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2016年8月

2016年8月29日 (月)

吉田城(愛知県豊橋市)を訪れる(1) - 豊橋駅にて

 

  さて、黄檗山萬福寺を訪れて後、余りの暑さに耐えきれず、宇治を散策する予定を切り上げ京都駅に戻りました。

しかし、まだお昼時。

駅前の喫茶店で食事を取り、岐阜に向けて帰途につきましたが、まだ日は高く、大垣で新快速に乗り換えるとそのまま岐阜を素通りして、豊橋まで一直線。

かねてから気になっていた豊橋の吉田城を訪れることにしました。

「青春18きっぷ」ならではの利用法ですね。

 

  豊橋駅の3番線 名鉄パノラマスーパー1000系。

  名鉄はこの3番線のみの発着。

  ホームの反対側、2番線はJRの飯田線用ホーム。

  柵を隔てて4番線から8番線は主にJR東海道本線。

  さらに11、12、13番線は新幹線ホームとなっています。

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  豊橋駅東口の駅外。

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  豊橋鉄道市内線。

  全線均一運賃で大人150円、小児80円。

  乗車時払い。

  市内線1日フリー乗車券は400円(小児200円)です。

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  撮影 2016/08/24

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2016年8月28日 (日)

黄檗山萬福寺(京都府宇治市)を訪れる(4) - 諸堂を巡って帰途に

 

  萬福寺は江戸時代の17世紀に中国明の僧隠元を招いて開山した禅宗の寺院です。

建築から精進料理まで全般にわたり中国の様式で貫かれているのが特徴です。

 

  一直線に並ぶ三門、天王殿、大雄宝殿、法堂に加えて隠元を祀る開山堂、食堂である斎堂を巡り、あとは左右に並ぶ諸堂を見てみました。

 

  本堂にあたる大雄宝殿(だいおうほうでん)前から天王殿。

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  大雄宝殿から横に回廊を行くと禅堂があります。

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  禅堂についての説明板。

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  反対側に見えるのが斎堂(食堂にあたる)。

  禅堂と左右対称の位置にあります。

  大雄宝殿の前には白砂を敷き詰めた月台があります。

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  こちらが禅堂。

  一々書きませんが登場する諸堂はすべて重要文化財に指定されています。

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  その左に祖師堂。

  達磨の像と歴代住職の位牌が安置されています。

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  その左には鼓楼。

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  大雄宝殿の前を横切り反対側へ。

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  鼓楼と対になっているのが鐘楼。

  祖師堂 と対になっている伽藍堂は失念しました。

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  山内案内図。

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  三門に戻り帰途につきます。

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  総門から外へ。

  JR黄檗駅(おうばくえき)までは5分ぐらい。京阪黄檗駅もほぼ同じ。

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  JR黄檗駅前。

  京都から到着時の写真。

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  京都駅奈良線ホームの城陽行き普通。

  出発時の写真。

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  撮影 2016/08/24

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2016年8月27日 (土)

黄檗山萬福寺(京都府宇治市)を訪れる(3) - 大雄宝殿(本堂)と法堂(はっとう)

 

  萬福寺は江戸時代の17世紀に中国明の僧隠元を招いて開山した禅宗の寺院です。

建築から精進料理まで全般にわたり中国の様式で貫かれているのが特徴です。

 

  三門から法堂(はっとう)までお堂が一直線に並んでいますが、三門と天王殿の次は本堂にあたる大雄宝殿。

本尊は釈迦三尊像です。

大雄宝殿も開放的で写真の撮影も可能に見えましたが、さすがにここは自粛しました。

 

  大雄宝殿。

  本堂にあたります。

  寛文8年(1668年)の建立。もちろん重文指定です。

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  天王殿から大雄宝殿、法堂などは回廊で結ばれており、雨の日でも濡れることなく移動できます。

