« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2015年9月

2015年9月30日 (水)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(19) - 帰途 白石城(宮城県白石市)に寄る(1)

 

  帰途の途中、白石城(宮城県白石市)に立ち寄りました。

白石城は仙台藩伊達氏の支城として片倉氏が居城し、明治まで一国一城の例外として存続しました。

三階櫓、門、塀など本丸の建築物は1995年に木造で再建されたものです。

 

  あいにくこの日は雨模様。

  白石駅前。

Dsc01038_2

 

  駅前通り。

  駅前通りを真っ直ぐ歩いて行くと10分足らずで突き当たります。

  そこから左手に行き市役所の脇を案内に従っていくとお城への登り口があります。

Dsc01034_2

 

  白石はうーめんが名物のよう。

Dsc01040

 

  白石観光案内板。

Dsc01042

 

  登り口。

Dsc01043

 

  白石城「二ノ丸大手二ノ門」跡。

  門は当信寺(とうしんじ)山門として現存しているようです。

Dsc01047

Dsc01048

Dsc01050

 

  外郭石垣の積み方が北側と南側では異なると書かれています。

Dsc01051

Dsc01057

 

  三階櫓がいきなり目に飛び込んできました。

  白石城の三階櫓は事実上天守と言っても良いものです。

Dsc01063

 

  大手一ノ門と二ノ門。

Dsc01068

 

  一ノ門越しに二ノ門。

Dsc01069

 

  大手二ノ門。

Dsc01072

 

  本丸内から。

Dsc01078

 

  本丸内 三階櫓。

Dsc01076

  撮影 2015/08/31

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月29日 (火)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(18) - 木古内駅から蟹田駅、青森駅

 

  松前のバス停(松城バス停)を16時過ぎ発のバスで木古内駅に向かい、木古内駅着が17時30分頃。

木古内から蟹田までは「青春18きっぷ」、「北海道&東日本パス」の特急自由席が可の特例区間で、特急「スーパー白鳥38号」に乗車。

蟹田からは普通電車に乗り継ぎ青森に向かいました。

 

  木古内駅にて。

  函館~木古内間の普通列車。

Dsc01019

 

  蟹田駅にて。

  津軽線 三厩(みんまや)行きの18時59分発普通最終列車。

Dsc01025

 

  青森駅にて。

  弘前行き普通電車。

Dsc01028

 

  同じく青森駅にて。

  青い森鉄道八戸行き電車。

Dsc01033

  撮影 2015/08/30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月28日 (月)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(17) - 松前藩屋敷 帰途に

 

 

  松前藩主松前家墓所から北側に回り込み西に歩いて行くと藩政時代の松前を再現したテーマパークの松前藩屋敷があります。

観光客は全くいないという訳では無いのですが人数はパラパラ。

日曜日でしたので車で訪れ立ち寄った人も多いのでしょう。

松前藩屋敷を最後に同じ道を引き返し、城跡の東側にある天神坂門から下に降りバス停に戻りました。

 

  松前に木古内から13時台に到着、16時台の木古内へ向かうバスで帰途につきました。

散策にはほぼ3時間を費やしましたが、それでもまだ回り切れなかったスポットが残りました。

 

  松前藩主松前家墓所から西に向かうと松前藩屋敷の南側に出ます。

Dsc00892

 

  藩屋敷の入り口。

  入館料は大人360円、小人240円。

Dsc00894

Dsc00961

 

  松前に存在したという家々が再現されています。

Dsc00897

 

  松前藩沖の口奉行所。

  蝦夷地への出入りの船、人を改めたり税を徴収する役所。

Dsc00899

Dsc00903

 

  再現された町並みはT字形の道に並んでいます。

Dsc00909

Dsc00910

 

  一番奥に土産物も扱う休憩所があります。

  アイスコーヒーを頂いてしばし店の人と話をしました。

  北海道新幹線については木古内駅に何本停車するのかを不安視されていました。

  北海道新幹線は東京との直通が一日10本、新青森と1本、盛岡と1本、仙台と1本と報じられています。

  松前の場合、現行では木古内から路線バスがあるのみで(函館からの定期観光バスはある)、有力なアクセスが無いのが悩みです。

  しかも結構遠い。

Dsc00917

Dsc00922

Dsc00923

 

  武家屋敷。

Dsc00936

Dsc00937

Dsc00941

Dsc00945

 

  松前藩屋敷を後にして来た道を引き返しました。

  途中、往きには気付かなかった外堀跡。

Dsc00972

Dsc00973

 

  本丸北の松前神社。

Dsc00977

 

  天神坂門から下へ。

  この辺りは見晴らしが良い。

Dsc00996

 

  バス停に戻ってきました。

  待合室でバスの到着まで休憩。

Dsc01017

Dsc01018

   撮影 2015/08/30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月26日 (土)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(16) - 松前 寺町(2)法幢寺(ほうどうじ)と松前藩主松前家墓所

 

  松前の寺町で最後に訪れたのは松前家の菩提寺である法幢寺(ほうどうじ)と松前藩主松前家墓所。

法幢寺(ほうどうじ)には歴代藩主の位牌が安置されている御霊屋があります。

 

  寺町は松前城の北の防備も兼ねて作られました。

 

  散策道の左手に門があります。

Dsc00838

 

  散策道を真っ直ぐ進むと突き当たりに松前藩主松前家墓所があります。

Dsc00836

Dsc00835

 

