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2016年9月

2016年9月28日 (水)

【天守閣】外観復元天守(4)2014年11月 - 会津若松城(福島県会津若松市)

 

  蘆名義広(あしな よしひろ 佐竹義重の二男で養子)が伊達政宗に敗れて追われるまで若松の前身の黒川城は蘆名氏の居城でした。

小田原征伐後に豊臣秀吉は伊達政宗から黒川を召し上げ、替わりに蒲生氏郷を92万石で封じ、氏郷は黒川の地を若松と改名。

氏郷は文禄元年(1592年)から本格的な近世城郭としての若松城と城下町を築きました。

 

  蒲生家2代以後、上杉景勝が120万石で入るも関ケ原の戦いで30万石に減封され米沢へ移ると、幕藩体制としての若松藩初代藩主として、若松での蒲生家2代目の蒲生秀行が返り咲きました。しかし子の忠郷は無嗣改易。

そして替わりに加藤嘉明が40万石で入るも2代目明成(あきなり)が御家騒動(会津騒動)を起こし40万石を返上(大名としての家名は残る)する羽目に陥ります。

 

  加藤家以降は幕府で重きをなした保科正之(ほしなまさゆき 3代将軍徳川家光の異母弟)が23万石で若松に入り維新まで10代続きやっと安定(3代目正容(まさかた)から松平姓を名乗る)。

会津藩の戊辰戦争での戦いぶりは白虎隊の自刃など今も語り草となっていますね。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  本丸の北と西にある北出丸、西出丸は加藤明成の造築によるものです。

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  現在の会津若松城見取り図。

  西出丸は現在では駐車場となっています。

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  観光に便利なまちなか周遊バス。

  「ハイカラさん」と「あかべぇ」がそれぞれ逆方向に30分毎に運行されています。

  ハイカラさん・あかべぇ専用1日フリー乗車券は大人500円(小人 250円)。

  ちなみに1回乗車210円。

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  福島県立博物館の前の鶴ヶ城三の丸バス停で下車。

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  博物館は三の丸にあります。

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  鶴ヶ城入口。

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  三の丸から二の丸への虎口。

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  二の丸から本丸へ。

  天守が見えてきました。

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  石垣の右側に沿って奥へ。

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  昔々の黒瓦時代に一度訪れたことがありますが、赤瓦になってからは初めて。

  現在の天守は昭和40年(1965年)に鉄筋コンクリートで外観復元されました。

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  堂々とした天守です。

  しかしあくまで外観復元ですから外から眺めた方が良いですね。

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  先ほどの本丸と二の丸とに架けられた赤い廊下橋。

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  鶴ヶ城天守閣入場料金は大人410円小人150円。

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  鉄門(くろがねもん)。

  帯廓を経て西出丸の駐車場へ。

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  磐梯山と飯盛山。

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  飯盛山は白虎隊が自刃した場所で墓があります。

  さざえ堂も見所。

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  干飯櫓(ほしいやぐら)。

  平成13年(2001年)の復元。

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  撮影 2014/11/08

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2016年9月24日 (土)

宇治(京都府宇治市)を散策(6) - 宇治上神社(うじがみじんじゃ/うじかみじんじゃ 世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつで国宝)

 

 

  この日最後に訪れたのは宇治上神社(うじがみじんじゃ/うじかみじんじゃ)。

宇治上神社は平等院とともに世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつとして登録され、国内的には国宝に指定されています。

宇治上神社の祭神は応神天皇、仁徳天皇、菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。

菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)は父が応神天皇で仁徳天皇は異母兄に当たります。

 

  宇治川から宇治神社へ入る際の門。

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  少し北に行き過ぎました。

  左側の矢印が宇治上神社への方向。

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  それで坂道を登ったらここへ。

  右手に行くと宇治神社でそれをさらに道なりに行くと宇治上神社がありました。

  中央が畳石になっている道路を辿っていくと行きつけます。

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  未多武利神社(またふりじんじゃ)。

  藤原忠文の怨霊を鎮魂する祠と書かれています。

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  世界文化遺産宇治上神社。

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  拝殿。

  鎌倉時代前期の建築。

  本殿と拝殿は国宝。

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  拝殿、斜めから。

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  摂社春日神社本殿、重要文化財。

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  本殿。

  国宝に指定されています。

  平安時代後期の建築。

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  中に社殿の屋根が見えますが三殿のうち中殿の祭神は応神天皇、左殿の祭神は菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)、右殿の祭神は仁徳天皇とされています。

