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2016年5月

2016年5月30日 (月)

史実には無い模擬天守(6) - 阿波川島城(徳島県吉野川市川島町)

 

  久しぶりに「史実には無い模擬天守」。

このシリーズは2014年2月末から3月初めにかけて5本書きましたが、6本目の書き残しが阿波川島城でした。

過去記事を調べるために記事一覧を閲覧しながら遡っていくと、2014年に書きかけのこの記事がありました。

これ以前の(1)~(5)の記事はバックナンバーの2014年2月、3月にあります。(1)尾道城、(2)館山城、(3)千葉城、(4)大草城、(5)知多大野城がそれです。

史実には無い模擬天守(1) - 尾道城(広島県尾道市)

史実には無い模擬天守(2) - 館山城(千葉県館山市)

史実には無い模擬天守(3) - 千葉城(千葉県千葉市)

史実には無い模擬天守(4) - 大草城(愛知県知多市) 未完のまま廃城

史実には無い模擬天守(5) - 知多大野城(愛知県常滑市)

3月分はバックナンバーからたどり着くのに時間がかかり過ぎるので、リンクを張っておきます。

 

  川島城は阿波九城の一つ。

「阿波九城(あわくじょう)は、阿波国(現在の徳島県)の初代藩主である蜂須賀家政が設けた9つの支城の総称である。」(Wikiより)。

三好氏の重臣であった篠原長房は謀反を疑われ三好長治らに元亀4年(1573年)居城の上桜城(うえざくらじょう)を攻められ滅亡。

この時功のあった川島氏はこの地を与えられ、上桜城を廃して川島城を築城しました。

後に阿波が蜂須賀家の支配下となると阿波九城のひとつとされ、さらに一国一城令で廃城となると藩の奉行所が置かれました。

 

  観光用の城として立派な天守閣が築かれたのが1981年とか。

コンクリート造りながら本当に立派としか言えない天守閣で、形もとても素晴らしい。

私が訪れた2012年には管理人さんと思われる男性と顔を合わせただけで、ひっそりとしていました。

最上階まで登り吉野川を見下ろした思い出があります。

多分、桜の時期には賑わうのではないかと思います。

 

  いつもの「余湖君のお城のページ」からの引用図。

Kawasimatokraf

 

  JR徳島線阿波川島駅にて。

  2012年の旅行でしたので日付から「秋の乗り放題パス」を利用しての旅。

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  阿波川島駅駅舎。

  駅前通りを行くと南北の道路に突き当たります。そこを右へ。

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  南北の道路を行くと国道192号線に出ます。

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  もう国道から見えます。

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  歩道橋を北側に渡ります。

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  なかなかの天守閣です。

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  「勤労者野外活動施設として」の建物だそうです。

  当日はひっそりとしていました。入口は開いているので黙って入りました。

  途中で管理人さんらしき人と顔をあわせました。

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  下に見えるのが川島神社。

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  吉野川、西方向。

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  城址に建つ川島神社。

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  吉野川治水の際に合祀された新しい神社(もとは浮島八幡宮)。

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  境内から。

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  撮影 2012/10/13

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2016年5月28日 (土)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(82)2015年11月 - 湖東三山 金剛輪寺(滋賀県愛知郡愛荘町)の三重塔

 

 

  湖東三山と称される西明寺、金剛輪寺、百済寺(ひゃくさいじ)は何れも天台宗の寺院です。

紅葉で有名な湖東三山も普段は公共交通機関の無い徒歩旅行者には行き難い場所ですが、11月の紅葉の時期にシャトルバスが運行され、この時ばかりは多くの徒歩旅行者も三ケ寺をまとめて訪れることができる絶好の機会となります。

 

  シャトルバスのバス停は金剛輪寺門前の駐車場。

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  道路に面した総門。

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  まず西谷堂に突き当たります。

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  左へ曲がると正面に赤門。

  これを今度は右へ。

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  金剛輪寺の本坊である明寿院へ。

  庭園の紅葉が綺麗です。

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  さて、ここから本堂までが長い。

  数百メートルの石段や坂を登ります。

  傾斜は緩いのですが、距離以上に長く感じます。

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  二天門が見えてきました。

  急に人が多くなったのは、ここまで観光バスが登ってくるため。

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  観光客は吐き出したばかりの観光バス。

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  二天門をくぐるといきなり国宝の本堂の前に。

  弘安11年(1288年)の建立。

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  左手の一段高い位置にある三重塔。

  木々で全貌が写せません。

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  寛元4年(1246年)の建立ですが、長い間近世以降の荒廃で三層が無い状態であったのを1975年(昭和50年)~1978年(昭和53年)に修理復元し現在に至っています。