  山門。

  天保9年(1838年)の再建(上記案内板より)。

Dsc00841

 

  山門左側。

Dsc00844

 

  山門右側。

Dsc00846

 

  本堂。

  1881年(明治14年)建築(出所不明)。

Dsc00849

 

  松前歴代藩主の位牌堂である御霊屋(みたまや)。

  上記の案内板では天保9年(1838年)の再建とあり、

  松前町ツーリズム推進協議会(松前町・松前観光協会・松前商工会)運営の「北海道松前藩観光奉行」の情報では天保5(1834)年の再建とされています。

Dsc00850

Dsc00851

 

  山門内側から。

Dsc00852

 

  松前家墓所に向かいます。

Dsc00858

Dsc00860

Dsc00864

 

  欅(けやき)の大木は本当に大きい。

Dsc00865

 

  第5代が松前家初代の松前慶広(まつまえよしひろ)。

  初代の武田信広が蠣崎氏(かきざきし)を称し第5代の慶広が松前氏を名乗ります。

Dsc00868

Dsc00872

Dsc00867

Dsc00880

 

  門から散歩道。

Dsc00887

 

  門から右手(東)に回り込みます。

Dsc00888

 

  さらに北側に回り込みます。

Dsc00964

 

  そのまま道なりに行くと松前藩屋敷の看板のある場所に。

Dsc00891

  撮影 2015/08/30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月24日 (木)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(15) - 松前 寺町(1)龍雲院、光善寺、法源寺から法幢寺(ほうどうじ)へ

 

  本丸の北側にある松前神社から城の北にある寺町に向かいました。

その中には松前藩主松前家墓所もあります。

訪れたのは松前藩主松前家墓所までの途次にある一部の寺院です。

 

  まず道路に面して並んでいる龍雲院と光善寺へ。

Dsc00787

 

  龍雲院は1625(寛永2)年に開かれました。

Dsc00792

Dsc00789

Dsc00794

 

  本堂。

  本堂と庫裏は1842年(天保13)の建築で重要文化財に指定されています。

Dsc00796

 

  龍雲院から出て振り返ったところ

Dsc00799

 

  左隣にある光善寺。

  天正三(1575)年の建立。

Dsc00800

 

  光善寺の仁王門。

Dsc00801

 

  鐘楼門。

Dsc00810

 

  本堂。

Dsc00813

 

  境内にある血脈桜。

Dsc00815

Dsc00820

 

  道路の分岐点に戻り今度は北に向かいます。

Dsc00826

 

  法源寺の山門。

  17世紀中期の建築と推定されています。

Dsc00827

Dsc00830

Dsc00832

 

  松前家の菩提寺である法幢寺(ほうどうじ)。

  松前歴代藩主の位牌堂が境内にあります。

  また道路を直進すると松前藩主松前家墓所に突き当たります。

Dsc00837

  撮影 2015/08/30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月22日 (火)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(14) - 本丸表御殿跡と松前神社

 

  天守閣と本丸御門、御殿玄関などを見学した後、拝観入り口と同じ場所から外に出て天守のある本丸北側に回り込みます。

 

  まだ天守閣南側。

  本丸は本丸御門内側になります。

Dsc00770

 

  入口から外に出て散策道を本丸の北側に回り込みます。

Dsc00771

 

  北側に回り込みました。

Dsc00773

 

  本丸表御殿跡。

  天守からは塀に遮られて東から大きく迂回します。

Dsc00777

Dsc00778

 

  拝観部分は拝観入口→天守→本丸御門→天守南側の広場(御殿玄関がある)→出口(入口)の順。

  低い塀で天守から本丸跡広場には直接来れないようにしてあります。

Dsc00779

 

  北側には松前神社があります。

  祭神は松前家の先祖に当たるとされている武田信廣公。

  武田信廣(信広)は若狭武田氏の一族と言われています。

Dsc00781

 

  現在の社殿は大正12年(1923年)の再建。

Dsc00782

 

  この後、寺町を散策。

  松前藩主松前家墓所も一緒に訪ねます。

Dsc00785

Dsc00786

  撮影 2015/08/30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月20日 (日)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(13) - 松前城(2)

 

  松前氏は元蠣崎氏(かきざきし)。

蠣崎季広(かきざき すえひろ)の時、道南の支配権を確立し、子の慶広(よしひろ)の時に松前氏を名乗り秀吉、後に家康に臣従し蝦夷地の支配権を認められる(慶長4年(1599年))。

第5代将軍徳川綱吉の頃に客臣から交代寄合の旗本待遇、享保4年(1719年)より1万石格の大名となりました。

松前城は北方警備の必要から幕府に命じられ1854年(安政元年)に完成した最後期の城郭です。

 

  現存遺構の本丸御門と復元天守。

Dsc00761

 

  本丸御門。

Dsc00769

 

  明治時代の破却後も本丸の天守などは現存しましたが1949年(昭和24年)の失火により焼失。

  現天守は1961年(昭和36年)に鉄筋コンクリートで復元したもの。

Dsc00763

Dsc00765

 

  (案内板より)

  旧福山城本丸表御殿玄関

 

  慶長十一(一六〇六)年に完成した城は当時これを福山館と称していた。

しかし、寛永十四(一六三七)年城中より出火し、多くの建物を焼失、同十六年これを修築した。

その際、表御殿には京都伏見城の一部が移されたと伝えられている。

明治八年、北海道開拓使の命令により福山城は取り壊されたが、天守と本丸御門、表御殿は残った。

表御殿は松城小学校として充用され、明治三十三年、新校舎が完成した後もこの玄関だけは小学校正面玄関として、昭和五十七まで利用されてきた。

Dsc00751

 