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  同じく本殿。

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  本殿横。

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  本殿横から拝殿。

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  境内案内マップ。

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  河岸道路を北に歩いて行くと宇治橋東詰に京阪宇治駅があります。

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  京阪宇治線は宇治~中書島間。

  所要時間は15分。

  10分間隔で運行されています。

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  撮影 2016/09/15

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2016年9月23日 (金)

今日(2016年9月23日金曜日)の岐阜城 - 午前中は曇り空

 

  午前中に所用で長良橋へ。

金華山(稲葉山)頂上の岐阜城が雨雲でもやっていました。

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  長良橋と岐阜城。

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  撮影 2016/09/23

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2016年9月22日 (木)

宇治(京都府宇治市)を散策(5) - 花の寺の恵心院と参道「琴坂」を興聖寺へ

 

 

  宇治神社から河岸道路を南に下り恵心院、興聖寺(こうしょうじ)へ。

恵心院は花の寺と言われていますが、ちょうど端境期なのか特に目につく花は無し。

それとも見落としただけでしょうか?

 

  興聖寺は河岸道路から真っ直ぐにのびる「琴坂」という参道を登ります。

興聖寺は宇治十二景のひとつとか。

「東洋画題綜覧」による宇治十二景とは「春岸酴醿、清湍蛍火、三室紅楓、長橋暁雪、朝日靄暉、薄暮柴舟、橋姫水社、釣殿夜月、扇芝孤松、槙島曝布、浮船古祠、興聖晩鐘」となっています。

「琴坂」は秋に訪れたいですね。

 

  河岸道路から内へ登ります。

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  お堂に突き当たり右手へ。

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  山門。

  「入山無料 ただし本堂は拝観謝絶」の張り紙。

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  本堂。

  恵心院季節の花  春  水仙、山吹、桜、有楽椿、ツツジ、牡丹   

                          夏  アジサイ、シャクナゲ、ノウゼンカズラ   

                          秋  キンモクセイ、秋明菊、彼岸花、酔芙蓉   

                          冬  蝋梅、水仙、椿       だそうです。

Find Travel > 近畿観光 > 京都観光 > 宇治観光 > 四季折々の花が楽しめる!京都の花の寺「恵心院」について (引用元へのリンク)

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  再び河岸道路を南へ。

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  観流橋を渡ります。

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  総門。

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  琴坂。約200メートルの坂。

  秋の紅葉シーズンが良さそうです。

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  興聖寺(こうしょうじ)は曹洞宗の寺院。

  創建は天福元年(1233年)。

  一度廃れるも江戸時代の慶安2年(1649年)に中興され現在に至る。

 

  竜宮造りの山門。天保年間の改築。

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  薬医門越しに本堂。

  薬医門は弘化3年(1846)の改築。

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  本堂。

  本堂は伏見挑山城の遺構を用いたそうです。

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  本堂正面左にある三面大黒尊天。

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  座禅場。

  土足でなければ寺内は拝観できます(本堂拝観大人300円)。

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  琴坂を引き返します。

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  撮影 2016/09/15

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2016年9月19日 (月)

宇治(京都府宇治市)を散策(4) - 宇治川右岸の宇治神社へ

 

 

  浮島十三重石塔を訪れて後、宇治川中洲の島から赤い朝霧橋を平等院の対岸である右岸へ渡りました。

平等院や縣神社以外の文化財は右岸に集中しています。

朝霧橋を渡るとすぐに宇治神社の鳥居の前に出ます。

そして「宇治十帖」をテーマにしたポケットパークが橋の東詰にあります。

 

  宇治川右岸に渡ります。

  朝霧橋西詰にて。

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  すぐに河岸道路に面して宇治神社の鳥居があります。

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  橋の東詰にある源氏物語「宇治十帖」をテーマにしたポケットパーク。

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  「ヒカルゲンジ」というツバキの種。

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  宇治神社

 

