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2016年7月

2016年7月30日 (土)

【天守閣】復興天守(3)2001年7月 - 島原城(長崎県島原市)

 

  島原城の場合、外観復元とするか復興天守とするかは迷う所。

しかし復興とする場合も多く、取り敢えず復興とすることとして話を進めます。

 

  島原城を訪れたのは2001年の7月、熊本城とセットにして訪れました。

熊本からバスで熊本港へ向かい、そこからフェリーで島原外港へ渡り、島原鉄道で一駅だけ乗車して近くの民宿に一泊した覚えがあります。

このあたりはもう曖昧な記憶しかなく、少なくとも宿からお城までは歩いて行ける距離であったことは確か。

島原の乱(寛永14年(1637年)~寛永15年(1638年))の後、藩主家は高力家2代、(深溝(ふこうず))松平家5代、戸田家2代、再び(深溝(ふこうず))松平家8代で明治に至ります。

最も治世の長かった(深溝(ふこうず))松平家の石高は6万5千石でした。

 

  夕方に島原外港駅到着。

  まだ島原外港 - 加津佐間が健在な頃で、この区間が廃止されたのは平成20年(2008年)の事。

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  これはあくる日の島原駅。

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  一駅だけというのは南島原駅まで乗車したものと思われます。

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  どれがどの櫓かはもう忘れました。東三重櫓か。

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  巽三重櫓か。

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  多分右から東三重櫓、巽三重櫓、天守。

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  天守閣。

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  西三重櫓。内から。

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  撮影 2016/07/25,26

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2016年7月29日 (金)

京都 竹田駅(京都市伏見区)2016年7月 - 京都市営地下鉄と近鉄

 

  竹田駅は近鉄と京都市営地下鉄の共同使用駅。

相互直通運転が竹田駅で行われています。

竹田駅では私が確認した限りでは近鉄急行と地下鉄との間の接続が計られています(急行だけなのかは未確認)。

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  乗り換えは同じホームで行われるためすぐの乗り換えが可能です。

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  入線する地下鉄車両。

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  撮影 2016/07/15

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2016年7月28日 (木)

(続)京都 伏見の一部を散策(5) - 寺田屋(2)家屋の内部 帰途につく

 

  寺田屋事件とは(1)薩摩藩志士粛清事件(文久2年(1862年))、(2)坂本龍馬襲撃事件(慶応2年(1866年))の二つの事件を指すことは前回に述べました。

前者は薩摩藩内の尊皇派志士が島津久光の命令で粛清された事件。

後者は伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。

 

  一般受けから言うと坂本龍馬の事件がどうしてもクローズアップされてしまいます。

しかし寺田屋入口には「伏見寺田屋殉難九烈士之碑」が建てられ(1)の事件にもふれられています。

 

  寺田屋は薩摩藩の定宿でした。

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  教義の意味での伏見の地図。

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  入口右横に建てられている「伏見寺田屋殉難九烈士之碑」。

  (1)の事件に関わる碑。

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  中は現在でも旅館として使用されているため生きた部屋造りとなっています。

  拝観は大人400円。予約が必要な宿泊は6500円など。

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  表階段。

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  表通りを。

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  生きた部屋という意味はエアコンなど実用的な器具が揃っていることです。

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  裏階段。

  現在の建物は再建されたものですが、おりょうが龍馬らに急を告げに昇ったのが裏階段。

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  裏階段を下りると風呂場やトイレ、中庭などがあります。

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  中庭。

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  再建された建物なのですが雰囲気は伝わってきます。

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  観覧船を見ながら長建寺に向かいました。

  長健寺は最初に紹介しましたので、記事上はここまで。

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  月桂冠大倉記念館の裏側。

  帰りは記念館の前の通りを北に向かいました。

  南に行けば京阪の中書島駅が近いことには全く気付いていません(徒歩5分ぐらい)。

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  南から大手筋通に出ました。

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  撮影 2016/07/21

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2016年7月27日 (水)

(続)京都 伏見の一部を散策(4) - 寺田屋(1)薩摩藩志士粛清事件と坂本龍馬襲撃事件

 

  寺田屋事件は(1)薩摩藩志士粛清事件(文久2年(1862年))、(2)坂本龍馬襲撃事件(慶応2年(1866年))の二つの事件を指します。

前者は薩摩藩内の尊皇派志士が島津久光の命令で粛清された事件。

後者は伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。

後者の方が一般受けがよく、私も坂本龍馬の方を念頭に訪れました。

 