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  法堂(はっとう)。

  法堂は説法をする場所(萬福寺ホームページより)。

  寛文2年(1662年)の建立で重文。

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  回廊に備わっているベンチで休憩。

  暑い日でしたが日陰では風があり心地よく過ごせました。

  法堂と法堂横の建物は方丈(西方丈。東方丈と対になっている)。

  法堂の裏には歴代徳川将軍を祀る威徳殿がありますが非公開でこちらから見ることはできません。

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  奥の回廊の向こう側の建物は慈光堂(祀堂)。

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  大雄宝殿の横、奥に向かって右側にある斎堂。

  食堂にあたります。

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  斎堂、正面より。重文。

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  斎堂の説明。

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  開版(かいぱん 魚梆、飯梆とも書く)。

  時を報ずるもので今も使われています(パンフレットより)。

  奥の食事処?で普茶料理などが頂けるはず。

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  ここでもベンチで休憩をしていたら目の前に岐阜県の末寺の一覧が目に飛び込んできました。

  岐阜市の正法寺は岐阜大仏で有名な寺院(ふたつ同じ名があるのはどういうことか)。

  岐阜公園のすぐ横にあります。

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  法堂(はっとう)から大雄宝殿。

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  撮影 2016/08/24

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2016年8月26日 (金)

黄檗山萬福寺(京都府宇治市)を訪れる(2) - 開山堂と天王殿

 

  萬福寺は江戸時代の17世紀に中国明の僧隠元を招いて開山した禅宗の寺院です。

建築から精進料理まで全般にわたり中国の様式で貫かれているのが特徴です。

 

  さて、萬福寺では三門から天王殿、大雄宝殿(本堂)、法堂(はっとう)が一直線に配置されてますが、これをたどる前に、三門から天王殿に向かう参道の左手にある隠元を祀る開山堂に向かいます。

 

  三門をくぐります。

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  奥に天王殿が見えます。

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  その参道の左手に開山堂があります。

  通玄門。

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  開山堂。

  開山の祖である隠元が祀られています。

  寛文3年(1663年)の建立。

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  開山堂の前から振り返って。

  右手の建物が松隠堂客殿。

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  松隠堂客殿。

  開山堂を含む松隠堂は昭和34年(1959年)までは独立した宗教法人でしたが以後萬福寺と合併。

  開山堂、通玄門、客殿を含む松隠堂の7棟の建築物が重要文化財に指定されています。

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  開山堂を後にして天王殿へ。

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  天王殿。

  寛文8年(1668年)の建立。

  本堂の前にこのような堂を置くのが中国式です。

  お寺の玄関として設けられているとパンフレットには記されています。

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  弥勒菩薩の化身と言われる布袋尊が正面に。

  本堂である大雄宝殿もそうですが、撮影禁止の指示がありません。

  さすがに本堂では撮影は自粛しましたが、けっこう大らかな寺院です。

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  左右に四天王が配置されています。

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  撮影 2016/08/24

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2016年8月25日 (木)

黄檗山萬福寺(京都府宇治市)を訪れる(1) - 総門と三門

 

  京都府宇治市にある萬福寺(まんぷくじ)は黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山。

江戸時代の17世紀に中国明の僧隠元を招いて開山された禅宗の寺院です。

建物から精進料理まですべて中国様式で、日本の寺院とは趣が少々異なります。

中国式寺院では長崎の国宝崇福寺が有名ですが、私の印象では萬福寺の方は日本の他の禅宗の寺院と比べても、言われるほどそんなに違和感はありませんでした。

もちろん中国式であることは実感できましたが崇福寺ほどではありませんでした。

長崎市を観光(7) - 市内観光(4) 国宝 崇福寺(そうふくじ)はこちら。

 

  萬福寺の最寄りの駅はJR奈良線と京阪宇治線の黄檗駅。

  JR奈良線快速は停車しないので城陽行き普通電車で向かいます。

 

  京都駅にて。

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  黄檗駅駅前。

  降車ホームである東側に出ます。

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  駅から左へ行き二本目を入り左、次いで右と行くと総門の前に出ます。

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  総門の前に出ました。

  総門は中国的ですね。

  寛文元年(1661年)の建立。

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  大きな寺院です。

  建物23棟が重要文化財に指定されており、これは殆んどの建築物と言って過言ではありません。

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  総門を内側から。

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  三門。

  延宝6年(1678年)の建立。

  総門、三門ともに重文。

 

  拝観料は大人・大学生・高校生500円、中学生・小学生300円。

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  三門から天王殿、大雄宝殿(だいおうほうでん)、法堂(はっとう)が一直線に並びます。