  宇治神社は、日本書紀に「応神天皇の皇子で、兄である仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治で自殺した」と記されている、悲運の皇太子菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の等身大の坐像を祀っており、付近は菟道稚郎子命が造営した桐原日桁宮跡(きりはらひけたのみや)と伝えられています。

また、明治維新までは宇治上神社と二社一体で、それぞれ、離宮上社、離宮下社と名付けられていました。

現在の本殿及び外陣の狛犬(こまいぬ)は鎌倉時代につくられたもので、狛犬は開口する獅子(阿形)と一角をッ持つ狛犬(吽形)で一対とされ、格調高い作品として極めて貴重なものです。

当社の祭礼である離宮祭は、田楽等の芸能が催され、平安後期から鎌倉時代には多くの人々が集まり大いに賑わいました。

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  石段の上には拝殿(桐原殿)。

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  縁側に説明板がありました。

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  祭神は菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)で等身大の「菟道稚郎子命坐像」は重要文化財。

  鳥居と中門。

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  中門。

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  本殿。

  鎌倉時代後期の建築で重要文化財。

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  本殿横の摂社、末社。

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  木造狛犬についての説明板。

  現在は歴史資料館に預けられていると書かれています。

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  河岸道路を南へ。

  次は恵心院。朝日焼なる工房の手前を左に入ります。

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  撮影 2016/09/15

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2016年9月18日 (日)

宇治(京都府宇治市)を散策(3) - 平等院の南を浮島十三重石塔へ

 

  縣神社(あがたじんじゃ)から東に向かうと平等院の南に至ります。

そして平等院ミュージアム鳳翔館の外を平等院南口へ。

さらに東へ向かい宇治川に出ます。お目当ては中洲の島(浮島)にある十三重石塔。

その後北の中州の島(一帯が宇治公園となっている)に渡り、そこから宇治川対岸を目指します。

 

  何度も書きますが平等院は今回の散策に含まれていません。

平等院についての記事はこちら。奈良からの帰り 宇治平等院へ寄り道 2015年(2) - 宇治平等院鳳凰堂と平等院ミュージアム鳳翔館

 

  平等院ミュージアム鳳翔館の外を東へ。

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  平等院南口。

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  もうすぐ川に出られるという敷地に平等院多宝塔跡の復元基壇があります。

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  宇治川に出ます。

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  赤い喜撰橋の北側に出ました。

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  喜撰橋と浮島十三重石塔。

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  浮島十三重石塔は鎌倉時代に奈良西大寺の叡尊という高僧によって建てられました。

  宇治川の氾濫が魚霊の祟りと考え、それを鎮めるためであったそうです。

  重要文化財に指定されています。

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  この辺りの地図。左が北。

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  喜撰橋とあります。

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  宇治川鵜飼の遊覧船の溜まり場。

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  大変大きな十三重石塔。

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  北側に渡ります。

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  対岸の観流橋。

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  朝霧橋を対岸に渡ります。

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  手前の宇治橋とJR奈良線の鉄橋上の221系快速電車。

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  撮影 2016/09/15

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2016年9月17日 (土)

宇治(京都府宇治市)を散策(2) - 縣神社(あがたじんじゃ)へ

 

  宇治橋西詰のすぐ南に紫式部のモニュメントのあるポケットパークがあります。

ここから平等院の門前にいたる参道と縣神社(あがたじんじゃ)への参道に道路が分かれます。

平等院へは何回も訪れているので、今回は平等院を予定から外し、まず縣神社へ向かいました。

縣神社の祭神は木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ(ヒメ)ノミコト)で当地の守護神。

 

  宇治橋の西詰にあるポケットパーク。

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  両方に別れている参道。

  初めて縣神社の参道へ。

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  平等院への参道。

  朝9時前でまだ人もまばら。

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  宇治橋西詰から縣神社の参道と鳥居。

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  参道の途中にあった橋姫神社。

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  祭神は瀬織津比咩(せおりつひめ 瀬織津姫とも)。

  水神や祓神、瀧神、川神。祓い浄めの女神。

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  源氏物語の宇治十帖の「橋姫」について。

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  参道を行きます。

  左に抜けると平等院への参道に出ることが出来ます。

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  縣神社の横に至ります。

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  正面は南側。

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  社殿。

  旧社格は村社でした。

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  境内にある大樹のむくの木。

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  6月5日に行われる県祭の「梵天渡御」に使用される梵天が鎮座されている梵天奉納所(ぼんてんほうのうしょ)。

