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2016年3月18日 (金)

近江高島(滋賀県高島市 大溝藩2万石の城下町)を散策2016年3月(3) - 大溝陣屋総門と町割り水路のある町並み

 

  津田信澄(つだのぶすみ 織田信長の甥)が築城した大溝城は、分部光信(わけべみつのぶ)が元和5年(1619年)に入部し大溝藩が成立すると、一国一城令により三の丸を除き破却されました。

光信は、乙女ヶ池の中に本丸、二の丸、三の丸が浮かぶ形の大溝城のうち、三の丸のみを残して新たに陣屋を構えました。これが大溝陣屋です。

その正門である総門が現存しており、まずここを訪れました。

そして、次に訪れたのは、その北側の往時の城下町の姿をしのばせる町割り水路の町並みです。

 

  下は駅の観光案内所で頂いたパンフレットの地図です。

  黄色で色付けされている場所が四か所ありますが、右から「乙女ヶ池」、「大溝城跡」、「総門」、「町割り水路」です。

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Dsc04770

 

  (上の地図を参考に)駅から分部神社に至り、そこから左に道を取ると、その先の交差点にある文字が「滋賀BK」(滋賀銀行)。

  ここを左に折れると南側に総門があります。

  さらに滋賀銀行から北に行き左に行く道路から町割り水路の町並み。

Dsc04687

 

  分部神社のある交差点を振り返って。

Dsc04688

 

  ここを左へ。

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  大溝陣屋総門。

  現存遺構です。

  「分部氏によって整備された武家屋敷地の出入り口の中で最も重要な門(正門)であった。

  大溝陣屋関連で唯一現存する貴重な建造物で、市指定文化財に指定され保存されている。

  かっては総門より東側に武家屋敷地、北西には職人町が広がっていた。」

 (駅の観光案内所で頂いたパンフレット「近江高島大溝の水辺さんぽ」(まちあるきmapと歴史紹介)より)

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  内側より。

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  総門の前の建物。

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  西から。

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  滋賀銀行からさらに北に行き、その左手、町割り水路。

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  左手にある勝安寺。

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  勝安寺前から北に延びる町割り水路の町並み。

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  勝安寺本堂。

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  鐘楼。

Dsc04725

 

  勝安寺門内から。

Dsc04728

 

  勝安寺山門。

Dsc04761

  撮影 2016/03/12

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コメント

長らくご無沙汰しておりました。1年半ぶりでしょうか。
この間いろいろあって、あまりネットを使えなかったのでこんな風になってしまいました(申し訳ないですが、minoさんのHPは重い)。

近江高島といえば高島屋ですが、慣れというのは恐ろしいもので、すぐに浮かんだのは日本橋と二子玉で、難波の高島屋にはなかなか思い至りませんでした。私は今でも「サカイ」と聞くとまず武蔵境のことを思ってしまいます。

高島市はガリバー以外にも「びわ湖こどもの国」などテーマパークがいくつかあるようです。町おこしの一環で作ったそうですが、現在まで維持しているのは大したものです。ちなみに滋賀県日野市には「グリム冒険の森」というものがあります。こちらもグリムとは縁がないようです。

大溝城は、昔紹介したことのある「びわこの考湖学」で取り上げられています。
shiga-bunkazai.jp/biwako/biwako1_21.pdf
shiga-bunkazai.jp/biwako/biwako1_59.pdf

甲賀市教育委員会編「水口岡山城と大溝城 資料集」(2015年)
www.city.koka.lg.jp/secure/14819/foramu2015.pdf
は「資料集」とあるように本編の補足のようですが、図版がいろいろ収録されています。

八杉淳「大溝城下の地域構造とその特質(盆地の歴史地理)」(『歴史地理学紀要』第31巻 (1989年))
hist-geo.jp/pdf/archive/kiyou/031_169.pdf
古い論文ですが、タイトル通り城下の構造を論じていて、今回のminoさんの記事に対応しています。

鎌田道隆「大溝藩の家臣団構成と財政」(『奈良大学紀要』第11号 (1982年))
repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/AN00181569-19821200-1016.pdf?file_id=987
これも古いですが、分部時代に藩が財政危機に対応する中、家臣団が次第に官僚組織化していく様子を描いています。