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  撮影 2016/08/24

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2016年8月23日 (火)

【天守閣】復興天守(13)2002年7月 - 忍城(おしじょう 埼玉県行田市)

 

  忍城(おしじょう)と言えば2012年に映画化された「のぼうの城」の舞台。

江戸時代には忍藩(おしはん)の政庁ととなりました。

江戸時代を通じて親藩、譜代大名の居城となり、阿部氏の時代に御三階櫓が築かれました。

現在の御三階櫓(天守)は昭和63年(1988年)に復興されたもの。

現在は本丸跡に築かれていますが本来は三の丸のさらに外の郭 にありました。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  復興された御三階櫓。

 

  早朝に「ムーンライトながら」で東京に着き、上野から高崎線で熊谷へ。

  熊谷からは秩父鉄道で行田市駅まで10分。さらに駅から徒歩で15分。

  帰りは行田市駅、熊谷へは帰らずバスで高崎線の駅(駅の名前は忘れた 吹上駅か?)へ向かい、その後、南に取って返し小田原に向かいました。

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  私にとって関東は空白地帯で、関宿城や大多喜城など訪れていない城が多い。

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  あずま橋と東門。

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  鐘楼。

  文政6年(1823年)に松平(奥平)氏が入封した際に持参。

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  撮影 2002/07/24

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2016年8月21日 (日)

【天守閣】復興天守(12)2016年4月 - 長浜城(滋賀県長浜市)

 

  長浜城は羽柴秀吉が築城し大坂の陣後に廃城となった城郭です。

秀吉の実質的な出世城で、後には山内一豊も城主として出世の手掛かりとしました。

1615年(元和元年)に内藤氏が移封されていくと長浜城は廃城となり彦根藩の統治下にはいり、江戸時代をつうじて長浜の町は彦根藩領の商業都市として繁栄することになります。

 

  長浜市は観光都市として本当に巧みに作られており、大通寺を中心とした門前町、歴史的建築物を中心に構成された町並み、秀吉を中心とした歴史的テーマで構成されたイベントなど年間を通じて観光客を楽しませてくれます。

長浜城は長浜駅の西にありますがその他の多くの見所は東口から。

 

  長浜駅西口にて。

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  今年(2016年)の春に立ち寄った際の市立長浜城歴史博物館。

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  本来の天守の推定位置とは異なる場所に昭和58年(1983年)に復興されました。

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  天守の西にある秀吉像。

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  このあたりが長浜城天守閣跡。

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  北側から。

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  撮影 2016/04/05

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2016年8月17日 (水)

【天守閣】復興天守(11)2009年6月 - 岡崎城(愛知県岡崎市)

 

  岡崎城は徳川家康の生誕地として知られているお城です。

それだけに江戸時代には譜代の大名が赴任しました。

慶長6年(1602年)に5万石で本多康重が入部し4代、その後水野家7代、松平(松井)家1代、本多家6代で明治を迎えました。

最後の本多家は祖が徳川四天王の一人である本多忠勝の直系の家柄。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  岡崎城へは特急停車駅の名鉄東岡崎駅からは徒歩で15分ぐらい。

  ただし普通停車駅の岡崎公園前駅からは10分足らずでたどり着けます。

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  南から歩いてくると木々の上に天守が覗いています。

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  天守南側の龍城堀(たつきぼり)に架かる神橋。

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  岡崎城天守。

  昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリートで復興されました。

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  天守の隣にある龍城神社(たつきじんじゃ)。

  主祭神は徳川家康・本多忠勝・天神地祇・護国英霊。

  戦前の旧社格は県社でした。

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  神社前から天守。

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  本丸北側の空堀。

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  撮影 2009/06/02

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2016年8月14日 (日)

【天守閣】復興天守(10)1999年7月 - 高田城(新潟県上越市)

 

  高田城はいわゆる天下普請で松平忠輝(家康の六男)の居城として慶長19年(1614年)に築城されました。

この時期の城郭としては石垣の無い珍しい造りです。

大坂冬の陣(慶長19年(1614年))直前で工期が4か月と短く、石垣の石も集められなかったことが原因と考えられています。

また天守閣は築かれず三重櫓をその代替としました。

 