  天守への拝観入口。

  松前城・松前城資料館の拝観料は大人360円、小・中学生240円、幼児無料。

Dsc00983

 

  搦め手二の門の外。

Dsc00984

 

  搦め手二の門。2000年(平成12年)の復元。

Dsc00987

Dsc00988

 

  天神坂門。2002年(平成14年)の復元。

  搦め手二の門の下にあります。

Dsc00995

 

  海に面して砲台跡。

Dsc00999

Dsc01009

 

  搦め手二の門の方を振り返って。

Dsc01003

 

  砲台跡前の土塁上から。

Dsc01004

 

  砲台跡あたりから。

Dsc01005

 

  天神坂門、外から。

Dsc01012

 

  天神坂から下ります。

Dsc01014

  撮影 2015/08/30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月18日 (金)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(12) - 松前城跡(1)「搦手二ノ門」から天守へ

 

 

  松前城はその地名より福山城とも呼ばれる松前藩(福山藩とも)の政庁で、江戸時代を通じてその主は松前氏でした。

北方警備の必要のために幕末の1854年(安政元年)に築城された最後期の城郭です。

戊辰戦争時には旧幕府軍の土方歳三率いる約700名に攻められ数時間で落城(1868年(明治元年))したそうです。

明治になり本丸を除いて破却。

天守は1949年(昭和24年)に失火により焼失しました。

現在に遺構として残る建築物は本丸御門と本丸表御殿玄関、旧寺町御門(現在の阿吽寺の山門)のみ。

現在の天守は1961年(昭和36年)に鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

Matumaezu_2

 

  松前城は小高い丘の上にある平山城。

Dsc00715

 

  二重太鼓櫓跡。

  上のお城の図の右下、お堀の上に書かれているのが二重太鼓櫓。

Dsc00721

Dsc00720

 

  木々の上から天守が覗いています。

Dsc00723

 

  右手に行くと復元された「搦手二ノ門」があります。

Dsc00724

 

  一旦外側に出て「搦手二ノ門」(からめてにのもん)。

Dsc00728

 

  松前城・松前城資料館の拝観入口がこの奥にあります。

  (入館料)大人360円(団体290円)、小・中学生240円(団体190円)、幼児無料。

Dsc00731

 

  天守内は資料館となっています。

Dsc00734

Dsc00736

Dsc00739

 

  天守からの眺望。

Dsc00740

 

  先ほどの「搦手二ノ門」。

Dsc00742

 

  本丸御殿があった本丸広場。天守からは直接行くことはできません。

  右奥に松前神社の鳥居が見えます。

  その北側に寺町があります。

Dsc00737

 

  天守と本丸御門。

  本丸御門は現存遺構で重要文化財。

Dsc00748

  撮影 2015/08/30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月17日 (木)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(11) - 松前まで1時間半のバス旅

 

  木古内駅から松前へのアクセスは路線バスしかありません。

函館から松前、江差を巡る定期観光バスがありますが私にとっては範囲外。よほどの事が無い限り定期観光バスは利用しません。

木古内駅ではバス待ちに1時間半ほど費やしました。

駅前には開いているお店もなく、駅舎内も工事中で落ち着くことができなくて、けっきょくバス停のベンチで待つこととなりました。

 

  木古内駅前も工事中。

Dsc00692

Dsc00698

Dsc00699

 

  駅前通り。

Dsc00700

Dsc00702

 

  松前出張所行きバス。

  函館バス 函館、木古内~松前 バス時刻表。

Dsc00703

 

  松前まで利用した観光客らしい乗客は私を含めて3人。

  日曜日のこの日、途中乗車、途中下車の地元のお客さんは二、三人ほどでした。

Dsc00704

 

  左手に海を見ながら。

  時には山の中を行きます。

Dsc00705

 

  多分、竜飛崎。

Dsc00708

 

  松城バス停に到着。松前では無く「松城バス停」です。

  さすが北国、主要なバス停には寒さをしのぐ待合所があります。

  松城バス停はトイレ付き。

  ただしコインロッカーはありませんでした。

  城下通りのお店の人にも聞きましたが無いとの事。

Dsc00710

 

  バス停は海の近くです。振り返って。

Dsc00711

 

  お店などが並ぶ城下通り。

Dsc00712

 

  お城は小高い場所に位置します。

  重い荷物を背負いながらの散策となりました。

Dsc00713

  撮影 2015/08/30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月16日 (水)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(10) - 津軽線、海峡線で北海道木古内へ

 

 

  旅行日二日目は津軽線、海峡線を経て北海道へ。長い間の念願であった松前城を訪れました。

青森発8時過ぎの普通電車で蟹田まで行き、蟹田から木古内までは特急「白鳥」を利用。

普通列車が設定されていないこの区間は「青春18きっぷ」、「北海道&東日本パス」を利用する場合、特例として特急券無しで特急列車自由席に乗車できます。

 

  木古内駅では1時間半のバス待ち。

さらに松前へは木古内駅前からバスで約1時間30分の所要。

松前への輸送は国鉄民営化の翌年1988年に廃止されるまで松前線が担っていましたが、現在は徒歩旅行者にとってなかなか行きにくい場所となってしまいました。

 

