« 夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(7) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(5)石黒家 | トップページ | 夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(9) - 角館から秋田を経て弘前へ »

2015年9月12日 (土)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(8) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(6)天寧寺の芦名家墓所

 

  石黒家屋敷から武家屋敷通りの北端まで行くと角館城跡(古城山)が見えます。

 

  戦国時代に角館を治めていたのは角館城を居城とした戸沢氏です。

戸沢氏は西の安東氏や南の小野寺氏と争いながら盛安の時に最盛期を築き、秀吉の小田原征伐にはいち早く参陣。

この後、盛安は小田原の陣で没するも光盛が跡を継ぎ無事角館の本領安堵を得て豊臣大名として存続。

関ヶ原の戦いの際には東軍に参加するも消極的な態度に終始し、戦後戸沢氏は減封の上常陸松岡藩へ転封。(ちなみに、のち山形の最上氏改易に伴い新庄藩(山形県新庄市)6万石で入封、維新まで11代、新庄藩主として存続しました)。

そして戸沢氏を含む転封、改易の諸将の代わりに常陸から佐竹義宣が久保田藩(秋田)に入り角館へは所預(ところあずかり)として弟の芦名盛重(義勝と改名 義広→盛重→義勝)を配しました。

義勝は現在ある角館の町並みの整備に着手し、一方、角館城は元和元年(1615年)の一国一城令に伴い元和6年(1620年)に廃城としました。

角館散策マップ PDFファイル。

 

  古城山。

  芦名義勝は慶長7年(1602年)に1万6千石で角館城に入り、従前の城山北側の城下町を現在の南側に新しく整備しました。

Dsc00515

 

  旧石黒(恵)家。

  昭和10年に建設の住居。

Dsc00523

Dsc00525

 

  武家屋敷通りの東側、花場山の山麓の道路を南へ歩きます。

  山麓の近くにある大村美術館。

Dsc00530

 

  途中から東西方向となる山麓の道路を歩いて行くと北側に天寧寺(てんねいじ)があります。

  もともとは会津若松の天寧寺が本寺で、山号、寺号を譲り受けてこの地に創建し芦名氏の菩提寺としました。

Dsc00534

Dsc00535

 

  本堂。

Dsc00536

Dsc00541

 

  本堂向かって左横の墓地へ石段をあがってさらに右上に芦名家墓地があります。

Dsc00560

Dsc00545

Dsc00548

 

  殉死した盛俊の下男(草履取り (姓名不詳))の墓。

Dsc00550

 

  芦名家墓碑

 

  義勝(最後の会津芦名氏当主芦名義広、豊臣大名としての常陸江戸崎城主芦名盛重、初代角館芦名氏)。

  盛俊(義勝の子、第2代角館芦名氏)。

  盛泰(義勝の子、盛俊の兄、義勝の兄である初代久保田藩主佐竹義宣の養子となるも夭逝)。

  千鶴丸(せんつるまる 盛俊の子、第3代角館芦名氏、享年4歳)。

 

  千鶴丸の早世で芦名氏は断絶。

  岩橋又右ェ門、宮崎主殿之助は盛俊の死に際して殉死した家臣。

Dsc00554

 

  花が供えられているのが義勝の墓碑。

Dsc00556

 

  これで角館を離れます。

 

  最後に芦名義勝について。

芦名氏は戦国時代には会津の黒川城(現会津若松 福島県)を本拠とした中世以来の名族で芦名盛氏の代に最盛期を迎えるも世継ぎが次々と亡くなり佐竹義重の次男である義広(義勝)を養子として迎えます。

しかし芦名家中がまとまらないまま伊達政宗と摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい 天正17年(1589年))を迎えこれに大敗。

義広(義勝)は黒川城を捨て常陸の父の元に落ち延びます(会津芦名氏の滅亡)。

その後、豊臣大名として常陸の龍ヶ崎に4万石、次いで江戸崎に4万5,000石を与えられ復活(盛重と名乗った時代)。

しかし関ヶ原の戦いでは兄の佐竹義宣と共に西軍につき義宣は秋田に転封(久保田藩)、義広(義勝)は改易となり兄に随従し秋田へ赴き家臣として角館1万6千石を与えられます。

これが角館芦名氏となります。

 

 所預(ところあずかり)について。

 

  久保田藩では一国一城令の例外として本城の久保田城以外にも大館城、横手城が持ち城として認められ、それぞれ城代として大館城には佐竹西家、横手城には戸村氏が入りました。

また角館(城)には所預(ところあずかり)として芦名氏、のち佐竹北家、

湯沢(城)には所預として佐竹南家、

檜山(城)には所預として多賀谷氏、

十二所(城)には所預として茂木氏、

院内(城)には所預として大山氏が入り、

これらの城代、所預が藩内の地方支配を行い治めました。

所預とは城代とともに藩内領主のような地位にあったものと言えるでしょう。

Dsc00559

  撮影 2015/08/29

|

« 夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(7) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(5)石黒家 | トップページ | 夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(9) - 角館から秋田を経て弘前へ »

東北地方」カテゴリの記事

お城」カテゴリの記事

神社仏閣」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(8) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(6)天寧寺の芦名家墓所:

« 夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(7) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(5)石黒家 | トップページ | 夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(9) - 角館から秋田を経て弘前へ »