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2014年9月

2014年9月30日 (火)

平泉(岩手県)と函館(北海道)を訪れる(4)2014年9月 - 中尊寺(1)中尊寺の本堂と諸堂

 

  平泉には1991年以来の再訪で約20年振り。

前回は中尊寺と毛越寺(もうつうじ)を中心にすべて徒歩で巡りましたが、今回はもはやそのように上手くはいきませんでした。

また、人の記憶というものは意外に曖昧で、今回平泉を巡ってみて、アレッ!こんなんだったっけ!という事ばかり(加齢による忘却?)。

中尊寺の金色堂もこんな山の上にあったんだと、以前の記憶はさっぱり消されていました。

 

  さて、バスのおかげで無事中尊寺の入り口にやってきました。

一方通行の巡回バスなので経路上国道4号線を通らず、毛越寺方面からは一度山の上に登る形で、さらに一気に下って国道4号線の中尊寺前のバス停に至ります。

 

  前回訪れた時の曖昧な記憶の内で比較的はっきり覚えているのは国道4号線沿いを歩いて平泉駅、毛越寺、中尊寺等を巡った ことです。

したがって、国道から外れた高舘義経堂や柳之御所跡などは訪れておらず、柳之御所資料館も平成11年(1999年)オープンで当時は存在せず、正味上記の二カ所だけを訪れた観光でした。

 

  「中尊寺」バス停。

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  バス停そばにある武蔵坊弁慶大墓碑。

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  ここが表参道月見坂の入り口。

  拝観場所は金色堂一帯の一カ所のみ。

  ここから多くの諸堂と中尊寺本堂を経て金色堂までひたすら登ります。

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  下は柳之御所遺跡に設置されていた平泉の模型。

  左下二つの水溜りは毛越寺の大泉が池と観自在王院庭園跡の舞鶴が池。

  山塊上の一番上の位置にネーム板が二つ横に並んでいる場所が金色堂、中尊寺の二枚。

  北上川がくびれた場所に二つの小さな峰がありますが、ここに高舘義経堂があります。

  その右下北上川沿いに堀に囲まれた場所が平泉館のあった柳之御所遺跡です。

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  こんな感じの場所を行きます。

  表参道月見坂といいます。

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  途中にはそれぞれ由緒があるお堂があり、一つ一つ参詣していきます。

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  八幡堂。

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  帰りにここのお店で「弁慶餅」を食べました。

  五平餅とよく似た味ですが形状が扁平団子状。

  こういう場所では何を食しても美味しいですね。

  写真撮らなかったので画像検索「弁慶餅」で見てください。

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  弁慶堂。

  他にもお堂がありましたが幾つかは割愛されています。

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  手前が東北本線。

  向こう側が国道4号線バイパス。

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  中尊寺。

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  中尊寺本堂。

  金色堂で有名な中尊寺ですが、ここがお寺の中心部。

  中尊寺は寺伝では9世紀に始まるとされていますが、実質的には12世紀の藤原清衡の創建による。

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  梵鐘。

  渋い。

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  いよいよ中尊寺金色堂。

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  撮影 2014/09/23

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2014年9月29日 (月)

平泉(岩手県)と函館(北海道)を訪れる(3)2014年9月 - 世界文化遺産平泉(2)毛越寺と観自在王院跡(2)

 

  平泉での旅行の続き。

平泉は中尊寺金色堂を中心とした平安末期の仏教文化、とくに浄土思想に基づく文化が花開いた地という観光地であるのは周知の通り。

そしてその後ろ盾としての奥州藤原氏の存在が挙げられますが、意外に思ったのは義経については余り大々的には取り上げられていないことです。

つまり、観光地としてはもうひとつ一般的にワクワクするものが無いというか、地味なんですね。

世界遺産という事で逆に羽目を外すような仕掛けをすることもできないし、このあたりは悩ましいところです。

もちろん、私には十分楽しめる観光地でしたし、大満足でしたから何もいう事はありませんが、一般の観光客はどうなのかな?と思ってしまったのです。

 

  奥州藤原氏は鎌倉政権に滅ぼされますが、諸寺院に対しては保護政策をとっていたことを述べておかなければなりません。

長い年月の間に荒廃したのは強力な政治勢力が東北に現れることがなく、その庇護を受けられなかったことも一因のようです。

江戸時代になると平泉は仙台藩領となりやっとその強力な庇護下に入ることができました。

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  毛越寺(もうつうじ)の浄土庭園の中心である「大泉が池」を周回してみました。