  もう一つ心配していたのは荷物を軽くするためのコインロッカーの有無。

木古内駅では見つけられず、また私が探した範囲内では松前でもコインロッカーが無く、重い荷物を背負ったままの観光には本当に閉口しました。

 

  青森駅にて。

  朝早く6時台の電車で弘前から青森へ。

  前日は青森で花火大会が開催され青森に宿をとれず。

 

  快速「リゾートあすなろ」が待機中。

Dsc00649

Dsc00651

 

  東北での旅行ではもうすっかり馴染みの701系電車で津軽線蟹田へ。

Dsc00654

 

  北海道新幹線の高架が津軽線より内陸の左方向に見えます。

Dsc00659

 

  好天となりました。

Dsc00665

 

  右手に海を見ながら北上。

Dsc00671

Dsc00676

 

  40分足らずで蟹田駅に到着。後続の特急を待ちます。

  津軽線は海峡線分岐点以遠は非電化区間。蟹田からはキハ40で運行されます。

Dsc00680

 

  そのキハ40。

Dsc00683

 

  折り返し青森行きとなる701系電車。

Dsc00682

 

  特急「白鳥」が到着。

Dsc00685

 

  1時間弱で木古内駅。

Dsc00689

 

  来春の北海道新幹線開業に向けて木古内駅は工事中。

  ここで1時間半のバス待ちとなりました。

Dsc00691

  撮影 2015/08/30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月13日 (日)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(9) - 角館から秋田を経て弘前へ

 

  角館で訪れることができた観光スポットは全体の六割ほどだったかなあと考えながら、時刻表を確認。

本来ならば16時台の普通電車で大曲まで行き、さらに横手方面から来る秋田行きに乗り継ぐのが事前プランでした。

しかし翌日の弘前出発が早朝のため、なるべくならば弘前に早く着きたいという思いがあり、したがってどこかで特急を利用せざるを得ないと覚悟していました。

事前の想定では大館~弘前間で特急「つがる」を利用する予定でしたが、角館駅に入り改札の電光表示板を見ると秋田行きの「こまち」がすぐにやって来ることが分かりました。

一方、普通電車まではまだ1時間。

結局、これが決め手となり立ち席特急券(特別特急券 空いている席があれば座ることができる特急券)と乗車券を購入して秋田に向かうこととなりました。

Dsc00573

 

  やはり角館は春の桜なんだと思わせる跨線橋。

Dsc00574

 

  盛岡行き普通電車。

  田沢湖線大曲~盛岡間全線を走破する普通電車は一日3往復のみ。

Dsc00576

 

  角館の桜では枝垂桜(しだれざくら)が有名。

Dsc00584

 

  標準軌用の701系電車(新幹線と同じ線路幅)。

Dsc00587

 

  秋田行き「こまち19号」の到着。

Dsc00596

 

  途中の田園風景。

Dsc00597

 

  秋田駅にて。

  青森行き普通に乗り換え。弘前までは約2時間半の電車旅。

Dsc00628

 

  天気は好転しました。

Dsc00635

 

  鶴形駅。陽が傾いていきます。

Dsc00637

Dsc00643

 

  糠沢駅。

  鷹ノ巣駅から一つ青森寄り。

Dsc00644

 

  大館駅ではすっかり陽が落ちました。

  弘前には19時06分に到着。

Dsc00647

  撮影 2015/08/29

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月12日 (土)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(8) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(6)天寧寺の芦名家墓所

 

  石黒家屋敷から武家屋敷通りの北端まで行くと角館城跡(古城山)が見えます。

 

  戦国時代に角館を治めていたのは角館城を居城とした戸沢氏です。

戸沢氏は西の安東氏や南の小野寺氏と争いながら盛安の時に最盛期を築き、秀吉の小田原征伐にはいち早く参陣。

この後、盛安は小田原の陣で没するも光盛が跡を継ぎ無事角館の本領安堵を得て豊臣大名として存続。

関ヶ原の戦いの際には東軍に参加するも消極的な態度に終始し、戦後戸沢氏は減封の上常陸松岡藩へ転封。(ちなみに、のち山形の最上氏改易に伴い新庄藩(山形県新庄市)6万石で入封、維新まで11代、新庄藩主として存続しました)。

そして戸沢氏を含む転封、改易の諸将の代わりに常陸から佐竹義宣が久保田藩(秋田)に入り角館へは所預(ところあずかり)として弟の芦名盛重(義勝と改名 義広→盛重→義勝)を配しました。

義勝は現在ある角館の町並みの整備に着手し、一方、角館城は元和元年(1615年)の一国一城令に伴い元和6年(1620年)に廃城としました。

角館散策マップ PDFファイル。

 

  古城山。

  芦名義勝は慶長7年(1602年)に1万6千石で角館城に入り、従前の城山北側の城下町を現在の南側に新しく整備しました。

Dsc00515

 

  旧石黒(恵)家。

  昭和10年に建設の住居。

Dsc00523

Dsc00525

 

  武家屋敷通りの東側、花場山の山麓の道路を南へ歩きます。

  山麓の近くにある大村美術館。

Dsc00530

 

  途中から東西方向となる山麓の道路を歩いて行くと北側に天寧寺(てんねいじ)があります。

  もともとは会津若松の天寧寺が本寺で、山号、寺号を譲り受けてこの地に創建し芦名氏の菩提寺としました。

Dsc00534

Dsc00535

 