  三重櫓(御三階櫓)を天守の代替としたお城は多く、天守か御三階櫓かという呼称には若干の紛らわしさがあると言えます。

現存する御三階櫓(天守)には丸亀城、弘前城のそれがあります。

 

  現在の高田城三重櫓(実質上天守と言ってよい)は「上越市発足20周年記念事業として平成5年(1993年)に建設」されました(上越市ホームページより)。

 

  この旅行では岐阜を出発地として松本城、高島城を訪れ上田一泊。

翌日には上田城、高田城を訪れ新発田一泊。

翌日新発田城、長岡市郷土資料館(天守閣風建物)を訪れ、その日の内に岐阜までひたすら普通電車で帰るという三日間の旅行でした。

後にも先にもこんな強行軍の旅行はありませんでした。

 

  高田城三重櫓。

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  平成5年(1993年)の建設というと私が訪れたのはまだ建設後数年という時期だったのですね。

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  大きなお堀にはハスが群生しており遠くに妙高の山。

  現在では夜景や桜に言及されている文は見るのですが、ハスは健在なのでしょうか?

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  木造風(実際に骨組みは鉄骨だが木材が使用されている)が良い雰囲気を醸し出しています。

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  撮影 1999/07/28

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2016年8月13日 (土)

【天守閣】復興天守(9)2011年1月 - 小倉城(福岡県北九州市小倉北区)

 

  古くから要衝の地であった小倉に本格的に築城を始めたのは関ケ原の戦いの功で入部した細川忠興。

築城は慶長7年(1602年)に始まり7年の歳月を要しました。

細川家の熊本転封後に入部したのは小笠原忠真で寛永9年(1632年)に15万石で入り(細川家小倉藩は39万9千石)、小笠原家が明治まで10代にわたり当地を治めました。

細川氏時代に4重5階の大天守と1重の小天守からなる天守が築かれましたが、天保8年(1837年)に失火から焼失し、小笠原時代に元に復されることはありませんでした。

現在の天守は昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリートで復興されたもの。

 

  朝早くの小倉駅前。

  小倉モノレールの北九州高速鉄道。

  西に歩いていきます。

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  天守が見えました。

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  城内にある小倉祇園太鼓(こくらぎおんだいこ)で有名な八坂神社。

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  八坂神社の小倉祇園太鼓(こくらぎおんだいこ)は映画「無法松の一生」で全国的に知られるようになりました。

  初代主演は阪東妻三郎だったそうですが、私がかすかに覚えているのは(見たのではない)勝新太郎でしょうか。

  三船敏郎や三国連太郎も主役を務めているようですが、実は私は筋書きすら知りません。

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  あちこちに城跡らしさを垣間見ることができます。

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  5階が4階よりも大きいのが特徴。

  堂々たる天守です。

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  拝観料は一般350円、中学生・高校生200円、小学生100円。

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  一番西まで来ました。

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  北九州市立松本清張記念館を南に振り返りながら西小倉駅に向かいます。

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  西小倉駅。

  この後、門司港駅に向かい門司港レトロと九州鉄道記念館を訪れました。

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  撮影 2011/01/05

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2016年8月 8日 (月)

【天守閣】復興天守(8)2000年9月 - 越前大野城(福井県大野市)

 

  最近、竹田城、備中高梁城と並んで”天空の城”と人気なのが越前大野城です。

残念ながらそのような写真は私とは諸々の理由からもう無縁のものと考えているので、良い写真だなあと、ただただ感じ入って見ているのみです。

 

  越前大野城は信長配下の武将金森長近の築城によるのが始まりです。

江戸時代には天和2年(1682年)に土井氏が4万石で入封し明治まで8代の藩主が治めました。

現在の天守は昭和43年(1968年)に鉄筋コンクリートで再興されたもの。

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  現在の大野市民俗資料館です。

  当館は明治22年(1889年)、大野治安裁判所として建てられました。

  入館料は大人200円(以下は無料)。

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  隣の神社は 、「柳廼社 (やなぎのやしろ)」と呼ばれ、市民から親しまれている神社です。

