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2014年11月 1日 (土)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(18)2010年8月 - 西大寺の三重塔(岡山県東区西大寺)

 

  岡山市の西大寺は日本三大奇祭の一つと言われる「裸祭り」で知られているお寺です。

2010年の夏の赤穂線を巡る旅としての途中訪れた西大寺は現在は岡山市に属します。

 

  西大寺駅。西大寺駅は赤穂線。

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  駅前大通りを南へ歩いて10分少々で信号のある観音院仁王門口交差点に至ります。

  これを左へ折れると仁王門の前に。

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  山号は金陵山。

  仁王門は1740年(元文5年)の再建。

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  鐘楼門。

  鐘は重要文化財。

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  三重塔は1675年(延宝6年)の再建。

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  本堂は1863年(文久3年)の再建。

  裸祭りの見学用椅子席があります。

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  すぐ裏は吉井川。

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  本堂。

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  三重塔の右の建築物は高祖堂。

  弘法大師を祀っています。18世紀ごろの建築。

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   1819年(文政2年)建築の石門。

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  県の重文指定のみですが均整の取れた立派な三重塔です。

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  撮影 2010/08/21

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【塔】シリーズ」カテゴリの記事

コメント

この間、宇喜多関係の小説ばかり読んでたので、吉井川地域は行ってみたいと思ってます。
こことこことは外したらあかん、というポイントがあれば教えください^^

投稿: tera | 2014年11月 2日 (日) 06時18分

吉井川
>このあたりはteraさんの方がよくご存じでは^^;

Wiki情報でしか余り知らないのですが、西大寺の門前町は大変栄えましたが、その瀬戸内海への出入り口には同じ吉井川の河口の金岡湊があったそうです。
また宇喜多秀家が岡山の城下を整備する際に西大寺の商人を呼んだともあります。

今度はこのあたりはtera2さんが良くご存じではないかと思うのですが、東にある牛窓は江戸時代には西の鞆と並んで瀬戸内海航路の重要な湊でしたが、岡山から西大寺を経てその牛窓への牛窓往来は大変賑わったそうです(という事は金岡湊はどうなった?)。
tera2さん見てたら教えて^^;
私も牛窓を訪れたことがあるのですが、現在でも牛窓往来をバス路線が西大寺と牛窓を結んでいます。

また江戸時代、牛窓は岡山藩領でしたので、朝鮮通信使が牛窓の本蓮寺を宿舎としていた関係でその接待は岡山藩の務めとなり、さぞかし物入りだったんだろうなあと思いました。
当時の接待の記録が残っているということです。

質問に対する答えとはなっていませんがこのあたりで知っている限りを述べてみました。

吉井川に関してはこちらが逆にteraさんに聞きたいです^^。

投稿: mino | 2014年11月 3日 (月) 05時28分

>このあたりはteraさんの方がよくご存じでは^^;
ほとんど知らないです^^;ここはという所があれば、次の機会に訪れてみたいと思ってのコメントです。

>牛窓への牛窓往来は大変賑わったそうです(という事は金岡湊はどうなった?)。
牛窓は行ったことがあるんやけど、金岡湊は知らなかったわ。

宇喜多関係の古城やその関係の街の跡を、googlemapとかで調べてるんやけど、なんでこんなところに!!というのがけっこうあって。
どこでも河川はつけかえられ、干拓も進むんやから仕方ないか^^;
気温の変動による地形の変化、河川のつけかえや干拓などの人為的な改造。経済環境に伴う交通拠点(湊とか)の移動。それなりの通史を出版してくれれば、ぜひ買いたいです^^

>また江戸時代、牛窓は岡山藩領でしたので、朝鮮通信使が牛窓の本蓮寺を宿舎としていた関係でその接待は岡山藩の務めとなり、さぞかし物入りだったんだろうなあと思いました。
これも知らんかったわ。ありがとね^^

>今度はこのあたりはtera2さんが良くご存じではないかと思うのですが、
うんうん、直島や豊島の海賊衆を手先として讃岐の細川・三好氏がけっこうからんでるらしくて。tera2さん、教えてね^^

