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2016年10月

2016年10月31日 (月)

【天守閣】木造復元天守(2)2013年3月 - 掛川城(静岡県掛川市)

 

 

  掛川城は東海道の重要拠点の一つ。

名古屋(清洲)から岡崎、吉田(豊橋)、浜松、掛川、駿府(静岡)まで関東の徳川家康を押さえるべく豊臣秀吉が諸城に恩顧の大名を入れました。

しかし皮肉なことに関ヶ原の戦いではこの恩顧の諸大名は徳川方へ。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い時には掛川城主は山内一豊でした。

もちろん東軍に与したわけですが、戦後一躍土佐一国の大大名となりました。

 

  幕末の1854年(安政元年)末に大地震が襲い(安政東海地震)建築物が倒壊、御殿は再建されましたが、天守は再建されませんでした。

その際に再建された二の丸御殿は貴重な遺構として重要文化財に指定されています。

 

  掛川藩の藩主家は13家が入れ替わり立ち代わり、激しい出入りで、最も長い藩主家は最後の太田氏で7代で明治を迎えました。

 

  掛川駅はJRの他に天竜浜名湖鉄道(旧二俣線)の発着駅。

  それから新幹線駅です。

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  駅前道路を真っ直ぐ行きます。

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  太鼓櫓と天守が見えてきます。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  地形的に比較的昔の面影を止めています。

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  天守は木造で平成6年(1994年)に復元されました。

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  二の丸御殿の玄関前から。

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  御殿の内部。

  ほぼ原形を止めた御殿として貴重な遺構です。

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  御殿を外から。

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  太鼓櫓。

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  天守から二の丸御殿。

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  天守内部。

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  天守下からの御殿。

  二本の避雷針は見栄え的に悪いですがそれだけ貴重という事です。

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  静岡方面行き普通電車211系。

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  撮影 2013/03/26

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2016年10月27日 (木)

【天守閣】木造復元天守(1)2003年3月 - 白河小峰城(福島県白河市)

 

  前回の熊本城に続いて先の東日本大震災でその石垣が壊滅的に被害を被った白河小峰城。

去年の東北旅行(2015年8月)の際に車窓から観察してみましたが、まだ重機が動いていて、工事は継続されている模様でした。

さて復元木造天守ですが、こちらも色いろ物議を醸し出しました。

私も天守の中に入ってみましたが、最上階はほとんど密閉状態で、これでは消防が黙っていないし、その木造建築としての大きさから建築基準法が許しません。

しかし当初は人を入場させないという理由で許可を得て築造。

消防法の方もけっきょく消火器の設置と人数制限を設けることで折り合いが付いたと聞きました。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  二の丸の南側に白河駅があります。

Kominetyo

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  石垣が美しいお城でした。

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  内部はこんな感じ。

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  外に開いた空間が無いので閉じ込められた感じ。

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  平成3年(1991年)に天守が平成6年(1994年)に前御門が復元されました。

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  結城氏や阿部氏に関する資料を展示した「白河集古苑」は一見の価値があります。

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  撮影 2003/03/05

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2016年10月24日 (月)

【天守閣】外観復元天守2009年8月(9) - 熊本城(熊本県熊本市)

 

  最後の外観復元天守は熊本地震で大きな被害を受けた熊本城。

あまりにも甚大な被害でこの項では取り扱うのを止めようとさえ考えましたが、復興への励みになるのは元の元気な熊本城の姿を見る事ではないかと考え取り上げました。

実はお城は徳川時代に何度も地震、火災にあいその都度再建してきたものです。

どの城も歴史書を紐解くと驚くぐらいの厄災を受けています。

もちろんお城のみでなく城下の焼失から作物の不出来などによる飢饉など何度も厄災を被りながらその度に復興してきたのです。

きっと今回も新しくなりながらも復興していくでしょう。

もちろん皆さんの(自分も含めて)一人一人の努力が必要であろうとおもわれます。

 

  駅から熊本城までのアクセスは何と言っても市電。

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  飯田丸五階櫓。

  一本ひと積みの石垣だけで崩落を免れていた櫓がこれです。

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  扇の勾配と呼ばれる石の積み方。

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  飯田丸五階櫓を上から。

  大樹が印象的です。

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  大天守、小天守。

  現在の天守は昭和35年(1960年)の再建。

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  現存する重要文化財の宇土櫓(うとやぐら)。

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  平成19年(2007年)、築城400年に際して造営された本丸御殿。

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  現存する宇土櫓の内部。

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  大小天守反対側から。

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  宇土櫓と高石垣。

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  天守と宇土櫓。

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  北の棒安坂を東に下りお城の東側を電車道に戻ってきました。

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  撮影 2009/08/25

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2016年10月22日 (土)

名鉄岐阜駅にて2016年10月 - 岐阜県岐阜市

 