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  右手にはすぐ目につく「出島石組」と「池中立石」。

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  向こう側には金堂や講堂がありました。

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  築山。

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  右手に回り込みます。

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  開山堂。

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  こちら側は諸堂跡で礎石がほぼ残っているそうです。

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  講堂跡前から現在の本堂のある方向。

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  鐘楼跡。

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  修理中の常行堂。

  仙台藩のもと江戸時代の享保17年(1732)に再建。

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  常行堂の前にある鐘楼堂。

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  鐘楼堂から再び時計回りに回り込みます。

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  洲浜。

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  毛越寺(もうつうじ)を後にして、いよいよ中尊寺金色堂を目指します。

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  観自在王院跡の広場を横切ります。

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  観自在王院跡の東側沿いの道路を少し歩いてみましたが、観光地図を見ると遠そう。

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  バス停を一つ分歩いて「悠久の湯」バス停から「巡回バスるんるん」で「中尊寺」バス停まで乗車。

  数分待つことなくバスがやってきました。大成功。

  一乗車150円。

  一日乗車券は400円。平日は30分毎。土日祝祭日はほぼ15分毎。

  町内交通機関の案内(バス、レンタカー、レンタサイクル、タクシー、町営駐車場料金、定期観光バス)はこちら。

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  撮影 2014/09/23

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2014年9月28日 (日)

平泉(岩手県)と函館(北海道)を訪れる(2)2014年9月 - 世界文化遺産平泉(1)毛越寺(もうつうじ)と観自在王院跡

 

  平泉は平安末期の奥州藤原氏の根拠地として栄え、その栄華を伝える寺院や遺跡群の文化遺産に加え、悲運の武将である源義経の最後の地としても知られており、後世の文化人や武人が思いを馳せた地として記憶されています。

 

  JR東北線平泉駅前から道なりにまっすぐ歩いて行くと毛越寺(もうつうじ)前に至ります。

そして、その手前右手には平安時代の庭園遺構として知られる観自在王院跡が隣接しています。

毛越寺、観自在王院跡ともども世界文化遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産として登録されています(wiki参照引用)。

 

  観自在王院は12世紀以後は荒れ果て水田と化し、庭園跡が発掘復元されたのは1973年(昭和48年)から1976年(昭和51年)にかけてとか。

前回訪れた時(1991年9月)にはもう復元されていた筈ですが、だだっ広い場所に池があったこと以外もう余り覚えていないのが辛いところです。

また毛越寺庭園と混同して記憶していた節もあり、さらに写真もフィルム時代という事もあり枚数が少なく、当時の記憶を再構築するのはもう困難となってしまいました。

そして一方の毛越寺(もうつうじ)も鎌倉時代以後は火災や兵火で荒れ果て、現在にまで残るのは浄土庭園と伽藍遺構のみですが、現在でもこれらはほぼ完全な形で見ることができます。

 

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  JR平泉駅前。

  徒歩でも巡ることはできますが、レンタサイクルや「平泉町巡回バス『るんるん』」が効率的でお薦め。

  町内交通機関の詳しい情報はリンク先で。

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  駅を振り返って。

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  駅前から毛越寺門前までは約700m、徒歩で10分足らず。

 

  観自在王院跡の説明板。

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  上の案内図の南門跡。

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  毛越寺(もうつうじ)。

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  拝観料は大人500円、高校生300円、小中生100円。

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  門を入り左に宝物館があります。

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  正面に本堂があります。

  現在の本堂は本来の寺域の外に明治時代後半に建てられました。

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  江戸時代に建てられた芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」の句碑。

  左の小さな句碑は芭蕉の真筆と伝えられています。

  1757年(宝暦7年)の建碑。

  右側の句碑は文化三年(1806年)に地元俳人素鳥たちによって建てられた副碑。

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  毛越寺伽藍復元図。

  左下に南大門が見えますが現在の本堂はその外に建てられています。

  中心にある「大泉が池」を一周してみましたが諸堂の礎石が残っていました。

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  本堂。

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  南大門跡から「大泉が池」へ。

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  撮影 2014/09/23

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2014年9月27日 (土)

平泉(岩手県)と函館(北海道)を訪れる(1)2014年9月 - 太平洋フェリーで仙台、そして平泉へ

 

  今旅行の当初の目的地は松前城と函館(五稜郭含む)でした。

しかし、松前城は日数と予算の制約によりなかなか立ち寄るのは難しいという事が判り、代替地として経路上にある平泉を訪れることとしました。

 

  平泉は1991年以来の再訪。

平泉が世界文化遺産に登録されたのがまだ記憶に新しい2011年(平成23年)の事ですが、1991年の時代とは様相が一変していました。

中尊寺を始めとする文化遺産についての印象は前回訪れた時と殆ど変化がありませんでしたが、訪れる人の多さや交通体系の整備など見るべきものがありました。

 

