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2016年6月

2016年6月28日 (火)

史実には無い模擬天守(20) - 岸和田城(大阪府岸和田市)2011年1月

 

  今回取り上げた岸和田城は一般的には復興天守と言うカテゴリーとされていますが、岸和田市もそのホームページで認めているように模擬天守に分類されます。

模擬天守と言う一番の決め手は、かって存在した天守は5層天守であったことが確認されていることから。

したがって現在の3層3階の天守は模擬天守と言うことになります。

 

  さて、岸和田城に天守が上げられたのは豊臣政権時代の小出秀政の時代。

秀吉は紀州根来攻め後に岸和田城主に小出秀政を入れ、秀政はこれを機に城郭を整備し天守を築きました。

その後、城主の変遷があり、江戸時代の寛永17(1640)年に岡部宣勝が岸和田藩藩主家として入り、明治まで13代続きます。

天守は文政10(1827)年に落雷で焼失。(以上、岸和田市ホームページ参照)

 

  最寄りの駅は南海電車「蛸地蔵駅」。

  岸和田城へは徒歩5分ぐらい。

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  岸和田高校の校舎横からお城の前に出ます。

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  犬走りがあるのが特徴的。

  石垣とお堀は現存遺構です。

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  北西から入ります。

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  現天守は昭和29年(1954年)の建築。

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  小天守から内部に入ることができるのですが、その前から。

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  八陣の庭の説明板。

  八陣の庭は昭和28年(1953年)の創作庭園。

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  岸和田城天守閣入場料大人300円(中学生以下無料)。

  すぐ近くの「だんじり会館」に寄ってみるのも一興。

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  撮影 2011/01/06

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2016年6月26日 (日)

【天守閣】復興天守(2) - 高島城(長野県諏訪市)2013年7月

 

  高島城は日根野高吉が文禄元年(1592年)から慶長3年(1598年)にかけて当地に築城した城郭。

  日根野氏は和泉国日根野の出身で高吉の祖父の代に一族の一部が美濃に移住し、父の日根野弘就(ひねのひろなり)は斎藤道三に仕え、斎藤氏が滅ぶと日根野氏は織田信長、織田信孝、羽柴秀吉に仕え高吉の代に秀吉から高島を得ました。

関ヶ原の戦いでは東軍につくも本人は本戦前に死し、嫡男の吉明が跡を継ぎます。

慶長6年(1601年)に日根野吉明は移封、代わりに諏訪氏が旧領に返り咲き明治まで10代、諏訪藩の藩主家として続きます。

ちなみに日根野氏は吉明の代で大名としては改易となるも一族は旗本として存続しました。

 

  この旅行は名古屋港からフェリーで仙台港に向かい、山形城と山形市内、山寺を訪れ、のち移動し米沢から米坂線で坂町に至り夜に新潟へ。

新潟から「ムーンライトえちご」であくる朝に新宿へ。新宿から中央線を大月へ向かい富士急行で河口湖、そして最後に高島城を訪れたもの。

切符は仙台でJR東日本の「北海道&東日本パス」を購入し利用。

松本からは高速バスで名古屋に向かい(塩尻からはJR東海で「北海道&東日本パス」は使用不可)、名古屋からはJRで岐阜へ、という経路でした。

 

  駅から点線の部分を歩いて約15分で高島城に至ります。

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  駅の南側で踏み切りを西に渡ります(駅を西口から出ても良い)。

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  大手1・2丁目の交差点あたり。

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  宮坂醸造丸高工場の前にて。

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  宮坂醸造丸高工場(丸高味噌・醤油)。

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  高島城天守。

  昭和45年(1970年)に鉄筋コンクリートで築造されました。

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  門、櫓も昭和45年(1970年)に同時に築造。

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  桜の名所として知られています。

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  小天守跡の石垣。

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  本丸西下から見上げて。

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  撮影 2013/07/21

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2016年6月25日 (土)

【天守閣】復興天守(1) - 大阪城(大阪府大阪市)2007年5月

 

