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2016年7月18日 (月)

京都 伏見の一部を散策(2) - 近衛天皇陵(安楽寿院南陵 あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)の御陵である多宝塔

 

  竹田駅の南口から線路の西側の道路を南下して、広い道路の新城南宮道の一本手前の道を西に入ると安楽寿院があります。

安楽寿院は鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が営んだ仏堂が起源(12世紀のこと)。

「現在の安楽寿院は、6つ存在した子院のうちの前松院が寺籍を継いでいるもの」であるそうです。

 

  さて、近衛天皇陵は御陵が多宝塔という珍しい形式を取っています。

近衛天皇陵の正式の名前は安楽寿院南陵(あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)。

近衛天皇は第76代天皇で在位は永治元年(1142年) - 久寿2年(1155年)。

鳥羽上皇による院政が布かれていたいた時期にあたります。

 

  陵の東側に近衛天皇陵駐車場があります。

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  安楽寿院境内の前を北側から入ります。

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  まごうことなく多宝塔が御陵という形式です。

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  多宝塔は慶長11年(1606年)の再建。

  宮内庁の管轄なので文化財指定はありません。

  もしそうで無ければ重文級と思われます。

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  前身が鳥羽離宮の東殿の仏堂であることから鳥羽離宮に言及した案内板。

  全文書き起こしてみました。

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  鳥羽離宮は、平安時代後期に白河上皇の院政開始の象徴として造営が開始された御所と御堂および苑池(えんち)からなる広大な離宮である。

その範囲は、東西1.5km、南北1kmにもおよび、当時の日記に、「都遷り(みやこうつり)がごとし」といわれるほどであった。

この地は、平安京の朱雀(すざく)大路からまっすぐ南に下がった場所にあたり、現在とちがって鴨川は東から南に流れ、西には桂川が流れて、水閣(すいかく)を築くのに絶好な地形であった。

造営は、応徳3年(1086)にはじまり、北殿(きたどの)・南殿(みなみどの)・泉殿(いずみどの)・馬場殿(ばばどの)などがあいついで完成した。

これらの殿舎(でんしゃ)は、右にかかげた広大な池に接して造られ、船で行き来していた。

各々の殿には寝殿(しんでん)を中心に殿舎や御堂(仏像を安置)が建ち並び、次の鳥羽上皇の時代に入って、東殿・田中殿の造営が加わり、それぞれ苑池も造られた。

このうち現在の安楽寿院を含む東殿には、三重塔3基、多宝塔1基が築かれるなど、ほかの殿とは異なった様相を呈していた。

そしてこれらの塔には白河法皇(成菩提院(じょうぼだいいん)陵や鳥羽法皇(安楽寿院陵)、近衛天皇(安楽寿院南陵、再建多宝塔が現存)の御骨が収められ、墓前に御堂が造られた。

このように東殿の区域は死後の世界を用意したもので、まさしく極楽浄土を現世に築きあげたことが分かる。

院政最盛期の証(あかし)でもある鳥羽離宮跡は、当時の最高の文化と技術を駆使(くし)して築かれたが、院政の終焉(しゅうえん)とともに衰退(すいたい)し、地上からその姿を消していった。

この鳥羽離宮跡の発掘調査が開始されたのは、1959年の田中殿跡の調査からである。

以後1984年までに100次をこえる調査が実施され、南殿の殿舎や苑池跡、北殿経蔵や苑池跡、田中殿金剛心院(こんごうしんいん)跡、東殿苑池跡の発見など大きな成果をあげている。

これらの調査を自ら始められ、地元の方々や多くの調査関係者らとともに当初から手がけてこられたのが杉山信三博士(1906~1997)である。

ここに示された鳥羽離宮復元鳥瞰図(ちょうかんず)は博士の長年の調査成果を集大成されたもので、鳥羽離宮跡顕彰の石杖(いしずえ)として、阿弥陀如来坐像や石製五輪塔(いずれも重文指定)など、往時の文化財を今に伝える安楽寿院境内に置くこととした。

                                               1998年12月

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  こちらが現在の安楽寿院の境内。

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  撮影 2016/07/15

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