  また文化財的には柳之御所遺跡の発掘に著しい進展があり、柳之御所資料館は無料ながらなかなか見応えがありました。

基本的には考古学ですから観光客には受けないかもしれませんが。

 

  さて、東北までは名古屋港から隔日で仙台とを結ぶ太平洋フェリーを利用。

名鉄BC(バスセンター)から(乗船用)連絡バスが1本あり運賃は520円、所要時間35分。

私の場合は名古屋駅から「あおなみ線」で野跡駅(のせきえき)下車、野跡駅前から「フェリーふ頭行き」バスで終点まで(1時間に1本の運行)、バスの所要時間は10分。

運賃は「あおなみ線」290円、バス210円で合計500円。

詳しい情報は名古屋港、仙台港、苫小牧港ともに太平洋フェリーのホームページに詳しいです。

仙台港の例。

 

  バス停と名古屋のフェリーターミナル。

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  名古屋港出港は19時。翌日の16時40分仙台着。

  さらに3時間後に仙台出港19時40分、苫小牧到着は3日目の11時。

  名古屋~仙台間は隔日、仙台~苫小牧は毎日の運航。

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  仙台入港2時間前ごろに名古屋行きの僚船とすれ違います。

  10分ぐらい前に船内アナウンスで知らせてもらえます。

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  定刻通りに仙台港着岸。

  苫小牧行き乗客以外は下船。

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  仙台駅までは宮城交通の一般路線バスが連絡バスとなります。

  仙台駅まで運賃は500円。

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  私は最寄りのJRの駅である中野栄駅前で下車。

  所要10分、運賃140円。

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  中野栄駅は仙石線の駅で電車の本数も多いことから仙台駅まではJRを利用。

  この時間帯にはバスは渋滞に巻き込まれ、かなりの延着となります(経験済み)。

  また今回は中野栄駅で「北海道&東日本パス」10290円を購入。

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  仙台発の普通電車で出発、途中小牛田駅(こごた えき)と一ノ関駅で乗り換え水沢で一泊。

 

  朝の水沢駅。

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  この日は秋分の日。

  休日で天気も良く絶好の観光日和。

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  東北ではよく見かける701系電車がやってきました。

  一ノ関行き普通2両編成。

  水沢駅にて。

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  所要16分で平泉駅に到着。

  平泉駅にて。

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  平泉駅の駅前広場。

  徒歩旅行者にとっては余程の健脚でない限り「平泉町巡回バス『るんるん』」の1日乗車券400円を購入することをお薦めします。

  一乗車150円で平日の運行間隔は30分毎ですが土日祝祭日にはほぼ15分間隔で運行されけっこうお得。

  私は実費で4回乗車して600円かかってしまいました。

  バス乗車回数は4回が普通。

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  上にも書きましたがバス乗車は4回と見積もるのが普通です。

  他に駅前等にレンタサイクルがあります(細かく観光する人にはお薦め)。

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  撮影 2014/09/21~23

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2014年9月24日 (水)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(17)2011年10月 - 遍照院(へんじょういん 岡山県倉敷市西阿知))の三重塔

 

  山陽本線の倉敷駅から西に一つ目の駅が西阿知駅。

その西阿知駅前から北方向に歩いて行くと東西の(実際には少し南西下がり)県道277号線があります。

これを右に折れ東へ約1km足らずで(800m余)山陽本線の踏み切りのある北側に出ます。

この道路を左側、北方向に折れそのまま道成りに進むと遍照院(へんじょういん)と隣接する熊野神社の前に至ります。

遍照院(へんじょういん)は真言宗御室派の寺院で開山は平安時代。

ここに美しい三重塔があると聞いて訪れました。

 

  西阿知駅駅前。

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  県道277号線。

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  熊野神社の前。

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  奥にある熊野神社社殿に進む途中、右手に三重塔が見えます。

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  熊野神社社殿。

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  社殿前から振り返って。

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  遍照院(へんじょういん)の三重塔。

  現在の塔は応永23年(1416年)に建造されたもの。

  国の重要文化財に指定されています。

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  こちらは本堂のある山門。

  山門の前にはちょっとしたグラウンドがあり遍照院保育園が利用している模様。

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  山門内境内からの三重塔。

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  本堂。

  本尊は十一面観音。

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  グラウンドから三重塔。

  保育園の運動会用万国旗付き。

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  撮影 2011/10/10

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2014年9月21日 (日)

松本城を中心に松本市を散策(長野県松本市)2014年9月(8) - 重要文化財旧松本高等学校

 