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  本堂は横から入り拝観。

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  三重塔は重要文化財。

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  撮影 2015/11/28

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2016年5月24日 (火)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(81)2015年11月 - 湖東三山 西明寺(滋賀県犬上郡甲良町)の国宝三重塔

 

  西明寺(さいみょうじ)は湖東に位置する天台宗の寺院で、金剛輪寺、百済寺(ひゃくさいじ)と共に湖東三山と呼ばれる紅葉の名所です。

普段は徒歩旅行者にとって、なかなか訪れにくい場所にありますが、紅葉の季節の11月後半に限定運行されるシャトルバスのおかげで、この季節のみ効率よく訪れることができます。

湖東三山はいずれも入口の山門から本堂までが随分と長い距離があるのが特徴です。

シャトルバスは彦根駅西口から出ており、西明寺までは所要30分。

シャトルバス(彦根駅~西明寺~金剛輪寺~百済寺~永源寺)、路線バスの永源寺線(永源寺~八日市駅)、近江鉄道八日市~近江八幡間が乗り放題の「もみじきっぷ」の購入がお勧めです。

湖東三山「もみじきっぷ」、時刻表などの情報(2015年)。

上記全部乗り降り自由で2015年の場合大人1800円(こども900円)でした。

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  三ケ寺とも入口から本堂までの道のりが遠い。

  金剛輪寺が最も長く、西明寺もそこそこの長さです。

  三ケ寺とも兵火にあっていますが、西明寺、金剛輪寺とも本堂などの中心部がかなり奥にあり、これが敵兵の錯覚を誘い、本堂や三重塔などは兵火から免れた、という説があります。

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  名神高速道路の上を行きます。

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  三ケ寺とも本坊と本坊庭園、本堂区域が見どころの中心となっています。

  かっては多くの建築物が建ち並んでいたであろう参道脇は木々が繁っています。

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  本坊の建物に達し、本堂までもう少しです。

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  西明寺の三重塔。

  鎌倉時代後期の建築で国宝。

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  西明寺本堂。

  鎌倉時代前期の建築で国宝。

  内部の諸像は重要文化財に指定されています。

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  二天門。

  重要文化財。

  応永14年(1407年)の建立とみられるそうです。

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  本堂、斜め横から。

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  二天門、外から。

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  本坊前の紅葉は少し盛りを過ぎた様子。

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  本坊前を下り、戻ります。

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  本坊下の石段。

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  西明寺には2時間を割きました。

  したがって次の金剛輪寺へは11時30分発のバスとなります。

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  撮影 2015/11/28

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2016年5月20日 (金)

雪の岐阜城2013年1月 - 名鉄各務原線 細畑駅など

 

  少々季節外れですが、雪の岐阜城。

2013年1月の下旬、折からの雪に朝早くから最寄りの名鉄の駅から細畑駅に向かいました。

細畑駅は名鉄各務原線で唯一の高架駅で眺望がききます。

細畑駅からさらに東に向かい高田橋駅あたりでは名鉄各務原線とJR高山線が少し間隔を開けて並行しています。

このあたりでは遠くに岐阜城を眺めることが出来ます。

 

  細畑駅のホームから。

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  高田橋駅から少し北に歩いたところから。

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  細畑駅にて。

  名鉄岐阜行き普通の到着。

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  高田橋駅あたりのJR高山線普通キハ11と岐阜城。

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  撮影 2013/01/27

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2016年5月19日 (木)

【塔】 (五重塔、三重塔、多宝塔他)を巡る(80)2015年11月 - 浄瑠璃寺(じょうるりじ 京都府木津川市)の国宝三重塔

 

  当尾(とうの)の里の二寺のうち、岩船寺のつぎに訪れたのが浄瑠璃寺。奈良から直接バスで訪れることもできることから岩船寺に比べれば多くの観光客で賑わっていました。

当尾(とうの)の里は京都府に属しますが昔から奈良とのつながりが強く、かつ南都の影響が大きかったと言われています。

寺号の由来は「三重塔の内陣に安置されている薬師如来の浄土「瑠璃光浄土」」(木津川市ホームページ)から来ているそうです。

「東の三重塔の「薬師」、西に本堂の「阿弥陀仏」を配した庭園は極楽世界をこの世に表わしたもの」(引用参照同じ)です。

 