  前回までは手持ちの写真の中から模擬天守を取り上げてみました。

残る手持ちの写真は古くて記事に耐えられない、もしくは復興天守と模擬天守のいずれか議論のある天守などです。

ということで、今回からは復興天守。

復興天守とは過去に天守が存在し、同じ場所に想像に基づいて復興させた天守であり、模擬天守との間に常に議論が起きるカテゴリーと言えます。

 

  大坂城は過去に豊臣氏時代、徳川氏時代の天守が存在しましたが、現在の天守は5層目が豊臣時代風で、そのため全体的に豊臣時代の天守を復興させたように見えます。

内部はエレベーターがあったりするモダンな昭和建築です。

竣工は昭和6年(1931年)で豊臣時代、徳川時代の天守と比べて「最も長命の天守」(wikiより)となりました。

 

  JR環状線大阪城公園駅。

  JRでの最寄りの駅は大阪城公園駅と森ノ宮駅など。

  他には地下鉄などもあります。

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  森ノ宮駅からは一番櫓、六番櫓に近い。

  六番櫓と南外濠。重要文化財です。

 

  他に重要文化財は

大手門(寛永5年(1628年)創建、嘉永元年(1848年)修復)
塀 3棟(大手門南方、大手門北方、多聞櫓北方)
多聞櫓(渡櫓、続櫓)(嘉永元年(1848年))
千貫櫓(元和6年(1620年))
乾櫓(元和6年(1620年))
一番櫓(寛永5年(1628年))
六番櫓(寛永5年(1628年))
焔硝蔵(貞享2年(1685年))
金蔵(江戸時代(寛永2年(1625年)創建、天保8年(1837年)改修) ただし定かでない
金明水井戸屋形(寛永3年(1626年))
桜門(明治20年(1887年))

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  大手門多門櫓と千貫櫓。

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  千貫櫓。

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  天守閣三枚。

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  撮影 2007/05/28

 

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2016年6月23日 (木)

史実には無い模擬天守(19) - 唐津城(佐賀県唐津市)2003年4月

 

  名護屋城を含む地を治めていた寺沢広高は、関ヶ原の戦いでは東軍につき、その功として新たに天草4万石を加増され12万3千石の大名として封ぜられます。

広高はこれを機に満島山に新たに築城を始め(この際に名護屋城は解体)、慶長7年(1602年)から慶長13年(1608年)にかけて築城されたのが唐津城です。

しかし、唐津城には天守台は築かれたものの、天守閣は何らかの理由で築かれませんでした。

ということで、現在の天守閣は模擬天守という事になります。

 

ちなみに寺沢家は広高の子、堅高の死によって嗣子なく断絶し改易となっています。

 

  この旅行では唐津城と共に佐賀城、秋月、門司港レトロなども訪れました。

大阪からの夜行快速「ムーンライト山陽」を利用した(青春18きっぷ利用)旅だったと記憶しています。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  大変立派な天守閣です。

  昭和41年(1966年)に鉄筋コンクリートで築かれました。

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  本丸内に入ります。

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  本丸内からの天守閣。

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  本丸外からの天守。

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  唐津湾に浮かぶ高島。

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  右側が松浦川で橋を渡るとその先に虹の松原が広がっています。

  猛烈な風の中、橋を渡り、向こう側から唐津城を撮影したのですが、その写真はデジタル化できていなくて残念ながら割愛。

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  撮影 2003/04/03

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2016年6月21日 (火)

史実には無い模擬天守(18) - 撫養城(むやじょう 徳島県鳴門市 岡崎城とも)2000年4月

 

  撫養城(むやじょう)は徳島城の支城である阿波九城(あわくじょう)の一つ。

寛永15年(1638年)一国一城令により廃城となりました。

私が訪れた2000年には、まだ鳥居記念博物館として運営されていましたが、これは2010年に移転。

撫養城(むやじょう)に天守は存在しなかったので現在の天守は模擬天守となります。

 

  鳴門への旅行は前にも後にも一回きりで、訪れたのはこの岡崎城のみ。

しかも一日目が雨だったので翌日再び訪れたのにもかかわらず、鳴門の代表的な観光地である渦潮や鳴門大橋は完全に無視されました。

 