  国宝松本城から「重要文化財旧開智学校」、松本神社、「蔵のまち中町」、「縄手(なわて)通り」を訪れて後、松本市散策の最後に訪れたのは「重要文化財旧松本高等学校」。

「旧松本高等学校」は戦後しばらく信州大学人文学部の校舎として使用された木造校舎で、現在では重要文化財に指定されている由緒ある建築物です。

この日は定休日の月曜日ということで本館、講堂ともに内部の見学は叶わず、外観のみを拝見してきました。

併設されている「旧制高等学校記念館」も同様に閉館していました。

 

  「蔵のまち中町」の半分ほどの位置にある「蔵シック館」バス停から東へ。

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  松本周遊バス「タウンスニーカー」の路線図。

  一乗車200円で一日乗車券は500円。

  この日は5回乗車したので大成功。

  松本城、重要文化財旧開智学校を巡るのに便利な北コースは反時計回りの運行(ピンク色)。

  「蔵のまち中町」から「重要文化財旧松本高等学校」、あがたの森公園、松本市美術館を巡るのに便利な東コースは時計回り(緑色)。

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  写真撮影の時系列を崩して並べます。

  門は西を向いていて、右側が本館、左が講堂。

  奥右手に旧制高等学校記念館があります。

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  本館正面から。

  本館は大正9年(1920年)、講堂は大正11年(1922年)に誕生(松本市公式ホームページより)。

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  校舎、講堂の保存が決まると一帯をあがたの森公園として整備。

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  本館。

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  コの字形をした本館の北側の部分。

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  その前の講堂。

  講堂は工事中で工事車両が入り込んでいます。

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  講堂の西側。

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  北側の道路から講堂全体。

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  西側から講堂。

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  西側の道路を南に行き本館を振り返って。

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  あがたの森公園の広々とした景色。

  ベンチでしばし休憩。

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  本館の東側にある「旧制高等学校記念館」の建物。

  定休日で閉館中。

 

  この後、松本駅前にある松本バスターミナルから名古屋行き高速バスで帰途につきました。

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  撮影 2014/09/08

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2014年9月18日 (木)

松本城を中心に松本市を散策(長野県松本市)2014年9月(7) - 「蔵のまち中町」と「縄手(なわて)通り」

 

  松本城、旧開智学校、松本神社を訪れたのち、いったん松本周遊バス「タウンスニーカー」を利用して松本駅に戻ってきました。

これまで利用したのは松本周遊バス「タウンスニーカー」の北回り路線。

一日乗車券500円を利用してのバス乗車は徒歩旅行者にとっては必須です。

北コースに続き、次は東コース路線を利用して「蔵のまち中町」と「縄手(縄手)通り」を散策してみました。

そして最後に東コースの最も東にある旧松本高等学校の木造校舎を訪れました。

いわゆる旧制高校時代の校舎で重要文化財に指定されているという由緒ある建築物です。

 

  松本駅前のバス乗り場。

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  「蔵のまち中町」バス停で降車。

  バス運行が一方通行なので、このような細い道路も運行経路となっています。

  「蔵のまち中町」と「縄手通り」はいわば既存の文化財を中心に創りだされた観光通りと言えます。

  滋賀県の長浜市であるとか岐阜県高山市のような街並みを生かした観光地づくりはモデルケースとして有名ですが、これはこれでまた面白いものです。

  たとえ半分ぐらいフィクションであっても楽しいものです。

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  降りてすぐに北側にこんな建物が。

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  女鳥羽川(めとばがわ)を挟んで南側に「蔵のまち中町」、北側に「縄手(なわて)通り」があります。

  橋と鳥居が見えたので北側の「縄手通り」へ行ってみることにしました。

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  「四柱神社」。

  御祭神は神話の神様ばかりのようです。

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  社殿。

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  これが「縄手(なわて)通り」。

  買い物好きの女性や子供さんには特に喜ばれそうですね。

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  この通りはカエルがテーマ。

  カエルの置物があちらこちらにあります。

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  ここにもありました。

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  東へ歩いて次の橋から西に先ほど四柱神社前に渡った橋を望みます。

  女鳥羽川(めとばがわ)の右が北の縄手通り。

  南の左手の方に「蔵のまち中町」の通りがあります。

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  東方向の橋。

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  中町の通りに戻ります。

  橋を振り返って。

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  「蔵のまち中町」のシンボリックな建物である「蔵シック館」。

  お休み処でもあり、中町の拠点とも言うべき建物です。

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  ここから先は端折って(はしょって)松本周遊バス「タウンスニーカー」で旧制松本高等学校の建物を見に行きます。

  すっかり天気が良くなりましたが、遅い。

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  撮影 2014/09/08

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2014年9月16日 (火)

松本城を中心に松本市を散策(長野県松本市)2014年9月(6) - 松本城の北、松本神社

 