  ちなみに坂本龍馬が暗殺されたのは近江屋事件(慶応3年11月15日(1867年12月10日))で寺田屋事件の翌年京都河原町の近江屋で中岡慎太郎らとともに暗殺されました。

 

  やはりというか、龍馬がメインの町造りがされています。

  寺田屋の東の南北の通りが竜馬通りと名付けられていました。

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  竜馬通り商店街。

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  手前が寺田屋。

  寺田屋は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており現在の寺田屋は再建されたものというのが公式の見解となっています。

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  とは言え、以前のその雰囲気は伝わってきますね。

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  東側には様々なモニュメントや碑などが揃う「公園」となっています。

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  夏には特に休憩できる場所があるのは助かります。

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  寺田屋の女将お登勢は神となってしまいました。

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  坂本龍馬の碑。

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  維新時代の井戸。

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  寺田屋騒動記念碑。

  この後、家屋を拝観しました。

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  撮影 2016/07/21

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2016年7月25日 (月)

(続)京都 伏見の一部を散策(3) - 月桂冠大倉記念館

 

  月桂冠は「寛永14年(1637年)、初代・大倉治右衛門が京都府南部の笠置町(現在の相楽郡笠置町)から城下町、宿場町としてにぎわっていた京都伏見に出て来て創業」(ホームページより引用)したのが起こり。
現在の社長大倉治彦は数えて第14代目とか。大変な老舗ですね。

 

  月桂冠大倉記念館は十石舟乗船場のすぐ北にあります。

大倉記念館の大倉は創業家の名前。

月桂冠大倉記念館(明治42年(1909年)築)を始めとして一連の建築群と所蔵品、松本酒造酒蔵、十石舟などが「伏見の日本酒醸造関連遺産」として近代化産業遺産と認定されています。

月桂冠大倉記念館のホームページ。

 

  十石舟のりば入口。

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  その北にある月桂冠大倉記念館。

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  左が北、上が東の地図。

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  拝観料は300円(中高生100円)。

  案内パンフレットともに小ぶりのお酒がお土産に頂けます(未成年の人は絵葉書がお土産に頂けます)。

  また帰りに利き酒のコーナーがあります。

 

  お土産。純米酒(180ML)。

  ビニール袋入りで頂けます。

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  入口。

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  北を向いて。

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  中庭への途中、左手の建物が拝観順路。

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  拝観場所は二棟あります。

  最初は日本酒のできるまでを実際に使用した器具・用具などが陳列されています。

 

  写真はフラッシュはNGですが撮影は可です。

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  中庭に出てみました。

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  もう一棟の陳列。

  用具と共に酒に関する取集品などがあります。

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  拝観を終わって外に出ました。

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  先ほどの入口。

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  月桂冠の北側には黄桜酒造のカッパカントリーがあります。

  何といっても黄桜と言えばカッパですよね。

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  周辺を歩きましたが中には入りませんでした。

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  撮影 2016/07/21

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2016年7月24日 (日)

(続)京都 伏見の一部を散策(2) - 十石舟と三十石船、そして長建寺

 

  最初に訪れたのは月桂冠大倉記念館で、長建寺は一番最後に訪れたのですが、時系列を無視して話を進めます。

 

  十石舟、三十石船は酒蔵のある水辺を巡る遊覧船です。

定員は十石舟は15名、三十石船は30名で、料金はどちらも大人(中学生以上)1000円、小人500円。

所要は十石舟が往復約55分、三十石船が往復約40分ほど。

私が目撃したのは十石舟と思われますが客は一人か二人でした。

 

  狭義の伏見の地図(伏見区となると広くなる)。

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  前回、京阪電車の踏み切りで自分の位置を見失ったと書きましたが、川筋にはすぐに出られました。

  ただ、月桂冠大倉記念館が分からず、地元の人に尋ねてなんとかたどり着きました。

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  いずれも船外機が動力です。

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  十石舟の乗り場。

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  十石舟と三十石船の案内。

  詳しくは十石舟・三十石船のご案内で。

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  寺田屋の東の橋の上から見える三十石船の乗船場。橋のたもとがそれです。

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  観光客を乗せて西に向かうところ。

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  長建寺山門。

  長建寺は真言宗醍醐派の寺院。

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  本尊は弁天様で秘仏。

  境内写真撮影禁止で山門のみ。

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  時系列的にはここを最後に桃山御陵前駅にもどりました。

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  撮影 2016/07/21

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2016年7月23日 (土)

(続)京都 伏見の一部を散策(1) - 桃山御陵前駅から京町通を南下

 

