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2016年5月10日 (火)

河内飛鳥(大阪府)を歩く2016年5月(5) 叡福寺と聖徳太子御廟(1)

 

  河内源氏三代の墓のうち、源義家、頼信の墓所のある丘陵から小道を下り、そのまま道なりに行くと南北の道路に突き当たります。

これを左(南)に歩いて行くと太井川(たいがわ)に至ります。

この川沿いを行くと太井川橋交差点に達し、あとは府道32号線を概ね東に歩いて行くと叡福寺と聖徳太子御廟の門前に出ます。

太井川橋(たいがわばし)交差点から叡福寺と聖徳太子御廟の門前までは徒歩10分足らずの距離です。

ちなみに河内源氏三代の墓、もしくは通法寺址付近から太井川橋交差点までが徒歩10数分の距離です。

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  電柱は立っているのに電線が無いすっきりとした町並みとなっています。

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  叡福寺の門前に出ました。

  門前のバス停が「太子前」バス停。

  金剛バスが上ノ太子駅、喜志駅との間を結んでいます。

  歩くのはチョットという方はバスがおすすめです。最低1時間に1本はあります。

  南大門と多宝塔。

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  叡福寺は

  「推古天皇が聖徳太子の墓を守護するために建立された寺です。

戦国時代には、織田信長の兵火で焼失しましたが、江戸時代に豊臣秀頼によって聖霊殿が再建され、次第に伽藍の復興が図られました。」(太子町観光・まちづくり協会より引用)

  太子町観光・まちづくり協会 叡福寺。

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  南大門越しに見える聖徳太子御廟(叡福寺北古墳(磯長墓))。

  聖徳太子御廟は現在は宮内庁の管轄となっています。

  南大門は1958年(昭和35年)の再建と新しい。

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  聖徳太子御廟(叡福寺北古墳(磯長墓))。

  門は二天門と呼ばれる。

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  境内の向かって左手にある多宝塔。

  1652年(承応元年)の再建で国の重要文化財に指定されています。

Dsc05650

 

  金堂。1732年(享保17年)の再建とか。

  写真はWikipediaから拝借しました。

Photo

Dsc05668

  撮影 2016/05/02

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コメント

このGWは、私と入れ替わりに家の近所にいらっしゃったのですね。源氏三代の墓所もそうですが、少し南に行くと「近つ飛鳥博物館」もあって、この辺は大阪に来てからずっと訪れたいと思っていた場所です。多分家からは30分程度なのですが、いかんせん道路事情が悪いのでまだ行っていません。私は無類の方向音痴で、昔やはり音痴の友人と立川方面へサイクリングに行って道に迷った挙句、西武ドームにまで行ってしまったことがあるくらいです。
頼義というと鎌倉由比(材木座)の元八幡は概説書などにも出てきますが、東京では杉並区大宮にある大宮八幡宮が有名です。前九年の役の後に建った神社ですが、今世紀になって「ちっちゃいおじさん」で一躍有名になってしまいました。

私の知らないうちに河内源氏に関する一般向け書籍が多く出版されていて、研究の方向も大きく変わっています。
ちょっと面白いと思った論文に
森公章「源頼信と河内源氏の展開過程」(『東洋大学文学部紀要 史学科篇』39号(2013年))
toyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=6823&file_id=22&file_no=1
があります。やや長い論文で、非武門の伯耆守藤原資頼と対比して頼信の在地運営を論じていて、武門の苦労や浮沈のさまを描いています。

今年のGWの最後は京都・大阪を「案内」しました。関西でのGWは30数年ぶりで、車・人の多さに驚くとともに、地方にいることをあらためて実感しました。

投稿: ddol | 2016年5月10日 (火) 19時52分

頼義というと鎌倉由比(材木座)の元八幡は概説書などにも出てきますが、東京では杉並区大宮にある大宮八幡宮が有名です。
>頼義の足跡が残っているのですね。平忠常の乱は受験日本史で僅かに記憶があるのですが、源頼信は殆んど記憶にありません。でも、今度の旅のために調べものをして少し勉強になりました。それにddol さん紹介の論文でも、もう少し頼信のことが理解できそうです。
やっと論文の半分くらいまで来て頼信への言及が始まりました。「非武門の伯耆守藤原資頼」の部分が終わった所です。

大阪については、一度大阪城、住吉公園、道頓堀など大阪の名所という場所を一日がかりで巡ってみたいと考えています。
特に道頓堀界隈は長い間訪れていません。今は外国人観光客も多いのでしょうね。

投稿: mino | 2016年5月12日 (木) 17時51分

ご無沙汰しております。
梅雨までの間、出かけるには最適の季節になりましたがなかなか遠出できません。

中高の頃、この付近、というか近つ飛鳥博物館のすぐ下に住んでおりまして、なんだか懐かしい辺りのお話しだなぁと。
叡福寺も、歩いて15分位の所で、大阪芸大裏の敏達天皇陵横の細い道を通って遊びに行った覚えがあります。
途中、雉やタヌキに出くわすような、そんな田舎でした。
それ以前は、中之太子(藤井寺市野中寺)の近くに住んでいたこともあり、聖徳太子は馴染み深い感じがします。

