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2016年3月

2016年3月29日 (火)

再度 古い町並みの川原町へ2016年3月 - 岐阜県岐阜市

 

  長良川堤や岐阜公園の桜はもうすぐということを確かめた後、再度、古い町並みの川原町を訪れました。

前回に比べ気候も暖かくなり、お土産屋さんなども入口が開け放たれていて開放的になっていました。

 

  最寄りのバス停は長良橋バス停。

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  階段を下りて下の道路へ。

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  鵜飼船乗り場。

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  上が南、下が北の地図。

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  入口辺りには老舗旅館「十八楼」があります。

  そのお客さんも多い。

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  創業は万延元年(1860年)。

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  十八楼の駐車場から見える岐阜城。

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  その奥に古い町並みの川原町。

  幸運にも戦中の岐阜空襲から逃れることができました。

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  川原町は湊町、玉井町、元浜町と続き材木町に抜けます。

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  横丁を抜けてみました。

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  グラウンドのある公園があります。

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  屋根神様のある家屋。

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  岐阜城とロープウェイ。

  覆いに囲われている建物は三重塔。

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  撮影 2016/03/26

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2016年3月27日 (日)

岐阜公園、長良川堤の桜2016年3月26日 - ちらほらから三分咲き

 

 

  例年三月末から四月にかけてヤキモキするのは桜の開花状況です。

まだ咲いていないという事が分かっていながら、所用のついでに岐阜公園と長良川堤の桜を見に行ってきました。

ほとんどがちらほらから三分咲き。

その中で岐阜護国神社の一本桜のみがほぼ満開状態でした。

この桜は毎年開花が早く、他の桜が満開になる頃には散ってしまいます。

 

  材木町バス停で降りました。

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  長良橋通りから横丁を入り岐阜公園へ。

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  岐阜公園の桜はこんなもの。

  土曜日なので人は出ていました。

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  長良川堤への途中にある中国庭園。

  まだまだです。

  本来ならここの桜も綺麗です。

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  岐阜護国神社へやって来ました。

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  社殿。

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  この一本桜が例年早く咲きます。

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  長良川堤に出てみました。

  まだ人通りは少ない。

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  鵜飼観覧船の船溜まりと長良橋。

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  長良橋の南詰の東下に公園がありますが、その前。

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  その公園。

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  橋のたもとから東を振り返って。

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  橋の下を西へ抜けます。

  桜については終わり。満開は四月二日ごろから。

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  撮影 2016/03/26

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2016年3月26日 (土)

近江高島(滋賀県高島市)への途次と帰り2016年3月(2) - 近江高島から米原へ

 

 

  近江高島を散策して後、帰りの近江高島から米原まで。

 

  この写真のみ往きの米原駅。

  敦賀行き普通521系。

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  近江高島駅にて。

  敦賀行きの新快速電車223系。

  近江今津までは12両編成で、近江今津で8両切り離され4両編成で敦賀に向かいます。

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  琵琶湖の対岸に見える伊吹山。

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  近江塩津で北陸線に乗り換え長浜、米原に向かう途中の余呉湖。

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  辺り一帯は賤ヶ岳の戦い(天正11年(1583年))の古戦場。

  羽柴秀吉と柴田勝家との戦いで、秀吉が勝利し、亡き信長の後継者としての地位を固めました。

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  長浜から米原に向かう途中の伊吹山。

  岐阜県側からの印象とは随分異なります。

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  米原駅にて。

  大垣行き普通電車313系の入線。

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  撮影 2016/03/12

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2016年3月25日 (金)

近江高島(滋賀県高島市)への途次と帰り2016年3月(1) - 近江塩津駅にて

 

  近江高島への途中の乗り換え駅である近江塩津駅、3月中頃。

近江塩津駅は北陸線から湖西線が分岐する駅。

北陸方面への旅行で、よく乗り換え待ちをする駅です。

北陸地方とを結ぶ名古屋、米原との特急「しらさぎ」と湖西線経由の大阪、京都との特急「サンダーバード」が行き交います。

 

