話を書きましたのでその続きを書きます。

  私の「新宮夜行」の利用はほぼ1999年に集中しています。

「新宮夜行」は1999年における私の「マイ・ブーム」だったようで、3回利用した記録が残っており、そのうち一回は紀伊半島を一周して当時の住所である大阪から岐阜へ帰省する遠回り帰省旅行で、途中、伊勢神宮に寄り道をしています。

この際には大阪発大阪行きの切符を作ってもらった記録があります。

大阪~(南紀)~名古屋~岐阜~米原~京都~大阪で10050円と記録されています。

  「新宮夜行」を利用した南紀の旅の残りの二回は大阪に取って返ました。

余談として1999年10月に金・土・休前日のみ新宮行きで他の曜日は紀伊田辺以遠は廃止された事実を知らず、「新宮夜行」に乗車するべく同じ10月に4回目の利用を企図し、平日は紀伊田辺駅で打ち切りとなることに和歌山駅で気づき、あわてて大阪に引き返すもたどり着けず、あえなく日根野駅で一夜を明かす羽目となる旅行もありました。

 

  第一回目は「新宮夜行」を初めて利用した那智勝浦の観光。

日付は1999年3月11日出発。

大阪の天王寺駅から「新宮夜行」に乗車しました。

当時の「新宮夜行」は新大阪発で天王寺から和歌山までは快速、かつ和歌山方面への最終快速という側面もあり、当日は通勤客でごった返していました。

御坊、紀伊田辺あたりまでは最終通勤電車として利用している人々が多く、「夜行」としての機能が一部廃止されてからも紀伊田辺を終着とした電車はそのまま残っていました(1999年10月からは金・土・休前日のみ新宮行きであった)。

日付が替わるのは和歌山駅で、紀伊田辺駅発着は午前1時ごろという記憶がありますが、さすがに紀伊田辺駅以降はいかにも夜行電車の雰囲気となります。

紀伊田辺で6両編成から3両編成となったようですが、その記憶はもう飛んでいて覚えていません。

 

  朝早く最初に下車したのは串本、那智勝浦、那智の各駅を過ぎた宇久井駅。

宇久井駅は海岸に近く、夜明けの海を撮影したいという願望で夜が明ける前ぎりぎりで海岸に出ました。

結果は思ったほどではなく、帰ってから軽く失望したのを覚えています(当時はフィルムカメラ)。

その後、那智駅に戻り、駅からのバスで那智勝浦駅経由で那智大社、那智の滝、青岸渡寺をみっちり観光してきました。

この旅行は青春18きっぷを利用しての旅でしたが、帰りは延々と和歌山目指して5時間、さらに大阪まで1時間半ほどを電車に揺られて帰りました。

まだまだ体力のある年齢だったんですね。

 

  宇久井駅。

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  宇久井駅にて。

  新宮発和歌山行き普通。

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  宇久井海岸。

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  宇久井駅にて。

  特急「くろしお (オーシャンアロー)」283系 和歌山、大阪方面行き。

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  後部。

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  那智駅。

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  熊野那智大社。

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  熊野那智大社拝殿。

  「熊野那智大社の社殿および境内地は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部」(wikiより)。

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  隣にある青岸渡寺(せいがんとじ)。

  青岸渡寺は西国三十三所第一番札所

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  三重塔と那智の滝。

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  那智勝浦駅にて。

  特急「ワイドビュー南紀」キハ85系。

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  撮影 1999/03/12

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2014年7月10日 (木)

南紀にて 1999年6月 - 橋杭岩(はしぐいいわ 和歌山県串本町)と見老津駅(みろづえき 和歌山県すさみ町)にて

 

  6月の写真を探してみましたが大変少ない。

7月になっても梅雨空は続いていますが、7月も梅雨明け以後の写真は多いのですが、梅雨時の写真がめっきり少ないのです。

 

  さて、今日の写真はかっての「新宮行き夜行」で朝早くに串本で下車、そして駅から15分~20分?ぐらいの距離にある観光地の橋杭岩(はしぐいいわ)を訪れた際のもの。

橋杭岩(はしぐいいわ)は奇岩で有名な観光地です。

 

  新宮行きの夜行は2000年9月30日をもって廃止されましたが、それ以前はこの夜行電車を利用して紀伊半島の旅行を何度も行いました。

「新宮夜行」は新大阪発新宮行きで(それ以前の形態は経験していない)、新宮には朝早くに到着して、新宮発多気、名古屋方面行の一番列車でさらに行くという旅行を行ったこともありました。

しかし、「新宮夜行」が無くなって以来というもの、私にとって南紀は遠い場所となってしまいました。

 

  串本町の観光地である奇岩「橋杭岩(はしぐいいわ)」。

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  この日は串本から和歌山方面へ取って返し、途中の見老津(みろづ)駅で下車。

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  見老津海岸。

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  特急「オーシャンアロー」283系。

  見老津(みろづ)駅にて。

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  以上撮影 1999/06/08

 

  1999年5月20日新宮駅にて。

  夜行で新宮駅に到着して下車。

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2014年7月 6日 (日)

「シャトルきっぷ」(JR東海)で京都 平安神宮を訪れる(5) - 米原駅(滋賀県米原市)にて

 