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  大幣殿(たいへいでん)。

  宇治川に流す「大幣」を収める場所。

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  「むくのき」全体。

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  宇治川へ向かいます。振り返って。

  平等院の南側にあたります。

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  撮影 2016/09/15

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2016年9月16日 (金)

宇治(京都府宇治市)を散策(1) - 宇治橋通りの上林(かんばやし)記念館から宇治橋へ

 

  黄檗山萬福寺(宇治市)に続いて宇治の文化財をを散策しました。

ただし、何度となく訪れている平等院は除外して、他の文化財を訪ね歩きました。

平等院についての記事はこちら。奈良からの帰り 宇治平等院へ寄り道 2015年(2) - 宇治平等院鳳凰堂と平等院ミュージアム鳳翔館

 

  駅前から大通りを渡ると宇治橋通りの商店街に出ます。

これを左に折れ宇治橋まで行くと、ここから右に平等院への参道と県神社への参道に分かれます。

 

  下が宇治全体の地図。

  左が北の地図ですね。

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  この日散策した地域一帯の地図。

  県神社から平等院の南を歩いて十三重石塔を経て宇治公園へ。

  対岸に渡り宇治神社、恵心院、興聖寺へ。

  再び宇治神社へ戻り世界遺産の宇治上神社を訪れました。

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  JRの宇治駅に降り立ちました。

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  お茶壺にちなんだ郵便ポスト。

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  大通りを渡り宇治橋通りに突き当たります。

  田楽の香ばしいにおいがしました。

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  まだ9時前で人通りは少ない。

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  宇治茶の歴史。

  興味ある人は拡大して読んでみてください。

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  右側に上林(かんばやし)記念館。

  上林家は戦国から江戸時代にかけて宇治茶を統べた家柄。

  江戸時代には四家がありましたが、現在まで茶業を営んでいるのは上林春松家のみとなりました。

  上林家の出身は現在の京都府綾部市の上林地区。

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  宇治橋に到達。

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  宇治橋から南の方。

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  源氏物語の宇治十帖(うじじゅうじょう)との関わりから紫式部がモニュメント化されています。

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  撮影 2016/09/15

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2016年9月14日 (水)

【天守閣】外観復元天守(3)2010年4月 - 広島城(広島県広島市)

 

 

  広島城は広島藩42万6000石、浅野氏の居城でした。

元和5年(1619年)初代藩主の福島正則が改易となると、紀伊和歌山藩から浅野長晟(あさのながあきら)が移封され、以後明治まで12代にわたり広島藩を治めました。

天守は昭和20年(1945年)8月6日まで現存。

現在の天守は昭和33年(1958年)に外観復元されました。

 

  広島といえば路面電車。

  広島城へは広島駅から紙屋町東、もしくは紙屋町西電停で下車。

  その後、徒歩で15分ぐらい。

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  立町電停あたり。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  現在、本丸と二の丸が残っていますが三の丸は市街地化しています。

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  二の丸の手前から太鼓櫓、多門櫓、平櫓。

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  西側に回り表御門と平櫓。

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  日清戦争時には本丸に大本営が置かれました。

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  本丸内からはなかなか写すのが難しい。

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  拝観料は大人370円、シニア(65歳以上)180円、高校生180円、中学生以下は無料(シニアと高校生は年齢確認必要)。

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  天守から。

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  お堀の外から。

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  同じく。

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  撮影 2016/04/07

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2016年9月11日 (日)

【天守閣】外観復元天守(2)2015年8月 - 松前城(北海道渡島総合振興局管内松前町)

 

  松前城はロシア艦隊の来航などを踏まえて北方の警備のために、幕末の安政元年(1854年)に竣工した江戸時代では最後期の城郭の一つ。

惜しいことに天守は昭和24年(1949年)まで現存しましたが失火で焼失してしまいました。

 

  松前までの交通アクセスは1988年に松前線が廃止されると木古内からのバスが唯一の公共交通機関となりました。

さらに今年(2016年)新幹線が開通すると青森から木古内へのアクセスは2時間に1本のみとなり、開業前の1時間に1本の特急「白鳥(スーパー白鳥も含む)」停車時より不便となってしまいました。