  松本城から旧開智学校を見学してのち、松本城の北に位置する松本神社へ徒歩で引き返しました。

松本周遊バス「タウンスニーカー」は一方通行のバス路線なので、「旧開智学校」バス停から「松本城北」バス停まで引き返すには徒歩でしか方法はないのですが、そこはバス停一つの距離、数分で松本神社横に戻ることができました。

松本神社は戦後の昭和28年(1953年)に幾つかの神社が最終的に合祀されてできた神社で、神社名としては比較的新しい。

ただ合祀した各々の神社は由緒があり、それぞれの御祭神や御祭神が祀られた経緯を見るとその由緒に納得させられます。

松本神社は道路を挟んだ南側が松本城の内堀に面しており、これらも見ておきたいと考えここまで引き返してきました。

 

  現開智小学校の正門から南に延びる道路を行くと、ここ松本神社の西の側門前に至ります。

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  側門からお堀沿いの道路にある南側の正門側に回り込みます。

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  道路に面した正面。

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  幹の太い巨木と呼べるような木々が何本もあります。

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  境内と社殿。

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  合祀した各御祭神の由緒など。

  最終的には昭和28年(1953年)に五社と若宮八幡を合祀し松本神社に改称したとあります。

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  各々の御祭神。

  一色と見えるのは最後の藩主家 戸田(松平)家の遠祖。

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  素朴ながら引き締まった社殿です。

  そんなに古くはなさそうですね。

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  お堀端の道路にも巨木が切られることなく残されています。

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  本丸に通じる通路。

  向こう側は本丸。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  通路から中堀(内堀)の西の方向。

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  東の方向。

  二の丸御殿跡とを結ぶ橋が見えます。

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  一旦松本駅前へバスで戻りました。

  次は松本周遊バス「タウンスニーカー」東コースのバスに乗車します(今まで利用したのは北コース)。

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  撮影 2014/09/08

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2014年9月14日 (日)

松本城を中心に松本市を散策(長野県松本市)2014年9月(5) - 「重要文化財旧開智学校」(2)

 

  開智学校の創立は1873年(明治6年)、現在に残る校舎の建築は1876年(明治9年)という大変由緒のある旧制小学校です。

その流れを汲む新制の開智小学校は旧開智学校の建物の南側にあります。

建物内での模型を見てみると現存している建築物はそのほんの一部であることがわかります。

各部屋は展示室となっており多くの貴重な展示物を見るのも見どころ。

 

  現開智小学校と旧開智学校との間に駐車場があり、その外からの正面。

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  建物の右側に回り込むとお土産コーナーと入り口があります。

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  正面付近。

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  校舎内に入ります。

  人は写り込んでいませんが結構観光客がいました。

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  旧開智学校の模型。

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  昔の木製の椅子、机。

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  二階へ。

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  講堂。

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  校長室。

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  最後にもう一枚。

  この後、「松本城北(まつもとじょうきた)」バス停までバス停一つ分を歩いて戻り松本神社へ。

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  撮影 2014/09/08

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2014年9月12日 (金)

松本城を中心に松本市を散策(長野県松本市)2014年9月(4) - 「重要文化財旧開智学校」(1) 旧開智学校と旧司祭館

 

  松本周遊バス「タウンスニーカー」で松本市内を散策する旅は松本市一番の観光の目玉である松本城を後にして次の「重要文化財旧開智学校」へ向かいました。

旧開智学校は明治時代に建てられた旧制小学校です。

現在残っている建物はその一部で、昭和期に現在地に移築されたそうです。

南には現在の開智小学校があり、平日ということもあり児童の声が大きくこだまする賑やかさでした。

旧開智学校拝観入り口前には旧司祭館が移築されており、まずそちらの洋館を拝見しました。

また旧司祭館、旧開智学校の北側には松本市の中央図書館があります。

 

  「松本周遊バス”タウンスニーカー”」一日乗車券(大人500円)を利用して松本市内を散策。

  一乗車200円。

  「松本城・市役所前」バス停で都合良くバスを拾えました(運行間隔は30分毎)。

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  乗車バス停から二つ目のバス停である「旧開智学校」バス停で降車。

  横目に現開智小学校を見ながら少し北にある旧開智学校へ。

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  拝観入口の前にある松本市旧司祭館。

  こちらは無料で開放されています。

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  松本キリスト協会が取り壊し予定の司祭館を平成元年に松本市に寄贈。

  それに答えて市が三年ほどをかけて現地に移築。

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  旧司祭館の内側の一部。

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   重厚な階段を二階へ上がります。

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  二階のバルコニーを兼ねた廊下。

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  さて、旧開智学校を拝観します。

  建築が明治6年(1876年)というのは相当古い。

  建築費の7割が松本全住民による寄附により建築されたとあります。

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  少し後ろ側の位置から敷地に入ります。

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  児童収容数が1300人という事から現在の建物はほんの一部という事でしょう。