  京都伏見の散策の続きで、最後は月桂冠大倉記念館と寺田屋を訪れました。

利用した「とくとくきっぷ」は言わずと知れた「青春18きっぷ」。岐阜と京都との往復に利用しました。

 

  地図で見てみると月桂冠大倉記念館と寺田屋は京阪電車の中書島駅が最も近いのですね。

桃山御陵前駅が最寄りの駅との固定観念から今回も出発は同駅から。

南北の道路のうち選んで南下したのは近鉄と京阪との間にある京町通。

歩いてみると京町通にはけっこう古民家が多く飽きない散策となりました

 

  せんとくんと特急。

  京都駅にて。

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  乗車したのは橿原神宮前行き急行。

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  桃山御陵前駅で下車。

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  桃山御陵前駅は高架駅。

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  駅からすぐ西の京町通を南に下ります。

  所々にこのような古民家が点在しています。

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  京町通を南へ。

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  鍾馗さん?火除けや病気快癒の神様。

  京都の町家の屋根によく見かける。

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  民家自体はそんなに古いという感じは受けない。

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  これは古そうな民家。

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  車除けの石が置いてあります。

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  こちらは古民家風の比較的新しそうな民家(本当のそうなのかは分からない)。

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  北の方を振り返って。

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  一角を祠が占めている民家。

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  京阪電車の踏み切り。

  ここらあたりで自分の居る位置を見失いました。

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  地図で見ると長建寺の東の踏み切りであったようです。

  地図を印刷して持参すれば済むことですが、生憎プリンターが壊れていてこんな羽目に。

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  撮影 2016/07/21

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2016年7月22日 (金)

京都 伏見の一部を散策(6) - 大手筋通り 源空寺、宝福寺

 

  大手筋通りに面して近鉄の高架駅である桃山御陵前駅があり、その東に御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)があります。

反対に高架駅から西に行くとすぐに京阪電車の踏み切りがあり、その南側に地上駅の伏見桃山駅があります。

この踏み切りを境にして西側には賑やかな大手筋通りのアーケード商店街が延びています。

この日の最後はアーケード商店街から北に外れた場所にある源空寺とアーケードが途切れて竹田街道を西に渡り北に折れた場所にある宝福寺を訪れました。

このコースは近鉄のハイキングがお薦めの「てくてくまっぷ」を参考にその一部を歩いてみたものです。

近鉄「てくてくまっぷ」の伏見酒蔵の町・歴史探訪コース。

 

  大変賑やかな大手筋通りのアーケード商店街。

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  踏み切りから三本目の道路を北に折れ右側にある源空寺。

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  二層の鐘楼門は伏見城からの移築とされている。

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  境内。

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  内側から。

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  朝日大黒天像は「豊臣秀吉の持念仏で、伏見城の巽櫓(たつみやぐら)にあったものとされる」(引用)。

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  アーケードは意外に長い。

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  アーケードが途切れて。

  大手筋通りの北側。

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  やがて濠川(ほりかわ)の橋に。「大手筋橋?」

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  橋の西詰にある坂本龍馬避難の材木小屋跡。

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  このままでは読めないので書き起こします。

 

  慶応2(1866)年1月24日未明、薩長同盟を締結した坂本龍馬が、長州藩の三吉慎蔵と寺田屋に潜んでいるところを伏見奉行配下の役人に取り囲まれました。

風呂場にいたお龍が、不穏な気配を察知して2階の龍馬に危機を告げたので、龍馬はピストルで応戦。三吉は槍を構えて戦いましたが乱闘になり、龍馬は両手首を切られてしまいます。

負傷した龍馬を肩に掛け、裏口の物置を抜けて、隣家の戸を破り小路(こうじ)に出て逃走した三吉は途中の寺に探索者がいるのに気付き、方向転換して川端の材木小屋を見つけて密かに忍び込み、龍馬をその小屋に置いて豪川沿いの伏見薩摩藩邸に駆け込みました。

この事件の顛末の詳細は「三吉慎蔵日記」に記されており、龍馬が潜んだとされる西浜の材木小屋は豪川の左岸南方にあったといわれています。

藩邸へはすでにお龍が知らせていたので、藩邸の留守居役の大山彦八は薩摩藩の旗印を掲げた船を出して龍馬を無事救出しました。

龍馬の傷は深く、静脈も傷つき、翌日まで出血が止まらなかったと龍馬の手紙にも記されています。

龍馬とお龍は1月29日まで伏見薩摩藩邸に滞在し、約1か月後に西郷隆盛らとともに薩摩藩の蒸気船三邦丸に乗船し鹿児島へ向かい、傷の治療をかねて霧島温泉に向かいます。

これが、後に日本で最初の新婚旅行といわれています。

                                                                                                    伏見観光協会

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  宝福寺の案内板。

  濠川から二本目の道路を右へ。

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  宝福寺は曹洞宗の寺院。

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  境内。

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  宝福寺から一旦駅の方向に戻りました。

  伏見の酒蔵はまたの機会に。

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  撮影 2016/07/15

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2016年7月21日 (木)