  鳴門駅から岡崎行きのバスで「妙見下」バス停下車、徒歩10分。駅から歩いても20分少々でしょう。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  鳴門駅にて。

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  バス停から徒歩10分というのはお城が妙見山山上にあるからです。

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  桜は三分咲きで少々残念でした。

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  昭和39年(1964年)に天守を模した徳島県立鳥居記念博物館として開館。

  その後博物館は2010年に移転し現在に至る。

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  撮影 2000/04/05

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2016年6月20日 (月)

史実には無い模擬天守(17) - 今治成(いまばりじょう 愛媛県今治市)2005年10月

 

  今治成(いまばりじょう)は関ヶ原の戦いで戦功のあった藤堂高虎が伊予半国20万石を得て築城しました。

今治城はその造りから高松城、中津城とともに三大水城の一つに数えられています。

慶長13年(1608年)高虎は津藩へ転封となり今治城は養子の高吉が在城するも、寛永12年(1635年)には藤堂氏は去り、替わりに(久松)松平家が3万石で入城し明治まで10代、藩主家として続きました。

肝心の天守ですが、一言で言うならば天守については史実的に余り詳らかでないというのが現状で、したがって現在の天守は模擬天守と言う事になります。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  山里櫓と天守。

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  石垣の下の犬走り。

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  高虎が手掛けた津城と同じくお堀の幅が広い。

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  五層六階の模擬天守。

  昭和55年(1980)に建てられました。

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  撮影 2005/10/20

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2016年6月18日 (土)

史実には無い模擬天守(16) - 上山城(かみのやまじょう 山形県上山市)2003年3月

 

  上山城の最寄りの駅は山形新幹線の「かみのやま温泉」駅です。

 

  2003年の3月、雪景色がまぶしい朝に訪れました。

朝の通勤通学ラッシュの時間で、山形から15分ほど立ったまま「かみのやま温泉」駅まで普通電車に乗車しました。

 

  この2003年の旅行では仙台城、白石城、上山城、白河小峰城、会津若松城を計5日間で巡りました。

前後二日間は大垣~東京間の「ムーンライトながら」を利用した移動日。

したがって実質的な旅行日は3日間でした。

 

  1日目は白河小峰城、仙台城、白石城を巡り山形で一泊。2日目に上山城を訪れ会津若松へ移動。

3日目は会津若松城ほか会津若松の名所を観光し、その日の内に東京に戻ると、深夜の「ムーンライトながら」で岐阜へ(もしくは大阪まで戻ってしまった。もう記憶が曖昧。)。

 

  さて、目まぐるしく藩主家が交替した上山藩は(藤井)松平家が元禄10年(1697年)に3万石で入封してやっと落ち着き、同藩主家が明治まで10代続きました。

(藤井)松平家時代には天守は無かったそうで、したがって現在の天守閣は模擬となります。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  模擬天守と書かれた位置に現在の模擬天守が築かれました。

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  駅からお城までは徒歩で10分。

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  現在の模擬天守は昭和57年(1982年)に郷土資料館として建築されました。

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  朝早くということで内部の観覧は叶わず、早々に会津若松へ向かいました。

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  撮影 2003/03/04

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2016年6月17日 (金)

史実には無い模擬天守(15) - 勝山城博物館(福井県勝山市)2015年8月

 

  勝山城博物館は江戸時代の勝山藩の政庁であった勝山城とはなんら関係のないお城で、市内にある越前大仏と同様に相互タクシーの創業者により建築されたものです。

大変大きく立派な天守閣風博物館で、これはこれで面白く、こういうお城風建築物を否定する人もいますが、個人的には「怪しげなお城」は大好きです。

勝山城博物館の場合、特に史実の勝山城とは明らかに一線を画していますし、そうで無くても興味の尽きない一大建築物であることに変わりありません。

残念ながら時間の関係で内部には立ち入らず、外観のみを見て堪能してきました。

 

  勝山市へは福井市から「えちぜん鉄道」勝山永平寺線で50分少々。

訪れた時期はお盆休みで、駅から恐竜博物館へのシャトルバスが運行されていました。

私はレンタル電動アシスト自転車で市内を周遊。

 

