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2016年5月 4日 (水)

河内飛鳥(大阪府)を歩く2016年5月(2) - 河内源氏発祥の地 壺井八幡宮

 

 

  丘陵地帯に集落とブドウ畑が織り成す風景の中、そこを縫うように壺井八幡宮に向かいます。

グーグルマップ(印刷したもの)は大まかな位置関係、近鉄の「てくてくまっぷ」は細かい目印を探し出すのに便利です。

ミラーや掲示板などの細かい目印は大変役に立ちますが、ともすればどちらの方向に歩いているかが分からなくなります。

そこでグーグルマップが大きな羅針盤となります。

 

  こんな雰囲気の中を行きます。

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  飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)からは南阪奈道路を渡り、ほぼ南西に歩いてくると壺井八幡宮に至ります。

  上ノ太子駅からは約1.5km20分ぐらい。

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  清泉「壺井」

  平安時代前9年の役(1051~1063)のとき、源頼義の軍が飲料水に苦しんだ折、弓の先で崖をつき崩して得た冷泉により将士の意気があがったといわれている。

平定完了して凱旋する際冷泉の水を壺に入れて持ち帰り、本拠地の香炉峰の南麓に井戸を掘り、そこに冷泉の水を底に入れ、苦戦の記念としたもので、これが「壺井」の地名の起源となった(河内名所図会より)

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  壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)は河内源氏の氏神です。

  主祭神は誉田別尊(応神天皇)・仲哀天皇・神功皇后。

  河内源氏の祖である源頼信が河内守に任官し壺井に館を構えたのが河内源氏の始まりです(寛仁4年(1020))。

  源頼信は平忠常の乱の平定(長元4年(1031年))に功があり、以後源頼義、源義家の三代が居住し河内源氏と呼ばれました。

  その後、河内源氏は東国に進出し河内源氏の総鎮守は壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移ります。

  一方、壺井八幡宮は河内源氏の祖廟かつ当地に土着した石川源氏の氏神となります。

  2代目の河内源氏棟梁の源頼義は前九年の役(1051年 - 1062年)で活躍、3代目の源義家は後三年の役(1083年-1087年)で活躍し、それぞれ東国に勢力を扶植しました。

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  石段を登って鳥居。

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  社殿。

  徳川綱吉の命により柳沢吉保が再建(元禄14年(1701年))。

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  鳥居を振り返って。

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  句碑。

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  壺井八幡宮本殿の奥には頼信・頼義・義家、義綱、義光を祀る摂社 壺井権現社(壺井神社)がある。(Wikiより)

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  石段の上から下の鳥居。

  この道路を真南に向かい河内源氏三代の墓所に向かいます。

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  振り返って。

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  撮影 2016/05/02

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