  「シャトルきっぷ」はJR東海のトクトクきっぷで、出発駅が東海道線 穂積~醒ヶ井間の各駅で、各駅から米原までの普通乗車券+米原~京都(新大阪)間の新幹線「ひかり」、「こだま」の自由席が利用できます。

きっぷ自体は周辺の駅(例えば岐阜駅)でも購入することができますが、あくまで出発駅は穂積~醒ヶ井間の設定なので、私の場合岐阜~穂積間の運賃が他に最低限必要となります。

目的地(京都)から最も遠い穂積と大垣が4610円の値段設定。

子供は2300円。

各駅~新大阪の設定もあります。

JR東海のお得なきっぷ「シャトルきっぷ」の詳細はこちら。

 

  米原駅にて。

  新幹線 米原~京都間の所要時間は20分。

  「こだま」、「ひかり」なのでほぼ余裕で座れます。

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  富山行き特急「しらさぎ8号」683系。

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  右は姫路発近江塩津行き新快速 223系。

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  大垣行き普通に乗るべく7、8番線へ。

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  大垣行き普通電車は4両編成で窓側はほぼ埋まる状態。

  大垣までは30分少々の所要なので、久し振りに立って行きました。

 

  伊吹山と新幹線、車内より。

  柏原~近江長岡間?

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  撮影 2014/06/26

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2014年7月 4日 (金)

「シャトルきっぷ」(JR東海)で京都 平安神宮を訪れる(4) - 京都駅にて

 

  平安神宮を訪れたのち、一旦京都駅に戻ってきました。

遅い昼食をとってから再出発と考えたものの、もう一つ意欲がわかず、けっきょく帰途につくことに。

今回の旅行での写真はWB(ホワイトバランス)の設定ミスで発色を損なってしまいました。

 

  京都駅。

  帰りは私としては珍しくバスで戻ってきました。

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  前回の記事で上げた京都タワー。

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  米原行き 京都から普通の221系の到着。

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  山陰線(嵯峨野線)ホーム。

  普通221系が待機中。特急車両は見当たらず。

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  帰りの京都駅 新幹線ホーム。

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  撮影 2014/06/26

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2014年7月 2日 (水)

「シャトルきっぷ」(JR東海)で京都 平安神宮を訪れる(3) - 平安神宮(2)帰途へ

 

  JR東海のトクトクきっぷである「シャトルきっぷ」を利用して京都を訪れました。

訪れたのは平安神宮のみで、体を暑さにならすことには成功したようです。

家庭の事情でしばらく家に閉じこもりがちの生活が続いたので、旅行という意味では怠惰な旅行となったのは致し方ないところでしょう。

 

  「シャトルきっぷ」は東海道線穂積~醒ヶ井間を出発駅とする往復切符で、米原~京都(新大阪)間を新幹線「ひかり」か「こだま」の自由席が利用できます(当該区間の在来線は利用できず)。

穂積、大垣から京都往復の価格は大人4610円(こども2300円)。

往き券と帰り券の2枚からなり、すべて自動改札の利用(1枚で一般改札、新幹線改札両方が利用できます)。

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  大極殿。

  平安神宮は平安遷都1100年を記念して明治28年に創建されました。

  御祭神は桓武天皇と孝明天皇です。

  京都三大祭の一つである時代祭は平安神宮のお祭り。

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  右近の橘。

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  左近の桜。

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  大極殿前から応天門(おうてんもん)。

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  神苑には西側から入り、出口は東の蒼龍楼と神楽殿との間から。

  神苑には入りませんでした。

  神苑拝観料は大人600円、子供300円。

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  記念写真の台があります。

  大極殿と蒼龍楼。

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  久しぶりにバスを利用して京都駅に帰ってきました。

  駅前で遅い昼食を取り、帰途につきました。

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  京都駅にて。

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  撮影 2014/06/26

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2014年7月 1日 (火)

「シャトルきっぷ」(JR東海)で京都 平安神宮を訪れる(3) - 平安神宮(1)

 

  前回の記事でも述べましたが、平安神宮は平安遷都1100年を記念して明治28年に創建された比較的新しい神社です。

当初の御祭神は桓武天皇のみでしたが、その後、皇紀2600年にあたる昭和15年に平安京有終の天皇である孝明天皇も合わせて祀られることとなりました。

京都の三大祭のうち最も新しい時代祭は平安神宮の祭りで、その創建を祝って始められました。

 

  応天門の横にある案内図。

  今回は境内のみを歩きました。

  神苑は夏という事もあり、躊躇して、結局入ることなく引き返しました。

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  応天門(おうてんもん)正面。

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  応天門から大鳥居を振り返って。

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  応天門越しに大極殿(だいごくでん)。

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  広い境内の広場越しに大極殿と白虎楼。

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  大極殿に向かって左側に白虎楼。

  明治の建築物ですが、もう重文なんですね。

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  白虎楼と大極殿との間に神苑拝観入口があります。

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  向かって右側には蒼龍楼。

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  蒼龍楼手前にある神楽殿。

  神苑からの出口が神楽殿の北側(向こう側)にあります。

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  神楽殿と対を成すように西側には額殿があります。

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  大極殿。

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  撮影 2014/06/26

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