  勝山駅前にて。

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  勝山駅にて。

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  ちょうどお盆休みの時期に訪れた関係で、電車は恐竜博物館を訪れる子供さん連れの観光客で満員状態でした。

  その日の内に福井駅から往復するのであれば一日乗車券がお得です。

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  勝山の市街地は九頭竜川の東にあります。

  勝山橋西詰にて。

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  北東方向に恐竜博物館のドームが見えます。

  アクセスは駅からのバス。

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  南東方向には越前大仏。

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  同じく勝山城博物館。

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  勝山市の観光は越前大仏→勝山城博物館→勝山城下の順に巡りました。

 

  越前大仏から南に向けて行くと勝山城博物館があります。

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  振り返ると越前大仏が望めます。

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  西側へ回り込んで。

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  天守閣の高さは57.8m。

  日本一の高さと言うだけあり大きい。

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  撮影 2015/08/16

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2016年6月14日 (火)

史実には無い模擬天守(14) - 中津城(大分県中津市)1998年7月

 

  中津城を訪れたのは、もう20年前の1998年。

大阪から「ムーンライト松山」で愛媛県の松山へ向かい、松山城ほかを観光して南予の宇和島へ。

宇和島城を訪れた後、八幡浜へ戻りここで一泊。

翌日の朝、八幡浜港からフェリーで臼杵港へ渡り、臼杵では臼杵石仏などを見学しさらに一泊。
ただ臼杵で宿泊したのかどうかがもう一つ思い出せません。

そして、あくる日は一日かけて杵築、宇佐、中津、小倉と巡り、小倉から「ムーンライト九州」であくる朝大阪に帰るという、車中2泊を含めて5日間の旅程でした。

 

  青春18きっぷ大活躍の旅でした。

中津には実質の旅程最後の日、7月30日に訪れました。

最後の日は駆け足旅行でしたので、中津では中津城を訪れたのみだったのが残念。

 

  中津城址には神社が幾つもあります。

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  中津城は黒田孝高が築城し(天正16年(1588年))、細川忠興が完成させました(元和7年(1621年))。

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  中津藩は関ケ原の戦いの戦功で細川忠興が入封し成立。

  その後、小笠原氏の時代を経て享保2年(1717年)に奥平昌成が10万石で入封し明治まで9代続きました。

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  中津城模擬天守は1964年(昭和39年)に「旧藩主奥平家が中心となり、中津市民からの寄付も合わせて天守閣が建造されました」(中津城公式ホームページより)。

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  撮影 1998/07/30

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2016年6月12日 (日)

史実には無い模擬天守(13) - 岩崎城(愛知県日進市)2009年11月 小牧・長久手の戦いで落城

 

  岩崎城は愛知県日進市にあります。

日進市は名古屋市の東隣でやはり名古屋市の東隣となる長久手市と共に尾張地方の東端に位置しています(その東は三河の豊田市)。

 

  一帯は低い丘陵が続く地形で、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの戦場となり、岩崎城は秀吉の三河侵攻軍に攻撃され落城しました。

岩崎城は丹羽氏次の居城で氏次は家康本軍と共に小牧山城にあり、弟の氏重が岩崎城の守備につくも、秀吉の三河侵攻軍に敢え無く落城、氏重は戦死。

しかし、家康は長久手で侵攻軍の池田恒興父子、森長可と戦い、池田恒興、池田元助、森長可が敗死、後に家康から厚遇され姫路城を築城する池田輝政はかろうじて生きながらえるという勝利を収めます。

 

  ちなみに丹羽氏次は信長の重臣であった丹羽長秀とは全く別系統で、氏次は一色丹羽氏、長秀は児玉丹羽氏と称されます。

さらに、丹羽氏次は関ケ原の戦いの本戦でも家康軍として戦い、戦後三河国伊保藩1万石を得て大名に列せられ、以後所領地を変えながらも譜代大名として明治まで続きます。

 

  名古屋駅から市営地下鉄東山線で30分足らず、終点の藤が丘駅に到着。

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  藤が丘駅の地下にはリニモ(愛知高速交通東部丘陵線)の藤が丘駅があります。