  浄瑠璃寺へは奈良からではなく、加茂駅からのバスで岩船寺を経てのち訪れました。

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  奈良からのバスでやって来る観光客が多く、岩船寺に比べれば結構な人でした。

  食事処もあり、私もここで軽めの昼食を取りました。

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  お店の前を一通り過ぎると参道となります。

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  国宝本堂(阿弥陀堂)。

  本堂の国宝九体阿弥陀如来像は圧巻です。

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  池の反対側には三重塔。

  1178年(治承2年)、京都の一条大宮から移築されたという記録があるそうです。

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  岩船寺の三重塔の際にも同じことを考えましたが、塔自体を撮影するなら冬が良いですね。

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  三重塔側から見た阿弥陀堂。

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  三重塔前の石灯籠と本堂前の石灯籠は南北朝時代のもので重要文化財。

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  撮影 2015/11/19

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2016年5月16日 (月)

笠松競馬場と岐阜城 - 岐阜県羽島郡笠松町(はしまぐんかさまつちょう)

 
 

  笠松町はその南を木曽川と接し、対岸は愛知県という位置にあります。

江戸時代には美濃郡代の陣屋である笠松陣屋が置かれ、交通の要衝の監視、木曽川治水などの役目を担っていました。

現在は桜の名所である奈良津堤の桜や笠松競馬場で知られています。

また当地には歴史のある(設立1926年(大正15年))岐阜工業高校があります。

名鉄笠松駅からは羽島市に向かう竹鼻線が分岐しており、2011年以降は特急の停車駅となり竹鼻線沿線乗客の名古屋への利便性が高まりました。

 

  電車内からの撮影で、少々画質が悪いのですが・・・。

  金華山(旧稲葉山)は完全な独立峰では無いことが良くわかります。

  東の峰伝いに攻められのが弱点、という城だそうです。

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  名鉄岐阜駅に到着。

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  撮影 2011/02/09

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2016年5月15日 (日)

河内飛鳥(大阪府)を歩く2016年5月(8) - 橿原神宮前駅(かしはらじんぐうまええき 奈良県橿原市)にて

 

 

  橿原神宮前駅は橿原線と南大阪線(吉野線)の接続駅。

橿原線は標準軌(新幹線と同じ)、南大阪線(吉野線)は狭軌(JR在来線と同じ)と線路幅が異なるために両線との間では乗り換えが必要です。

 

  京都行き特急の入線。

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  2番線に到着したばかりの特急22000系。

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  以上橿原神宮前駅橿原線ホームにて。

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  こちらは南大阪線(吉野線)。

  当駅から吉野までは吉野線となります。JR在来線と同じ線路幅が狭軌。

  大阪阿部野橋行き特急16600系。「22600系(標準軌)の南大阪線バージョン(狭軌)」。

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  吉野行き特急の16000系。

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  南大阪線古市行き普通。

  これで目的地の上ノ太子駅へ向かいました。

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  撮影 2016/05/02

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2016年5月13日 (金)

河内飛鳥(大阪府)を歩く2016年5月(7) - 上ノ太子駅(かみのたいしえき 大阪府羽曳野市飛鳥)にて

 

  「太子前」バス停は叡福寺門前にあります。

金剛バス太子線には喜志駅へのバスと喜志駅と上ノ太子駅を結ぶバスがあります。

私は橿原神宮前駅に向かいたいので、南大阪線の上ノ太子行きバスを待ちました。

叡福寺から上ノ太子駅はほぼ北の方向にありますが、喜志駅からのバスは一度「太子前」バス停から東に向かい、途中から国道166号線に入ると北北西に向かい上ノ太子駅に至ります。

 

  上ノ太子行きバスを待ちます。

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  南大門と多宝塔。

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  上ノ太子行きバスがやって来ました。

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  上ノ太子駅駅前南側の玄関口。

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  南側の駅舎。

  こちらにバス停があります。

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  こちらが北側の駅舎。

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  古市行き普通電車の到着。

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  踏み切りを渡りながらの後ろ。

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  吉野行き特急電車の通過。

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  大阪阿部野橋行き特急の通過。

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  二上山を眺めながら橿原神宮前駅に向かいます。

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  撮影 2016/05/02

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2016年5月12日 (木)