  祭神は名君の誉れ高い第7代藩主の土井利忠公。

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  土井利忠公の隠居所であった「柳廼社 (やなぎのやしろ)」社務所。

  現在は修築、整備されコミュニティの場となっているそうです。

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  神社の後ろから登城。

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  土井利忠公銅像。

  藩政改革や学問の奨励、軍制改革などを推し進めた賢公として知られる。

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  蝦夷地開拓の一環として建造された大野丸。

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  このお城は南方向を向いて写さなければならなくて結構難物のお城です。

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  撮影 2000/09/01

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2016年8月 7日 (日)

【天守閣】復興天守(7)2011年10月 - 福山城(広島県福山市)

 

  福山城の築城主は徳川家康の従弟である水野勝成。

水野家は家康の母方の実家と言うこともあり幕府内では多くの大名、旗本を輩出しています。

福山城は福島正則の改易に伴う新規築城で、この時期の新城は珍しいことでした。

 

  現在は本丸中心に敷地が残っており、石垣を除く現存遺構は伏見櫓、筋鉄御門(すじがねごもん)で重要文化財に指定されています。

現天守は昭和41年(1966年)に市制50周年を記念して月見櫓、御湯殿と共に復興されました。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」から引用。

  福山城の撮影ベストポイントは(あくまで個人的な考え)新幹線上りホームの東の方です。

  もし機会と時間があれば行ってみて下さい。

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  お城の西から。

  伏見櫓がみえます。

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  福山城公園の地図。

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  現在地の石垣。

  ここから石段を登ります。

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  すぐ南はJR福山駅。

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  伏見櫓。

  築城時に伏見城から移築された櫓。

  戦災を免れました。

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  同じく伏見櫓。

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  筋鉄御門(すじがねごもん)。

  やはり戦災を免れ、伏見櫓と共に重要文化財に指定されています。

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  同じく筋鉄御門(すじがねごもん)。

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  昭和41年(1966年)に復興された福山城天守。

  戦災で焼失したのは残念で仕方ありません。

  本来の姿から見栄えよくするために改変が加えられているそうで、したがって外観復元では無く復興天守という位置づけ。

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  鐘櫓。

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  それにしても堂々たる天守です。

  例にもれず桜の名所で、春には多くの花見客で賑わいます。

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  月見櫓。

  伏見城からの移築で明治に取り壊されたのを天守と同じ年に外観復元しました。

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  撮影 2011/10/11

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2016年8月 6日 (土)

福知山駅にて2016年7月 - 京都丹後鉄道リニューアル特急車両「丹後の海」

 

  福知山駅で見かけた北近畿タンゴ鉄道時代のKTR8000形気動車「タンゴ・ディスカバリー」をリニューアルした京都丹後鉄道の「丹後の海」。

外観だけですが内部については下のリンク先が参考になります。

詳しくは「トラベル Watch」ニュースより。

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  撮影 2016/07/11

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2016年8月 5日 (金)

【天守閣】復興天守(6)1998年8月、2011年1月 - 岩国城(山口県岩国市)

 

  少し古い写真が中心です。

 

  岩国城と錦帯橋という組み合わせは絶妙のコンビと言えますが、観光客が必ずしも両方を訪れるとは限りません。

特にお城に関心の低い人は錦帯橋と遠くにアクセントとして見える岩国城だけで満足し、ロープウェイで山の上まで登る人はどうしても少なくならざるを得ません。

もう昔の事で参考にはならないでしょうが、ロープウェイでの客が少なかったことを覚えています。

もちろんそれでも少なからずの人が天守からの眺望を楽しみます。

 

  岩国城は吉川広家が慶長13年(1608年)に完成させましたが、元和元年(1615年)の一国一城令で城は破却、麓のお土居に陣屋を構えて岩国領(長い間藩として認められなかった)を治めました。

築城当時存在した天守は4重6層の立派なものでしたが、破却されて以後、江戸時代を通じて天守は存在しませんでした。

現在の天守は昭和37年(1962年)に鉄筋コンクリートで再興されたもので、もともとの天守台では無く景観(見栄え)に配慮して現位置に建てられたそうです。

 

  錦帯橋と岩国城。

  絵になります。

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  いつもの「余湖くんのお城のぺージ」からの引用図。

Iwakunityo

 

