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2014年11月11日 (火)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(1) - 葦名家(あしなけ)花見ヶ森廟

 

  会津若松と言えば戊辰戦争での白虎隊や最近知られたTVドラマの新島八重など会津若松城(鶴ヶ城)を含めて明治維新関連の史跡が多いのですが、戦国期や江戸時代の史跡は割と忘れられがちです。

 

  中世から黒川城(後の若松城)を根拠地としてきた葦名氏(あしなし)は戦国中期から後期にかけての葦名盛氏(あしな もりうじ)のときに会津を中心とした大きな版図を得、伊達氏と覇権を争いました。

しかし、盛氏の嫡男で家督を継いだ葦名盛興(あしな もりおき)は26歳の若さで亡くなり、隠居の盛氏は二階堂盛義の子で人質として黒川城にあった盛隆(もりたか)を葦名氏の後継とします。

そして盛氏は1580年(天正8年)60歳で亡くなり葦名氏はその後じりじりと衰退に向かっていきます。

1584年(天正12年)葦名盛隆は家臣に殺害され、さらに子の亀若丸は1586年(天正14年)三歳で早世。

家臣団が後継を巡って対立する中、後継には白河の白河義広(佐竹義重の二男)を迎え葦名氏を継ぐことになります。

しかし、葦名義広は伊達政宗との摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい(1589年(天正17年))で敗れると黒川城を維持できず、会津を去って実家の佐竹家の元に帰り、ここに中世以来続いた会津葦名氏は滅亡します。

 

  その後、伊達政宗が手に入れた会津は豊臣秀吉に召し上げられ、黒川城には蒲生氏郷が入り(1590年(天正18年))、黒川を若松と改名し近世城郭である鶴ヶ城を完成させます(1593年(文禄2年))。

ここまでが戦国期から織豊政権ごろまでの概略です。

 

  会津若松駅前。

  前日に仙台から高速バスで会津若松入りして早朝、駅前のバス乗り場へ。

 

  観光用の「まちなか周遊バス」には「ハイカラさん」(反時計回り)、「あかべぇ」(時計回り)がありほぼ同じコースをお互いに逆コースで運行されています。

  一回乗車は210円、「ハイカラさん・あかべぇ専用1日フリー乗車券」は大人500円(小人250円)です。

  徒歩旅行者はほぼ必携です。

 

  朝早く一般路線の「市内3コース」のバスで花見ケ丘バス停に向かいました。

  葦名家花見ヶ森廟は観光コースから離れた場所にあるので、まずは路線バスで最初に訪れることにしました。

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  小田橋通りを南進し小田橋を渡ると「花見ケ丘」バス停。

  戻って右手の坂道を登ります。

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  小田山には戊辰戦争の際に鶴ヶ城を砲撃するための陣地が作られた。

  ここから鶴ヶ城を砲撃していたのですね。

  この案内板を見て初めて知りました。

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  小田橋あたりから葦名家花見ヶ森廟所までを拡大。

  下が北方向。

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  坂道を道なりに登っていくと正面に忠霊堂が見えてきます。

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  小田山忠霊堂案内。

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  忠霊堂を左に見て右折。

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  さらに左折して少し行くとミラーの横に葦名家廟所の案内。

  左手に入るように矢印があります。

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  「旧会津領主葦名家廟所」の碑。

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  廟所入口。

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  葦名家花見ヶ森廟の案内板。

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  向かって左に第十七代当主葦名盛興の墳墓。

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  盛興の墓。

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  同上。

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  同じく。

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  中央には第十六代当主の葦名盛氏の墳墓。

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同上。

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  右側には第十八代当主葦名盛隆の墓。

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  以下葦名盛隆の墓。

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  全体を眺めて。

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  出入口から山上。

  住宅街自体が山の上にあるので比高は高く見えない。

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  同じ道を元に辿り坂道下に戻ります。

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  湯川に架かる小田橋を渡り北に戻りつつ「御薬園(おやくえん(会津松平氏庭園))」に徒歩で向かいます。

  小田橋から御薬園までは徒歩で10分以上。

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  小田橋から。

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  撮影 2011/11/08

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