京都 伏見の一部を散策(5) - 御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)(2)大手筋商店街へ

 

  御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の主祭神は神功皇后。

安産、子育て、開運厄除のご利益があるとされています。

慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いでは、当社は官軍(薩摩藩)の駐屯所となりましたが戦火は免れました。

そういえば東福寺も官軍の屯所となりましたが戦火からは免れたという話を何かで読みました。

 

  拝殿。

  割拝殿の構造。

  寛永2年(1625年)、徳川頼宣(紀州徳川家初代)の寄進による。

  「平成9年(1997年)6月に半解体修理が竣工し極彩色が復元された」。
  どうりで綺麗で立派な拝殿だと思いました。

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  鳥羽・伏見の戦いの戦跡の説明板ですが、駐車した車で正面から写せませんでした。

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  絵馬堂。

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  参拝。

  開運厄除のご利益がありますように!!

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  絵馬堂、横から。

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  「平安時代に病気に効く香水が湧き出たので清和天皇からこの名(御香宮)を賜った」(出所京都観光NAVIより。)

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  本殿。

  慶長10年(1605年)徳川家康造営で重要文化財。

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  九社殿(能舞台)。

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  鳥居と表門。

  前回にも述べましたが表門は旧伏見城大手門。

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  大手筋木鳥居旧礎石。

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  表門は旧伏見城大手門。

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  アーケード商店街の中間あたりから東への道路は坂道となっています。

  高架は近鉄京都線。車両は相互乗り入れの市営地下鉄。

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  近鉄京都線は高架。

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  一方、京阪電車は地上の踏切。

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  その西は大手筋のアーケード商店街となっています。

  結構人が多い。

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  撮影 2016/07/15

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2016年7月20日 (水)

京都 伏見の一部を散策(4) - 御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)(1)

 

  安楽寿院から一度竹田駅に戻りましたが、急に東寺へ行ってみたくなり、近鉄で竹田駅から東寺駅に向かいました。

取り敢えず喫茶店に入り休憩しているうちに、やはりここは伏見へ行き、初志を貫徹すべきと考え直して再び近鉄に乗車 。

ドタバタしましたが今度は桃山御陵前駅で下車しました。

その後の行程は頭の中に入れてあったので、まずは御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)に向かいました。

御香宮神社は近鉄桃山御陵前駅から東へ歩いてすぐ。

この道路(大手筋通り)を東に歩いて行くと明治天皇陵の伏見桃山陵があります。

駅から陵までは徒歩約25分ぐらいです。

 

  竹田駅にて。

  近鉄の東寺駅に向かいました。

  車両は京都市営地下鉄の車両。

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  東寺駅にて。

  西に徒歩5分で東寺があります。

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  結局、踵を返して桃山御陵前駅に向かいました。

  東寺駅にて。

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  桃山御陵前駅前の通り(大手筋通り)の東を望んだところ。

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  表門は大手筋通りに面しています。

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  御香宮神社の表門は旧伏見城大手門で重要文化財に指定されています。

  元和8年(1622年)徳川頼房(水戸藩の初代藩主)の寄進による。

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  参道の鳥居。

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  表門を入り右側に境内社があります。

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  桃山天満宮といいます。

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  境内社はたくさんあるようです。

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  伏見城残石。

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  同じく伏見城の残石。

  伏見城は最終的に1623年(元和9年)に破却されました。

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  拝殿。

  割拝殿という構造。

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  撮影 2016/07/15

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2016年7月19日 (火)

京都 伏見の一部を散策(3) - 安楽寿院境内と鳥羽天皇陵

 

  安楽寿院は鳥羽離宮の東殿に御堂が建てられたのが始まりです。

現在は小さくまとまっていますが最盛期には本御塔を始め九体阿弥陀堂などを有し、寺領も全国に及んでいました。

その後、院政も力を失い本格的に武家が台頭する時代となります。

寺院領は南北朝時代の混乱で失い、また火災や地震などで現在では往時の面影はありません。

安楽寿院公式ホームページ。

拝観は事前予約が必要です。

以下の情報は安楽寿院の公式ホームページを参照しています。

 