  リニモで東に向かいます。

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  所要7分で長久手古戦場駅。

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  古戦場公園がある長久手市の地図(当時は長久手町)。

  西が名古屋市、南が日進市であることが分かります。

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  長久手古戦場駅前のバス停から古戦場公園。

  ここからバスで日進市に向かったのですが、日進市のコミュニティバス市内巡回バス (くるりんばす)しか方法は無いみたいです(古戦場から以外であれば路線はある)。

  市内巡回バス (くるりんばす)中央線(赤池行き)で所要10分ちょっとの六郷バス停か御岳口バス停で降車、歩いて3分で城址公園があります。

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  当時の名鉄バス(くるりんばす)。

 

  名古屋からの名鉄バスは地下鉄星ヶ丘駅からのバスで岩崎下車3分。

  アクセスについては岩崎城ご利用案内を参照。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  空堀などの遺構が残っています。

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  櫓台。

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  城内にある岩崎城歴史記念館。

  天守と共に無料。

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  岩崎城模擬天守。

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  昭和62年(1987年)に展望塔として建築。

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  長久手の戦いの説明図。

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  撮影 2009/11/23

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2016年6月10日 (金)

史実には無い模擬天守(12) - 平戸城(長崎県平戸市)2001年8月

 

  松浦党(まつらとう)の松浦隆信(まつらたかのぶ)は肥前北部と壱岐を領し戦国大名に成長。

さらに、その子の鎮信(しげのぶ 法印)は秀吉の九州征伐で秀吉軍に加わり所領の安堵を得、さらに関ヶ原の戦いでは曖昧な態度をとるも同じく所領を安堵され、ここに6万3千石で平戸藩が成立しました。

鎮信(しげのぶ 法印)は豊臣政権時に平戸に築城するも関ケ原の戦いの曖昧な態度から幕府に疑われ破却。

のちに江戸時代中期の4代藩主松浦重信(鎮信)が築城願いを幕府に提出し、元禄16年(1703年)に許可を受け築城、宝永4年(1707年)に完成しました。

天守は上げられず、現在の模擬天守は昭和37年(1962年)に他の復興櫓と共に建てられたものです。

 

  平戸に至るコースとしては佐世保からバスで直接入るのと、松浦鉄道で「たびら平戸口」下車、平戸口桟橋バス停からバスで平戸に入るコースがあります。

  私の場合は唐津からJRで伊万里まで、伊万里から松浦鉄道、そしてバスで平戸に入りました。

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  平戸で一泊し、朝早く平戸城へ向かいました。

  入場料は大人510円、高校生300円、小中学生200円。

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  北虎口門、内側から。

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  本丸内の模擬天守。

  昭和37年(1962年)の建築。

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  天守から見奏櫓。

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  同じく懐柔櫓。

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  遠くに平戸大橋。

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  平戸は寺院と教会が共存する町。

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  平戸桟橋辺りからの平戸城。

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  再び松浦鉄道「たびら平戸口」駅から帰途に。

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  撮影 2001/08/09

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2016年6月 7日 (火)

史実には無い模擬天守(11) - 富山城(富山県富山市)2012年9月

 

 

  富山藩は加賀3代藩主前田利常が隠居する際に次男の利次に富山10万石を分地したのが始まりです(寛永16年(1639年))。

飛び地などを整理交換して藩領が定まったのは万治2年(1659年)のこと。

このとき富山城の改築の許しを幕府から許可され城下の整備が本格的に始められました。

そんな中、延宝2年(1674年)に父の死により第2代藩主に就いたのが前田正甫(まえだまさとし)で、彼の奨励で有名な越中売薬の基礎が築かれました。

 

  現在の天守は昭和29年(1954年)に富山産業博覧会が開催されたのを機に建築された模擬天守で、正式名称は「富山市郷土博物館」。

 

  富山市郷土博物館としての「富山城」。

  国の登録有形文化財。

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  千歳御門。

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  富山城唯一の現存建築遺構。

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  嘉永2年(1849年)の建築で千歳御殿の正門だった。