投稿: tera | 2014年11月 3日 (月) 06時56分

ほとんど知らないです^^;ここはという所があれば、次の機会に訪れてみたいと思ってのコメントです。
>それは失礼^^;

吉井川に関しては中流域に和気があるんですよね。
古代の話になってしまうんですけど、和気は「別」で皇族から分岐した人々が名乗り、そういった和気氏が西日本中心に分布しているそうですが、ここら一帯は吉備国の東の外れだと思うんですが、大和朝廷との関係がどうなっていたのかとか、いろいろ興味深いですよね。
ここの和気氏は有名な和気清麻呂の和気氏ですよね。

申し訳ないです。
宇喜多の話からそれてしまったんですが、宇喜多氏の城では吉井川河口に乙子城がありますね。それから沼城。
ttp://mino-tokai.cocolog-nifty.com/tetudouderyokou/2014/11/post-d4ed.html
乙子城は瀬戸内と吉井川を押さえてますね?このあたりの城の由来等は余り知りません。
戦国時代の城は夥しくありますから、指摘されるまで気がつかないものですね^^;


投稿: mino | 2014年11月 3日 (月) 23時54分

学会と展覧会の季節で、結構出歩いています。
神戸、奈良(正倉院展)、京都(鳥獣戯画)、と続いて
この週末は名古屋で、昨日は木曽川の水運の展示を見に
尾張一宮の起(宿)に行ってきました。
鳥獣戯画は、最長4時間待ちと言われる大行列。
お勧めは兵庫県立美術館の「だまし絵II」です。

本題の西大寺、牛窓なんですなんですが、
すいませんあんまり詳しくありません。
備前の方は時々行くんですが、
西大寺は裸祭、牛窓はオリーブの(小豆島の)ライバルという程度。

なので割と一般論になりますが、西大寺(金岡)と牛窓の違いをなんとなく。

どちらも古く、古代からの港なんですが、西大寺は河口と渡しの港、
牛窓は地域産物の積み出しと風待ちの港ですよね。

備前(岡山県東)には旭川と吉井川の大きな2本の川が流れますが
西大寺を流れる吉井川は美作の中心の津山まで遡ります。
なんで美作の年貢米や産品(木材、鉱物)の積出港、大河なんで渡船も出る。

ところが河口の港なんで、基本周りは真っ平で遠浅。
港の位置も徐々に変わるし中世からの砂浜の発達もあって、
大船が停泊するには向かない。
沖泊まりして伝馬船で積み下ろしをするような港。


一方牛窓は、兵庫北関入船納帳では133隻の船籍を数え、
兵庫港の293隻に続く2番目の港です。
金岡は載っていませんが、これは額安寺の寺領で
東大寺との関係が薄かったからだと思われます。
牛窓の荷は米と塩が中心。

瀬戸内は東西に時速10㎞程の海流があり、
沿岸部に小島や岩礁も多くて意外と海難が多いんですが
それで東西が遮られたて、かつあんまり奥まっていない風待ちの港が発達します。
有名どころでは室津や鞆の浦、香川だと粟島なんかがそれに当たります。
こういう港は大船が入れないと意味ないので、山が迫って急に深くなる所が多い。

結果、北前船なんかは、需要に応じて、2つの港を使い分けたのではないかと思ってます。

投稿: tera2 | 2014年11月 9日 (日) 15時09分

tera2さん、遅くなりました。

いろいろお出かけになりましたね。
鳥獣戯画は紀伊田辺の高山寺?でしたっけ?ちょうど「塔」で取り上げようと写真を探していたところです。
起は行こう行こうと思っていてなかなか行けない所です。
同じ美濃路では墨俣(現大垣市)もなかなかですよ(水運でしたら大垣市の船町も美濃路です)。

なるほど、牛窓と金岡の違いが良くわかりました。船をよくご存じなだけあって説得力があり、思わずなるほどと思ってしまいました。
風待ちの港というのはそういう意味なんですね。牛窓には前島が港を覆う様にあります。

