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2014年11月

2014年11月30日 (日)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(11)その後(2) - 安楽寺(長野県上田市)(1)

 

  信州は三重塔が多い地域で、上田市の別所温泉には国宝の安楽寺八角三重塔があります。

今回はこの安楽寺八角三重塔を目的に別所温泉を訪れました。

別所温泉を含む塩田地区(旧塩田町)は1970年に上田市に編入された地域で、鎌倉時代から室町時代にかけての文化財が豊富です。

上田市への編入を機にそれまでの温泉街の町から文化財の町として塩田地区を「信州の鎌倉」と売り出したのは地域にとっては大きな転換点でした。

当地は鎌倉時代には塩田北条氏三代の居城「塩田城」があったことからこう呼称するようになったようです。

前回(2004年)訪れた当地の北向観音で地元の御老人にお話を伺った際にそのような話をして頂きました。

これまでのように芸者さんをあげて賑わった温泉街から文化財を目当てに訪れる観光客を受け入れる観光地への変貌は正解であったというお話でした。

そんな事を思い出しながら10年ぶりに訪れた別所温泉は雨。

降りしきる雨に少々閉口しながら上田電鉄の別所温泉駅から歩いて15分、安楽寺の前まで来ました。

 

  上田電鉄別所温泉駅。

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  道路に上がり、右側のアーチを奥に向かいました。

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  途中にある塚(円墳)。

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  将軍塚というようです。

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  右へ行くと常楽寺へ。

  大抵の観光客は安楽寺だけではなく常楽寺も訪れるのが普通。

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  七苦難地蔵とあります。

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  さらに進んで右手に折れ振り返ったところ。

  このあたりが別所温泉の中心部でしょうか。

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  すぐ左手に曲がると安楽寺の黒門があります。

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  安楽寺門前。

  真っ直ぐ奥が石段。

  スロープを行きたい人は左手から。

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  安楽寺案内図。

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  石段から駐車場。

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  山門。

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  撮影 2014/11/09

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2014年11月27日 (木)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(10)その後(1) - 別所温泉安楽寺(長野県上田市)へ向かう

 

  今回の旅行は主に会津若松を散策することに費やされました。

最初のプランでは全5日の旅程でしたが、予算的に無理が生じそうな気配を感じ、会津若松に入ってからホテルのPCで5日目の旅程への宿をキャンセル。

こうして、実質的な観光は4日間のうち1日半となってしまいました。

 

  名古屋から仙台までフェリーで2日間を過ごし、2日目に仙台に到着すると高速バスでその日のうちに会津若松に入り、あくる日1日を会津若松の観光に費やし、夕方郡山から新幹線で大宮へ向かいました。

大宮からはユルユルと普通電車で高崎まで向かい一泊。

あくる4日目は高崎から新幹線で上田へ向かい、雨の中、別所温泉の安楽寺を訪れて今回の旅行を終えました。

雨の中とは言え、もう少し粘るべきであったという反省もあります。

 

  今回利用した「とくとく切符」はJR東日本の「週末パス」8730円。

特急、新幹線も特急券さえあれば乗車券として有効であり、そのために多少高めの値段設定となっています。

各地の中小私鉄も利用が可です。

当日売りは無いので金曜日に仙台で購入し会津若松以降の移動に利用しました。

 

  高崎駅にて。長野行き新幹線E7系。

  上田に向かいます。

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  上田電鉄上田駅。

  「週末パス」は「しなの鉄道」、「ながの鉄道」、「上田電鉄」を始めとして南東北から信州までの中小私鉄も利用できます。

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  途中の下之郷駅。

  上田電鉄の車両基地があります。

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  塩田平を走ります。

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  別所温泉駅に到着。

  所要時間は30分足らず。

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  別所温泉駅駅舎。

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  一段低い駅前から道路に上がり、別所温泉の中へ。

  はっきりとした温泉街があるような温泉ではない印象でした。

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  撮影 2014/11/09

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2014年11月26日 (水)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(9) - 飯盛山(白虎隊自刃の地)

 