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  富山城址公園内から。

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  公園内にある第二代藩主前田正甫(まさとし)像。

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  富山藩第二代藩主前田正甫(まさとし)像

                                                           =売薬を花開かせたお殿様=

  前田正甫 一六四九生~一七〇六没 【藩主在任 :一六七四~一七〇六】

 

  富山藩第二代藩主。

初代藩主である父利次の後をうけ、文武の振興を図り、新田開発や産業育成など、藩政の充実に力を注ぎました。

正甫本人は古銭収集家という文化人としての性格も知られています。

正甫は富山売薬の基礎を築いた人物としても有名です。

それは「反魂丹(はんこんたん)伝説」という形で語り継がれています。

元禄三(一六九〇)年、正甫が参勤交代で江戸城に登城した折、とある大名が激しい腹痛を訴えました。

そこで懐中に常備していた「反魂丹」をすすめたところ、たちどころに治りました。その様子を見た諸大名は「反魂丹」の効能に驚き、自分の領内での販売を求めるようになったため、正甫の命で 諸国に行商させたのが富山売薬の始まりであるという伝説です。

この伝説により、正甫は「富山売薬を広めたお殿様」として、今でも市民の間から親しまれているのです。

この正甫像は、昭和二九(一九五四)年に建てられました。

原型は佐々木大樹、鋳造は高岡鋳芸社によるもので、台石を合わせて高さ約一〇mに及びます。

                                             富山市

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  富山地方鉄道市内電車の「国際会議場前」電停にて。

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  撮影 2012/09/11

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2016年6月 5日 (日)

史実には無い模擬天守(10) - 伊賀上野城(三重県伊賀市)2005年11月

 

  2005年11月下旬、紅葉の頃に訪れた伊賀上野城。

 

  大坂城包囲網の一角を担い、藤堂高虎が入国し井伊家の彦根城と共に対大坂の前線城として改修強化されました。

高虎時代に五層の天守が築かれましたが、完成を間近にした慶長17年(1612年)9月に大嵐のため倒壊。

慶長19年(1614年)、元和元年(1615年)の大坂の陣で大坂城が落城すると、堅固な城の必要性が無くなり、以後、天守が再建されることはありませんでした。

 

  現在の天守は昭和10年(1935年)に衆議院議員の川崎克の私財により木造建築で建設された模擬天守です。

 

  名古屋から近鉄で伊賀神戸へ。

  伊賀神戸で伊賀鉄道に乗り換え上野市駅に向かいました。

  2005年当時の伊賀鉄道車両のカラーリング。

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  上野市駅までの所要は25分。

  関西線伊賀上野駅から上野市駅までは7分から9分の所要。

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  旧崇廣堂。

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  堂内の紅葉が綺麗でした。

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  伊賀上野城の大天守小天守。

  昭和10年(1935年)に木造で建築されました。

  五層天守の石垣の上に建てられているので、模擬天守は石垣の規模より小さい。

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  大天守と小天守。

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  本丸西側の高石垣。

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  俳聖殿。

  「松尾芭蕉生誕300年を記念し、上野公園の敷地内に昭和17年(1942)に建立されました。」(伊賀市観光公式サイトより。)

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  下から見た高石垣。

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  撮影 2005/11/29

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2016年6月 4日 (土)

史実には無い模擬天守(9) - 川之江城(愛媛県四国中央市川之江町)1998年3月

 

  今回も古い18年前の旅行。

 

  私が本格的に旅行を始めた1991年以降、初めて四国に上陸したのが1996年でした。

その後、初回の旅行を除いて、四国への旅行は和歌山からの南海フェリー深夜便を利用するのが私の取った経路でした。

当時の四国側の発着港は小松島港で、最寄りの駅である南小松島駅まで徒歩で10分と徒歩旅行者にとっては手頃な距離だったのです。

ただ、南海フェリーの両港間の所要時間が2時間少々と短く、どちらかの港で大幅に時間調整をしなければならないのが最大の欠点でした。

和歌山港への南海電車の最終電車からフェリーを一本やり過ごし、午前2時半ごろのフェリーで小松島港へ渡るという少々苦しい旅程となっていました。

 