  鐘楼と阿弥陀堂。

  阿弥陀堂は台風で倒壊したお堂の代わりに昭和34年建立されたもの。

  阿弥陀如来像(重文)をお祀りしている(現在は収蔵庫に収められている)。

  梵鐘は元禄5年(1692年)の鋳造。

  築地塀の東側(向かって右側)には寛政7年(1795年)の建立になる書院、庫裏がありますが、門が工事中で中を窺う事ができませんでした。

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  大師堂。弘法大師像が本尊。

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  三宝荒神社。

  何度も火災にあってきた当寺ですが、慶長11年(1606年)の復興の際に勧請された。

  荒神様は火の神や竈の神として信仰されています。

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  三如来石仏。

  釈迦、弥陀、薬師三尊の3面がありますが、弥陀三尊像は京都国立博物館に預けられているそうです。

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  右下端に竹田の文字が見えますがその左上あたりが安楽寿院。

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  柵の中にある収蔵庫。

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  同じく柵内にある庭園。

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  宝篋印塔。由来は不明。

  境内西側の老人ホームの前に重文の石造五輪塔があるそうですが、そこは訪れそこないました。

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  大師堂。

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  冠石。

  鳥羽天皇が法皇となった際に冠を埋めたという(出所京都寺社案内。)

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  鳥羽天皇陵。

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  正式名は安楽寿院陵(あんらくじゅいんのみささぎ)。

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  仏堂が御陵の鳥羽天皇陵。

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  安楽寿院境内に戻り、「白河法皇、鳥羽法皇院政之地」の碑。

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  境内西の入り口。

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  撮影 2016/07/15

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2016年7月18日 (月)

京都 伏見の一部を散策(2) - 近衛天皇陵(安楽寿院南陵 あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)の御陵である多宝塔

 

  竹田駅の南口から線路の西側の道路を南下して、広い道路の新城南宮道の一本手前の道を西に入ると安楽寿院があります。

安楽寿院は鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が営んだ仏堂が起源(12世紀のこと)。

「現在の安楽寿院は、6つ存在した子院のうちの前松院が寺籍を継いでいるもの」であるそうです。

 

  さて、近衛天皇陵は御陵が多宝塔という珍しい形式を取っています。

近衛天皇陵の正式の名前は安楽寿院南陵(あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)。

近衛天皇は第76代天皇で在位は永治元年(1142年) - 久寿2年(1155年)。

鳥羽上皇による院政が布かれていたいた時期にあたります。

 

  陵の東側に近衛天皇陵駐車場があります。

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  安楽寿院境内の前を北側から入ります。

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  まごうことなく多宝塔が御陵という形式です。

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  多宝塔は慶長11年(1606年)の再建。

  宮内庁の管轄なので文化財指定はありません。

  もしそうで無ければ重文級と思われます。

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  前身が鳥羽離宮の東殿の仏堂であることから鳥羽離宮に言及した案内板。

  全文書き起こしてみました。

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  鳥羽離宮は、平安時代後期に白河上皇の院政開始の象徴として造営が開始された御所と御堂および苑池(えんち)からなる広大な離宮である。

その範囲は、東西1.5km、南北1kmにもおよび、当時の日記に、「都遷り(みやこうつり)がごとし」といわれるほどであった。

この地は、平安京の朱雀(すざく)大路からまっすぐ南に下がった場所にあたり、現在とちがって鴨川は東から南に流れ、西には桂川が流れて、水閣(すいかく)を築くのに絶好な地形であった。

造営は、応徳3年(1086)にはじまり、北殿(きたどの)・南殿(みなみどの)・泉殿(いずみどの)・馬場殿(ばばどの)などがあいついで完成した。

これらの殿舎(でんしゃ)は、右にかかげた広大な池に接して造られ、船で行き来していた。

各々の殿には寝殿(しんでん)を中心に殿舎や御堂(仏像を安置)が建ち並び、次の鳥羽上皇の時代に入って、東殿・田中殿の造営が加わり、それぞれ苑池も造られた。

このうち現在の安楽寿院を含む東殿には、三重塔3基、多宝塔1基が築かれるなど、ほかの殿とは異なった様相を呈していた。

そしてこれらの塔には白河法皇(成菩提院(じょうぼだいいん)陵や鳥羽法皇(安楽寿院陵)、近衛天皇(安楽寿院南陵、再建多宝塔が現存)の御骨が収められ、墓前に御堂が造られた。