  本堂。

Dsc00536

Dsc00541

 

  本堂向かって左横の墓地へ石段をあがってさらに右上に芦名家墓地があります。

Dsc00560

Dsc00545

Dsc00548

 

  殉死した盛俊の下男(草履取り (姓名不詳))の墓。

Dsc00550

 

  芦名家墓碑

 

  義勝(最後の会津芦名氏当主芦名義広、豊臣大名としての常陸江戸崎城主芦名盛重、初代角館芦名氏)。

  盛俊(義勝の子、第2代角館芦名氏)。

  盛泰(義勝の子、盛俊の兄、義勝の兄である初代久保田藩主佐竹義宣の養子となるも夭逝)。

  千鶴丸(せんつるまる 盛俊の子、第3代角館芦名氏、享年4歳)。

 

  千鶴丸の早世で芦名氏は断絶。

  岩橋又右ェ門、宮崎主殿之助は盛俊の死に際して殉死した家臣。

Dsc00554

 

  花が供えられているのが義勝の墓碑。

Dsc00556

 

  これで角館を離れます。

 

  最後に芦名義勝について。

芦名氏は戦国時代には会津の黒川城(現会津若松 福島県)を本拠とした中世以来の名族で芦名盛氏の代に最盛期を迎えるも世継ぎが次々と亡くなり佐竹義重の次男である義広(義勝)を養子として迎えます。

しかし芦名家中がまとまらないまま伊達政宗と摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい 天正17年(1589年))を迎えこれに大敗。

義広(義勝)は黒川城を捨て常陸の父の元に落ち延びます(会津芦名氏の滅亡)。

その後、豊臣大名として常陸の龍ヶ崎に4万石、次いで江戸崎に4万5,000石を与えられ復活(盛重と名乗った時代)。

しかし関ヶ原の戦いでは兄の佐竹義宣と共に西軍につき義宣は秋田に転封(久保田藩)、義広(義勝)は改易となり兄に随従し秋田へ赴き家臣として角館1万6千石を与えられます。

これが角館芦名氏となります。

 

 所預(ところあずかり)について。

 

  久保田藩では一国一城令の例外として本城の久保田城以外にも大館城、横手城が持ち城として認められ、それぞれ城代として大館城には佐竹西家、横手城には戸村氏が入りました。

また角館(城)には所預(ところあずかり)として芦名氏、のち佐竹北家、

湯沢(城)には所預として佐竹南家、

檜山(城)には所預として多賀谷氏、

十二所(城)には所預として茂木氏、

院内(城)には所預として大山氏が入り、

これらの城代、所預が藩内の地方支配を行い治めました。

所預とは城代とともに藩内領主のような地位にあったものと言えるでしょう。

Dsc00559

  撮影 2015/08/29

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月10日 (木)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(7) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(5)石黒家

 

  さて、青柳家と並び角館武家屋敷通りのもう一つの見どころは石黒家。

屋敷の古さでは角館随一で現在も子孫が暮らす武家屋敷として知られています。

また子孫が暮らしながらも屋敷の内部を母屋などの一部を除き公開されているのも魅力的。

拝観料は大人(高校生含む)300円、小中学生150円。

石黒家は佐竹北家が角館の所預(ところあずかり)として入部して以後に召し抱えられた家系で、主に財政を担当し石高も150石と高禄であったそうです(ちなみに家老の小野崎家200石に次ぐ高禄(Wiki参照))。

展示もコンパクトにまとまっていて大変興味深く拝見しました。

自由見学の前に母屋の中心部の見どころを係りの人(家人?)に解説して頂けます。

もう一つ石黒家に関して付け加えますと、最後の角館町長及び初代仙北市市長を務めたのが現当主の石黒家第12代当主だそうです。

 

  入口の薬医門。

  「文化6年(1809年)4月27日の墨書銘との矢板がある」そうです。

Dsc00482

 

  茅葺の母屋。

Dsc00484

 

  解説を拝聴しながら撮影。

  石黒家ではすべてが写真撮影可です。

Dsc00487

 

  昔は板敷であったという部屋。

Dsc00488

Dsc00490

 

  透かし彫りの欄間。

Dsc00491

Dsc00492

 

  石黒家の庭。

  敷地の北西隅には樹齢300年のモミの大木があります。

Dsc00495

 

  明治・大正期に増築された蔵。

Dsc00500

Dsc00501

 

  こういう展示を撮影できるのは嬉しい。

Dsc00502

 

  角館出身の小田野直武関連の資料も多い。

  小田野直武は「秋田蘭画」で知られ、「解体新書」の挿し絵を手がけました。

Dsc00504

Dsc00505

 

  角館の武家屋敷群の古絵図。

  現在位置から見ると上が北になります。

Dsc00506

Dsc00507

Dsc00508

 

  通りから見た石黒家の樹齢300年のモミの大木。

  この後、芦名氏の墓地がある天寧寺に向かいました。

Dsc00528

  撮影 2015/08/29

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 8日 (火)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(6) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(4) 「角館歴史村・青柳家」

 

  角館の武家屋敷のハイライトは何と言っても青柳家です。

「角館歴史村・青柳家」と名付けられ、建築物のみならず様々な展示品も見ることができます。

それだけに石黒家と並び拝観料が必要となります。

青柳家拝観料は大人500 円、高校生・中学生300 円、こども200 円。

角館ガイドマップ PDFファイル。

Dsc00437_2

 