両論文を読むと『高島町史』でいろいろ展開されているようですが、市町村史は地元でないと読むことが難しいのが残念です。

ところで、ネットが使えないため10数年ぶりにプログラムを書く羽目になってしまいました。ところがプログラミング仕様が大きく変更されており、昔自分で作ったプログラムもコンパイルを通らなくなっていて戸惑ってしまいました。どうやらアップルはパソコンをiOSの開発マシーンと捉えているようです。携帯やタブレットを使わない旧式はどんどん隅に追いやられていきます。ジョブズがパソコンは家電を吸収するだろうといっていた80年代が懐かしいです。この「予言」は後にジョブズ自身が否定し、現在のアップルになるわけですが・・・。

投稿: ddol | 2016年3月19日 (土) 19時14分

ddolさんお久し振りです。

確かに私のブログ重いですね。1ページの記事数をもっと少なくしてみます。記事を折りたたむ方法もありますが、読んで貰えない確率が大きそうで・・・。

近江高島といえば高島屋ですが
<そうらしいですね。創業者の義父が高島郡出身というのを見ました。記事にはしませんでしたが。

「サカイ」
<私なんか武蔵境を知らなくて・・。いつもddolさんには関東、東京の地理が全く分からないと言ってますが、これはお互いさまなんでしょうね。

高島市は岐阜人にとってはなかなか馴染みのない地域で、たまたま大溝城を調べていて、面白そうだと思い訪れてみました。

また、いつもの様に論文の紹介ありがとうございます。
連休中は家庭の事情があって旅行には出かけられないので、じっくりと読んでみます。
テーマパーク以外にも結構面白い場所もありそうですよ。安曇川駅からは徒歩の範囲で中江藤樹関連の施設があるので、もう一回、いや朽木などを含めればまだまだ飽きない場所です。

グリムとは縁がないようです。
<日本では縁が無くても作ってしまいますからね。

プログラミング
<事情は分かりませんが、ddolさんは外国語が得意だったことを思い出しました。

どうやらアップルはパソコンをiOSの開発マシーンと捉えているようです。携帯やタブレットを使わない旧式はどんどん隅に追いやられていきます
<そうなんですか。事情は私も同じなんでしょうね。

投稿: mino | 2016年3月20日 (日) 13時15分

確かに私のブログ重いですね。>
私の環境が悪かったせいで、ひどい時はGoogleのロゴがゆっくり描かれるという状態でした。私としては、ページが分割されてクリックで切り替えるよりも、読み込みには時間がかかっても同じページで読むことができる方が便利です。でもこの辺は好みですね。

武蔵境>
大阪の吹田程度には知られていると思っていたのですが、検索してみると境は知名度が低いと言う人が多いですね。私の地元みたいな場所なので独り合点していたようです。吉祥寺、三鷹というメジャー駅が続いた後なので目立たないのかも知れません。
minoさんはご存知かもしれませんが、中央線は東中野から立川までは一直線で、なぜ直線なのかは謎です。

安曇川駅からは徒歩の範囲で中江藤樹関連の施設があるので、もう一回、いや朽木などを含めればまだまだ飽きない場所です。>
「京都域粋37号 鯖街道」(www.kitatouhoku.com/kyoto/documents/ikiiki37.pdf)に簡単な説明がありました。朽木は様々な意味で京都にとっては重要な場所だったのですね。
「若狭鯖街道熊川宿」(kumagawa-juku.com/index03.html)の「鯖街道マップ」に鯖街道の地図があります。山間の交通路がこれだけ発達していたとは驚きました。

投稿: ddol | 2016年3月23日 (水) 19時30分

朽木が京にとって重要な場所であったということが二本の記事で良く解かりました。
山間の交通路も網の目のようですね。
昔、90年代だと思うのですが、小浜から近江今津までJRバスに乗りましたが、この通路が途中まで鯖街道と重なり合っているのではと思いました。