このように東殿の区域は死後の世界を用意したもので、まさしく極楽浄土を現世に築きあげたことが分かる。

院政最盛期の証(あかし)でもある鳥羽離宮跡は、当時の最高の文化と技術を駆使(くし)して築かれたが、院政の終焉(しゅうえん)とともに衰退(すいたい)し、地上からその姿を消していった。

この鳥羽離宮跡の発掘調査が開始されたのは、1959年の田中殿跡の調査からである。

以後1984年までに100次をこえる調査が実施され、南殿の殿舎や苑池跡、北殿経蔵や苑池跡、田中殿金剛心院(こんごうしんいん)跡、東殿苑池跡の発見など大きな成果をあげている。

これらの調査を自ら始められ、地元の方々や多くの調査関係者らとともに当初から手がけてこられたのが杉山信三博士(1906~1997)である。

ここに示された鳥羽離宮復元鳥瞰図(ちょうかんず)は博士の長年の調査成果を集大成されたもので、鳥羽離宮跡顕彰の石杖(いしずえ)として、阿弥陀如来坐像や石製五輪塔(いずれも重文指定)など、往時の文化財を今に伝える安楽寿院境内に置くこととした。

                                               1998年12月

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  こちらが現在の安楽寿院の境内。

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  撮影 2016/07/15

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2016年7月16日 (土)

京都 伏見の一部を散策(1) - 竹田の安楽寿院(あんらくじゅいん)へ

 

  前回の旅行で伏見稲荷大社、石峰寺、宝塔寺を訪れた続き。

今回はまず竹田の安楽寿院を訪れ、さらに近鉄の桃山御料前駅から御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)、源空寺、宝福寺を訪れましたが、ここで雨模様になったことと体力を慮って帰ることとしました。

残念ながら寺田屋や伏見のお酒関係はまたも持ち越しとなりました。

安楽寿院は「鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が造営した仏堂を起源」とし、「付近一帯は平安時代末期(11~12世紀)、院政の舞台となった鳥羽離宮の跡地」(カッコ内引用)であったそうです。

現在は宮内庁管轄となっている近衛天皇陵(安楽寿院南陵)、鳥羽天皇陵(安楽寿院陵)が隣接してあります。

 

  米原駅にて。

  JR東海、一世代前の311系電車。

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  京都駅からは近鉄電車で竹田駅に向かいます。

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  竹田駅は急行停車駅なので急行奈良行きに乗車。

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  竹田駅から京都市営地下鉄と近鉄が相互乗り入れをしています。

  市営地下鉄の車両。

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  安楽寿院が駅の南に位置するので南口を利用。

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  徒歩10分足らすで安楽寿院へ。

  右の築地塀は庫裏などの区域。入口の門が工事中で中は窺えませんでした。

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  安楽寿院の南側にある近衛天皇陵。

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  撮影 2016/07/15

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2016年7月15日 (金)

京都 伏見稲荷ほかを訪れる(6)2016年7月 - 宝塔寺(ほうとうじ)(2)本堂、多宝塔 帰途に

 

  今回の旅行の目的は宝塔寺の多宝塔、安楽寿院(あんらくじゅいん)の多宝塔を訪れることでしたが、これに伏見稲荷大社、石峰寺、伏見の町並みを加えて巡るつもりでした。

しかし、安楽寿院は同じ伏見区でも深草とは少し離れている竹田ということ、ましてや伏見の町並みを散策するには体力が耐えられず、宝塔寺を最後に京都駅に引き返しました。

 

  本堂。

  境内は静まり返っていて、掃除をする女性が一人のみ。

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  慶長13年(1608年)の建立で重要文化財に指定されています。

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  本堂に向かって左側。鐘楼。

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  本堂。

  日蓮と日像の像が安置されているそうです。

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  室町時代の建立である多宝塔。

  逆光である事と不覚にもレンズに汚れが付いたまま撮影していたため全写真が失敗作となってしまいました。

  今回はコンパクトデジカメ一つで巡りましたが、レンズの汚れに一貫して気付かず大失敗でした。

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  上の案内板にあるように室町時代15世紀の建築。

  重要文化財。

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  大本山妙顕寺歴代墓所。

  妙顕寺は日像が建立した日蓮宗の大本山(京都市上京区にある)。

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  本堂の軒越しに庫裏の建物。

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  梅雨の晴れ間の暑い一日でした。

  仁王門を本堂前から。

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  宝塔寺の案内板。

  字が小さくて読めませんが・・・。

  宝塔寺については京都観光NAVIを参照。

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  京阪電車の深草駅。

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  ひどい写真ですがご容赦を。深草駅にて。

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  東福寺駅でJR奈良線に乗り換え京都駅に戻ってきました。