  回送の米原経由新快速。

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  連絡通路は線路下。

  駅舎のある改札方向。

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  特急「サンダーバード」が駆け抜けていきます。

  この辺りの春は遅い。

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  撮影 2016/03/12

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2016年3月22日 (火)

近江高島(滋賀県高島市 大溝藩2万石の城下町)を散策2016年3月(6) - 圓光禅寺(分部家墓所)と瑞雪禅院(近藤重蔵墓所) 帰途につく

 

 

  近江高島の散策の最後は山の手にある大溝藩藩主家の分部家墓所と北方探検で有名な近藤重蔵の墓所を訪れました。

しかし、ここにきて大きな、そして残念な誤算が発生。

まさかの分部家墓所の圓光寺が閉まっていたのです。

大変残念な結果でしたが、これは現実として受け入れなければなりませんでした。

これはいつも閉めているのでしょうか?

 

  こうして山の手を最後に近江高島の散策を終わり。

帰りも湖西線を近江塩津へ向かい、近江塩津からは北陸線で米原、その後大垣を経由して岐阜に戻りました。

調べてみて、まだまだ高島市関連で訪れる場所は多いと感じたので、また訪れたいと思います。

 

  圓光寺本堂と下にある歓喜園。

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  分部家は伊勢の出身。

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  坂道を少々登ります。

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  途中にある高松大明神宮。

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  閉まってます。

  右隣にある車が通れる通用門も閉まっていました。

  通用門からすぐ右手に墓所が見えるのですが、仕方がありません。

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  境内。

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  右手に見える分部家墓所。

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  仕方なく瑞雪院にある近藤重蔵の墓所に向かいます。

  圓光寺を振り返って。

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  近藤重蔵は江戸生まれの幕臣で蝦夷地、北方の探検家として間宮林蔵、最上徳内などとともに有名。

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  瑞雪院は圓光寺の塔頭という関係。

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  近藤重蔵詩碑。

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  墓参道をさらに登ります。

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  左手にあります。

  近藤重蔵翁顕彰会のパンフレットが置かれていました。

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  近藤重蔵は、文政9年(1826年)「長男が三田の屋敷地を巡る争いで町民7人を殺害し八丈島へ流罪となる事件を起こし」、これに連座、改易。

  大溝藩に預けられることになり、文政12年(1829年)に死去。

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  歓喜園に下りてきました。

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  隣の大善寺。

  もう一歩足を延ばせば日吉神社。

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  近江高島駅に戻りました。

  敦賀行き新快速。

  途中の近江今津駅で後ろ8両が切り離されるため前4両に乗車。

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  撮影 2016/03/12

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2016年3月20日 (日)

近江高島(滋賀県高島市 大溝藩2万石の城下町)を散策2016年3月(5) - 古式水道と武家屋敷跡(笠井家)から修身堂跡

 

  最初に地図を4枚見て頂きます。

最初の地図は大溝城の本丸、二の丸、三の丸の位置関係、大溝陣屋時代の町並みの様子の全体。

2枚目は分部時代の大溝陣屋の御屋鋪が設けられた三の丸、総門、(藩校)修身堂の位置を示す図。

3枚目は現代の古式水道、武家屋敷跡(笠井家)、修身堂跡(の碑)、圓光禅寺の位置を示す図です。

4枚目はそれらの位置関係がより正確な地図。

 

  大溝城は本丸、二の丸、三の丸の様子から水城であったことがうかがわれます。

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  大溝陣屋を中心にした大溝の図。

  (三の丸の)御屋鋪、総門、(藩校)修身堂に印を付けてみました。

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  現代のマップ。

  古式水道、武家屋敷跡、修身堂跡、圓光禅寺に印を付けてみました。

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  現在のより正確な地図。

  この一枚を除き、いずれも駅の観光案内所で頂いたパンフレットを撮影した地図です。

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  駅から高架沿いを北に歩き、反対側にくぐってすぐ、左側に古式水道があります。