  「土居」跡の錦雲閣。

  「土居」とは「集落や城・館(やかた)の周囲に、外敵から守る備えとして設けた土の垣(かき)。」( Googleより)。

  錦雲閣は昔の矢倉に似せて造られた絵馬堂だそうです。

  当時はてっきり昔の遺構と思ってました。

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  吉川史料館。

  「お土居」一帯は吉香公園(きっこうこうえん)として整備されています。

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  ロープウェイ駅から天守まで多少距離があります。

  途中、お城らしさに出会えます。

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  もともとの天守台。

  平成7年(1995年)に発掘復元。

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  天守台。

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  天守四枚。

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  上記2枚は撮影 2011/01/05

 

  天気が少々悪かったのは残念。

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  錦帯橋入橋券(往復のみ)大人(中学生以上)300円、小学生150円。

  「錦帯橋入橋券、ロープウェー(往復)、岩国城」のセット券は大人(中学生以上)1110円、小学生520円。

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  バス乗り場。(撮影 2011/01/05)

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  撮影 1998/08/27

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2016年8月 3日 (水)

【天守閣】復興天守(5)2014年3月 - 岐阜城(岐阜県岐阜市)

 

  来年2017年は織田信長の岐阜入城、岐阜命名450周年。

という事で今年はプレ450周年にあたり、全市的に盛り上げようと駅前などには幟(のぼり)がはためいています。

岐阜市民としても「そうだったんだ」というぐらいの認識ではあるのですが、地元としても盛り上がれば良いなあぐらいには思っています。

 

  織田信長の岐阜入城は永禄10年(1567年)のこと。

この際に地名の井口(井ノ口)、城名の稲葉山城の名を「岐阜」と改名しました。

そして信長は天正4年(1576年)に安土城に入城するまで岐阜城を根拠地としました。

 

  その後、岐阜城の城主は変遷し、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでの岐阜城主は織田信長の嫡孫である織田秀信で、秀信は西軍に与し、前哨戦として東軍の戦上手で数的有利な先鋒部隊と戦い野戦、籠城戦共に敗れ、秀信は降伏。

翌年(1601年)家康は岐阜城を廃城。奥平信昌に加納城を築かせます。

後、元和5年(1619)に岐阜町は尾張藩領となり江戸時代を通じて岐阜町は尾張藩領の商業都市として栄えました。

したがって現在の岐阜市は大まかに言うと尾張藩領の岐阜町と加納藩領から成っているとも言えます。

 

  江戸時代を通じて存在しなかった天守は昭和31年(1956年)鉄筋コンクリートで復興されました。

 

  長良橋北詰より。

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  一枚のみ撮影 2016/04/22

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」よりの引用図。

Gihutyo

 

  ロープウェイで登るのが手っ取り早い。

  大人(中学生以上)片道620円、往復1080円。

  小人(4歳~11歳) 片道280円、往復540円。

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  写真中央に見える丘は斎藤道三の隠居城であった鷺山(さぎやま)。

  北西の方向に当たります。

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  伝 一ノ門跡。

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  天守閣。

  桃山時代風の天守に造られている。

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  井戸跡。

  井戸と言うより貯水池の機能であったと思われます。

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  撮影 2014/03/24

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2016年8月 2日 (火)

【天守閣】復興天守(4)2002年7月 - 小田原城(神奈川県小田原市)

 

  ここで言う小田原城は豊臣秀吉が滅ぼした北条氏の城では無く、近世になり幕藩体制下で小田原藩の政庁として機能した城を指します。

歴代藩主は大久保家、阿部家、稲葉家3代など(番城の時代がある)の後、1686年(貞享3年)に大久保家が返り咲くと10代にわたり明治まで続きました。

 

  現在の天守は昭和35年(1960年)に再建されました。

なかなか堂々たる姿をした天守と言えます。

小田原市のホームぺージへのリンク。

 

 

  二の丸隅櫓。

  昭和10年(1935年)に復興された。

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  銅門(あかがねもん)。

  平成9年(1997年)10月の完成。

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  常盤木門(ときわぎもん)。

  昭和46年(1971)の再建。

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  天守。

  結構、大きく立派です。

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  撮影 2002/07/24

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