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  京都タワー。

  駅前の喫茶店で少し遅い昼食を取り帰途につきました。

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  撮影 2016/07/02

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2016年7月14日 (木)

京都 伏見稲荷ほかを訪れる(5)2016年7月 - 宝塔寺(ほうとうじ)(1) 総門、塔頭、仁王門

 

  宝塔寺は日蓮宗の寺院。

観光地としての有名な寺院ではありませんが、室町時代建立の多宝塔があると聞き訪れました。

 

  もともと今回の旅行は宝塔寺の多宝塔の存在がきっかけで、その流れから石峰寺と伏見稲荷大社をも訪れることになった経緯があります。

旅行全体では伏見区を大きく見ていましたが、いかんせん最近の暑さには勝てなくて、今回の旅行は小さくまとめざるを得ませんでした。

 

  宝塔寺は石峰寺のさらに南に位置するため、適当に南へ歩いてみましたが、やはりというか、自分がどのあたりを歩いているのかを見失ってしまいました。

たまたま下の町内地図を見つけ事なきを得ました。

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  総門の四脚門。

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  本堂、多宝塔とともに重要文化財。

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  仁王門まで両側に塔頭が並んでいます。

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  圓妙院。

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  大雲寺。

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  直勝寺。

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  日像荼毘所の碑。

  日蓮宗の僧である日像は京都で布教に当たっていましたが、死後、遺言により当寺で荼毘(だび)に付されました。

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  霊光寺。

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  慈雲院。

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  仁王門。

  宝永8年(1711年)の再建。

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  正面に本堂があります。

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  撮影 2016/07/02

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2016年7月13日 (水)

京都 伏見稲荷ほかを訪れる(4)2016年7月 - 石峰寺(せきほうじ)伊藤若冲ゆかりのお寺

 

  伏見稲荷大社の南に石峰寺(せきほうじ)という黄檗宗のお寺があります。

江戸時代中期の絵師である伊藤若冲は晩年をこの石峰寺の門前で過ごし、同寺には伊藤若冲のお墓と若冲と当寺の住職が制作した五百羅漢が残っています。

残念ながら五百羅漢などは様々な理由で写真撮影、スケッチが禁止ということで、写真はありません。

 

  伏見稲荷大社から伏見街道を南に京阪電車の深草駅まで歩き、さらに東へ高台にある石峰寺を目指しました。

 

  JR奈良線の踏み切り前にある地蔵尊。

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  踏み切りをさらに南に渡ります。

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  やがて右手に京阪電車の深草駅駅舎が見える場所に出ます。

  これを東に(左に)折れます。

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  伏見街道はさらに南に続きます。

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  東に折れた道路を道なり(正確には道なりではない)に行くと宝塔寺の門前に至ります。

  石峰寺へは奈良線の踏み切りを再び反対側に渡り、すぐに左への細い道を行きます。

  ここらあたりには石峰寺への案内があったはず。

 

  細い道を行きます。

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  やがてこのような石段になります。

  石峰寺の案内板があります。

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  深草駅からは徒歩で5分ほど、稲荷からでも10分足らず。

 

  山門。

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  写真はここまで。

  山門を入って左手の建物で拝観料300円(小人200円)を支払い奥に入ります。

  本堂は無料。本堂には休憩のための一角があります。

 

  山門内側から。

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  五百羅漢は山内の傾斜地(裏山)にあります。

  やぶ蚊対策に拝観受付で貸して頂けるうちわは必須。

 

  次は宝塔寺に向かいます。

  道に迷って下の地域地図に助けられました。

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  撮影 2016/07/02

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2016年7月12日 (火)

京都 伏見稲荷ほかを訪れる(3)2016年7月 - 伏見稲荷大社(京都市伏見区)(2)

 

 

  伏見稲荷大社と言えば、話題の千本鳥居。

日本人から見ればごく普通の光景ながら、外国人には大人気です。

当日も多くの観光客で賑わいました。

他にも観光客にはほとんど見向きもされませんが、摂社、末社などの社殿は殆んどが重要文化財に指定されていて、京都ならではだと思いました。

 

  玉山稲荷社。

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  途中の四社も重要文化財に指定されています。

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  右から末社両宮社、五社相殿(ごしゃあいどの)、末社荷田社(かだしゃ)、末社長者社。