  青柳家の家格を示す薬医門。

  万延元年(1860)の銘があり主屋なども同時期の建築と推定されているそうです。

Dsc00443_2

 

  青柳家は芦名氏譜代の家臣で芦名氏断絶後は佐竹北家の組下となりました。

Dsc00440_2

Dsc00446_2

 

  「角館歴史村・青柳家」の全体図。

  角館歴史村・青柳家 ホームページ。

  時計回りに巡りました。

Dsc00447_2

Dsc00448_2

 

  主屋の中を拝見して武器蔵へ。

Dsc00449_2

Dsc00450_2

 

  武器蔵。

Dsc00451_2

 

  通りから見た武器蔵。

Dsc00444_2

 

  ケースからは取り出せませんが実際に持つことができる当家伝来の刀。

  ずっしりと重い。とても振り回せる代物ではありません。

Dsc00452_2

 

  青柳庵。

Dsc00456_2

 

  庭内にある小田野直武の胸像。

Dsc00460_2

Dsc00463_2

 

  武家屋敷通りにお店が少ない代わりに拝観場所で様々なグッズや記念品、お土産等が販売されています。

Dsc00465_2

Dsc00469_2

 

  庭内には様々な展示があります。

  角館のお祭りと山車について。

Dsc00470_2

Dsc00472_2

Dsc00477

 

  鬱蒼とした緑の中にある薬医門を後にし石黒家に向かいます。

Dsc00478

  撮影 2015/08/29

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 7日 (月)

息抜き 「秋田駅」にて(続き) - 秋田県秋田市

 

  角館を散策した後、弘前へ向かう途中に再び立ち寄った秋田駅。

角館武家屋敷通りの話も少し飽きたので「息抜き」の記事です(次からもう一度角館の話に戻ります)。

 

  秋田と言えば竿燈。

  駅改札前のモニュメント。

Dsc00281

 

  角館から乗車してきた「こまち19号」 E6系。

Dsc00609

 

  到着した特急「つがる6号」E751系 青森発秋田着。

Dsc00624

 

  上から見ると意外に屋根の汚れが目立つE6系車両

Dsc00619

 

  701系青森行き普通。

  予定より早い電車に乗ることができ弘前に向かいました

Dsc00627

Dsc00615

  撮影 2015/08/29

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 6日 (日)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(5) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(3) 岩橋家と角館樺細工伝承館 

 

  角館の内町武家屋敷通りには意外とお店が少ない。

というより黒塀の連続が歴史的景観を醸し出しているので、やたらとお店があったりするとその雰囲気を壊してしまう恐れがあるという理由のようです。

また全部の家が歴史的建造物であるわけでは無く、一般の住居もあり、その外観を黒塀で統一しているという事情があります。

そういう意味では岐阜県高山市のように伝統的街並みの通りが全部お店と言う事では無く、通り全部を歴史的な武家屋敷の雰囲気に統一することでその街並みの魅力を提案しようとしているのでしょう。

他には武家屋敷通りの四季折々の美しさ、春の桜、夏の木陰、秋の紅葉、冬の雪景色などを鑑賞することも角館の魅力のひとつと言えます。

角館マップ PDFファイル。

 

  「猫の店」などがあったりします。 

Dsc00405

 

  「猫の店」。

Dsc00404

 

  次は岩橋家。

  「たそがれ清兵衛」撮影地らしい。

  拝観料は無料です。

Dsc00406

 

  武家屋敷 岩橋家

 

  岩橋氏は、南奥州の名門会津黒川城主芦名氏の重臣であった。

天正十七年(一五八九)芦名氏が伊達政宗に敗れ、兄である常陸の佐竹氏を頼り常州へ移り、江戸崎において秀吉から四万五千石を与えられると、岩崎氏も芦名氏に随従して江戸崎に移った。

 

  関ヶ原の戦い後、慶長七年(一六○二)佐竹氏の出羽移封とともに芦名氏も出羽に下り角館一万五千石を与えられた。

岩橋氏は一時江戸崎を立退き津軽氏に三百石で仕官していたが、主君の角館移住とともに再び芦名氏に帰参し角館に居住した。

芦名氏が承応二年(一六五三)三代にして断絶するに及んで、代わって角館所預(ところあずかり)となった佐竹北家の組下として(八十六石)、廃藩に至るまで仕えた。

この建物は、江戸末期に改造され、屋根も茅葺(かやぶき)から木羽葺(こばぶき)にかわったが、角館の武士の生活を今に伝えている。

Dsc00410

Dsc00412

Dsc00413

Dsc00415

Dsc00416

 

  岩橋家屋敷からさらに北に行くと鍵形の四辻(いわゆる「四辻の四つ当たり」)となります。

Dsc00422

 

  その北西角には角館樺細工伝承館があります。

  休憩も兼ねながら拝観しました。

Dsc00423

 

  さらに北に延びる内町武家屋敷通り。

  垂れ下がっている木々は枝垂桜のようです。

Dsc00425

 

  仙北市立 樺細工伝承館。

  拝観料については他館との共通券があるのでリンクを参照してください。

Dsc00432_2

Dsc00428

 

  観覧料(単独券)
       

        大人(高校生以上)300円、小人(小・中学生)150円。

Dsc00429

  撮影 2015/08/29

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 5日 (土)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(4) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(2)小田野家屋敷と河原田家屋敷

 