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  撮影 2014/09/08

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2014年9月11日 (木)

松本城を中心に松本市を散策(長野県松本市)2014年9月(3) - 松本城(2)本丸と天守閣

 

  現在赤い橋のある埋門(うずみもん)入り口は工事中のため本丸への出入口は黒門のみとなっています。

天守閣をお堀越しに眺めながら南から西へ歩いてみましたが、もう一度取って返し黒門から本丸へ入場しました。

観覧料金はなかなか強気の610円(子供300円)。

見どころは天守閣のみなので500円でもいいかなとも思いました。

 

  最近旅行をしていて大きな悩みはどこへ行っても工事中という不運。

薬師寺の東塔、下関長府功山寺の山門、門司港駅駅舎、日光東照宮の陽明門(工事中と聞いて諦める)等々どこの観光地に行っても工事中ばかり。

去年からやたらと工事中に遭遇します。

 

  黒門。

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  松本城天守閣の保存にはこうした人々の尽力がありました。

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  本丸内からの松本城天守閣。

  大天守の右に乾小天守と両天守をつなぐ渡櫓。

  左に辰巳附櫓とそれに付随して赤い欄干のある月見櫓。

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  少し日差しが出てきました。

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  渡櫓から入ります。

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  急な階段。

  急であるのもさることながら、一段一段の幅が大きいことの方が登るのには辛い。

  二階、三階あたりはまだ序の口。

  四階から五階への階段が最も急でした。

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  堀を埋め立てクレーン車の足場を確保しています。

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  天守閣内部。

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  石落。

  現在は金網でふさいであります。

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  途中階にある展示。

  面白いものもあります。

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  説明は下の写真。

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  なぜ裸でなきゃいけないのかと一人で突っ込んでしまいました。

  ひとかどの武将はこのような事(鉄砲打ち)はしないということを表現しているのでしょうか。

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  かなり上からの工事現場。

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  最上階の6階。

  天守閣は五層六階で外からは五重天守閣に見えます。

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  最上階より一つ下の階。

  御簾(みす)が囲っているのは御座所。

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  月見櫓の内部。

  立ち入ることはできません。

  横の階段を下りて外に出ます。

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  石垣が剥き出しになっています。

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  月見櫓。

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  乾小天守(いぬいしょうてんしゅ)。

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  黒門から本丸の外に出ました。

  やっと晴れてきました。

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  バス停のある太鼓門前に戻り、次は「重要文化財旧開智学校」へ向かいます。

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  撮影 2014/09/08

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2014年9月10日 (水)

松本城を中心に松本市を散策(長野県松本市)2014年9月(2) - 松本城(1)松本城は工事中(拝観はできます)

 

  松本城は御存じの通り国宝に指定されている天守閣を持つ近世城郭です。

江戸時代以前は深志城と呼ばれ、小笠原氏の本城である林城の支城という位置づけでしたが、武田信玄の侵攻により小笠原氏は没落、信玄は林城を廃し深志城を松本平の拠点とします。

その後変遷をを経て、徳川家康の配下となっていた小笠原貞慶が旧領を回復して松本城と改名。

天守の建造年には諸説がありますが何れの説も1600年前後。

松本藩歴代藩主は石川家2代、小笠原家2代、松平(戸田)家2代、松平(越前)家2代、堀田家1代、水野家6代、松平(戸田)家9代。

二度目の松平(戸田)家が再封されたのが享保10年(1725年)のことで6万石での入封でした。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  太鼓門から入って黒門前へ。

  工事中のため拝観受付は黒門のみでした。

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  黒門前から天守の南から西へ歩いてみます。

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  赤い橋のある埋門入口(うずみもん いりぐち)は工事で閉鎖中。

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  本丸北側の内堀、西から東を望んで。

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  石垣の積み直し。

  普段は見ることができない石垣の石の全容が見れます。

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  石垣の石は奥に長いことが良くわかります。

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  例えて言えば、我々が見ている石垣の石は釘の頭の部分を見ていると言えます。

  三角錐、円錐のような石も見受けられます。

  石垣は単に石を張り付けているわけでは無く、打ち込むような形で積み上げられているのですね。

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  クレーンが!

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  一部は工事用通路となり立ち入り禁止。

  望遠で撮ってみました。

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  黒門に戻り本丸内に入ります。

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  黒門の拝観受付は内部にあります。

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  観覧料金は大人610円、子供300円。

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  撮影 2014/09/08

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2014年9月 9日 (火)

松本城を中心に松本市を散策(長野県松本市)2014年9月(1) - 高速バスで松本市へ

 

 

  やっと晴れそうかな、というタイミングと急な思い付きで松本城を中心とした松本市を訪れました。

その後の天気の具合から行くと、少し早まったかなという結果でしたが、久し振りに観光地を歩き回りスカッとした気分になりました。

平日という事で高速バス料金は名古屋~松本間が片道2800円。

JRの運賃が3350円。所要時間は高速バス3時間24分、JR3時間48分(普通電車)。

皆さんはどちらを選択しますか?