  白虎隊は会津戦争(1868年)で会津藩が組織した少年による部隊で、16才から17才で構成されていました。

白虎隊は全部で343名からなり、飯盛山で自刃したのは戸ノ口原の戦いに投入された二番隊のうちの20人。

飯盛山まで落ち延びた20人は会津若松城を望み、その様子から落城したと誤認し自刃したとされています(生き残った飯沼の資料では城は焼け落ちていないことを知りつつ自刃したという。会津若松城はそれ以後1か月ほど持ちこたえています。)。

そして自刃した20人の内ただ一人蘇生し、維新後を1931年まで生きた飯沼貞吉が晩年になって飯盛山での白虎隊の出来事を明らかにし、白虎隊の悲劇的な結末が世の中に知られるようになり、それ が現在まで語り継がれています。

 

  飯盛山登り口。

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  石段の横には有料エスカレーターが設置されていました。

  大人250円。

  私はもちろん石段を登りました。

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  中間地点。

  エスカレーターの中間地点からは150円。

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  登りきると広場に。

  左手に白虎隊十九士の墓、右手に下りた場所が自刃の地。

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  右手に下りた場所が白虎隊自刃の地。

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  ここから会津若松城が望めます。

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  ポールの向こう側に鶴ヶ城(会津若松城)が見えます。

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  広場の左手に白虎隊十九士の墓があります。

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  白虎隊十九士の墓。

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  少し石段を下りた場所から右手に「さざえ堂」へ。

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  さざえ堂。

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  「さざえ堂は1706年に建てられたといわれる高さ16.5m、回廊の付いた六角三層の仏堂です。正面から螺旋状に右回りで上り、頂上の太鼓橋を越えると左回りの下りスロープになっていて背面出口に通じます。このような構造は木造建築として非常に珍しく、世界唯一の貴重な建物です。」

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  さざえ堂内部。2003年の写真。

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  さざえ堂から下に下ります。

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  山の中腹にもかかわらず豊富な水量の水路。

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  下まで下りると駐車場があるという事で途中から石段に戻ります。

 

  この後バス停から駅に戻り会津若松での観光は終りとしました。

  時間的な制約から多くの見どころを行き損ねましたが、十分に会津若山の秋を堪能しました。

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  会津若松駅に戻ってきました。

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  会津若松駅にて。

  郡山行き普通電車719系4両編成。

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  撮影 2014/11/08

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2014年11月21日 (金)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(8) - 会津武家屋敷から飯盛山へ

                      

 

  会津若松の基礎を築いた蒲生氏郷の墓を訪ねて後、墓所の前の国道118号線を横切り、さらに118号線の一本西の通りのバス停に向かいました。

そして、バス停で「まちなか周遊バス」を拾い会津武家屋敷に向かいます。

乗車バス停の「野口英世青春館前」バス停から鶴ヶ城、御薬園を経て会津武家屋敷までは所要20分。

会津武家屋敷は会津藩家老西郷頼母の屋敷や福島県重要文化財の旧中畑陣屋や数奇屋風茶室、藩米精米所などからなる屋外博物館です(会津若松観光ナビ参照)。

 

  国道118号線から脇に入ると蒲生氏郷墓所があります。

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  こんな距離にあります。

  「まちなか周遊バス」は118号線を通らずもう一本西の通り。

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  会津武家屋敷の前で下車。

  私の乗車してきたバスは当バス停で折り返し「飯盛山下」バス停経由で駅に向かいます。

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  「まちなか周遊バス」の内「ハイカラさん」。

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  会津武家屋敷入口。

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  この看板を見て時間がかかりそうだなあと思案。

  値段的にも(大人850円)おざなりに見学するのでは勿体無い。

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  思案中にやってきた「まちなか周遊バス」のうち「あかべぇ」。

  「ハイカラさん」とは逆回りの周遊バスです。

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  駐車場と東山温泉方向。

  こちらの方には松平家墓所もあります。

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  30分ほど待って東山温泉で折り返してやって来た「ハイカラさん」で飯盛山へ向かう事に。

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  会津武家屋敷から6分。

  「飯盛山下」バス停で下車。

  左のバス時刻表は一般路線バスのもの。

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  飯盛山登り口。

  戊辰戦争の際、白虎隊が自刃した飯盛山。

  白虎隊十九士の墓が山の上にあります。

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  撮影 2014/11/08

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2014年11月19日 (水)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(7) - 蒲生氏郷(がもううじさと)墓所