河内飛鳥(大阪府)を歩く2016年5月(6) - 叡福寺と聖徳太子御廟(2)) 金剛バス「太子線」バス時刻表へのリンク

 

  叡福寺、聖徳太子御廟へは近鉄長野線喜志駅からと近鉄南大阪線上ノ太子駅からバスがあります。

私の場合、今回はハイキングを兼ねての旅でしたので、上ノ太子駅から叡福寺までは徒歩で向かい、帰りはバスで上ノ太子駅まで戻るという方法を取りました。

ということで、金剛バス関連のリンクを張っておきます。

金剛バス関連。

金剛バス太子線時刻表へのリンク。

 

  叡福寺は戦国時代に織田信長の兵火にあい(天正2年(1574年)古い建物は残っていません。

  現在の建築物は慶長年間(1596年-1615年)以降に再建されたものです。

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  多宝塔は承応元年(1652年)の再建で聖霊殿(せいりょうでん)と共に重要文化財に指定されています。

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  慶長8年(1603年)に再建された聖霊殿(せいりょうでん)。重要文化財。

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  聖徳太子御廟。

  現在は宮内庁管轄。

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  浄土堂。

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  御廟を出て叡福寺境内から。

  聖徳太子墓所とされ叡福寺北古墳(磯長墓〈しながぼ〉)と言います。

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  南大門は1958年(昭和35年)の再建とまだ新しい。

  扁額は当時の総理大臣岸信介の筆によるもの。

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  南大門下の駐車場と府道。

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  太子前バス停。

  喜志駅方面行き。

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  反対側の太子前バス停。

  上ノ太子駅行きとこちらも(山田経由)喜志駅行き。

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  撮影 2016/05/02

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2016年5月10日 (火)

河内飛鳥(大阪府)を歩く2016年5月(5) 叡福寺と聖徳太子御廟(1)

 

  河内源氏三代の墓のうち、源義家、頼信の墓所のある丘陵から小道を下り、そのまま道なりに行くと南北の道路に突き当たります。

これを左(南)に歩いて行くと太井川(たいがわ)に至ります。

この川沿いを行くと太井川橋交差点に達し、あとは府道32号線を概ね東に歩いて行くと叡福寺と聖徳太子御廟の門前に出ます。

太井川橋(たいがわばし)交差点から叡福寺と聖徳太子御廟の門前までは徒歩10分足らずの距離です。

ちなみに河内源氏三代の墓、もしくは通法寺址付近から太井川橋交差点までが徒歩10数分の距離です。

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  電柱は立っているのに電線が無いすっきりとした町並みとなっています。

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  叡福寺の門前に出ました。

  門前のバス停が「太子前」バス停。

  金剛バスが上ノ太子駅、喜志駅との間を結んでいます。

  歩くのはチョットという方はバスがおすすめです。最低1時間に1本はあります。

  南大門と多宝塔。

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  叡福寺は

  「推古天皇が聖徳太子の墓を守護するために建立された寺です。

戦国時代には、織田信長の兵火で焼失しましたが、江戸時代に豊臣秀頼によって聖霊殿が再建され、次第に伽藍の復興が図られました。」(太子町観光・まちづくり協会より引用)

  太子町観光・まちづくり協会 叡福寺。

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  南大門越しに見える聖徳太子御廟(叡福寺北古墳(磯長墓))。

  聖徳太子御廟は現在は宮内庁の管轄となっています。

  南大門は1958年(昭和35年)の再建と新しい。

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  聖徳太子御廟(叡福寺北古墳(磯長墓))。

  門は二天門と呼ばれる。

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  境内の向かって左手にある多宝塔。

  1652年(承応元年)の再建で国の重要文化財に指定されています。

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  金堂。1732年(享保17年)の再建とか。

  写真はWikipediaから拝借しました。

Photo

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  撮影 2016/05/02

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2016年5月 8日 (日)

曇りの岐阜城、晴れの岐阜城2016年5月 - 岐阜県岐阜市

 

  同じ場所からの岐阜城。

  もちろん日付は異なります。

  いずれも所用がてらの撮影ですが。

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  撮影 2016/05/03

 

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  撮影 2016/05/08

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2016年5月 7日 (土)

