« 会津若松駅にて 2014年11月 - 福島県会津若松市 | トップページ | 【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(23)2010年10月 - 向上寺(こうじょうじ)の国宝三重塔(広島県尾道市) »

2014年12月 7日 (日)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(22)2011年10月 - 明王院(みょうおういん)の五重塔(広島県福山市)

 

  明王院は福山市の草戸町にある真言宗大覚寺派の寺院。

中世から栄えた門前町の草戸千軒町は寛文13年(1673年)の洪水によって滅びたとの伝承があり、その存在が確認されたのは1930年ごろに行われた河川改修。

本格的に発掘調査が行われたのは1961年からで、川底に埋もれた遺跡として有名となり、出土遺物は広島県立歴史博物館に保存、展示されています。

その草戸千軒町を埋もれさせた芦田川に面して明王院があります。

 

  福山駅前から「トモテツ」バス鞆線で草戸大橋バス停下車。

  バスは1時間に3本から4本あり。

  トモテツバスのホームページ。

Dsc01097

 

  堤防上は交通量が多く危険なため下の道路を北に向かいます。

  山の尾根が突き出ていますがあの辺りに明王院があります。

  徒歩で約15分。

Dsc01101

 

  山門。

Dsc01111

 

  明王院本堂。1321年(元応3年)建立。

  国宝に指定されています。

  最初に屋根の反りに目が行きました。

Dsc01112

Dsc01113

 

  明王院五重塔。

  1348年(貞和4年)建立で国宝指定。

Dsc01121

Dsc01126

Dsc01130

 

  明王院の北側に隣接してある草戸稲荷神社。

Dsc01141

 

  形が面白いです。

  初詣の参拝客が福山市で最も多いそうです。

  広島県でも広島護国神社に次いで2番目と聞いて少しびっくり。

Dsc01142

 

  帰りは北へ歩いて10分ほどの国道2号線のバス停から福山駅に戻りました。

Dsc01146

  撮影 2011/10/11

|

« 会津若松駅にて 2014年11月 - 福島県会津若松市 | トップページ | 【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(23)2010年10月 - 向上寺(こうじょうじ)の国宝三重塔(広島県尾道市) »

【塔】シリーズ」カテゴリの記事

コメント

草戸千軒で有名な芦田川ですが、さらに2kmほど遡ると高屋川が東に分かれ、この川は岡山県の井原へと続きます。芦田川は草戸千軒から5kmほど遡ったところで急に南から西に曲がりますが、ここで併流していた高屋川と離れます。この曲がり角の北東にある小さな山を片山と呼びます。

江戸時代の1847年、在地の漢方医によって、『片山記』という書物が書かれました。この地の風土病について、下痢、手足のやせ、黄疸、腹部膨満(腹水)、衰弱、死亡に至る詳細な記録です。人のみならず、牛馬にも発生したとあります。これは現在は日本では絶滅した日本住血吸虫症の記録で、中間宿主の1cmに満たない小さな貝はこの本の名をとって、片山貝(別名宮入貝)と呼ばれています。

さらに古く、1800年代の初めにおそらくこの病気のものと思われる記述があるのですが、たぶん古代から延々、この地の川の流域はこの病気に苦しめられてきたと思われます。草戸千軒は川底の遺跡なのでトイレを調べることはできませんが、もし遺跡があれば感染虫卵が多数出てきても不思議でない。

日本住血吸虫は、水田や川に入るだけで経皮的に感染し、他にも甲州や利根川、富士川、筑後川流域で猛威を振い、この風土病のある地域には嫁に出すなとまで言われた恐ろしい寄生虫です。ところが川筋一本変わっただけで、片山貝がいなくなって発症しません。
この辺りも草戸千軒の衰退の理由の一つかもしれないなと思ったり…。

投稿: tera2 | 2014年12月10日 (水) 13時36分

日本住血吸虫ですか。
中間宿主がいなければ発症しないのですね。

wikiなどを読んでみると、中間宿主、寄生虫が住めないようにする対策としてコンクリートが役に立ったような記述が見えますが、その他諸々の生き物もいなくなってしまいました。
それでも長い間住民が苦しめられてきた風土病を根絶したことはある意味近代化の賜物ですね。

子供の頃には川や田圃に入ると「ヒル」に吸血されることがよくありました。

医学的に見てこういうのは危ないものだったのでしょうか?
当時は何とも思わず遊んでいたものですが・・。

この辺りも草戸千軒の衰退の理由の一つかもしれないなと思ったり…。
>なるほど。
 
話がそれてしまいますが、江戸時代の学者、医者、役人等は多くの記録を残していますが、彼らの科学的態度には時代の制約があるとはいえ感心してしまいます。
昔、志賀島の金印の出土状況が当時の役人?により詳しく記録されているのを見て感心した覚えがあります。
医学の分野でもそのような例があるのですね。