  古式水道は「江戸時代に出来た設備で、別名「殿様の水」。今も生活用水に使われている」(パンフレットより)。

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  古式水道の前の小道を少し下り気味に北側の道に出ます。

  その道路の北側に武家屋敷跡(笠井家)があります。

  向こう側に高島小中学校が見えます。

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  案内板より

 

  僅かに残る武家屋敷(笠井家)

 

  元和五年(一六一九)分部光信が伊勢から江州大溝(高島町)に入部し、この辺一帯は譜代家臣の集住する武家屋敷町となった。

明治維新後、家臣の多くが大溝を離れたため、今その遺構を見ることはむつかしいが、笠井家は現在残る数少ない一軒である。

通りに面して、両袖に部屋のある長屋門があったが、大正の初めに玄関脇に移築改造されて、今もその面影を残している。

また、解体した部分や増改築などで完全な状態とはいえないが、ほぼ藩政時代の代表的な家屋ということができる。

なお、庭園、屋敷囲いの生垣などは、当時の武家屋敷を想像させるものである。

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  笠井家の前の道路を西、山の方向に歩いて行くと高島小中学校に面した道路に出ます。

  これを左に行くと右手に圓光寺に向かう道があります。

  そしてその道を少し行きすぎた左手に修身堂跡の碑があります。

  跡は木工所となっていました。

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  圓光寺本堂。

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  撮影 2016/03/12

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2016年3月19日 (土)

近江高島(滋賀県高島市 大溝藩2万石の城下町)を散策2016年3月(4) - 町割り水路の町並み(2)

 

  大溝藩2万石の城下町は水路の多い水に囲まれた町並みでした。

その雰囲気を今に伝えるのが乙女ヶ池や町割り水路の町並みです。

もう少し町割り水路の町並みを散策して後、少し遅い昼食を取るべく駅に戻り、駅前にあるコンビニで昼食を調達してしばし休憩。

この後は分部家墓地や近藤重蔵の墓などのある山の手に向かいました。

 

  勝安寺の山門。

  町並みの奥に進みます。

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  妙琳寺の建物の裏側に当たる石垣と町並み。

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  同じく。

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  その石垣から勝安寺の門前。

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  曳山の収納庫。

  龍組(りょうくみ)山蔵(中町・西町)。

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  説明板より

 

  大溝祭(滋賀県選択無形民俗文化財)
 
 

  大溝祭は(おおみぞまつり)は、日吉神社(祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと))の春の大祭で五月三・四日に行われます。

日吉神社を古くは山王権現といい、長法寺(ちょうほうじ 比叡山三千坊の一・嘉祥二年(八四九)創建)の鎮守の神として、坂本の日吉大社より勧請(かんじょう)したと伝えられています。

大溝の地名の由来は、近世のはじめ、織田信澄(信長の甥)がこの地に城を築き、「大溝城」と名付けたことによるといわれています。

江戸時代に入り、元和五年(一六一九)分部氏が入封の後は城下町として発展しました。

大溝祭は、城下町商人の経済力と心意気が曳山祭として花開いたもので、以来三百余年伝承されて来ました。

豪華な曳山巡行に、当時の城下町経済の繁栄ぶりがうかがわれます。

○五月三日宵宮祭には、数十個の提灯で飾った曳山の巡行が行われます。

○五月四日本祭には、豪華に飾った曳山が神輿に供奉(ぐぶ)して町内巡行が行われます。

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  新しい家や車もいますが、往時の雰囲気は伝わってきます。

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  鮒寿しのお店。

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  この町割り水路の町並みの奥にあります。

  ここから一旦駅に戻ります。

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  駅前に戻り、ガリバーの巨大像。

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  日差しを受けながらベンチに座って昼食を取りました。

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  最後は山の手に向かいます。

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  撮影 2016/03/12

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2016年3月18日 (金)

近江高島(滋賀県高島市 大溝藩2万石の城下町)を散策2016年3月(3) - 大溝陣屋総門と町割り水路のある町並み

 