ちょっとしたことですが、知ってみると面白いですね^^。

投稿: mino | 2014年11月11日 (火) 16時53分

日曜日に長久手の色金山から御旗山まで歩いてみました。
家康本陣コース。石碑類以外はなんにも残ってないんですが、当時の本陣って、この程度の小高い丘なんだろうなぁ、と思いつつ。
月曜は真清田神社、清州城、名古屋城のはしご。
清州城、月曜休みなんですね。がっかり。
真清田神社も宝物館が閉っており、とりあえず社務所で尋ねてみるとわざわざ開けてくれて見れました。神職さんありがとうございます。ここは重文の舞楽面が見たくて行ったんですが、桃花祭の飾り物の展示とかもよかったです。

http://www.masumida.or.jp/shinji/touka/

名古屋城の本丸御殿も見てきました。障壁画が美しい。

鳥獣戯画は、京都栂尾の高山寺の方です。世界遺産。
田辺の高山寺も大きいお寺なんですね。一度行ってみたい。
起は、一宮市尾西歴史民俗資料館がメインで、大明神社にも。洋画家の三岸節子がここの出身なんですね。

話題ずれてしまうんですが、資料館にある渡し船で、全長、全幅の比が2対1位の舟があって、興味深かったです。
信長の鉄鋼船を否定する要素として、長さ12~13間、幅7間の比が縦横比が低いために航走には適さないという説があって、国内にそういう船がないのか興味をもっていたのです。
(海外にはコグ船など、普通にあります。国内でも近世まで使われていた航長船幅比だと普通にあるし、こういう大船は曳航するのが普通なので、この説を唱えるのはかなり不勉強 >石井謙二:図説和船史話)

墨俣も是非。また伺う際には連絡させていただきます。

牛窓近辺では、行ったことがおありかもしれませんが、
備前長船刀剣博物館
www.city.setouchi.lg.jp/~osa-token/
が好みです。

岐阜の関鍛冶伝承館にも行ってみたいなぁとかねがね…


投稿: tera2 | 2014年11月12日 (水) 14時59分

まずtera2さんに謝らなくてはなりません。
実は10日には帰って来ていて、在宅していたのですが、今さら連絡がつかないと考えそのままにしていました。
いずれにしても申し訳ありませんでした。

長久手に行かれたんですね。
あの辺りは低い丘陵がず~っと続いているような地形で、初めて訪れた時はこんな地形で戦われていたんだと思いました。リニモで行きました。

真清田神社の桃花祭というのは知りませんでした。社務所にお尋ねになるとは積極的ですね。なかなか面倒くさくてそこまでしない^^;

清州城は残念でしたね。月曜日休みというのは多くて、最近は土日祝に旅行の日程を合わせています。
名古屋城は推薦しておきながら、私はまだ行ってないという、早く行ってみたいです。

鳥獣戯画
>何を勘違いしていたのでしょう^^;

一宮市尾西歴史民俗資料館がメインで
>まだ尾西市の頃に目をつけてはいましたが、なかなか徒歩旅行者にとっては面倒くさくて・・。

船の話
>そういう議論があるのですね。信長の鉄鋼船も曳航したということなんでしょうか?
日本ではガレー船のような船は無かったんでしょうか?
考えてみたら何も知らないことに気付きました。

備前長船刀剣博物館
>行ってません^^;HP見てみましたが、様々な用途の刀剣があるみたいで、これはこれで深そうですね。

関鍛冶伝承館も見てみたいですね。またご一緒できればと思います。

関市はほとんど歩いたことがありません。
塔のある有名なお寺があるのですが、少々風変わりで、境内すら写真撮影を許可しなくなってしまい、それでなかなか行き難くなってしまいました。

投稿: mino | 2014年11月12日 (水) 18時01分

10日は移動の連続だったので、メールの確認も怪しかったですので、お気になさらず。次回を楽しみにしております。

で、鉄甲船ですが、すいません、書いたことが偏ってました。

信長の鉄甲船は、史料がとても少ないので、曳航したかどうかはわかりません。
当時の船の運用に関する史料はほとんど残っておらず、戦国時代の水軍書、と、言われている伝書は多くは江戸期に書かれたものです。
なんで、基本類推によるしかないんだけど、「そういうのは作家の仕事ですね」と海事史の権威の先生に聞いたことがあるので、あくまで類推ということで。