河内飛鳥(大阪府)を歩く2016年5月(4) - 河内源氏三代(源頼信、源頼義、源義家)の墓所(2)源義家と源頼信の墓

 

  通法寺跡の門前から左へ昔ながらの通りを行くこと200mぐらいで竹藪のある丘陵に至ります。

ここの急な坂道を息を切らしながら登り切ると、上は一定の広さのある平地で、そこに円丘の形をした源義家の墓があります。

 

  道なりに行けばたどり着けます。

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  イノシシに注意と書いてあったので、おっかなびっくり。

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  源氏三代の墓

 

  源氏三代の墓(源頼信(みなもとのよりのぶ)・頼義(よりよし)・義家(よしいえ)は、河内源氏の里、通法寺付近にある。

頼信は、河内守(かわちのかみ)に任官後この地に邸宅を構え、数々の戦乱を平定し、余生をここで過ごしたが、永承3年(1048年)に死去しその遺言により通法寺の「巽」の方角に葬られた。

頼義の墓は通法寺旧本堂址にあり、永保2年(1082年)79才で死去し、遺言により本堂の床下に葬られたが、後に現在の位置に移された。

義家の墓は、通法寺の南東の丘陵上にある小高い円丘である。

嘉承元年(1106年)7月、京の邸宅で死去し、ここに葬られたという。

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  やっと登り切ると右手に円丘、左手には一列にお墓が並んでいます。

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  反対側が正面。

  源義家の墓。

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  中は窺えません。

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  源義家の墓 みなもとのよしいえ のはか


  源義家は父頼義、母平直方の女(むすめ)の長男として生まれた。

七歳の時、石清水八幡宮で元服し八幡太郎と名乗った。前九年の役の際、頼義に従い反乱を鎮圧し、武将の名声を高めた。

永保三年(1083)には出羽豪族清原の内紛が起こるが、寛治元年(1087)その鎮圧に成功し、武将としての地位は不動のものになった(後三年の役)。
この功績から、百姓が土地を寄進しはじめ、寛治六年(1092)には、朝廷から土地の寄進を禁止されるまでになった。

また、永徳二年(1098)武将で、はじめて院への昇殿(殿上人(てんじょうびと))を許された。

晩年、康和三年(1101)七月、次男対馬守義親(よしちか)が反乱、また三男の義国が嘉承元年(1106)六月に事件をおこすなど、義家の中央官界での地位が危ないものになっていった。

最後は嘉承元年(1106)七月、京の邸宅で死去し、この地に葬られた。

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  奥に進むと板橋があります。

  そこから下りる道がありますが、構わず奥に進みます。

  帰りはこの道を下ります。

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  源頼信の墓。

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  源 頼信の墓  みなもとのよりのぶ の はか

 

  源頼信は、清和源氏の家系である満仲の三男として生まれた。二十歳のとき中央官界に身を置き、藤原通兼や道長に仕えた。

特に長元元年(1028)に勃発した平忠常の乱の際には、追討使平直方にかわり反乱を鎮圧した。 この乱を鎮圧したことによって、頼信は武家の棟梁として確固たる地位を築いた。

また、上野、常陸、石見、伊勢、美濃などの国司を歴任しており、最後に河内国司となる。

その時、河内国古市郡壺井里(現壺井・通法寺)に本拠地を構え、河内源氏をひらくもとになった。

長久四年(1043)には、頼義とともに観音堂(のちの通法寺)を建立したと伝えられ、代々河内源氏の氏寺として信仰された。

永承三年(1048)、八十一歳の時この地で死去し、遺言により通法寺の巽(東南)の丘陵上に葬られた。

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  南に向かうと府道32号線に出ます。

  ここから府道を東へ向かいます。

  太井川橋(たいがわばし)の交差点。

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  撮影 2016/05/02

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2016年5月 5日 (木)

河内飛鳥(大阪府)を歩く2016年5月(3) - 河内源氏三代(源頼信、源頼義、源義家)の墓所(1)源頼義の墓

 

  後の鎌倉幕府に繋がる源氏が河内源氏です。

源氏は臣籍降下の際に名乗る氏の一つで、多くの天皇の治世に多くの皇族が臣籍降下し源氏を名乗りました。

河内源氏はそのうちの一つである清和源氏の一つの氏です。

清和源氏では他には一時勢力を争った摂津源氏もそのうちの一つで、河内源氏は子孫から鎌倉将軍を輩出したことから武家棟梁の家柄とされています。

清和天皇の子孫からは新田氏、足利氏、武田氏、佐竹氏、細川氏、今川氏、土岐氏、南部氏など多くの武家が輩出しています。

源氏についての概略のみ述べましたが、平氏(例えば桓武平氏など)についても同じく臣籍降下から武家となっていった人々もいます。

 