そして、その木古内から松城(松前)まではさらにバスで1時間30分の所要です。

 

  ただし函館からは江差などとセットで観光できる定期観光バスがあります。

江差・松前名所周遊号(2016年現在).。

 

  2015年の夏の旅行は東北・北海道がメインであったためにJR東日本とJR北海道共通の「とくとくきっぷ」である「北海道&東日本パス」を利用しました。

  蟹田~木古内間は特急券無しで乗車できるのが魅力でした。

  木古内駅にて。

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  まだ工事中であった新幹線木古内駅。

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  駅前からバスで松前に向かいます。

  電車とバスの連絡が悪く1時間半ぐらいベンチでゴロゴロしていました(喫茶店も見つけられなかった)。

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  津軽半島。

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  松城バス停(松前ではない)待合室。

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  バス停の一本北側の城下通り。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  搦手二ノ門(からめてにのもん)。

  奥が拝観入口。

  拝観料は大人360円、小、中学生240円。

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  館内。

  鉄筋コンクリート造りで趣はありません。

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  本丸表御殿跡。

  その向こうに松前神社。

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  天守最上階。

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  重要文化財の本丸御門と外観復元された天守。

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  天守は昭和36年(1961年)に落成しました。

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  重要文化財の本丸御門。

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  本丸表御殿跡から。

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  松前神社。

  松前氏(蠣崎氏)の先祖とされる武田信広公を祀っています。

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  松前藩主松前家墓所。

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  松前藩屋敷。

  松前を再現したテーマパーク。

  拝観料大人360円、小人240円

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  撮影 2015/08/30

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2016年9月 8日 (木)

【天守閣】外観復元天守(1)2013年4月 - 岡山城(岡山県岡山市)

 

 

  外観復元天守は現在まで残る図面や写真などから再現され得るものの内、外観のみを復元した天守。

鉄筋コンクリートなどで再現され、70年前までは現存したものの、戦災で焼失した天守が多いのも特徴です。

 

  戦国時代以降、宇喜多氏が根拠地としていた岡山城は、関ケ原の戦いで西軍から東軍に寝返ったことで有名な小早川秀秋の統治を受けて後、江戸時代を通じて池田氏の居城となりました。

ちなみに岡山藩は31万5000石の大藩でした。

 

  天守閣は昭和20(1945年)年まで現存しましたが、残念ながら空襲により焼失。

現在の天守は鉄筋コンクリートで昭和41年(1966年)に再建されたものです。

 

  岡山駅前から市電(岡山電気軌道株式会社(おかやまでんききどう))の東山線で「城下(しろした)電停」まで利用します。

  運賃は区間により100円と140円の二通りあります。

  駅前から城下電停までは100円。

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  城下電停にて。

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  電停からさらに東に歩いていくと旭川(あさひがわ)の畔に出ます。

  右手に岡山城、左手に後楽園があります。

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  月見橋を渡り後楽園に向かいます。

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  月見橋の途中から。

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  後楽園側から。

  城下電停からここまで歩いて約10分ぐらいでしょうか

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  後楽園南門。

  裏口にあたります。

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  後楽園内からの岡山城。

  桜は満開でしたが曇り空であったのが残念。

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  南門から再び旭川沿いに出て。

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  城門。

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  現存遺構として残っている月見櫓。

  やはり現存遺構として残っている西の丸西手櫓とともに重文指定を受けています。

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  内側からの月見櫓。

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  南へ向かう途中の石垣。

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  公園案内図。

  旭川に架かる月見橋からの道を真っ直ぐ南に歩いて現在地に至りました。

  ここから天守のある本丸内へ。

  したがって掲載写真の前後関係は正確ではありません。

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  本丸内で移築保存されている天守閣の礎石。

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  本丸内からの天守。

  昭和41年(1966年)の再建。

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  撮影 2013/04/04

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2016年9月 6日 (火)

豊橋鉄道市内線(愛知県豊橋市) - 市役所前電停にて

 

  豊橋鉄道市内線。そのうち市役所前電停にて。

運賃は一律150円(小児80円)で乗車時に支払います。

ワンマン運転なので降車はバスと同じ要領。

 

 