 

  事前の松本市の天気予報では比較的良さそうなのはこの日しか無いのではという前日にバスのチケットを予約。

結果的にはもう一日待った方が天気は良かったようでした。

ただ、予報通りに松本市の天気は午後には晴れたのですが、できれば松本城にいた時に晴れてほしかったですね。

時刻表通りに行けば名古屋の名鉄BC(バスセンター)発7時10分、松本BT(バスターミナル)到着が10時34分。

しかし、そうそう上手くはいかず、中央道での事故処理等で到着が30分ほど遅れ、松本到着は11時頃となりました。

 

  中央道、恵那山を過ぎたあたり。

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  中津川と飯田の中間あたりの阿智PAで10分の休憩。

  コンビニとトイレしかない寂しいPAでした。

  名鉄の高速バス。乗客は10人前後というところ。

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  伊那谷を北へ向かいます。

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  事故処理の渋滞で停車中。

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  松本駅。

  無事、松本バスターミナルに到着。

  松本駅の観光案内所へ直行。

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  松本駅前バス乗り場は三カ所。

  高速バス、特急バス、一般路線バスのほとんどが発着する「松本バスターミナルビル「アリオ松本」1F」。

  松本周遊バス「タウンスニーカー」北コース、東コース、南コースが発着する「松本駅お城口」乗り場。

  松本周遊バス「タウンスニーカー」西コースが発着する駅西の「松本駅アルプス口」乗り場の三カ所です。

 

  市内観光には松本周遊バス「タウンスニーカー」が便利です。

  一乗車200円で「松本周遊バス”タウンスニーカー”1日乗車券」は500円。

  発売場所はバスターミナル等にもありますが、バスでの車内販売があるので運転手さんに申し込めば発券して頂けます。

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  最初はまず何と言っても松本城。

  松本周遊バス「タウンスニーカー」北コースに乗車して「松本城・市役所前」バス停で降車。

  バスの運行間隔は30分毎。

  降車すると松本城の東にあたる太鼓門の前。

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  道路の反対側には松本市役所があります。

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  右が北の地図。

  一番下が現在地の太鼓門前。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  太鼓門前のお堀の北側。

  左の土塁の内側には二の丸御殿がありました。

  現在は盛んに工事中。

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  太鼓門。

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  入口の高麗門を枡形内側から。

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  太鼓門を中に入って右手に工事中の二の丸御殿跡。

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  内堀の石垣も修復中。

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  拝観受付のある黒門前からの天守閣。

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  撮影 2014/09/08

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2014年9月 7日 (日)

京都駅にて2014年9月 - 所用のついでに

 

  西日本では連日悪天候でなかなかまとまった旅行ができない状態が続き、このブログでも全く旅行記が掲載できなくなってしまいました。

そんな中、所用で京都を通過した際の写真。

 

  京都駅0番線の221系。

  6両+6両を切り離し後ろの6両が回送になった模様。

  京都駅でこのような編成替えを見たのは初めて。

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  山陰線31番線 特急「はしだて3号+まいづる3号」 287系。

  特急「はしだて3号」4両編成天橋立行き。

  後部、特急「まいづる3号」は3両編成東舞鶴行き。

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  同上287系。

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  30番線の関空特急「はるか19号」281系。

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  撮影 2014/09/04

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2014年9月 6日 (土)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(16)2011年11月 - 清滝寺徳源院(滋賀県米原市柏原)の三重塔

 

  東海道本線の柏原駅(かしわばら えき  滋賀県米原市)の南には中山道60番目の柏原宿(かしわばらしゅく、かしわばらじゅく)があります。

これを西方向に歩いて行き、さらに少し北に向きを変え米原市立柏原中学校の前を過ぎるとやがて清滝の里(きよたきのさと)。

案内板に従い西に参道を行くと清滝寺徳源院(きよたきでらとくげんいん)の角にたどり着けます。

徒歩で約20分を超すぐらいでしょうか。

春は境内の道誉桜、秋は紅葉、冬は雪と四季折々の風情があります。

最初に当寺を訪れたのは京極家墓所の所在地であるという理由からでした。

以来、岐阜から近いこともあり頻繁に訪れるようになりました。

 

  柏原駅前。

  普段でしたら伊吹山が見えるところですが。

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  駅前から南にすぐ、ほぼ東西に連なる柏原宿。

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  最盛期には艾(もぐさ)の店が10軒ほど存在したそうですが、現在は一軒を残すのみ。