  津田信澄(つだのぶすみ 織田信長の甥)が築城した大溝城は、分部光信(わけべみつのぶ)が元和5年(1619年)に入部し大溝藩が成立すると、一国一城令により三の丸を除き破却されました。

光信は、乙女ヶ池の中に本丸、二の丸、三の丸が浮かぶ形の大溝城のうち、三の丸のみを残して新たに陣屋を構えました。これが大溝陣屋です。

その正門である総門が現存しており、まずここを訪れました。

そして、次に訪れたのは、その北側の往時の城下町の姿をしのばせる町割り水路の町並みです。

 

  下は駅の観光案内所で頂いたパンフレットの地図です。

  黄色で色付けされている場所が四か所ありますが、右から「乙女ヶ池」、「大溝城跡」、「総門」、「町割り水路」です。

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  (上の地図を参考に)駅から分部神社に至り、そこから左に道を取ると、その先の交差点にある文字が「滋賀BK」(滋賀銀行)。

  ここを左に折れると南側に総門があります。

  さらに滋賀銀行から北に行き左に行く道路から町割り水路の町並み。

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  分部神社のある交差点を振り返って。

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  ここを左へ。

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  大溝陣屋総門。

  現存遺構です。

  「分部氏によって整備された武家屋敷地の出入り口の中で最も重要な門(正門)であった。

  大溝陣屋関連で唯一現存する貴重な建造物で、市指定文化財に指定され保存されている。

  かっては総門より東側に武家屋敷地、北西には職人町が広がっていた。」

 (駅の観光案内所で頂いたパンフレット「近江高島大溝の水辺さんぽ」(まちあるきmapと歴史紹介)より)

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  内側より。

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  総門の前の建物。

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  西から。

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  滋賀銀行からさらに北に行き、その左手、町割り水路。

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  左手にある勝安寺。

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  勝安寺前から北に延びる町割り水路の町並み。

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  勝安寺本堂。

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  鐘楼。

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  勝安寺門内から。

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  勝安寺山門。

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  撮影 2016/03/12

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2016年3月15日 (火)

近江高島(滋賀県高島市 大溝藩2万石の城下町)を散策2016年3月(2) - 分部神社と大溝城跡の本丸天守台石垣

 

  まず「近江高島ってどこ?」という疑問に答えられる地図を示しておきます。

近江高島駅はJR湖西線の駅で基本的に昼間帯では上り下りとも新快速、普通各1本が停車します。

京都からは新快速で所要38分ほど。

高島市に属しますが市役所の最寄りの駅は新旭駅。

 

  駅前の巨大なガリバー像は市内に「ガリバー青少年旅行村」があることからのようです。

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  もう少し判り易い地図。

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  分部神社。

  祭神は大溝藩藩祖の分部光信(わけべみつのぶ)公。

  明治11年(1878年)公許、明治13年(1880年)落成。(滋賀県神社庁ホームページより)

 

  分部光信は伊勢上野藩の第2代藩主で分部家2代。

  光信は二条城、駿府城、大坂城、佐和山城の普請、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣での功、翌年の夏の陣での功などで元和5年(1619年)に大溝藩2万石の大名として入部。

  以後12代にわたり大溝藩の藩主家であり続け明治維新を迎えました。

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  分部神社から道路を先に進むと三の丸跡。

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  建物は介護老人保健施設陽光の里。

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  施設の横をすり抜けて小道を行きます。

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  だだっ広い城跡に本丸天守台の石垣が残っています。

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  介護老人保健施設 陽光の里の建物を背中に背負いながら。

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  発掘調査でしょうか。

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  西側から。

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  まだ西側から。

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  北側の部分。

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  北側から。

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  東側に回り込みました。

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  東側。

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  南側に回り込もうとしています。

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  天守台跡に登ってみました。

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  妙に大きな石があちこちに。

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  乙女ヶ池の方向。

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  大溝城とお初

 