戦国時代の水軍については、いくつかの絵画資料、文書以外には、江戸期になってからの史料しかありません。ただ、戦国時代の特徴を強く残している、とされる西国諸藩の参勤交代において、曳航は普通におこなわれていました。
これらの伝書がいくつか伝わっていますが、なかでも高松藩の参勤交代の船陣図は、7通りの組み合わせが伝わっています。どれも基本御座船など最大級の船は曳航です。
もちろん軍船でもあるので、必要な時には自力航行もできますが、船の大きさが大きくなるほど、推進が困難になるのは想像しやすいと思います。

例えば、5m程度の川船は10石積以下だったりしますが、30m位の北前船はほぼ千石積です。帆以外の推進力は普通艪ですが、船体長に比例してしか配置できないので、1隻当りの推進力は船が大きくなるほど当然低くなります。

艪(櫓でも良いがやぐらと紛らわしいので船編を使う)の話が先になりましたが、日本にも、櫂は当然あります。パドルもオールもあります。
しかし、多段に座ったり、一つの櫂を複数人で動かしたりする大型櫂船は結局発達しませんでした。

一つには、外洋航海に適した船体がほとんど発達しなかったこともあると思いますが、なにより艪が早期に伝わり、日本近海の、特に瀬戸内や琵琶湖、各地の沿岸部での利用に便利だったからだと思われます。

艪は、遣唐使船から既に用いられています。
艪の長所は、スクリュー同様、揚力成分を有効に使えるので、エネルギー効率がよい、また立ったまま使うので体重を利用しやすい、結果、長時間連続して漕ぐことができる。さらに、櫂と違って、多数で漕ぐときに、厳密に同期させなくてよい、などの利点があります。欠点は、時間当りにかかる力が少ないので最高速で櫂に劣る。波の高い荒れた海で使いにくい。初心者には櫂より扱いにくい。など。

海戦の場合、日本では原則帆は使いません。
主帆が縦型長大帆の和船の場合、これが破損するとほとんど身動きが取れなくなるので、海戦には適さないのでしょう。結果、帆柱を倒しての艪走での海戦となります。

歴史的には、中世期に準構造船から構造船に移り変わるにつれて、普通の商船の外周に艪座を設け、漕ぎ手(水主)を保護する盾板を巡らせ、櫓を建てた船が軍船として使われるようになります。砲はほとんど発達しなかったので、鉄砲(大鉄砲含む)、矢で打ち合った後、接舷戦闘、あと焙烙とかも使う。

平家物語の四国渡海の場面が、『逆「櫓」』の章であるのは有名です。

つらつら船の話ばかりですが、牛窓だからということで…

投稿: tera2 | 2014年11月14日 (金) 00時27分

なるほど、御座船のような最大の船は曳航されていたんですね。私にとっては初耳でした。もう一つ、水軍書といわれている伝書が江戸期に書かれたものといった事実もそうです。


日本にも、櫂は当然あります。パドルもオールもあります。
しかし、多段に座ったり、一つの櫂を複数人で動かしたりする大型櫂船は結局発達しませんでした。
>やはり存在したことは存在したのですね。艪がそんなに便利なものとは思いませんでした。素人目には艪のほうがずっと難しそうですが、能率と言う意味ではそうでもないんですね。

欠点は、時間当りにかかる力が少ないので最高速で櫂に劣る。波の高い荒れた海で使いにくい。初心者には櫂より扱いにくい
>そうですよね。利点についても納得できます。それでもスピードの速い敵船が存在したら考えたでしょうが、まさに大きな意味での地域性ですね。

なるほど、海戦の日本ならではの特徴も面白いです。
東南アジア特にフィリピンあたりではスペインなどと海戦してませんでしたか?
元寇の際にも戦い方を変えざるを得なかったように、鎖国をしていなかったらまた異なる船の歴史もあったかもしれませんね。

『逆「櫓」』
>義経の有名な話ですね。

船の話、勉強になりました^^。面白いです。

投稿: mino | 2014年11月14日 (金) 22時28分

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