  その後、神戸~高松間のジャンボフェリー深夜便を知ると南海フェリーを利用することも無くなり、、南海フェリーも四国側の発着港が深夜にはバスのない徳島港に変更となり、自然と四国へはジャンボフェリーを利用するようになりました。

 

  南小松島駅は牟岐線の駅で徳島駅の南方にあります。

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  穴吹駅にて。

  徳島駅からは穴吹行きの列車で穴吹駅まで向かい、後続の列車を待つのが恒例でした。

  現在もほぼ同じ時刻表となっています。

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  当時(1998年)の川之江駅。

  現在は廃止されましたが、当時は阿波池田~川之江間にJRバスが運行されていてこれを利用しました。

  現在は直通バスは無いようですね。

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  仏殿城という城が城山にありました。

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  川之江城は川之江市制施行30周年記念事業として整備築造されました。

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  櫓門、中から。

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  2年かけて昭和61年(1986年)に完成しました。

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  一帯は公園として整備されており、桜の名所。

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  すぐ海が迫っています。

  また工場が多く、工業地帯と言えます(一帯は製紙、紙工業の一大生産地)。

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  撮影 1998/03/13

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2016年6月 3日 (金)

史実には無い模擬天守(8) - 久留里城(くるりじょう 千葉県君津市久留里)

 

  今回はもう20年も前になる1997年の冬に訪れた千葉県の久留里城(くるりじょう)。

戦国時代には里見氏が本拠とした城跡です。

前日に「ムーンライトながら」に乗車してあくる朝早く東京駅に到着。

東京駅からは総武線の快速で木更津まで向かい、木更津からは久留里線の気動車に乗り換え久留里へ。

 

  この旅行以来「ムーンライトながら」に凝って、以後何回も利用することになる切っ掛けの旅行でした。

また、「ムーンライトながら」に限らず西日本の「ムーンライト」シリーズ、東日本の「ムーンライトえちご」など多くの夜行快速を頻繁に利用した時代でもありました。

 

  グーグルマップで調べてみると、久留里駅から久留里城まで30分ぐらいの距離ですが、そのうち三分の一が山登り。

当時はまだ元気だったなあと感じざるを得ません。

 

  木更津駅にて。

  下車し久留里線の気動車に乗り換えました。

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  久留里線車両。木更津駅にて。

  キハ38形車両。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」より引用。

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  過去に存在した天守は2層2階と推定されるそうです。

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  現在の天守はその構造から模擬天守に分類。

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  現在の天守は昭和54年(1979年)の建造。

  9時前の到着で久留里城址資料館も天守も開いていず、そのまま引き返しました。

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  麓にある正源寺山門。

  看板に「里見義尭公必勝祈願佛」と書かれています。

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  撮影 1997/12/16

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2016年6月 1日 (水)

史実には無い模擬天守(7) - 清洲城(愛知県清須市)

 

  史実には無いというより存在したであろう天守とは大きく異なる模擬天守という清洲城。

 

  清洲城は織田信長が約10年間本拠としたことで有名です。

信長は永禄6年(1563年)に小牧山城へ移るまで本拠としており、有名な桶狭間の戦い(永禄3年(1560年))も清洲時代。

時は経て、関ヶ原の戦い(慶長5年(1600年))後、清洲へは家康の四男松平忠吉が入り、忠吉の死後は九男の徳川義直が入ります。

しかし、藩府が慶長15年(1610年)に名古屋へ移転され、その際、清洲城は廃城となりました。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用。

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  現在の模擬天守は上図の五条川の東にあり、西側は公園となっています。

  アクセスはJR清洲駅から歩いて約15から20分、名鉄新清洲駅からも歩いて約15から20分。

 

  なかなか良くできた模擬天守です。

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  1989年(平成元年)に町制100周年(当時は清洲町)を記念して建築。

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  以上2枚撮影 2009/03/26

 

  あくる年2010年の4月、桜の頃に訪れた清洲城。

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  清洲城は桜の名所。

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  黒くて凛々しい模擬天守。

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  天守の裏側から。

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  以上6枚撮影 2010/04/10

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