投稿: mino | 2014年12月11日 (木) 16時14分

寄生虫症は主として明治以降の学問なので、近世以前についてはトイレの考古学など一部の実証を除くと想像するしかないのですが、おそらくものすごく多くの人がこれで苦しんできたと思われます。近畿、北陸にはマラリアの流行地がありましたし、日本は魚の生食、人糞肥料の使用の伝統があるので、それはそれはムシの多い社会だったはずです。三尸の伝説もすんなりとうけいれられたことでしょう。

ほかの感染症で死んじゃう方が多くて目立たなかったんだろうなぁ…

ヒルですが、ヒルの唾液腺で寄生虫が増殖することはないので、細菌、ウィルスの2次感染を除くと割と安全な生き物です。ただ、西日本の渓谷なんかに住んでいるハナヒルは、哺乳類の鼻の孔の中に寄生して大きくなるという、とっても嫌な性質を持っているのでちょっと注意です。

でも、水田や川でもっと怖いのは鉤虫症で、いまではほぼみられませんが、一部有機(というか人糞)農業を行っている地域では発症します。これは、住血吸虫と同様に水中に浸かった脚の皮膚から感染します。戦後まもなくの調査で、農民の約4割はこれに感染していたと言われます。
鉤虫は皮膚から入って血流に乗って肺に至り、そこで少し成長してから、肺胞を食い破って気管支にでて気管、食道を通って小腸に住みつき、ひたすら血を吸って卵を産み続けます。
江戸時代最高とかいう話をよく聞きますが、こういう病気から解放されたのは、とっても嬉しいことだと思いますね。

投稿: tera2 | 2014年12月12日 (金) 21時25分

ほかの感染症で死んじゃう方が多くて目立たなかったんだろうなぁ…
>人類が現在のように医学の恩恵を受けられるようになるのは戦後になってからではないのかと思う事すらあります。
もちろん、近世よりも近代、近代でも戦後というように医学は進歩したわけですが、私の身内を考えてみても戦前では成人に至る前に死んでいった人がとても多い。
このあたりはもちろんtera2さんの方がお詳しいわけですが、医学の進歩は目覚ましいものがありますね。

ムシは私たちの時代でも身近な存在でした。良くも悪くもムシとは生活の中で共存していました。

ヒルの話
>そうですか、概ね安全な生き物なんですね。良かった。

研究対象としての寄生虫というのも、我々のうかがい知れない分野ですが、奥が深そうです。


投稿: mino | 2014年12月13日 (土) 21時24分

日本住血吸虫
>たぶん古代から延々、この地の川の流域はこの病気に苦しめられてきたと思われます。草戸千軒は川底の遺跡なのでトイレを調べることはできませんが、もし遺跡があれば感染虫卵が多数出てきても不思議でない。
>この辺りも草戸千軒の衰退の理由の一つかもしれないなと思ったり…。

この地域も、住血吸虫なんや。知らんかったわ。
遺跡の発掘状態から見ても、衰退=住血吸虫説はまだまだいけるんやないか。何らかの理由で気づかない(お金をかけれない)ふりをしてるかもしれんで。tera2さん、手をあげんと。がんばってね^^

ヒルの話
夏は、豊○さんのお誘いで、渓流下りを楽しんでます。同行の女性の足にヒルが吸い付いていて、キャーキャーだったけど、なんだか懐かしい感じがしました^^

>ムシは私たちの時代でも身近な存在でした。良くも悪くもムシとは生活の中で共存していました。
>人類が現在のように医学の恩恵を受けられるようになるのは戦後になってからではないのかと思う事すらあります。もちろん、近世よりも近代、近代でも戦後というように医学は進歩したわけですが、私の身内を考えてみても戦前では成人に至る前に死んでいった人がとても多い。

うんうん、同感や。80年代前半までは、スキーで訪れた信州の旅館の食事には、蜂の子やイナゴの佃煮があった記憶が(「ガガ虫」はけっこう不気味で^^)。その後は、どの宿泊施設もバイキング方式になってしまい、食べる機会が皆無になってしまったわ。

医療技術や薬の発達はエッジで、基本(長期的)は、経済成長による飢餓からの解放と摂取栄養量のめざましい改善(もう一つは「平和」)でほどんど説明できてしまうのが経済学かな。まあ、おいらも医療の発達がなかったら、死んでたわ^^;

投稿: tera | 2014年12月21日 (日) 06時45分

蜂の子やイナゴの佃煮
>この間TVで見たんだけど、昆虫食は将来有望とか。人口増とそれに伴う飢餓対策に有効という話だったですね。
イナゴや蟻などは昔は貴重なタンパク源だったという話はよく聞きますが、私は食べたことがない。

まあ、おいらも医療の発達がなかったら、死んでたわ^^;
>これは、皆が思い当たることじゃないでしょうか。

tera2さん、新年は高松にいますか?もし良ければメールで1月10日までの都合のよい日をお教え下さい(業務連絡でした)^^。

投稿: mino | 2014年12月22日 (月) 01時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(22)2011年10月 - 明王院(みょうおういん)の五重塔(広島県福山市):

« 会津若松駅にて 2014年11月 - 福島県会津若松市 | トップページ | 【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(23)2010年10月 - 向上寺(こうじょうじ)の国宝三重塔(広島県尾道市) »