  壺井八幡宮から真南への道路。

  壺井八幡宮から真南への道路を行くと、途中に源頼義の墓はこちらと左を指した案内板があります。

  その通り、川べりの住宅地を道なりに歩いて行くと通法寺跡の門前に出ました。

  壺井八幡宮から10分ぐらいです。

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  河内源氏の菩提寺であった通法寺跡。

  明治元年に廃仏毀釈により廃寺とされたのは残念。

  境内に河内源氏2代目の源頼義の墓があります。

  墓標や柵は明治末のものだそうで、石灯籠は元禄年間に柳沢吉保らから寄進されたもの(Wiki参照)だそうです。

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  大正時代(大正八年)に建てられたと思われる通法寺址の碑が門前にあります。

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  源頼義(みなもと の よりよし)の墓所。

 

  父の頼信とともに平忠常の乱(長元3年(1030年))の追討に加わり抜群の活躍をすると、それが縁で、相模守在任中に平忠常の乱鎮定に失敗した平直方は娘を源頼義に嫁がせ、鎌倉の邸宅、所領、郎党などを譲ります(Wikiなど改変)。

ちなみにこの二人の間には八幡太郎義家、賀茂次郎義綱、新羅三郎義光が生まれています。

源頼義は歴史教科書的には前九年の役(1051年 - 1062年)の活躍の方が有名です。

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  源頼義(みなもとのよりよし)の墓

 

  源頼義は父頼信、母修理命婦(しゅりのみょうぶ)の長男として生まれた。

平忠常の乱の際、父を助け乱の鎮圧に貢献し、はやくからその武勇を東国武士に知らしめていた。

永承六年(1051)「俘囚の長」である安倍頼良(あべのよりよし のち頼時)が反乱をおこした際、乱の鎮圧にあたった。

一旦は頼時を従わせたが、その後頼時とその子貞任(さだとう)がふたたたび謀反を起こしたため、出羽豪族清原の援を得て、康平五年(1062)ようやく乱を平定した(前九年の役)。

また頼義は前九年の役の出陣に際して、石清水八幡宮に参拝して戦勝を祈願し、その戦功をあげることができたので、その感謝の意味をこめてこの地に八幡神を勧請し、通法寺の北側に壺井八幡宮を建立、源氏の氏神とした。

永保二年(1075)七月十三日、八十八歳でその生涯を閉じ、通法寺境内に葬られたといわれている。

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  墓標。

  明治末のもの。

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  通法寺址門前。

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  撮影 2016/05/02

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2016年5月 4日 (水)

河内飛鳥(大阪府)を歩く2016年5月(2) - 河内源氏発祥の地 壺井八幡宮

 

 

  丘陵地帯に集落とブドウ畑が織り成す風景の中、そこを縫うように壺井八幡宮に向かいます。

グーグルマップ(印刷したもの)は大まかな位置関係、近鉄の「てくてくまっぷ」は細かい目印を探し出すのに便利です。

ミラーや掲示板などの細かい目印は大変役に立ちますが、ともすればどちらの方向に歩いているかが分からなくなります。

そこでグーグルマップが大きな羅針盤となります。

 

  こんな雰囲気の中を行きます。

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  飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)からは南阪奈道路を渡り、ほぼ南西に歩いてくると壺井八幡宮に至ります。

  上ノ太子駅からは約1.5km20分ぐらい。

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  清泉「壺井」

  平安時代前9年の役(1051~1063)のとき、源頼義の軍が飲料水に苦しんだ折、弓の先で崖をつき崩して得た冷泉により将士の意気があがったといわれている。

平定完了して凱旋する際冷泉の水を壺に入れて持ち帰り、本拠地の香炉峰の南麓に井戸を掘り、そこに冷泉の水を底に入れ、苦戦の記念としたもので、これが「壺井」の地名の起源となった(河内名所図会より)

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  壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)は河内源氏の氏神です。