私が朽木に関心を抱くのは福知山藩主である朽木氏とはどのような人々だったのかと関心を持ったのが切っ掛けで、けっして朽木の場所に関心があったわけではありません。
朽木氏を調べると高島氏に、さらに近江源氏である佐々木氏にたどり着き、再び下って京極氏や六角氏に及ぶのも興味深いです。

前回の論文は大溝に出かける前に読んでいたら、あの旅行はもう少し深いものになっていたのにと残念でした。
また、一つの極小の外様大名の内実が良く理解できる面白いものでした。
また、懲りずにお願いします。

武蔵境をマップで調べてみましたが、他の駅の知名度と比べて低いとは思うものの、意外に都会なのには驚きました。東京恐るべし。

投稿: mino | 2016年3月24日 (木) 16時49分

朽木氏>
先見の明、時の権力との結び付きなど、面白い家系ですね。中近世を通じて朽木谷から動かなかったこともあって文書がまとまって保存されたため、朽木文書は史料として貴重で、中世史でよく引用されます。でも不思議なことに朽木氏の研究はあまり蓄積がなく、研究が進んだのはこの20年くらいです。ネットで見ることのできるものとしては、「武家家伝」でまとめられているのが一番詳しいと思います。
参考までに
仲村研「朽木氏領主制の展開」、「朽木氏領主制の展開(続)」『社会科学』(同志社大学人文科学研究所編)第5巻(1975年)
doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/8555/007000170006.pdf
doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/8559/007000180004.pdf
タイトルから想像できるように在地が中心ですが、中世の朽木氏の政治動向についても言及されています。
また朽木文書の一部は「国立公文書館デジタルアーカイブ」で「朽木家古文書」として公開されています。

東京恐るべし。>
大阪に来た当初は気づかなかったのですが、東京は特異な町ですね。東京にいた時は当たり前だったことが大阪ではそうではなく、これにはもう慣れることはないだろうと思います。今では、あれほど嫌っていた人混みが恋しいです。

投稿: idol | 2016年3月27日 (日) 19時16分

中世の朽木氏の政治動向についても言及されています。
>室町時代まで読みすすみましたが、幕府から反幕府の中興時の朝廷へ、南朝側から北朝側へ、尊氏、直義の争いの中でも直義から尊氏へと見事に時世を渡っていくのは見事としか言えません。
京の近くに住む武家らしい処世術です。
論文自体は所領の集積の過程を描いていますが、ddol さんが言う様に政治動向がよく判ります。

論文ですから地味ですが、面白いです。まだ半分ぐらい。

東京は特異な町ですね。
>私もそう思うのですが、第三者的に見ると、東京とは異なった意味で、大阪も十分特異な町と思えます。まあ、京都もそうですかね。
東京の人混み
>これは少々怖いくらい・・・。本当に東京は人が多い。

投稿: mino | 2016年3月29日 (火) 19時15分

岐阜公園の桜にコメントを書いてる間にminoさんのreplyがありました。不思議な感じですね。
コメント欄は自動補正機能ができたのですね。前回名前がidolに補正されていました。

朽木氏の政治動向は「武家家伝 朽木氏」で書かれているように西島太郎さんが精力的に研究成果を発表しているそうです。私は見ることができなかったので紹介できませんでした。

大阪も十分特異な町と思えます>
大阪の中でも特異とされた新世界がどんどん「普通」になってきています。難波からの帰路にあるのでよく通りますが、土日にはもう観光客だらけでコテコテ感が感じられなくなっています。悲しむべきか、喜ぶべきか・・・。

投稿: ddol | 2016年3月29日 (火) 19時39分

新世界
>もう、昔とは隔世の感があります。あの町に観光客が押し寄せていること自体信じられません。
私にはいまだにコテコテ感があるように感じられますが、方向が少し斜めの方に行っているような・・・。

でも少し繁華な場所から外れると昔ながらの大阪感が感じられる(ヤクザさんが住んでそうな)のはさすがです。
昔はそういう町に違和感なく住んでいたのですが。

武家家伝は重宝しています。しかし、最近は物覚えが悪くなり、何度も読み直す始末。

投稿: mino | 2016年3月29日 (火) 22時30分

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