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2015年9月 6日 (日)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(5) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(3) 岩橋家と角館樺細工伝承館 

 

  角館の内町武家屋敷通りには意外とお店が少ない。

というより黒塀の連続が歴史的景観を醸し出しているので、やたらとお店があったりするとその雰囲気を壊してしまう恐れがあるという理由のようです。

また全部の家が歴史的建造物であるわけでは無く、一般の住居もあり、その外観を黒塀で統一しているという事情があります。

そういう意味では岐阜県高山市のように伝統的街並みの通りが全部お店と言う事では無く、通り全部を歴史的な武家屋敷の雰囲気に統一することでその街並みの魅力を提案しようとしているのでしょう。

他には武家屋敷通りの四季折々の美しさ、春の桜、夏の木陰、秋の紅葉、冬の雪景色などを鑑賞することも角館の魅力のひとつと言えます。

角館マップ PDFファイル。

 

  「猫の店」などがあったりします。 

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  「猫の店」。

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  次は岩橋家。

  「たそがれ清兵衛」撮影地らしい。

  拝観料は無料です。

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  武家屋敷 岩橋家

 

  岩橋氏は、南奥州の名門会津黒川城主芦名氏の重臣であった。

天正十七年(一五八九)芦名氏が伊達政宗に敗れ、兄である常陸の佐竹氏を頼り常州へ移り、江戸崎において秀吉から四万五千石を与えられると、岩崎氏も芦名氏に随従して江戸崎に移った。

 

  関ヶ原の戦い後、慶長七年(一六○二)佐竹氏の出羽移封とともに芦名氏も出羽に下り角館一万五千石を与えられた。

岩橋氏は一時江戸崎を立退き津軽氏に三百石で仕官していたが、主君の角館移住とともに再び芦名氏に帰参し角館に居住した。

芦名氏が承応二年(一六五三)三代にして断絶するに及んで、代わって角館所預(ところあずかり)となった佐竹北家の組下として(八十六石)、廃藩に至るまで仕えた。

この建物は、江戸末期に改造され、屋根も茅葺(かやぶき)から木羽葺(こばぶき)にかわったが、角館の武士の生活を今に伝えている。

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  岩橋家屋敷からさらに北に行くと鍵形の四辻(いわゆる「四辻の四つ当たり」)となります。

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  その北西角には角館樺細工伝承館があります。

  休憩も兼ねながら拝観しました。

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  さらに北に延びる内町武家屋敷通り。

  垂れ下がっている木々は枝垂桜のようです。

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  仙北市立 樺細工伝承館。

  拝観料については他館との共通券があるのでリンクを参照してください。

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  観覧料(単独券)
       

        大人(高校生以上)300円、小人(小・中学生)150円。

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  撮影 2015/08/29

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