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2016年4月10日 (日)

石山寺(滋賀県大津市)の桜 2016年4月(3) - 多宝塔から光堂、大黒堂をへて石山駅へ帰る

 

  今年の桜も、西日本から東日本にかけては、そろそろ終わりになりつつあります。

岐阜県に関していえば、まだ飛騨の桜がこれから本格的に見頃となります。

飛騨高山などもこれからです。

去年(2015年)、高山の桜を見に訪れたのが4月18日。

当日、中橋付近は満開でしたが、護国神社あたりは三分咲きから五分咲きでした。

今年はその満開が2,3日早くなるような情報が多いですね。

したがって、春の高山祭(4月14日、15日)は満開の桜の中で行われることになりそうです。

 

  去年(2015年4月18日)、高山の桜の記事。

飛騨 高山(岐阜県高山市)の桜 2015年(1) - 高山陣屋前 中橋付近の桜

飛騨 高山(岐阜県高山市)の桜 2015年(2) - 中橋から二の丸児童公園、飛騨護国神社へ

飛騨 高山(岐阜県高山市)の桜 2015年(3) - 飛騨護国神社の桜と高山別院

飛騨 高山(岐阜県高山市)の桜 2015年(4) - 江名子川の桜と古い町並み、桜山八幡宮へ

飛騨 高山(岐阜県高山市)の桜 2015年(5) - 桜山八幡宮から古い町並み

飛騨 高山(岐阜県高山市)の桜 2015年(6) - 古い町並み散策、中橋に戻る

飛騨 高山(岐阜県高山市)の桜 2015年(7) - 飛騨国分寺の桜はこちら。

高山駅 2015年 - 駅南の陸橋よりはこちら。

 

  さて、こちらはもう終わってしまったであろう石山寺の桜。

多宝塔からさらに上に登りますが、もう歴史的な建造物は無く、もっぱら観光用の見どころが造成されているという場所になります。

とは言え、綺麗である事には変わりません。

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  多宝塔からさらに上に登ります。

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  多宝塔の上にある心経堂。

  平成2年の落慶。

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  桜、梅園、牡丹園などが「造成」されている区域に入ります。

  なかなか綺麗です。これはこれで楽しめます。

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  光堂が見えてきました。

  ここが最終地点。

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  まだ色々施設がありそうですが、来た道をもどって途中行き過ぎた豊浄殿へ。

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  豊浄殿。

  毎年春(3/18-6/30)と秋(9/1-11/30)に「石山寺と紫式 部展」が開催されます。一般300円。

  書き忘れましたが、石山寺入山料+本尊内陣拝観料+豊浄殿入館料セット券は個人1200円。

  これを最初に購入すべきでした。

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  多宝塔の東側に来ました。

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  東側にある月見亭。

  月見亭には入ることはできません。

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  宝篋印塔。

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  鐘楼から下りると諸堂があります。

  蓮如堂と本堂が見えます。

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  御影堂。

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  左 毘沙門堂、右 観音堂。

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  帰ります。

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  石段を降り切ると大湯屋。

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  そして大黒堂。

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  これで参道に出ます。

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  東大門までの参道を戻り、バス停へ。

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  バス乗り場から東大門。

  バス運賃は石山駅まで大人210円。

Dsc05384

 

  JR石山駅にて。北に向けて帰途に。

  しかし、帰るつもりが長浜まで行く気になり、豊公園の桜を見に行きました。

Dsc05385

  撮影 2016/04/05

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コメント

飛騨高山の記事、読ませていただきました。40年ほど前に家族旅行で行ったことがあるので懐かしいです。朝市で八丁味噌をシソか何かの葉の上にのせて焼いたものを食べさせてもらって、とても美味しかったという記憶があります。その後いろいろ試行錯誤しましたが、あのときの味は再現することができませんでした。多分味噌が違うのだと納得しています。

石山寺の多宝塔は11年に修理をし、その過程を公開していたそうです。

国宝石山寺多宝塔平成大修理
www.ishiyamadera.or.jp/ishiyamadera/gyouji/tahoutou_repair/img/tahoutou_pamph.pdf
は、桧皮葺(ひわだぶき)の技法の解説と多宝塔の図面があります。

石山寺多宝塔の平成大修理 ~ その1 ~
blogs.yahoo.co.jp/ko0214/60898575.html
【びわこ観光特派員ブログ(24)】石山寺・多宝塔の葺き替え見学
nakatakablog.blog102.fc2.com/blog-entry-273.html
修理の過程の写真を掲載してくれています。

現代の建築でも技術者が急激に減っているのに、40年ごとの葺き替えだと技術の伝承がさらに困難なのでしょうね。

投稿: ddol | 2016年4月11日 (月) 19時17分

高山って岐阜県なんですが、美濃と飛騨の違いって結構大きくて、地元?では「飛山濃水」と形容しています。
「山の国の飛驒と水の国の美濃」という意味ですが、美濃の人間にとっては高山は異なった文化の地で、同じ県内ながら遠くに観光に来た気がする町なんです。

石山寺の多宝塔の大修理は迂闊にもまったく知りませんでした。
初めて石山寺を訪れたのは80年代初期 ddol さんら三人で訪れたのが初めてでした。その時の比叡山での写真が(私の写った写真)いまでも2,3枚残っていて、大事に保管しています。

引用先の三本見ました。最近はどこも修理中の文化財を一般公開してくれますが、姫路城は見たかったと今でも残念に思ってます。

投稿: mino | 2016年4月12日 (火) 14時53分

追記。

技術者の育成は課題ですね。
昔、甲府城を訪れた際、現地の案内の人に、職員を石垣の築造の技術者になるための研修に行かせている旨の話を聞いたことがあります。
石垣の技術者は需要が大きく、どんな風に技術者を養成しているかは関心があります。

