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2015年6月 5日 (金)

淀城跡(京都市伏見区)を訪れる(2) - 本丸と天守台

 

  現在に残る淀城跡は江戸時代のお城跡で、豊臣秀頼の母である淀殿とゆかりのある豊臣時代の淀古城とは区別されます。

淀古城は現淀城跡の北方にありました。

 

  淀城のエピソードとしては、幕末の鳥羽伏見の戦い(1868年)で後退した幕府軍が入城を要請したのを拒み、結果として幕府軍を敗走に追いやってしまったという事実があります。

淀藩藩主稲葉正邦は当時の幕府老中であったにもかかわらずの入城拒否でした。

家臣の慮り(おもんばかり)の行動であったのかは判然としませんが、後世の評判は良くないですね。

 

  さて、現淀城跡は本丸部分の天守台とそれに続く南側と西側の石垣、内堀の南側と西側が遺構として残っています。

保存運動が近頃高まったという割には城跡内はかなり荒れた様子でした。

天守台には入れませんが、柵越しに見ると天守台内部の石垣が新しく積みなおされたであろう様子が見て取れるので、少しづつ保存の取り組みが行われるのでしょう。。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  三の丸外の部分に南北の街道があったのが、下の「稲葉氏時代の淀城下」の図から判ります。

Yodotyo

 

  稲葉氏時代の淀城下の図。

Dsc09316

 

  鍵のかかっていない柵の門から入ります。

Dsc09328

 

  上から振り返ったところ。

  私を見つけた地元の人に案内をして頂きました。

Dsc09356

 

  上に天守台があります。

  天守については諸論あり私には分かりません。

Dsc09357

 

  天守台の石垣。

Dsc09333

 

  井戸の跡。

  案内の人が石を落してみてくれましたがかなり深そうな様子でした。

Dsc09332

 

  案内の人によればいわゆる手水鉢(ちょうずばち)であるそうです。

Dsc09329

 

  石垣に彫られた島津家の家紋。いくつもあります。築城時のものでしょうか?

Dsc09336

 

  これも案内人さんの説明ですが銃弾の跡が時を経て大きくなったものだそうです。

  経緯が分からないので何とも言えません。

Dsc09338

 

  石切の際の楔の跡。たくさんありました。

Dsc09342

 

  天守台内部、柵越しに。柵の扉には鍵がかかっていました。

  石垣が新しい。

Dsc09350

 

  天守台を西側から望んで。

Dsc09361

 

  公園内の西側にある淀城址の碑。

  碑も時がたてばそれ自身が文化財となります。

Dsc09365

 

  本丸内の公園全体。

  現在は少々荒れ気味な雰囲気。

Dsc09367

 

  西北に残る櫓台跡。

Dsc09368

Dsc09372

 

  下に降り左側に本丸内から出ます。

Dsc09373

  撮影 2015/06/02

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