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2016年4月30日 (土)

所用で西舞鶴(京都府舞鶴市)を訪れる2016年4月(5) - 舞鶴田辺城跡

 

  田辺城の築城主は細川藤孝ですが、関ヶ原の戦いのうち「田辺城の戦い」を経て後、田辺城には京極高知が丹後一国を与えられて入国します。

しかし高知は宮津城に本拠地を移し田辺城は廃城となりました。

のち高知の次男である京極高三が3万5千石で舞鶴藩主となると、荒廃していた田辺城は再興されます。

この舞鶴藩(田辺藩)京極家は3代で田辺を去り、その後に牧野家が17世紀に入部して明治まで10代にわたり当地を治め、田辺城は牧野氏によって改修が加えられました。

 

  高野川。

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  現存する明倫館の校門。

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  城門を形取った田辺城資料館。

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  櫓の姿をした彰古館と城門。

  いずれも無料で拝観できます。

  城門の復興は1997年(平成9年)。

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  何といっても田辺城のヒーローは「ゆうさいくん」(細川藤孝(幽斎))。

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  城門内から見た彰古館。

  彰古館は1940年(昭和15年)の復興。

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  舞鶴公園案内図。

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  天守台の石垣を北から。

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  東から全体を。

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  石組はこんな風。

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  田辺城資料館に入ります。

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  係員の方にお聞きしたら写真可ということで。

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  歴史上注目を浴びるのは細川家ですが、17世紀から200年間10代にわたり田辺の地を治めたには牧野家です。

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  牧野家関連の展示もあります

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  上が東に当たります。

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  田辺城を後にしました。

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  撮影 2016/04/23

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