通法寺の所でちょっと出てきた、新羅三郎は小笠原氏、武田氏の祖なわけですが、その佩刀の備前真守が高松松平氏の「御三刀」として伝わっています。(他に切刃貞宗、二字国俊)
でも、新羅三郎って人が、割と悪逆の人なんで、日本刀ブームにもかかわらずあんまり人気がない。(苦笑)
鎧の盾無の方は、歴史的にも著名なんですが。

河内源治は義家の後、頼朝まで平氏に比べて不遇となりますが、その原因を作った人。
この微妙な関係の三兄弟が揃って祀られているのが不思議な感じがしますね。

投稿: tera2 | 2016年5月13日 (金) 00時41分

備前真守>伯耆真守
でした

投稿: tera2 | 2016年5月13日 (金) 00時46分

tera2 さん、お久し振りです。

そういえば、tera2さんの地元でしたね。昔、teraさんも河内源氏に言及されていました(関心があると)。
今回の事で、やっと河内源氏の足跡がおぼろげながら判ってきました。

でも、新羅三郎って人が、割と悪逆の人なんで、日本刀ブームにもかかわらずあんまり人気がない。
>でも、価値観なんてちょっとしたことで変わりますからね。
高松松平氏に義光の佩刀が伝わっているというのも面白いですね。

「御三刀」はどちらに所蔵されているのでしょうか?

投稿: mino | 2016年5月13日 (金) 10時23分

「御三刀」は香川県立ミュージアムが「保管」しているようですね。
調べてみましたが、所蔵となると別なのかも。

投稿: mino | 2016年5月13日 (金) 15時42分

所持は松平家(松平公益会)になると思います。
伝わった由来は、新羅三郎義光>武田家>信玄>勝頼>徳川家康>松平信吉>家康>水戸頼房>徳川光圀>徳川頼重(高松松平初代)。
生茎(うぶなかご)で素性がはっきりしている刀なんで、重文です。

投稿: tera2 | 2016年5月14日 (土) 02時17分

所持は松平家(松平公益会)になると思います。
>なるほど。

義光は甲斐源氏の祖にあたるんですね。
また、ここまで由来がハッキリしているというのも奇跡に近いですね。

投稿: mino | 2016年5月15日 (日) 20時55分

ご無沙汰です。
教えてくれれば、車を出すのに。このあたり、細い道が多いので車で行っても、けっこう
歩くことになるけどね^^;

歩くなら上ノ太子より少し距離が長いけど、駒ヶ谷起点。ここから竹内街道と太子道が分
岐しており、竹内街道なら杜本神社や司馬さん関係(車がないと厳しいか)。
一方の太子道では、大黒寺。大黒天と太子信仰の道として、江戸時代、太子道は竹内街道
よりも人気があったらしいです。

頼信の親父さんの満仲は、川西市から猪名川町あたりに移り住むんやけど、この地域は多
田銀銅山の遺跡があり、また三ツ矢サイダー発祥の地^^
大僧正隆光関連の多田義直もそうやけど、多田氏は後世、いろいろ名前が出てきます。
いま一つ、多田・摂津源氏と深いつながりがあるのは、渡辺党。三ツ矢サイダーの由来は
住吉神で、これも渡辺党とつながる。鬼退治も一緒に励んでます^^
瀬戸内から九州(その先も)の水上交通に大きな影響力を持っていた渡辺党関係者(とくに名・
字が一字)は、徳川家臣団にもいるね。

投稿: tera | 2016年5月23日 (月) 05時57分

teraさん、お久し振りです。

教えてくれれば、車を出すのに。
>ご厚意はありがとうございます。でも、歩かなければ分からないことも有るんです。
面白い土地柄であることが歩いてみて多少わかりました。また次の機会にはお願いします^^。

江戸時代、太子道は竹内街道よりも人気があったらしいです。
>この辺りの土地勘が全くないので、街道自体のイメージが作りにくい。
数少ない土地勘でいくと一番目に古市が来て、ここが基点になり、富田林、喜志がわかる。河内長野もイメージできるでしょうか。こんな感じでしかないこの地域の私のイメージなんです。

三ツ矢サイダーの発祥の地が猪名川町とは知りませんでした。ここも位置関係がイマイチわかりませんでした。

大僧正隆光関連の多田義直もそうやけど、多田氏は後世、いろいろ名前が出てきます。
いま一つ、多田・摂津源氏と深いつながりがあるのは、渡辺党。三ツ矢サイダーの由来は
住吉神で、これも渡辺党とつながる。
>なるほど。渡辺綱?

徳川家臣団
>槍の半蔵ですね。なるほど、そんなところに繋がっているんですね。

ddolさんの紹介論文を読んでみましたが、あのあたりで武士のあり方の原型が出来上がっていったんだなあと思いました。

一回の旅行でこれだけの知見を紹介頂いて、皆さんありがとうございました。

大阪府(大阪市以外の)はまだまだこれから訪れる予定(計画)が目白押しとなっています。

投稿: mino | 2016年5月24日 (火) 01時32分

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