  大溝城は、織田信長が安土に壮大な城を築いていた頃甥の信澄に築城させた城で、琵琶湖とその内湖を巧みに取り込んだ水城です。

設計は明智光秀と伝えられています。浅井三姉妹お初は京極高次の正室としてこの大溝城で新婚生活を送り、水清く緑豊かな高島、ことに雪深い冬の風物を、厳しい中にも心豊かな郷土として楽しんだ事でしょう。

姉妹には数奇な運命を送った姉お茶々(淀殿・豊臣秀吉側室)、妹お江(崇源院・徳川秀忠継室)がいます。

お初は名門京極家の正室として生涯を全うしましたが、大坂冬の陣では姉の側にいて家康の側室阿茶の局と共に徳川豊臣の和睦に尽力するなど優れた能力を発揮しました。

室町幕府の四職に列した名門京極家の女あるじとして一族の繁栄と家名の維持に努めた戦国時代には稀な才女であったとも言えます。

戦国一の美女と謳われた母お市の方の美貌と知性を受け継いだ初はまた非常な美声の持ち主であったと伝えられています。

高次の死後、常高院となり生涯高次の弔ったあと京極家の江戸屋敷で天寿を全うしました。(享年六十六歳)


    平成二十三年三月

                                                                   高島地域まちづくり委員会

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  昨日の記事の案内板と同じ内容の案内板です。

  文章的には細かい相違がありますがほぼ同じ内容です。 

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  乙女ヶ池。

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  天守台跡への正式な登り口は南側のこちら。

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  ここから町への散策に向かいます。

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  撮影 2016/03/12

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2016年3月13日 (日)

近江高島(滋賀県高島市 大溝藩2万石の城下町)を散策2016年3月(1) - 北陸線経由で近江高島へ

 

  近江高島は琵琶湖の北西に位置する町です。

岐阜からは琵琶湖の向こう側という場所なので、今回は北陸線で近江塩津まで行き、湖西線で京都方面行き電車で向かうという方法を取りました。

距離的にはこの経路が最も近いのですが、時間によっては東海道線利用で京都の手前の山科経由という方法もあります。

 

  近江高島は織田信長の甥にあたる津田信澄が大溝城を築城し、のちに分部氏が入部して2万石で大溝陣屋を中心に大溝藩を立藩したことで発展した城下町です。

分部氏時代には一国一城令によりお城は廃城となり陣屋での支配となりました。

 

  米原駅にて。

  6番線の2両編成521系の敦賀行きに乗車。

  米原出発時には立ち客が出るほど満員ですが、長浜などで降車する乗客が多く、高月、木ノ本あたりからは空席が目立つようになります。

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  近江塩津駅(おうみしおつ えき)に到着。米原からは30分少々。

  湖西線経由の電車は1時間に1往復の新快速しかありません。

  案の定悪い予感が当たり35分の待ち合わせとなってしまいました。

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  近江高島駅にて。

  敦賀発の新快速で近江高島駅に到着。

  近江今津駅で8両増結して12両編成となっています。

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  駅前広場を見下ろすと何か巨大な像が。

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  ガリバーの像でした。

  なぜガリバーなのかは分かりません。

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  近江高島駅駅舎。

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  何度見ても気になるガリバー像。

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  案内板より

 

  この案内板の左斜めの位置に天守跡の石垣を残す大溝城は織田信長が安土に壮大な城(安土城)を築いていた頃に、対岸の戦略上の重要地とされたこの地に琵琶湖とその内湖を巧みに取り込んだ水城として築かれました。

伝承によれば城の縄張(設計)は明智光秀であったとされています。

天正六年(1578年)二月三日には信長の弟織田信行の長男(織田信澄)を城主として認可し、高島の治世を任せたのです。

信澄は当時の高島郡の開発発展に尽力するとともに、信長の側近として織田軍の遊撃軍団のひとつとして勇名を馳せました。

しかし、天正十年六月二日明智光秀が本能寺に謀反を起こすと、光秀の娘を妻としている信澄に嫌疑がかかり信澄の蜂起を恐れた織田信孝(信長の三男)は丹羽長秀と謀って、六月五日、四国遠征途上にあった信澄を大阪城内二の丸千貫櫓に攻め込んだ為、信澄は自害して果てました。

大溝城はやがて解体され甲賀郡水口岡山城に移されましたが、城を中心に形成されていた大溝の城下町は元和五年(1619年)伊勢国上野(現在の三重県河芸町)から入部した分部氏に引き継がれ整備されて湖西地域の中核的存在として 豊かな歴史と文化を育んできました。

この大溝城本丸跡は、平成八年三月旧高島町指定文化財となり今に至っています。

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  駅前あたりを拡大。

  まず分部神社から大溝城跡に向かいます。

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  信号行き当たりにある「街角ふれあい交流広場」というポケットパーク。

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  駅方向を振り返って。

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  全体の地図。

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  信号のある交差点の一角にある分部神社から散策を始めます。

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  撮影 2016/03/12

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2016年3月12日 (土)

JR岐阜駅からの岐阜城2016年3月 - 岐阜県岐阜市

 

  滋賀県の城下町である近江高島を訪れての帰途、岐阜駅に着いてプラットフォームを少しぶらぶらしてみました。

  その岐阜駅1番線から見える岐阜城です。

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  東を望むと名鉄岐阜駅が見えます。

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  岐阜駅前から北に延びる三本の駅前通りの内、最も東にある長良橋通り。

  名鉄岐阜駅のバス停があり最も繁華と言えます。

  長良橋通りは旧電車道でした。

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  中央にあるのが金華橋通り。

  黄金の信長像が建っています。

  最も西にある駅前通りは忠節橋通りと言います。

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  手前に尾根がのびてきています。

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  撮影 2016/03/12

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2016年3月10日 (木)

東からの岐阜城 - 岐阜県各務原市(かかみがはらし)苧ヶ瀬(おがせ)あたり

 

  岐阜市の東隣は各務原市(かかみがはらし)。

その各務原市でも東部に位置する苧ヶ瀬池(おがせいけ)の南あたりからも岐阜城が望めます。

苧ヶ瀬池まで北上してしまうと山の陰に隠れて見えなくなるので、名鉄苧ヶ瀬駅付近の田園地帯から。

苧ヶ瀬駅(おがせ えき)へは名鉄岐阜駅から各務原線の普通電車で所要25分です。

苧ヶ瀬駅は普通のみの停車で新那加駅より急行になる電車は乗り換えが必要。

 

 

  犬山行き普通電車。

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  苧ヶ瀬駅にて。

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  苧ヶ瀬池は桜やツツジが綺麗な地域の行楽地です。

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  遠くに岐阜城が望めます。

  直線距離にして12Kmほど。

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  各務ヶ原(かがみがはら JR高山線の駅名)の駅名の「務」のあたりに苧ヶ瀬駅があります。

  ちなみに市名は各務原市で「かかみがはら」市と呼びます。

  名鉄も各務原線(かかみがはらせん)と濁りません。

  撮影 2011/04/21

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2016年3月 9日 (水)

加納 新荒田川からの岐阜城 - 旧加納の城下町から(岐阜県岐阜市)

 

  以前にも書きましたが、現在の岐阜市は大きく言って、道三、信長による旧城下町で関ヶ原の戦い以後岐阜城が廃城となり商人町として生まれ変わった尾張藩領の岐阜町、そして関ヶ原の戦い以後に築城された加納城を中心とし中山道の宿場町でもあった加納藩の城下町、この両地域からなっています。

ただし、この両地域が合併する(加納町の岐阜市への編入)のは1940年(昭和15年)と意外にも遅い。

こうして現在はこの両地域が中核となって岐阜市が形成されていると言っても構わないでしょう。

 

  新荒田川からの岐阜城。

  新荒田川は加納城の天然の堀として活用されていました。

  もちろん江戸時代には岐阜城は存在しませんでした。

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  撮影 2011/03/05

 

  左の地図は左が北の地図です。

  上(東にあたる)の方を流れているのが新荒田川です。

  加納城の東側を流れています。

  左端に現岐阜駅があります。

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  岐阜駅の南に加納城跡があります。

  その東側を流れるのが新荒田川。

  岐阜城は山麓ー山頂のロープウェイで示されています。

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2016年3月 7日 (月)

長良橋からの岐阜城 - 新緑の頃 (岐阜県岐阜市)

 

  2013年5月の新緑の頃に訪れた「長良川うかいミュージアム(岐阜市長良川鵜飼伝承館)」。

訪ねたその足で長良橋を北から南に渡りました。

「長良川うかいミュージアム(岐阜市長良川鵜飼伝承館)」へのJR岐阜、名鉄岐阜方面からの最寄りのバス停は鵜飼屋バス停です。

長良川沿いに東に向かうも良し、裏道を歩いて鵜匠さんの家の外に積み上げられた篝火(かがりび)用の薪を観察しながら行くも良し。

「長良川うかいミュージアム(岐阜市長良川鵜飼伝承館)」の観覧料は大人500円、小人250円。

 

  現在長良川鵜飼いの鵜匠家は六家。

この裏道には鵜匠さんの経営する喫茶店がありますので、これも入ってみるも良しです。

 

  「長良川うかいミュージアム(岐阜市長良川鵜飼伝承館)」。

  目の前に金華山と岐阜城が聳え立っています。

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  長良橋北詰のポケットパークからの岐阜城。

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  長良橋を南に歩いて行くと鵜飼観覧船の溜まり場があります。

  鵜飼は毎年5月11日から10月15日まで毎日行われます。

  ただし、中秋の名月と増水時は行われません。

  観覧船乗船場は橋の南詰の西側にあります。

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  撮影 2013/05/16

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2016年3月 5日 (土)

南からの岐阜城 - 岐阜市(入舟町、領下あたりから)

 

  距離的には岐阜城に近い南から。

ちょうど名鉄各務原線が南にカーブを切ってJR高山線を跨ぐために高架となるあたりです。

その先に各務原線唯一の高架駅である細畑駅があります。

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  高架を下り切って田神駅、名鉄岐阜方面に向かいます。

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  以上撮影 2009/02/08

 

  JR高山線と名鉄各務原線が交わるあたりから。

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  一枚のみ 撮影 2008/05/15

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2016年3月 3日 (木)

奈良津堤からの岐阜城 - 岐阜県羽島郡笠松町

 

  様々な場所から見える岐阜城のシリーズ。

 

  今回は岐阜県笠松町から見える岐阜城。

奈良津堤は桜の名所で笠松競馬場のすぐ隣にあります。

駐車場は競馬場のを利用するのが良いと思います。

電車は名鉄笠松駅を利用。岐阜からは特急で5分。

桜は木曾川べりの笠松みなと公園と合わせて訪れるのが良いでしょう。

奈良津堤の桜情報(笠松町)

 

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                                                                             この一枚のみ撮影 2012/06/22

 

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  笠松みなと公園の桜。

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  撮影 2012/04/12

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2016年3月 2日 (水)

細畑駅、高田橋駅(いずれも名鉄各務原線(かかみがはらせん))付近からの岐阜城 - 岐阜県岐阜市

 

  何れの写真もひょっとしたら既出かも知れませんが、2013年1月の雪景色の岐阜城。

場所は名鉄各務原線(かかみがはらせん)の細畑駅と高田橋駅付近からです。

位置的には岐阜城の南と南南東方向。

 

  名鉄細畑駅からの岐阜城。岐阜城からはほぼ真南。

  細畑駅(ほそばたえき)は高架駅です。

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  郊外に出てもう少し東に行き高田橋駅付近から。

  このあたりになると岐阜城からは南南東の位置となります。

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  名鉄各務原線の北をJRの高山線が鵜沼駅まで併行しています。

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  撮影 2013/01/27

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