建築物では技術者とともに建築素材の枯渇もあるようですね。
また素材を加工するにもそちらの技術者が必要ですし。

投稿: mino | 2016年4月12日 (火) 15時08分

高山って岐阜県なんですが、美濃と飛騨の違いって結構大きくて、地元?では「飛山濃水」と形容しています。>
美濃の人間にとっては高山は異なった文化の地で、同じ県内ながら遠くに観光に来た気がする町なんです。>
うーん、この辺の感覚ってわからないんです。浜松、静岡、伊豆の人たちが互いに別の地方の人のように話すのを不思議に思ったことがありますが、実感が湧きません。
私は大阪は外様のようなもので、しかも南河内ということで、摂津の人たちが私をどう見ているのか想像できません。
東京では「下町」「山手」という言葉は半ば死語になっていて、江東区や奥多摩まで行くと違うな、とは思いますが、それでも東京だという感覚です。東京は急速に全国から人が集まり、言葉や習慣がごっちゃになって作られている町なので、昔の「国」という意識が薄れているのだと思います。だからminoさんの指摘はちょっと驚きでした。
日経に「北関東3県は『宇都宮県』に 幻の28道府県案」(college.nikkei.co.jp/article/51521018.html)という記事があり、行政区域の変遷を概略しています。1879年時、東京、大阪が小さかったたことが改めてわかりました。

初めて石山寺を訪れたのは80年代初期 ddol さんら三人で訪れたのが初めてでした。その時の比叡山での写真が(私の写った写真)いまでも2,3枚残っていて、大事に保管しています。>
実は私はほとんど覚えておらず、四人で行ったと思い込んでいました。叡山に登ったことなどは記憶していますが、石山寺へ行ったことはすっり忘れていました。
写真といえば、ドイツ近代史の先生の引っ越しの手伝いに行った時の写真が手元に残っています。

昔、甲府城を訪れた際、現地の案内の人に、職員を石垣の築造の技術者になるための研修に行かせている旨の話を聞いたことがあります。>
この問題はどの分野でも同じなんでしょうね。ご存知でしょうが秩父鉄道がSLを走らせています。当初はJRからの出向で運転していたのを、最近は社員を育成するようになったそうです。
穴太衆積みの技術は、現在は栗田建設しか持っていないそうで、現代建築に生かすために様々な努力を行っているそうです。伝統技術が現代の建築基準に適合するかどうか、土木工学的な試験を行ってメカニズムの分析を行ったりして、実際の工事を可能にしました。

安土城の石垣技術、米国へ 継承業者のPR実る
www.nikkei.com/article/DGXLASDG06H7G_W5A400C1CR0000/

投稿: ddol | 2016年4月14日 (木) 19時12分

「北関東3県は『宇都宮県』に 幻の28道府県案」
>これは面白い資料ですね。岐阜は名古屋県に含まれる可能性があったんですね。
でも、明治初期であれば元々美濃の領土の最大保有者は尾張藩だったので違和感なく編入されていても不思議ではありません。

そういえば先生の引っ越しのお手伝いに行きましたね。先生にはご迷惑ばかりかけた出来の悪い学生でした。本当にお世話になりました。

石垣の話になりますが、夕べの地震で熊本城の石垣が崩落しましたね。崩れたのは西出丸か奉行丸の櫓の近くに見えました。
東日本大震災では白河小峰城の石垣がまだ修復中であった筈ですが、この一事をもってしても伝統技術の継承は重要ですね。
日経の記事にあったように需要が少ないということは需要はあるが採算が取れないという事なんでしょうね。こういう所にこそ補助金は必要なんですが。

投稿: mino | 2016年4月15日 (金) 19時31分

震災があったのでしばらくお休みしました。
熊本城も大変そうです。さっそく修復に関する記事が出ています。

熊本城修復、いばらの道 期間10年超、費用最大200億円か
www.nishinippon.co.jp/nnp/kumamoto/article/241167
石積み職人集団「穴太衆」の末裔が語る「熊本城」修復にかかる課題とは!?
news.goo.ne.jp/article/dot/nation/dot-2016041600012

などなど。
最初の記事にあるように地盤が問題で、相当な難作業になると思います。でも生活が優先なので、文化財はまだまだ手がつけられないでしょうね。

石垣の修復に関しては
高瀬哲郎「日本の城郭石垣に於ける伝統的技法について」(Proceedings of the 2nd International Symposium on the History of Indigenous Knowledge, 2012)
portal.dl.saga-u.ac.jp/bitstream/123456789/120363/1/takase_201210.pdf
で少し論じられています。
この論文は日本の城の石垣の歴史をわかりやすく概略してくれています。一般に安土城建設を契機に高石垣建築技術が急速に向上していったとされますが、私にはどうやってその技術を獲得したのかという点が謎です。自ら試行錯誤したとするには期間が短かいのではないかと思います。

ネットでは、熊本城の石垣で壊れなかった所があるとして、当時の築城技術が優れているという意見が多くあります。このあたりも今後の修復過程で明らかにされていくことと思います。

投稿: ddol | 2016年4月25日 (月) 19時30分

熊本城
>あの崩れ方ですと、修復には相当時間がかかりそうです。熊本城のような大規模石垣が元通り復元できるのか一抹の不安を覚えます。

石垣の技術の修得については、どの時点での技術かで異なってくるようですね。安土城の石垣は素人考えですが、従来の技術を巨大化したという意味合いが大きいのではないかと考えています。

何にしろ修復には何十年という単位となるのでしょうね。

投稿: mino | 2016年4月26日 (火) 15時43分

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