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2015年3月11日 (水)

山崎の宝積寺(ほうしゃくじ 京都府乙訓郡大山崎町)を訪ねる(4) - 宝積寺(宝寺)にて(2)

 

  宝積寺(ほうしゃくじ)は宝寺(たからでら)とも呼ばれ、一般的な呼称は宝寺の方が通りがよい。

本尊は十一面観音ですが本堂の隣の小槌宮には大黒天が祀られておりそちらの信仰が厚く一般的には宝寺、または大黒天宝寺と呼ばれています。

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  本堂。慶長11年(1605年)改築。

  本尊である十一面観音立像は重文で、天福元年(1233年)の造立。

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  三重塔。桃山時代の建立で重文。

  当寺には文化財が多い。

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  小槌宮(大黒天神)。

  大黒天、「打出」と「小槌」が祀られている。

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  小槌宮と本堂の間にある九重石塔。

  聖武天皇の供養塔。

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  閻魔堂の裏からの三重塔。

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  閻魔堂。木造閻魔王坐像が重文。

  閻魔堂のみ拝観料が必要で大人400円。向かいの社務所に申し込みます。

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  本堂前近くから。

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  本堂前から仁王門へ。

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  仁王門横から。

  手前の桂川、真ん中の宇治川、一番向こうの木津川が合流して淀川になります。

  山崎の戦い(天正10年(1582年))では天王山は両軍(明智、羽柴軍)の取り合いとなりましたが、山腹にある宝積寺からもその重要性が理解できます。

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  川向うは八幡市と枚方市でしょうか。八幡市の南が枚方市です。

  JR山崎駅は南が大阪府島本町。

  ホーム上に府境(京都府と大阪府)があるそうです(気が付かなかった)。

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  撮影 2015/03/05

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コメント

興味のあった展覧会が、アサヒ大山崎山荘美術館でやっていたので、所要のついでに昨日行ってきました。
大山崎町歴史資料館、宝積寺(宝寺)、関戸明神、離宮八幡宮とまわって時間切れ。妙喜庵は前まで。山崎聖天や酒解神社、山崎山頂辺り(山崎城跡)は行けませんでした。
大山崎山荘は建築、内装、所蔵品ともにすごいです。館に入ってしまうと建物の写真が撮れないのが残念。ちょうどマッサンからみでキャプションがでてました。この後出てくるか楽しみにしています。資料館もこじんまりとしていますが意外と楽しい。荏胡麻商人、岩清水八幡かと勘違いしてましたが、こちらの離宮八幡なんですね。
関戸明神の前には、山城國を示す石碑と、大阪府、京都府の境を示す現在の標識が並んでいました。

投稿: tera2 | 2015年3月12日 (木) 01時38分

tera2さん、アサヒ大山崎山荘美術館に行ってきたんですか。そして、みっちりとまわりましたね。

私も荏胡麻商人は離宮八幡の方だと聞いて勘違いだったと気づきました。
すぐ傍だったのに行け無かったのは勿体無い。

大山崎山荘は建築、内装、所蔵品ともにすごいです。
>美術館というと私はいつも少し腰が引けてしまって駄目ですが、次回には寄って見たいです。
帰ってからホームページを見ていて寄れば良かったかも知れないなどと思ってました。

それにつけても平日でも中高年のハイカーや観光客が見られるのには少々驚きましたね。

関戸明神の前には、山城國を示す石碑と、大阪府、京都府の境を示す現在の標識が並んでいました。
>そうなんだ。目配りがよくいってますね。これはかないません^^;

投稿: mino | 2015年3月12日 (木) 06時14分

資料館では、山崎の戦いが興味があったんですが、天王山って戦いに関係なかったんだなぁと。
あと荏胡麻油の製油法に興味を惹かれました。特に中世期に使われていた、両方から楔を槌で叩いて絞め木を絞める機構は面白い。鉄が貴重で、ねじもなかった日本では、この方法が効率よかったんでしょうか。
信貴山縁起絵巻に載ってる油絞めの絵とか、再現してみたいなとw

山城国府がこんな国境にあるのも驚きでした。

大山崎山荘美術館、宝寺の三重塔を借景に使ってて、うまいなぁと。
安藤忠雄の建築はちょっとちぐはぐ感があって残念。

投稿: tera2 | 2015年3月12日 (木) 23時48分

加賀正太郎つながりで、この地に鳥居商店は山崎工場を建てたのかと、「マッサン」を見て思いました。
戦前を扱うことの多い近年のNHK「朝ドラ」は、おバカな会長や経営委員に対するレジストかな^^

たけのこ料理の店がこのあたりにあって、それしか記憶にないんやけどね^^;

投稿: tera | 2015年3月13日 (金) 06時21分

天王山って戦いに関係なかったんだなぁと。
>tera2さん、というと?

そういえば醤油やお酒の栓も木で作られていますね。
木で間に合ってしまうからかなあ。

大山崎山荘美術館、宝寺の三重塔を借景に使ってて、
>ええ、そうなんですか。大山崎山荘から見えるんだ。
tera2さん、重要な情報ありがとう^^

teraさん、そういえばあのあたり竹林が多かったような。
加賀正太郎については「マッサン」見てないのでどんなつながりなのかわからない^^;

投稿: mino | 2015年3月13日 (金) 12時42分

大山崎山荘は、加藤正太郎の設計で、この人芸術センスも相当高かったみたいです。安藤忠雄の設計部が負けてる。
たけのこ料理は「三笑亭」ってお店が山崎にあるみたい。当日も高そうな店だなぁと思ってました(笑)。あとは長岡天神中心にちらほら。

本能寺後の明智羽柴の決戦は、元来「天王山の戦い」と言われてたわけで、なんでかというと、高所の天王山を取り合って、これを得た秀吉が勝った、って太閤記なんかの物語からきてるわけです。
ところが天王山の裾野での会戦もあったとも言われてるけど、実際は1kmほど東の大山崎ジャンクションから北側辺りが主戦場だったんで、今では「山崎の戦い」と呼ばれてるみたいです。山崎聖天のさらに東側で勝竜寺城(長岡京市)の南辺り。この辺りが資料館のビデオで説明してたので。
地形で言うと、淀川と天王山の最狭部が山崎の町なわけですが、会戦はこんな狭いところではできないので、天王山の東側の平地で戦ったみたいです。山崎の町辺りは秀吉の本陣。桂川に北から流れ込む小泉川の東西両岸で対峙、地形でいうと川の西側は沼沢地で明智有利なわけですが、兵力優位だった羽柴軍のうち南側の池田恒興、加藤光奏部隊が、狭い場所での戦闘(大軍側に遊兵ができる)を嫌って迂回包囲をかけた形ですね。
明智軍に十分な兵力があれば、それこそ天王山側からの秀吉本陣攻撃もありえたかもしれません。

投稿: tera2 | 2015年3月15日 (日) 23時24分

「山崎の戦い」
>なるほどね。
明智軍が秀吉の半分ぐらいと言うのが通説ですが、もう少し兵力が拮抗していれば文字通りの天王山もあったかも知れないですね。

今度行くときは大玉﨑山荘を組み入れておきます^^。

投稿: mino | 2015年3月16日 (月) 04時57分

間違えた^^;

大玉﨑山荘→×

大山崎山荘→○

投稿: mino | 2015年3月16日 (月) 05時00分

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