  主祭神は誉田別尊(応神天皇)・仲哀天皇・神功皇后。

  河内源氏の祖である源頼信が河内守に任官し壺井に館を構えたのが河内源氏の始まりです(寛仁4年(1020))。

  源頼信は平忠常の乱の平定(長元4年(1031年))に功があり、以後源頼義、源義家の三代が居住し河内源氏と呼ばれました。

  その後、河内源氏は東国に進出し河内源氏の総鎮守は壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移ります。

  一方、壺井八幡宮は河内源氏の祖廟かつ当地に土着した石川源氏の氏神となります。

  2代目の河内源氏棟梁の源頼義は前九年の役(1051年 - 1062年)で活躍、3代目の源義家は後三年の役(1083年-1087年)で活躍し、それぞれ東国に勢力を扶植しました。

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  石段を登って鳥居。

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  社殿。

  徳川綱吉の命により柳沢吉保が再建(元禄14年(1701年))。

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  鳥居を振り返って。

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  句碑。

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  壺井八幡宮本殿の奥には頼信・頼義・義家、義綱、義光を祀る摂社 壺井権現社(壺井神社)がある。(Wikiより)

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  石段の上から下の鳥居。

  この道路を真南に向かい河内源氏三代の墓所に向かいます。

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  振り返って。

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  撮影 2016/05/02

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2016年5月 3日 (火)

河内飛鳥(大阪府)を歩く2016年5月(1) - 上ノ太子駅から飛鳥戸(あすかべ)神社

 

  近畿日本鉄道が提案しているハイキングコースを利用し、それを自分なりにアレンジして大阪府の河内地方を歩いてみました。

近鉄の提案する「てくてく」コースは近鉄上ノ太子駅を出発地とし「近つ飛鳥」の象徴的神社である飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)から鎌倉幕府を出現せしめる基礎を築いた河内源氏三代の墓と河内源氏に所縁(ゆかり)のある壺井八幡宮などを巡り、最後に叡福寺と聖徳太子御廟を訪ねる約10kmほどのコースです。

しかし、近鉄は帰りも上ノ太子駅まで歩くことを提案していますが、これはさすがに体力的に難しく、上ノ太子駅までを太子前バス停からバスで戻ることにしました。

また、敏達天皇陵へ寄る部分も省略しました。

その結果、所要時間は2時間半ほどに短縮できました。

近鉄の提案する「てくてくまっぷ」

 

  橿原神宮前駅にて。

  古市行き普通に乗車します。

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  途中、電車は二上山を仰ぎ見るように進みます。

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  上ノ太子駅(かみのたいしえき)の裏口に出ました。

  バスの発着する玄関口は反対側。

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  印刷した近鉄の「てくてくまっぷ」とグーグルマップを突き合わせながら、丘陵地に広がるブドウ畑を眺めながらたどり着いた飛鳥戸(あすかべ)神社の裏。

  本殿が見えます。

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  社殿はいたって素朴な造りです。

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  ここから河内源氏ゆかりの壺井八幡宮へ向かいます。

  ここで役にたつのは「近鉄のてくてくまっぷ」。

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  近鉄の踏切を南側に(正確には西かな?)渡ります。

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  壺井八幡宮は南西の方向ですね。

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  丘陵地帯を歩きます。

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  竜王寺地蔵が傍らに。

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  PL教団のタワー(正確には大平和祈念塔)が見えます。

  思わずそんな位置関係なのかと思いました。

  とにかく土地勘が無く、地図が頼りです。

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  撮影 2016/05/02

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2016年5月 1日 (日)

所用で西舞鶴(京都府舞鶴市)を訪れる2016年4月(6) - 綾部駅から西舞鶴駅、京都に戻る

 

  京都から併結されてきた特急「きのさき」と特急「まいづる」は綾部駅で分離されます。

逆もしかり。

東舞鶴行き特急「まいづる」は東舞鶴で客を降ろすと西舞鶴駅の待避線で運行時間まで待機します。

 

  綾部駅の東舞鶴行き普通113系2両編成。

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  西舞鶴駅で待機する特急「まいづる」用車両。

  この日はたまたまタンゴディスカバリー車両KTR8000形気動車が待機していました。

  JR西日本287系電車の時もあります。

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  京都丹後鉄道の車両が遠く去っていきます。

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  舞鶴線梅迫駅(うめざこえき)にて。

  東舞鶴行き特急「まいづる7号」の後部。

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  京都駅にて。

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  東京行き「のぞみ250号」。

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  撮影 2016/04/23

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