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2014年11月19日 (水)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(7) - 蒲生氏郷(がもううじさと)墓所

 

 

  会津若松市役所から方角的には北にあたる史跡「甲賀町口門跡」を訪れて、ここから石垣の脇を西に向かうと蒲生氏郷の墓所があります。

蒲生氏郷は1590年に会津に入部すると城地の黒川を若松と改称し、近世城郭としての会津若松城と城下町を整備した、言わば会津若松の生みの親ともいうべき武将です。

そして会津若松城を別名鶴ヶ城と呼びますが、これは蒲生家の家紋である舞鶴が由来となっているそうです。

 

  蒲生氏郷は織田信長、豊臣秀吉に仕えて重用された武将で、初陣の伊勢北畠氏との戦い(1568年)以後多くの戦いに参加し、1595年に京都(伏見)において40歳で没しました(関ヶ原の戦いが1600年)。

跡を継いだ子の秀行の廟も鶴ヶ城の南西にありますが、残念ながらさすがにそちらを訪れることはできませんでした。

秀行の母は織田信長の次女である冬姫で、信長の氏郷に対する信任ぶりがうかがえます。

 

  史跡「甲賀町口門跡」の石垣の北側を裏手へ向かいます。

  振り返って。

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  蒲生氏郷の墓所の裏手に出ました。

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  入口は西側にあります。

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  蒲生氏郷の墓(五輪塔)。

  興徳寺の寺内にあります。

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  蒲生氏郷顕彰碑。

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  地名の「若松」は氏郷の「出身地である日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来する(wikiより)」そうです。

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  本墓は京都大徳寺にあり、子の秀行が分骨したと伝えられています。

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  氏郷の辞世の歌碑。

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  後ろから。

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  門の前はアーケード街の国道118号線。

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  撮影 2014/11/08

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