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  白虎社。

  重文。

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  奥宮。重要文化財。

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  これはまだ千本鳥居ではありません。

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  ここから千本鳥居。

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  一旦入ると隙間が無いので通り抜けるまで出ることができない。

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  通り抜けると奥社奉拝所があります。

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  反対側を帰ります。

  稲荷山全体ではこのような鳥居は一万ぐらいあるそうです。

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  稲荷山も含めて伏見稲荷大社の全体図。

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  外拝殿の横を抜けて参道を駅前に戻ります。

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  ここから伏見街道を南へ向かい伊藤若冲ゆかりの石峰寺へ。

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  撮影 2016/07/02

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2016年7月 4日 (月)

京都 伏見稲荷ほかを訪れる(2)2016年7月 - 伏見稲荷大社(京都市伏見区)(1)

 

  伏見稲荷大社は全国の「お稲荷さん」こと稲荷神社の総本宮。

稲荷神についてや、稲荷神と狐などの詳しい考察は他に譲り、観光地としての伏見稲荷大社を見ていきたいと思います。

 

  JR奈良線稲荷駅のすぐ前が表参道。

  一方、京阪電車伏見稲荷駅からの参道は裏参道と呼ばれています。

  裏参道にはお店が連なっているそうです。

 

  目についたのは外国人観光客と修学旅行生の多いこと。

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  参道途中から駅方向を振り返って。

  とにかく人が多いので顔が写り込まないようにするのが大変。

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  楼門。

  天正17年(1589年)の建築で重文。

  狛犬の代わりに宝珠をくわえる狐(右)と鍵をくわえる狐(左)に迎えられます。

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  宝珠をくわえる狐。

  楼門の前、向かって右側の狐。

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  外拝殿と知恵の輪。

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  内拝殿。参拝はこちらで。

  本殿(重要文化財)は明応8年(1499年)の再建で重要文化財。

  側面から写真を撮ろうとしたものの本殿撮影禁止の立て札に気づき止めました。

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  内拝殿から外拝殿(舞殿)を振り返って。

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  願掛け鳥居。

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  奥に進み、話題の千本鳥居に向かいます。

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  撮影 2016/07/02

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2016年7月 3日 (日)

京都 伏見稲荷ほかを訪れる(1)2016年7月 - JR奈良線稲荷駅へ

 

  よく訪れる京都ですが、伏見稲荷は今回が初めてです。

外国人にも人気の観光スポットなので、千本鳥居などは観光客で大渋滞の態。

中国語が最も多く聞かれましたが、大陸の人か台湾、香港の人なのかは区別ができません。

また、それとは別に、稲荷と言いながら狐の像があまり見られなかったことは意外でした。

 

  使用したとくとく切符は「シャトルきっぷ」。

「シャトルきっぷ」は東海道線穂積駅以西醒ヶ井駅までを出発地として米原からは新幹線利用が可の往復切符です。

目的地は京都と新大阪までの二通り。

 

  米原駅にて。

  上り列車が出発していきます。

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  新大阪行きの「ひかり」が到着

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  奈良線ホームの221系「みやこ路快速」。

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  稲荷駅には快速は停車しません。

  城陽行きの普通で到着。京都から二駅目。

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  降りたドアの目の前にあった説明板。

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  稲荷駅駅舎。

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  駅の前がすぐに参道。

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  撮影 2016/07/02

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2016年7月 1日 (金)

史実には無い模擬天守(21) - 伏見桃山城(京都市伏見区)1996年9月

 伏見桃山城は秀吉が築いた伏見城をモデルに作られた模擬天守。

「キャッスルランド開園時に遊園地の売りとして作られたもの」です。

キャッスルランドは正式には「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地で1964年にオープン、2003年に閉園。

跡地は伏見桃山城運動公園として整備(2007年)されました。

天守閣は市民の要望により残されましたが、耐震的に危険ということで、現在は中に入ることはできす、地域のシンボルとして存続しています。

 

  まだ大阪在住時代に勝竜寺城公園とともに訪れたのが伏見桃山城。

バスがあるとは知らず、駅から歩いて登り、途中で住民の人に聞きながらたどり着いた記憶があります。帰りはもちろんバスを利用しました。

 

  大きな門。

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  大天守、小天守。

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  大天守から小天守。

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  黄金の茶室。

  現在は内部に立ち入ることはできません。

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  千成瓢箪。

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  伏見城と昭和39年に再建された伏見桃山城について。

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  撮影 1996/09/05

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