  さて、角館のように町並みが観光主体となる場所では、訪れるのには春と秋がもっとも良い時期と言えるでしょう。

特に角館の桜はかなり素晴らしいと聞いています。

また紅葉もかなり見受けられるので秋も良さそうです。

角館マップ PDFファイル。

 

  横町あたりの交差点から北が有名な武家屋敷通りです。

Dsc00373_2

 

  古木、巨木が多い。

Dsc00375

 

  仙北市役所角館庁舎。

  通りの左手(西側)にあります。

Dsc00376

 

  夏は鬱蒼とした緑ですが春は桜、秋は紅葉と素晴らしそうです。

Dsc00377

Dsc00378

 

  まず右手に(東側)小田野家屋敷。

Dsc00379

 

  「秋田蘭画」で有名な小田野直武が出た家系。

  小田野直武は「解体新書」の画を描いたたことでも有名です。

Dsc00382

 

  現在に残るのは分家の屋敷で明治33年の大火後の建築によるもの。

Dsc00384

Dsc00387

Dsc00388

Dsc00390

 

  隣の河原田家に移動します。

Dsc00391

 

  河原田家は会津の芦名氏譜代家臣で主家と共に角館に移ってきました。

  会津芦名氏の最後の当主蘆名義広は佐竹義重の次男で久保田藩初代藩主の佐竹義宣の弟にあたり、常陸から秋田久保田藩への移封に付き従い角館を与えられ、以後芦名氏は三代にわたり当地を治めました。

  そして芦名氏が断絶すると角館には佐竹北家(さたけほっけ)の佐竹義隣(さたけ よしちか)が入り(1656年(明暦2年))、明治まで11代続き角館を治めました。

Dsc00393

 

  河原田家は本家100石、分家50石の家柄。

  芦名氏断絶後は佐竹北家の組下となりました。

  河原田家の現在の建物は明治中期に建てられたもの。

Dsc00395

Dsc00402

  撮影 2015/08/29

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 4日 (金)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(3) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(1)西宮家から武家屋敷通りへ

 

 

  駅前から延びる駅前通りは概ね東西に、武家屋敷通りは南北にのびていることを覚えておくと角館の町並みをイメージする際の一助となります。

まず散策にあたり駅から西に向けて駅前通りを歩いて行きます。

駅から道なりに歩いて8分ほど、約500mほどの四つ辻で左を見ると緑豊かな屋敷が見えます。

これが西宮家。

西宮家の概要については下に案内板の内容を記しておきました。

という事でまずは角館の散策の手始めは西宮家です。

角館マップ PDFファイル。

 

  角館駅。

Dsc00338_2

 

  駅前通りを西に歩いて行きます。

  このあたりで歩いて5分ほどの駅前通り。

Dsc00340

 

  その先の四つ辻(信号のない交差点という意味)で左手を窺うと緑豊かな屋敷が見えました。

  西宮家です。

Dsc00343

 

  西宮家の歴史

 

  城下町角館には二つの武家屋敷通りがありますが、南側に位置するここ、田町武家屋敷は元和六年(一六二〇)角館を治めていた佐竹一族の芦名氏による町造りの際、佐竹氏の直臣である今宮氏とその武士団が移住し、形成されました。

今宮武士団の中でも、重んじられていた西宮家は、地主としても明治後期から大正時代にかけて最も繁栄します。

明治後期の当主西宮藤剛(ふじたけ)氏は、角館の初代町長就任から度々町長を歴任し、町政に貢献するなど各方面でリーダーシップを発揮しました。

明治後期から大正時代に建設された、西宮家の繁栄がしのばれる「五つの蔵と母屋」が、時代を重ねて今に伝えられています。

Dsc00344

 

  明治後期から大正時代に建設された西宮家「五つの蔵と母屋」。

Dsc00347

 

 

  西宮家の前を見るとこれも観光スポットの一つと言える新潮社記念文学館があります。

  「新潮社記念文学館は、新潮社を創設した佐藤義亮(さとうぎりょう1878~1951)の顕彰を目的に設けられ平成12年4月にオープンしました。」(仙北市ホームページより)。

  佐藤義亮は角館町出身者。

Dsc00350

 

  新潮社記念文学館前から西宮家入口。

Dsc00351

Dsc00352

 

  田町 武家屋敷と西宮家

 

  城下町角館は北に佐竹北家家臣団が、南に今宮家家臣団が居住して統治し、この田町は今宮家臣団の中心地でした。

今から三八○年ほど前の江戸時代初期、角館の町造りが行われた時からこの地に住みました。

最初に入ったのは八十六家でした。

今宮家は佐竹氏と縁続きの一門で直臣の誇りを持ち、祈願所や寺社などの管理もしていました。

西宮家は今宮家臣団の中でも重きをなし、「寺山五十五騎」と呼ばれた中心武士団の一員として、この地に移住する前の常陸時代から名を連ねています。

 

佐竹家臣団一覧。

Dsc00353

 

  入ると正面に母屋があります。

Dsc00355

 

  左手に前蔵。

Dsc00354

 

  前蔵の後ろにあるガッコ蔵。

Dsc00357

 

  ガッコ蔵と母屋の間から振り返って。

Dsc00358

 

  こちらは文庫蔵。

Dsc00360

Dsc00364

 

  文庫蔵。

  米蔵と北蔵の写真はありません。

  ちなみに拝観料は不要のようです(下で確かめてください)。

  西宮家のホームページ。

Dsc00362

 