 

 

  会津若松市役所から方角的には北にあたる史跡「甲賀町口門跡」を訪れて、ここから石垣の脇を西に向かうと蒲生氏郷の墓所があります。

蒲生氏郷は1590年に会津に入部すると城地の黒川を若松と改称し、近世城郭としての会津若松城と城下町を整備した、言わば会津若松の生みの親ともいうべき武将です。

そして会津若松城を別名鶴ヶ城と呼びますが、これは蒲生家の家紋である舞鶴が由来となっているそうです。

 

  蒲生氏郷は織田信長、豊臣秀吉に仕えて重用された武将で、初陣の伊勢北畠氏との戦い(1568年)以後多くの戦いに参加し、1595年に京都(伏見)において40歳で没しました(関ヶ原の戦いが1600年)。

跡を継いだ子の秀行の廟も鶴ヶ城の南西にありますが、残念ながらさすがにそちらを訪れることはできませんでした。

秀行の母は織田信長の次女である冬姫で、信長の氏郷に対する信任ぶりがうかがえます。

 

  史跡「甲賀町口門跡」の石垣の北側を裏手へ向かいます。

  振り返って。

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  蒲生氏郷の墓所の裏手に出ました。

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  入口は西側にあります。

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  蒲生氏郷の墓(五輪塔)。

  興徳寺の寺内にあります。

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  蒲生氏郷顕彰碑。

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  地名の「若松」は氏郷の「出身地である日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来する(wikiより)」そうです。

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  本墓は京都大徳寺にあり、子の秀行が分骨したと伝えられています。

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  氏郷の辞世の歌碑。

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  後ろから。

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  門の前はアーケード街の国道118号線。

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  撮影 2014/11/08

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2014年11月17日 (月)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(6) - 鶴ヶ城(会津若松城)を後にして史跡「甲賀町口門跡」へ

 

  お城を後にして会津若松市内の他の観光スポットを目指します。

朝早くに葦名氏の廟所を訪れて始まった会津若松市内の観光は「天寧寺町土塁」から「御薬園(おやくえん 会津松平氏庭園)」を経て会津若松城を訪れるところまで来ました。

お城から出て「鶴ヶ城入口」バス停から「市役所前」バス停に向かうころがほぼお昼の12時前後でした。

ここまで4時間ほど市内を巡って来ましたのでちょうど折り返しというところです。

こうして時間的に類推すると一日で回ることができるのは市内の見所の六、七割と言うところでしょうか。

郊外にある会津藩校日新館などはとても徒歩旅行者にとっては行くことができません。

 

  鶴ヶ城(会津若松城)の現在の見取り図。

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  最後に天守閣の一枚。

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  北出丸から本丸に通じる太鼓門跡を内側から。

  石垣上の建物は稲荷神社。

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  お堀に突き出ているのが二の丸。

  北出丸から。

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  これで若松城跡を後にします。

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  「鶴ヶ城入口」バス停にて。

  「会津若松市役所前」バス停に向かいます。

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  会津若松市役所。

  こちらも年代ものの建築物ですね。

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  「まちなか周遊バス」のうち「ハイカラさん」。

  会津若松市役所前から東に向かい信号を北に折れます。

  そして少し行くと道路の左手に面して史跡「甲賀町口門跡」の石垣があります。

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  市役所前から5分ぐらいの距離にある史跡「甲賀町口門跡」の石垣。

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  後ろから。

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  冒頭部分には「この石垣は、郭外より若松城に郭内に入る門の石垣で、ここを界として内側を侍の屋敷とし、外側を町民の住居としていた。」とあります。

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  撮影 2014/11/08

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2014年11月16日 (日)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(5) - 会津若松城(鶴ヶ城)(3) 天守閣

 

  さて、会津若松城の天守閣に登ります。

しかし、2003年と今回では入口が異なっていました。

下の2003年の際に撮影した写真と比べて頂ければ一目瞭然ですが、前回は閉じられていた塩蔵が今回の入り口で、出口は走長屋と干飯櫓(ほしいやぐら)からと変更されていました。

天守閣を下りると走長屋の中に売店があり必ず売店を通り抜けなければ外に出られない様な仕様となっており、この方式は最近どこの観光地でも採用されています。

 

  今回は天守閣の真下から入りました。

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  前回2003年の様子。雪の残る3月。

  階段はありますね。

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  こんな風に閉まっていました。

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  出入口は走長屋にありました。

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  今回は走長屋からの階段は出口専用でした。

  他に干飯櫓(ほしいやぐら)にも出口があります。

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  天守と鉄門(くろがねもん)。

  天守と鉄門は1965年(昭和40年)に再建されました。

  現在の赤瓦に葺き替えられたのは2011年(平成23年)のことです。

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  天守と走長屋。

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  鉄門(くろがねもん)。

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  南走長屋(みなみはしりながや)と干飯櫓(ほしいやぐら)。

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  入口を入ると塩蔵の石垣。

  現存遺構です。

  上に乗っている天守閣等の建築物は再建ですが。

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  塩蔵の見回りの様子を再現。

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  内部展示は撮影禁止で写真はありません。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図です。

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  天守閣から西方向。

  石垣の向こう側(左上)の広場は西出丸跡の駐車場。

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  こちらは北出丸。建物がある場所がそれです。

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  こちらは二の丸、三の丸のある東方向。

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  磐梯山と飯盛山。

  ポールが立っているあたりが飯盛山です。

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  手前から走長屋、鉄門(くろがねもん)、南走長屋(みなみはしりながや)、干飯櫓(ほしいやぐら)。

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  干飯櫓。

  左の石垣上に向かって出口があります。

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  現在の鶴ヶ城(会津若松城)の様子。

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  撮影 2011/11/08

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2014年11月14日 (金)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(4) - 会津若松城(鶴ヶ城)(2)本丸と天守閣

 

  伊達政宗が葦名氏から奪った黒川城と会津の地が豊臣秀吉には認められず召し上げられると替わりに1590年蒲生氏郷が入ります。

氏郷は1592年(文禄元年)より黒川城を近世城郭として改造し、地名も若松と改称、城下町を整備して現在の若松城の大部を完成させました。

子の蒲生秀行のとき(1598年(慶長3年))蒲生家は宇都宮へ転封、替わりに上杉景勝が120万石で入封します。

しかし、関が原の戦い(1600年(慶長5年))で西軍に属した上杉家は30万石に減封されて米沢に移封されてしまいます。

1601年(慶長6年)蒲生秀行が再び入封、しかし子の忠郷は嗣子なく秀行の次男・忠知が継ぎ伊予松山へ移封され、替わりに伊予松山から加藤嘉明が入封。

1643年(寛永20年)加藤嘉明の子の明成が改易となり保科正之が23万石で山形から入封。

保科正之は2代将軍秀忠の庶子で4男、3代将軍家光の庶弟にあたります。

三代目の正容(まさかた)の代から松平姓を名乗り、会津松平家は明治維新まで続きます。

戊辰戦争では藩主松平容保(かたもり)のもと明治政府軍と戦いのち降伏。

 

  少し地元の話(岐阜県)に引き寄せてしまいますが、幕府に忠誠を誓い頑強に薩長と戦ったのは特に会津藩と桑名藩(三重県桑名市)でしたが、会津藩主松平容保(かたもり)、桑名藩主松平定敬(さだあき)は美濃高須藩(岐阜県海津市)第10代藩主松平義建のそれぞれ七男と九男の兄弟でありました。

高須藩は尾張藩の準支藩(完全な支藩とは言い切れない)で尾張藩主に嗣子無い場合には藩主たる人材を送り出す役割をになっていました。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図です。

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  石垣に沿って天守下に向かうとここで西と北からの観光客と一緒になります。

  駐車場などの関係で(最大の駐車場は西出丸にある)多くの観光客は西から入ります。

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  天守の北の土塁(外側は石垣)の上にある稲荷神社。

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  上から。

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  右手が北出丸。

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  天守閣の観覧料は大人410円、小人150円。

  現在(2014年11月)共通券の対象であるもう一方の茶室麟閣は工事中(~2014年11月末日まで)で共通券はありません。

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  2011年3月までに葺き替えられた赤瓦が青空に映えます。

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  2001年(平成13年)に復元された干飯櫓(ほしいやぐら)。

  私が初めて訪れた2003年には干飯櫓(ほしいやぐら)を含めすべてが黒瓦でした。

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  茶室麟閣。

  工事中で閉鎖。閉鎖は2014年11月末まで。

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  綾瀬はるか!

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  天守閣と広場を挟んで対角線上にある石垣の上に登ってみました。

  月見櫓の櫓台。

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  こちらを行くと干飯櫓(ほしいやぐら)からの出口につながっています。

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  茶壺櫓櫓台。

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  茶壺櫓櫓台から見える赤い廊下橋と高石垣。

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  撮影 2014/11/08

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2014年11月13日 (木)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(3) - 会津若松城(鶴ヶ城)(1) 三の丸から二の丸、本丸へ

 

  「御薬園(おやくえん 会津松平氏庭園)」から「まちなか周遊バス」でいよいよ若松市観光最大の目玉である会津若松城(鶴ヶ城)へ向かいます。

屋根が葺き替えられた会津若松城を訪れるのは今回が初めてで楽しみにしていました。

前回会津若松を訪れたのは2003年のまだ雪の残る3月初旬でした。

すでにデジタルカメラは所持していましたが、あくまでメインはフィルムカメラでしたので当然枚数も少なく、現在の感覚からすればとても満足のいくものではありませんでした。

 

  さて、会津若松城が近世城郭として整備されたのは1590年に入部してきた蒲生氏郷によってでした。

それまでの葦名氏時代の黒川から若松へと地名を変更し、七層の天守を擁する城郭を建設し、それに伴い城下町をも整備しました。

こうして現在に残る会津若松城の大部が完成したのです。

その後、会津地震で倒壊した天守こそ加藤氏(嘉明系加藤氏)の時代に五層に改められましたが、この時代に北出丸、西出丸が増築されています。

こうした雄大な城地は今でもこの目で確かめることができます。

 

  ということで、観光客が主に利用する北からではなく東の三の丸から二の丸を経て本丸に向かい、その城地を通りすがりでも良いので見てみようと考えました。

 

  「御薬園入口」バス停にて。

  「御薬園入口」バス停から「まちなか周遊バス あかべぇ」で「鶴ヶ城三の丸口」バス停へ向かいます。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図です。

 

  堀に囲まれた部分、右から左へ三の丸、二の丸、本丸。

  本丸の上に北出丸、左に西出丸。

 

  三の丸と二の丸の間にあるお堀の前に「鶴ヶ城三の丸口」バス停があります。

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  三の丸上にバス停のある道路や福島県立博物館があります。

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  県立博物館の敷地。

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  やはりあった新島八重の像。

  主人公を演じた綾瀬はるかの写真もあちこちに。

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  道路から二の丸への入り口。

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  三の丸と二の丸との間のお堀。

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  二の丸へ。

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  二の丸から振り返って。

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  二の丸から本丸への赤い廊下橋。

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  本丸の石垣。

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  廊下橋から天守が少し見えます。

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  本丸(正確には帯郭)へ入ります。

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  振り返って。

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  石垣沿いを西に進むと天守閣が見えてきました。

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  撮影 2014/11/08

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2014年11月12日 (水)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(2) - 「天寧寺町土塁」から「御薬園」(おやくえん 会津松平氏庭園)

 

 

  会津若松で最初に訪れたのは観光コースから外れた「葦名家花見ヶ森廟」で、会津若松観光の足となっている「まちなか周遊バス」路線からは離れた場所です。

したがってここからは徒歩で「御薬園(おやくえん)」に向かう事になりました。

「御薬園」は徒歩で10分以上の距離にあるのですが、「御薬園」に向かったのはその途中に史跡である「天寧寺町土塁」があり、それを見てみたいという理由からでした。

「天寧寺町土塁」は蒲生氏郷が改築した若松城の遺構で「甲賀町口門跡」とともにお城からは離れた場所にあります。

その後、「天寧寺町土塁」からすぐの「御薬園」を訪れました。

 

  「天寧寺町土塁」。

  大通りの小田橋通りに面しており、北に向かって左側にあります。

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  若松城に関しては三の丸から本丸にかけての様子は現在でもわかりますが、

  下の案内板に書かれている外郭と内郭の様子はいまいち分かりません。

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  小田橋通りに面した部分よりも奥に延びた部分の方が長い土塁の遺構です。

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  こちらが奥の方の土塁の端。

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  小田橋通りから。

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  大通りの反対側に渡り信号を入ると「御薬園」。

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  入口は北向きにあります。

  前の道路は広くない。

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  庭園と薬用植物標本園からなっています。

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  「御薬園」のいわれ等について。

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  碑には「名勝 会津松平氏庭園」とあります。

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  拝観受付を入って左の門へ。

  観覧料は大人320円、高校生270円、小中学生160円。

  「御薬園」の観覧券には若松城天守閣入場割引券が付随しており、若松城で提示すると団体割引が適用され安くなりました(410円→360円)。

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  上から右、下、左へと回り込み観覧しました。

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  薬用植物標本園。

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  標本園の左端から奥に入って行きます。

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  振り返って重陽閣(ちょうようかく)。

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  左が楽寿亭、右奥が御茶屋御殿。

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  後は紅葉を楽しみながら一周しました。

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  駅前では「まちなか周遊バス ハイカラさん・あかべぇ専用1日フリー乗車券」を購入することができなかったので、「御薬園」の拝観受付で購入。

  大人500円、小人250円。

  ハイカラさんは「御薬園」の前にバス停がありますが、あかべぇのバス停は一本北の通りに「御薬園入口」バス停があり、ここで乗車。

  鶴ヶ城(若松城)へ向かいます。

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  撮影 2014/11/08

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2014年11月11日 (火)

晩秋の会津若松(福島県)を訪れる 2014年11月(1) - 葦名家(あしなけ)花見ヶ森廟

 

  会津若松と言えば戊辰戦争での白虎隊や最近知られたTVドラマの新島八重など会津若松城(鶴ヶ城)を含めて明治維新関連の史跡が多いのですが、戦国期や江戸時代の史跡は割と忘れられがちです。

 

  中世から黒川城(後の若松城)を根拠地としてきた葦名氏(あしなし)は戦国中期から後期にかけての葦名盛氏(あしな もりうじ)のときに会津を中心とした大きな版図を得、伊達氏と覇権を争いました。

しかし、盛氏の嫡男で家督を継いだ葦名盛興(あしな もりおき)は26歳の若さで亡くなり、隠居の盛氏は二階堂盛義の子で人質として黒川城にあった盛隆(もりたか)を葦名氏の後継とします。

そして盛氏は1580年(天正8年)60歳で亡くなり葦名氏はその後じりじりと衰退に向かっていきます。

1584年(天正12年)葦名盛隆は家臣に殺害され、さらに子の亀若丸は1586年(天正14年)三歳で早世。

家臣団が後継を巡って対立する中、後継には白河の白河義広(佐竹義重の二男)を迎え葦名氏を継ぐことになります。

しかし、葦名義広は伊達政宗との摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい(1589年(天正17年))で敗れると黒川城を維持できず、会津を去って実家の佐竹家の元に帰り、ここに中世以来続いた会津葦名氏は滅亡します。

 

  その後、伊達政宗が手に入れた会津は豊臣秀吉に召し上げられ、黒川城には蒲生氏郷が入り(1590年(天正18年))、黒川を若松と改名し近世城郭である鶴ヶ城を完成させます(1593年(文禄2年))。

ここまでが戦国期から織豊政権ごろまでの概略です。

 

  会津若松駅前。

  前日に仙台から高速バスで会津若松入りして早朝、駅前のバス乗り場へ。

 

  観光用の「まちなか周遊バス」には「ハイカラさん」(反時計回り)、「あかべぇ」(時計回り)がありほぼ同じコースをお互いに逆コースで運行されています。

  一回乗車は210円、「ハイカラさん・あかべぇ専用1日フリー乗車券」は大人500円(小人250円)です。

  徒歩旅行者はほぼ必携です。

 

