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2016年3月19日 (土)

近江高島(滋賀県高島市 大溝藩2万石の城下町)を散策2016年3月(4) - 町割り水路の町並み(2)

 

  大溝藩2万石の城下町は水路の多い水に囲まれた町並みでした。

その雰囲気を今に伝えるのが乙女ヶ池や町割り水路の町並みです。

もう少し町割り水路の町並みを散策して後、少し遅い昼食を取るべく駅に戻り、駅前にあるコンビニで昼食を調達してしばし休憩。

この後は分部家墓地や近藤重蔵の墓などのある山の手に向かいました。

 

  勝安寺の山門。

  町並みの奥に進みます。

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  妙琳寺の建物の裏側に当たる石垣と町並み。

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  同じく。

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  その石垣から勝安寺の門前。

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  曳山の収納庫。

  龍組(りょうくみ)山蔵(中町・西町)。

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  説明板より

 

  大溝祭(滋賀県選択無形民俗文化財)
 
 

  大溝祭は(おおみぞまつり)は、日吉神社(祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと))の春の大祭で五月三・四日に行われます。

日吉神社を古くは山王権現といい、長法寺(ちょうほうじ 比叡山三千坊の一・嘉祥二年(八四九)創建)の鎮守の神として、坂本の日吉大社より勧請(かんじょう)したと伝えられています。

大溝の地名の由来は、近世のはじめ、織田信澄(信長の甥)がこの地に城を築き、「大溝城」と名付けたことによるといわれています。

江戸時代に入り、元和五年(一六一九)分部氏が入封の後は城下町として発展しました。

大溝祭は、城下町商人の経済力と心意気が曳山祭として花開いたもので、以来三百余年伝承されて来ました。

豪華な曳山巡行に、当時の城下町経済の繁栄ぶりがうかがわれます。

○五月三日宵宮祭には、数十個の提灯で飾った曳山の巡行が行われます。

○五月四日本祭には、豪華に飾った曳山が神輿に供奉(ぐぶ)して町内巡行が行われます。

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  新しい家や車もいますが、往時の雰囲気は伝わってきます。

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  鮒寿しのお店。

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  この町割り水路の町並みの奥にあります。

  ここから一旦駅に戻ります。

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  駅前に戻り、ガリバーの巨大像。

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  日差しを受けながらベンチに座って昼食を取りました。

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  最後は山の手に向かいます。

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  撮影 2016/03/12

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