  豊橋公園前電停を望んで。

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  市役所前電停で写真を撮ろうと電停の東端まで行って、初めて豊橋ハリストス正教会が警察署の裏側にある事に気付きました。

  豊橋ハリストス正教会はまたの機会に。

  左のビルが豊橋警察署。

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  撮影 2016/08/24

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2016年9月 5日 (月)

吉田城(愛知県豊橋市)を訪れる(4) - 吉田城本丸へ(2)

 

  幕閣への登竜門のひとつであった吉田藩は、江戸時代を通じて10家の藩主家が治めましたが、小笠原家の4代、最後の藩主家であった松平(大河内)家7代を除き、8家が一代か二代で転入封を繰り返しました。

 

  いつもの「余湖君のお城のページ」からの引用図。

  下が北の図。

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  本丸入り口にあった本丸図。

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  本丸跡に築造された隅櫓(鉄櫓)。

  昭和29年(1954年)の建築。

  吉田城には天守はもともと存在しませんでした。

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  本丸内東側の石垣。

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  その左手に東への出入り口があります。

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  裏御門跡とあります。

  最初のお城のイラストや本丸図と対比してみてください。

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  豊川の方に下りることができます。

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  北御多門跡とあります。

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  振り返ったところ。

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  狭い曲輪(くるわ)があります。

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  腰曲輪跡とあります。

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  下から見上げて。

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  現在ではさらにその下に遊歩道が整備されています。

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  遊歩道から見上げて。

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  上に戻ります。

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  鉄櫓の横には展望台があります。

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  武具所跡が展望台となっています。

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  豊川の風景。

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  本丸内。南を向いて。

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  公園を後にしました。

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  撮影 2016/08/24

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2016年9月 3日 (土)

吉田城(愛知県豊橋市)を訪れる(3)- 吉田城本丸へ

 

  明治維新後に吉田から豊橋と地名を変えましたが、お城の名前は豊橋城とは言わず元通り吉田城というのが普通です。

 

  江戸時代の吉田藩は幕閣への登竜門の一つであったために藩主家は目まぐるしく変わりました。

小笠原家の4代、最後の藩主家である松平(大河内)家7代以外は八家が一代か二代で転入封を繰り返しました。

当然、いずれも譜代大名でした。

石高は3万石から8万石の間。

 

  公園入口にある吉田城案内図。

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  明治初年の豊川の対岸からの吉田城。

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  本丸入り口。

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  入口右側の本丸石垣。

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  入口から左側の本丸石垣。

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  吉田城略史。

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  吉田城図。

  天守は存在しませんでした。

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  入口右側の石垣、堀、土塁。

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  本丸内に入って振り返ったところ。

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  本丸内に入って右側の石垣。

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  本丸内は芝生となっています。

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  模擬櫓の鉄櫓。

  もう5時近くであったので入城することはできませんでした。

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  撮影 2016/08/24

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2016年9月 2日 (金)

吉田城(愛知県豊橋市)を訪れる(2) - 豊橋市公会堂から豊橋公園へ

 

  江戸時代には吉田と呼ばれた当地は明治の版籍奉還の際に政府からの命令により豊橋という地名となりました。

江戸時代には吉田城の城下町、東海道の吉田宿として繁栄し、現在でも東三河の中核都市として人口も37万余人。

これは東三河の約半数にあたるそうで、地域の中心と言って良い町です。

 

  豊橋鉄道市内線の駅前電停から四つ目が市役所前電停。

  次が豊橋公園前電停ですが、お城跡を目指すなら市役所前電停が近いのです。

  市役所前電停にて。

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  すぐ目の前に豊橋市公会堂があります。

  昭和6年(1931年)に市制25周年を記念して建てられ、現在ではれっきとした文化財(国登録文化財)です。

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  後方の赤い鉄塔が写らないように撮ってみました。

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  2羽の鷲。

  昭和6年(1931年)の建設当時のもの。

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  公会堂の横の道路の行く先が豊橋公園入口。

  入口はもちろん他にもあります。

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  入口。

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  碑には三の丸口門跡と記されています。

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  左側には陸軍歩兵18連隊が駐屯していた際に使用された衛兵の詰所(哨所)が残されています。

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  豊橋公園の図。

  歩いたのは木々が茂る左手のさらに左半分ぐらい。

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  撮影 2016/08/24

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