  朝早く一般路線の「市内3コース」のバスで花見ケ丘バス停に向かいました。

  葦名家花見ヶ森廟は観光コースから離れた場所にあるので、まずは路線バスで最初に訪れることにしました。

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  小田橋通りを南進し小田橋を渡ると「花見ケ丘」バス停。

  戻って右手の坂道を登ります。

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  小田山には戊辰戦争の際に鶴ヶ城を砲撃するための陣地が作られた。

  ここから鶴ヶ城を砲撃していたのですね。

  この案内板を見て初めて知りました。

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  小田橋あたりから葦名家花見ヶ森廟所までを拡大。

  下が北方向。

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  坂道を道なりに登っていくと正面に忠霊堂が見えてきます。

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  小田山忠霊堂案内。

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  忠霊堂を左に見て右折。

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  さらに左折して少し行くとミラーの横に葦名家廟所の案内。

  左手に入るように矢印があります。

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  「旧会津領主葦名家廟所」の碑。

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  廟所入口。

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  葦名家花見ヶ森廟の案内板。

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  向かって左に第十七代当主葦名盛興の墳墓。

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  盛興の墓。

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  同上。

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  同じく。

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  中央には第十六代当主の葦名盛氏の墳墓。

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同上。

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  右側には第十八代当主葦名盛隆の墓。

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  以下葦名盛隆の墓。

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  全体を眺めて。

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  出入口から山上。

  住宅街自体が山の上にあるので比高は高く見えない。

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  同じ道を元に辿り坂道下に戻ります。

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  湯川に架かる小田橋を渡り北に戻りつつ「御薬園(おやくえん(会津松平氏庭園))」に徒歩で向かいます。

  小田橋から御薬園までは徒歩で10分以上。

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  小田橋から。

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  撮影 2011/11/08

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2014年11月 7日 (金)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(21)2012年11月 - 談山神社(たんざんじんじゃ)の十三重塔(奈良県桜井市)

 

  談山神社(たんざんじんじゃ)は奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)にある神社で祭神は藤原氏の始祖である中臣鎌足(なかとみ の かまたり)。

訪れたのは2012年11月25日でちょうど紅葉真っ盛りの時期で、天気も良く、充実した一日となりました。

岐阜を朝早く6時台に出発したおかげで談山神社には10時過ぎに到着できました。

名古屋から名張までを近鉄特急で、名張からは急行に乗り換えて桜井駅で下車し、駅前からバスで約25分という道のりでした。

お昼には帰途に就こうとしましたが、登りの道路は渋滞でほとんど動かない状態となり、バスの時刻は完全に滅茶苦茶となっていました。

待つこと15分ほどでたまたま登ってきたバスがあり、これで帰ることができたのは本当に運が良かったとしか言いようがありません。

上から下の県道37号線まで登りの車がびっしりと渋滞している中、下りはスムーズに運行され、37号線からの登りの道路の渋滞最後尾では何台も諦めて引き返す車があるほどの混みようでした。

談山神社ホームページ。紅葉情報あります。

 

  桜井駅前。JRの駅でもある桜井駅ですが、近鉄は急行停車駅。

  バスは普段は1時間に1本の運行ですが秋の観光シーズンには増便されます。

  バス運賃490円(平成26年4月1日現在)。

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  終点の談山神社バス停。

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  乗用車、観光バスの駐車場。

  これは帰りのお昼頃の写真なのでこれで駐車場は満杯に近い状態と思われます。

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  拝観料は大人500円、小人250円。

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  十三重塔は享禄5年(1532年)の再建。

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  ここから拝殿へ。

  宝物も陳列されています。

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  下の説明文参照。

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  境内案内図。

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  撮影 2012/11/25

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2014年11月 4日 (火)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(20)2011年10月 - 本蓮寺(ほんれんじ)の三重塔(岡山市瀬戸内市牛窓町)

 

  中国地方の岡山、倉敷(児島)、福山等を巡った2011年の旅行で最後に訪れたのが牛窓でした。

牛窓は江戸時代の瀬戸内航路の要所の一つで岡山藩領の湊町でした。

また牛窓は朝鮮通信使の停泊地で、宿所には本蓮寺があてられました。

そのため本蓮寺境内は朝鮮通信使遺跡として国の史跡として指定されています。

その本蓮寺には三重塔があり、これがこの日の最後に牛窓を訪れた理由です。

 

  牛窓へのバスは赤穂線邑久駅(おくえき)経由のバスを利用しました。

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  本蓮寺下バス停で下車。

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  路地を抜けて門前に。

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  石段を上がって山門。

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  山門の右手にさらに石段があり、そちらに本堂、三重塔などがあります。

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  中門は国指定重文。

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  本堂。本堂も重文。

  明応元年(1492年)の再建。

  他には番神堂が重文に指定されています

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  三重塔は県の重文指定。

  元禄三年(1690年)の創建と説明板にありました。

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  祖師堂。

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  黒く写ってしまい、やむなく少々修正。

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  本蓮寺下バス停は海遊文化館の前にあります。

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  牛窓港の目の前にある前島とを結ぶ前島フェリー。

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  北回り西大寺~牛窓線バス時刻表(両備バス)

  南回り西大寺~牛窓線バス時刻表(両備バス)

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  北回り牛窓線で邑久駅に戻り、赤穂線を東へ帰ります。

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  邑久駅にて。播州赤穂行きの到着。

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  撮影 2011/10/11

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2014年11月 2日 (日)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(19)2010年8月 - 真光寺の三重塔(岡山県備前市)

 

  赤穂線の旅は岡山市の西大寺から東隣の備前市に向かい、次に訪れたのは真光寺。

赤穂線の旅自体はこのあと主目的地である赤穂城を訪れて終わりとしましたが、西大寺、真光寺はともにそれぞれの三重塔が最大の目的でした。

真光寺の最寄の駅は西片上駅(にしかたかみえき)ですが、駅は片面1線の小さな駅です。

東隣に備前片上駅がありますが、備前市役所は西片上駅が最寄りの駅となっています。

 

  西大寺駅にて。

  赤穂線を東に向かいます。

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  西片上駅。

  すぐ上が国道2号線。

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  本堂。

 

  国道を西に歩いて5分足らずの場所に真光寺があります。

  真光寺は高野山真言宗のお寺。

  本堂は寺伝では応永年間(1394年~1428年)の再建とも。

  現在は国の重要文化財に指定されています。

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  三重塔は室町期の建築と言われています。

  慶長18年(1613年)に牛窓の蓮華頂寺から移築されました。

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  本堂と共に国の重文。

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  本堂と三重塔は国道2号線の北側にありますが、国道、赤穂線を跨いで南側に行くと仁王門があります。

  南側に渡り終え振り返ったところ。

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  向こうの方に見える駅が西片上駅。

  駅から線路の下を町に下りていく道があります。

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  仁王門。

  南に面しています。

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  案内板には正徳元年(1711年)の再建とあります。

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  仁王門脇から見える三重塔。

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  西片上駅にて

  向こうに仁王門が見えます。

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  撮影 2010/08/21

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2014年11月 1日 (土)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(18)2010年8月 - 西大寺の三重塔(岡山県東区西大寺)

 

  岡山市の西大寺は日本三大奇祭の一つと言われる「裸祭り」で知られているお寺です。

2010年の夏の赤穂線を巡る旅としての途中訪れた西大寺は現在は岡山市に属します。

 

  西大寺駅。西大寺駅は赤穂線。

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  駅前大通りを南へ歩いて10分少々で信号のある観音院仁王門口交差点に至ります。

  これを左へ折れると仁王門の前に。

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  山号は金陵山。

  仁王門は1740年(元文5年)の再建。

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  鐘楼門。

  鐘は重要文化財。

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  三重塔は1675年(延宝6年)の再建。

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  本堂は1863年(文久3年)の再建。

  裸祭りの見学用椅子席があります。

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  すぐ裏は吉井川。

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  本堂。

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  三重塔の右の建築物は高祖堂。

  弘法大師を祀っています。18世紀ごろの建築。

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   1819年(文政2年)建築の石門。

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  県の重文指定のみですが均整の取れた立派な三重塔です。

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  撮影 2010/08/21

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