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  中学校あたりは田園が広がり伊吹山をバックに電車がカーブを描きます。

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  まだ新しい清滝の石碑。

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  徳源院への参道。

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  境内への入り口。

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  本堂。

  右手から入り拝観します。京極家墓所へは左手から。

  拝観料は300円でした。

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  庭園の紅葉。

  住職さんのお話ではこの年はもうこれで目一杯ということ。

  暖かい秋でした。

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  本堂に向かって左手にある三重塔。

  17世紀の後半、丸亀藩主京極高豊は幕府に願い出て当寺を含む所領と播磨の所領を交換し、菩提寺である徳源院を復興させ歴代当主の墓を集めて整理しました。

  三重塔はこの際に寄進されたもの。

  国の指定はありません。

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  京極家は近江源氏と称される佐々木氏。

  13世紀、佐々木信綱の4人の男子は近江を分割相続し4男のの子孫が後の京極氏を称します。

  3男は六角氏を称し南近江を支配しましたが、後年、織田信長上洛の際抵抗し滅亡しました。

  京極氏は戦国期になり浅井氏の台頭で北近江の自領の大半を失くすも、信長の家臣となることで運が開け、秀吉、家康に仕え、江戸時代には近世大名として再興しました。

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  支藩である多度津藩歴代当主の墓。

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  境内から外に出て。

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  墓所が見えます。

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  横から見ると多少扁平に見える独特の形状の三重塔です。

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  撮影 2011/11/14

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2014年9月 3日 (水)

綾部駅(京都府綾部市)にて 2014年8月下旬 - 特急「きのさき16号」381系

 

  8月下旬に所用で丹波を訪れた際の綾部駅(京都府綾部市)。

 

  たまたま見かけた特急「きのさき16号」381系4両編成。

特急(「はしだて」と「きのさき」)の半分は綾部駅で東舞鶴発着の特急「まいづる」の併結・分離を行います。

  「きのさき16号」はこのまま京都へ向かいました。

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  帰途、京都まで利用した特急「きのさき」は新型の287系電車で、東舞鶴発の特急「まいづる」を綾部駅で併結しました。

 

  同上381系の先頭部。

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  撮影 2014/08/30

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2014年9月 1日 (月)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(15)2011年2月 - 円鏡寺(岐阜県北方町)の三重塔

 

  北方町は東が岐阜市と接する岐阜県の市町村の中で最も面積の小さな町です。

人口は一万八千人ほど。

したがって人口密度が岐阜県の市町村の中で最も高いそうです。

岐阜からの公共交通はバスで、JR岐阜駅前から「真正大縄場線」利用で北方バスターミナルまで30分弱の所要。

2005年までは名鉄揖斐線の駅が町内に三駅存在しましたが、その電車の代替の意味もあり、現在でもバスの運行頻度は基本的に1時間に2本あります。

また町の北西部からわずかに外れた場所に樽見鉄道の北方真桑駅(きたがたまくわ えき)があります。

 

  前回円鏡寺を訪れたのは1994年の9月でしたが、その際には当然のごとく名鉄電車を利用しました。

2011年の際には、帰りはバスと決めていましたが、往きは大垣からの樽見鉄道を利用し、西から北方町に入りました。

今日のテーマは円鏡寺の三重塔なので途中の多くの文化財は省きます。

 

  樽見鉄道大垣駅から北方真桑駅(きたがたまくわ えき)までの所要時間は18分。

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  北方真桑駅駅舎(2011年当時)。

  数少ない有人駅(時間は限定的)。

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  旧名鉄揖斐線北方駅の廃駅。

  当時は廃線跡も残っていましたが現在はどうでしょうか?

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  1994年9月6日当時の名鉄電車。

  北方千歳駅にて。

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  同上。

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  町の少し北よりの中心部にある大井神社。

  この一帯が戦国期の北方城址であり、江戸時代には旗本戸田家の陣屋がありました。

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  社殿の内側に描かれている多分三十六歌仙。

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  史跡北方城址。

  北方城は美濃斎藤氏時代から西美濃三人衆のうちの一人であった安藤守就(あんどう もりなり)の居城跡。

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  北方戸田氏は松本藩主戸田(松平)氏の系統。

  5千石の大身の旗本でした。

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  円鏡寺楼門。

  1296年(永仁4年)建立で重文。

  木造金剛力士(仁王)立像も鎌倉時代の作で重文。

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  本堂と三重塔。

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  本堂。

  本尊である木造聖観音立像は平安時代の作でやはり重文。

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  三重塔は新しく、寺歴千年、町制施行100年記念を旨として平成元年(1989)六月に建立されました。

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  撮影 2011/02/26

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