  駅前通りに戻りさらに西へ歩いて行くと角館郵便局に突き当たります。

  ここを右(北)に行きます。

Dsc00366

 

  駅前通り駅方向を振り返って。

Dsc00367

 

  武家屋敷通りに向かう途中にあった外町資料館「たてつ」。

Dsc00370

 

  角館桜皮細工センターの看板がある「たてつ」。

Dsc00372

 

  武家屋敷通りゾーンに着きました。

  駅前からここまで約1Km徒歩約15分が目安。

Dsc00373

  撮影 2015/08/29

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 3日 (木)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(2) - 秋田から大曲を経て角館へ

 

  前日の秋田到着が0時を回るという時刻であったために、あくる朝の始動を9時前に設定。

秋田駅発9時過ぎの奥羽本線湯沢行普通で大曲(おおまがり)に向かいました。

大曲からは普通電車がまれにしかない線区なので仕方なく新幹線「こまち」を利用します。

「こまち」は全車両指定席ですが、そこはよくできていて空いた席があれば座れる立ち席特急券(特別特急券)なるものがあり皆これを利用します(ただし盛岡~秋田間のみの特急券)。

私も駅員さんに教えて頂いて大曲~角館間を特別特急券750円、乗車券320円の計1070円で利用。指定席特急券ですとこの区間は特急券だけで1070円が必要です。

 

  ちなみに今回仙台から利用している「とくとくきっぷ」は「北海道&東日本パス」10270円連続7日間有効。

ルールは青春18きっぷとほぼ同じです。

ただし乗車できる範囲はJR東日本管内、JR北海道管内と特定の三セク区間、富士急行など。

「北海道&東日本パス」により東北を旅行するうえで盛岡~八戸~青森の三セク区間が乗車できるのは大きいのです。

この点青春18きっぷは「青い森鉄道」の青森、野辺地、八戸のみしか乗降できず、「いわて銀河鉄道」がまったく利用できないのが大きな難点です。

 

  秋田駅にて。

  奥羽本線湯沢行普通の入線。

Dsc00305

 

  大曲駅に到着。

  電車はこのまま大曲以遠に。

Dsc00308_4

 

  こちらは行き止まり線。

  もともと盛岡からの田沢湖線は大曲駅には奥羽本線の横手、湯沢方向を向いて入るので大曲から秋田に向かうには反対方向に出発することとなります。

  したがって秋田からの電車も盛岡へは反対方向に出発することになります。

Dsc00312

 

  乗車券と特急券を買い求めるために一度改札の外へ。

  「秋田おばこ節」ってこのあたりの民謡なのですね。

Dsc00315

 

  大曲の花火大会は有名。

  先日のTVで見ました。

Dsc00313

 

  秋田発東京行きの「こまち」E6系の到着。

Dsc00317

Dsc00328

 

  所要時間16分で角館(かくのだて)駅に到着。

Dsc00329

 

  盛岡方面に去っていく「こまち」。

Dsc00332

 

  角館駅駅舎。

Dsc00336

 

  角館駅駅舎に向かって左手に秋田縦貫鉄道角館駅があります。

Dsc00567

 

  秋田縦貫鉄道車両。

Dsc00585

  撮影 2015/08/29

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 2日 (水)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(1) - 秋田駅(秋田県秋田市)にて

 

  フェリー船内二日間を含む六日間の旅程で主に角館(かくのだて)と松前を旅してきました。

六日間のうち最後の二日間は生憎の雨模様でほぼ移動日と化し、特に最終日は完全に移動日で、疲労が蓄積していたことも加わり東京から名古屋までを一挙に新幹線で移動するという暴挙に至りました。

その前日も雨ながら、それでも移動の合間を縫って白石で途中下車をして白石城を見学するという若干の余裕を見せたのが救いです。

 

  さて、暴挙はフェリーが仙台に到着したその日から始まります。

それは、まずその日のうちに(フェリー仙台港到着16時40分)仙台から山形、新庄、大曲を経て秋田までを長駆普通電車で乗り継いだことです。当然、秋田には0時を過ぎての到着となりました。

 

  それから忘れられないのは、山形の羽前千歳駅から新庄行きの満員電車に乗り込んだのですが、すぐに山形から乗り込んだと思われる男子高校生が「俺、いいですから」と言って席を譲ってくれたことです。

大きな荷物を担いでいるのを見かねたのでしょうか?本当に嬉しかったです。
どうしてもこのことは書いておかなければばりません。

 

  秋田に一泊して翌朝。 

  秋田駅から大曲まで普通電車、大曲からは新幹線の「こまち」に乗り継ぎます。

Dsc00274

 

  秋田駅西口。

  駅前のバス停。

Dsc00279

 

  駅改札前の秋田竿燈のモニュメント。

Dsc00280

 

    自由通路を東へ。

Dsc00282

 

  少々寂しい東口。

Dsc00283

 

  青森行き特急「つがる3号」 E751系。

Dsc00288

 

  E6系「こまち」写し損ない。

Dsc00292

 

  新潟行き特急「いなほ8号」 E653系。

Dsc00294

 

  男鹿線車両の到着。

  手前2両はキハ48。

Dsc00298

Dsc00297

 

  奥羽本線湯沢行き普通の入線。701系電車。

  途中の大曲駅(おおまがりえき)で新幹線「こまち」に乗り継ぎます。

Dsc00307

  撮影 2015/08/29

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »