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2015年7月29日 (水)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(62)1999年2月 - 志度寺(しどじ/しどうじ 香川県さぬき市)の五重塔

 

  志度寺(しどじ/しどうじ)は四国香川県さぬき市にある四国八十八箇所霊場の第八十六番札所の寺院です。

志度町など5町が合併しさぬき市が発足したのは2002年なので私が訪れた当時はまだ志度町の志度寺。

JR志度駅に朝早く到着して志度寺には8時過ぎごろに訪れたと記憶しています。

五重塔自体は戦後の70年代の建築でまだ新しいものです。

 

  JR志度駅1999年当時。

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  琴電志度駅1999年当時。

  駅舎は同じですが現在はきれいに塗装されているようです。

  琴電志度線の終着駅。

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  山門(仁王門)。

  1670年(寛文10年)頃の建立で重要文化財。

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  大わらじは奉納されたもの。

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  琰魔堂と五重塔。

  五重塔は1973年に着工され1975年に落成しました。

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  琰魔堂。

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  本堂。

  1670年(寛文10年)建立で重要文化財。

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  屋島駅あたりの踏切にて1999年当時の琴電志度行き。

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  撮影 1999/02/25

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【塔】シリーズ」カテゴリの記事

コメント

ご無沙汰しております。
香川近辺の話になると出てくるtera2です。
志度というと、志度寺と平賀源内が有名なんですが、今回は志度寺に関する小話をいくつか。

ここのところ、夜祭が結構多いのですが、今日も志度の隣の庵治の王子神社で船祭という夜祭でした。23時ころまで見てきました。
庵治は、源平の屋島合戦があった、屋島の西隣、牟礼の北隣の庵治半島にある町です。牟礼の東隣が志度。
平家の本拠地であった屋島での合戦が1185年2月18日(平家物語・玉葉)または2月19日(吾妻鏡)、数日後の2月21日に軍を立て直そうとした平氏に対して志度合戦が起こります。士気崩壊して撤退した平氏は、この一月後壇ノ浦で滅びます。
当時、洲にあった志度寺を残して周辺は海だったので、この合戦は平家が陣を置いた志度寺とその周辺で起こったものと思われます。
塔の話でありながら、ちょっと城の話にもかかわるような話。

さらに古い時代の奈良時代、藤原鎌足の子、不比等と孫房前をめぐる海女の玉取り(能『海女』など)。藤原房前の母は、蘇我娼子という蘇我氏の女性なんですが、なぜかこの伝説では志度の浜で暮らす海女となります。唐の皇帝から友好のために大和皇室に贈られた宝玉『面向不背の珠』を、志度沖の竜宮に住む龍が奪ってしまう。それを奪い返すために、房前の母の海女が命がけで海に潜るという伝説。牟礼と志度の間の琴平電鉄の駅に、「房前」駅があり、地名として残っています。ここは有名な琴電撮影スポットの一つ。

戦国時代、細川家の保護下にあったのち、長曾我部侵攻で荒廃した志度寺ですが、これを再び保護したのが生駒親正。彼の墓は上記の海女の墓のすぐ近くにあります。

さらに下って平賀源内ネタ。
平賀源内の墓は2つ残ってて、隅田川沿いを浅草から千住に向かう途中の恐ろしく分かりにくいところにあります。
もう一つの墓は志度にあって、写真の山門の右側にある土塀の中(常楽寺)にあったりします。なかなか気づかない地味なお寺なんですが…。

最後に庭の話。志度寺には日本に3つしかない室町時代の曲水式庭園(細川氏)が残っており、これを整備したのが昭和の作庭家、重森三玲。6月に出てきた東福寺の庭園を造った人です。市松模様の庭とか。重森は志度寺にも庭園『無染庭』を残しています。この曲水式庭園を発展させて、晩年の代表作、松尾大社 松風苑曲水之庭が造られます。
この庭の横の書院は、歌舞伎、文楽の演目である『花上野誉碑』の舞台です。

あと志度には「いしや旅館」という明治時代からの旅館があります。建物は国の登録有形文化財。1泊2食で6800円とリーズナブルな価格なので、機会があったら行ってみてください。

投稿: tera2 | 2015年8月 1日 (土) 01時22分

tera2さん、お久し振りです。

志度だけで随分興味深い話がたくさんありますね。

志度は地図を見てみると仰るように結構東にあるんですよね。
志度寺を訪れた際に志度湾?に出てみたのですが庵治半島(八栗?)の東にあるのを見て東に来ていることを実感しました。

平賀源内の墓については全く気が付きませんでした。惜しいことをしました。庭園も当時は知らなくて、これも残念。
情報が限られた時代でしたので仕方ないと言えば仕方がないのですが。

これだけの情報もtera2さんならではと思うのですが、地元の人もここまでは知らないのでしょうね^^;

房前の伝説も唐突と言えば唐突ですが、なかなか不思議な話です。
生駒親正は良いこともしている?

投稿: mino | 2015年8月 2日 (日) 19時02分

庵治半島の付根に平地があるので、志度からだと見通しで屋島と八栗山が見えます。
この平らな所に、平家の拠点があったようで、一ノ谷の合戦以降、安徳天皇の行在所を屋島側に移していますが、それまでは八栗の麓の六万寺にありました。

生駒親正は、領主としてはかなりまっとうな方だと思います。高松の街を作り、塩田開発に積極的に取り組んでいます。
ただ、十河千松丸(とその家臣の弾圧)の件や、在地領主をほとんど取り込まなかったこと、前二人の領主、仙石秀久
、尾藤知宣が相次いで改易されたあとであること、4代目が心底バカだったことなどから、イマイチ人気がありません。

ちなみに、塩田開発を進めすぎて、屋島が地続きになってしまい、生駒改易後入国した松平頼重が、わざわざ相引川を掘って…という話は前にしましたっけ…

志度は引田と並んで、東讃の拠点ですので、こちらに来られた時にまたご案内できたらと思います。

投稿: tera2 | 2015年8月 3日 (月) 18時22分

生駒家
>なるほど。松平家との比較でどうも悪く見られるのは仕方がないかも知れません。

わざわざ相引川を掘って…という話は前にしましたっけ…
>ひょっとしたら聞いたかも知れませんが余り覚えていません。申し訳ありません^^;

東讃
>また、よろしかったらお世話になります。
前回はあいにくの雨でしたがなかなか面白かったですね^^

投稿: mino | 2015年8月 4日 (火) 19時10分

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