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2015年9月20日 (日)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(13) - 松前城(2)

 

  松前氏は元蠣崎氏(かきざきし)。

蠣崎季広(かきざき すえひろ)の時、道南の支配権を確立し、子の慶広(よしひろ)の時に松前氏を名乗り秀吉、後に家康に臣従し蝦夷地の支配権を認められる(慶長4年(1599年))。

第5代将軍徳川綱吉の頃に客臣から交代寄合の旗本待遇、享保4年(1719年)より1万石格の大名となりました。

松前城は北方警備の必要から幕府に命じられ1854年(安政元年)に完成した最後期の城郭です。

 

  現存遺構の本丸御門と復元天守。

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  本丸御門。

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  明治時代の破却後も本丸の天守などは現存しましたが1949年(昭和24年)の失火により焼失。

  現天守は1961年(昭和36年)に鉄筋コンクリートで復元したもの。

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  (案内板より)

  旧福山城本丸表御殿玄関

 

  慶長十一(一六〇六)年に完成した城は当時これを福山館と称していた。

しかし、寛永十四(一六三七)年城中より出火し、多くの建物を焼失、同十六年これを修築した。

その際、表御殿には京都伏見城の一部が移されたと伝えられている。

明治八年、北海道開拓使の命令により福山城は取り壊されたが、天守と本丸御門、表御殿は残った。

表御殿は松城小学校として充用され、明治三十三年、新校舎が完成した後もこの玄関だけは小学校正面玄関として、昭和五十七まで利用されてきた。

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  天守への拝観入口。

  松前城・松前城資料館の拝観料は大人360円、小・中学生240円、幼児無料。

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  搦め手二の門の外。

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  搦め手二の門。2000年(平成12年)の復元。

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  天神坂門。2002年(平成14年)の復元。

  搦め手二の門の下にあります。

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  海に面して砲台跡。

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  搦め手二の門の方を振り返って。

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  砲台跡前の土塁上から。

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  砲台跡あたりから。

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  天神坂門、外から。

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  天神坂から下ります。

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  撮影 2015/08/30

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