  これも久し振りの名鉄岐阜駅。

最近はJRを利用する機会が多く、岐阜~名古屋間を名鉄で往復するのは稀になりました。

一部名鉄を乗車するというのは例外です。

 

  2300系特急車両とパノラマスーパー増結用車両の1800系。

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  各務原線(かかみがはらせん)用ホームの6000系。

  名古屋本線は2階にあり各務原線は地上駅です。

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  撮影 2016/10/07

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2016年10月18日 (火)

名鉄 国府宮駅(こうのみやえき)にて 2016年10月 - 愛知県稲沢市

 

  名古屋城からの帰り、名鉄名古屋駅で特急に間に合わず、取り敢えず名鉄一宮行き急行に飛び乗りました。

国府宮駅ですぐに特急に乗り換えられるとアナウンスがあり降車。

その数分の一コマ。

 

  名鉄岐阜駅の1時間のダイヤ構成を見てみると特急4本(その他に全座席指定の特急1本)、急行2本、普通4本となっています。

この2本分の急行が名鉄一宮発着となっています。

これは名鉄一宮~名鉄岐阜間での特急、急行の停車駅が全く同じなので、ならば特急に乗って下さいという方針なのでしょう。

 

  名鉄一宮行き急行が去っていきます。

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  愛知、岐阜で裸祭と言えば国府宮の「はだか祭」。

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  新塗色の普通電車。

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  須ヶ口行き普通3150系、追い抜き待ち。

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  遠くで止まってしまった岐阜行き普通。

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  パノラマスーパーの増結用の1800系2両編成。

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  岐阜までの特急が到着。

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  撮影 2016/10/07

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2016年10月16日 (日)

久し振りの名古屋城(5)2016年10月 - 地下鉄「市役所」駅から帰途に

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

二之丸御殿が存在した区域は現在庭園となっており、その南側は愛知県体育館で拝観区域とは区別されています。

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  東南櫓を後にします。

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  右手に愛知県体育館、左手に旧二之丸跡を見ながら東門に向かいます。

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  東門から外に出ました。

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  二之丸入り口枡形の石垣。

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  二之丸の東側の石垣。

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  やはり最寄りの駅は地下鉄の「市役所」駅。

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  レトロな手前が市役所、向こう側が愛知県庁。

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  名古屋市役所。

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  愛知県庁。

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  稲沢市にある国府宮(こうのみや))駅にて名鉄一宮行き急行を下車。

  名鉄名古屋駅で特急に乗ることができず当駅で後続の特急を待つことに。

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  撮影 2016/10/07

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2016年10月14日 (金)

久し振りの名古屋城(4)2016年10月 - 旧二之丸東二之門と東南隅櫓

 

  旧来の撮影ポイントが本丸御殿の再建によって無くなるのは残念ですが、与えられた条件で撮影するのが写真ですから、これはこれで良しとしなければなりません。

木造での再建案が名古屋市で検討されているようですが、これはこれで楽しみです。

これだけの天守が木造というのは元気なうちに見ておきたいものです。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  帰りは本丸の北東部の東二之門から二の丸へ出ました。

Nagoyatyo

 

  東一之門と本丸東二之門で枡形が形成されていたようです。

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  その枡形にある清正石。

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  本来は二之丸にあった旧二之丸東二之門。

  現存遺構で重要文化財。

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  右側が本丸の石垣。

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  このお堀に沿って行くと東南隅櫓の前に出ます。

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  東南隅櫓。

  現存遺構で重文。

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  二之丸には二之丸御殿がありました。その様子。

  赤い丸が東南隅櫓の前あたり。

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  東南隅櫓の前にある加藤清正石曳モニュメント。

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  東南隅櫓。

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  撮影 2016/10/07

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2016年10月12日 (水)

久し振りの名古屋城(3)2016年10月 - 本丸御殿と大天守、小天守

 

 

  地下鉄「丸の内」駅からは真っ直ぐ北に向かい加藤清正像へいたるのが正しいようですね。

徒歩で10分ほどです。

なぜ東照宮の横に出たのかが全く思い出せません。

清正像からですと正門から入ることができます。しかし長いタクシーの車列を見ながら入ることになります。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  現在とほぼ同じ縄張りを保っています。

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  復元されている御殿と本丸との間には写真を撮る際にもう二度と撮れない風景があります。

  それは大天守と小天守が並んだ風景です。

  礎石の見える手前が御殿跡です。

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  完成した部分から観覧できます。

  デイバックなど背中に負うのはNGでロッカーへ、靴は鍵付きの靴入れに入れます。

  混雑しますが合理的だと思いました。

  御殿込みでお城全体の拝観料は大人500円、名古屋市内高齢者100円、中学生以下無料。

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  フラッシュはNGですが写真は可です。

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  現在完成しているのは五分の一という所でしょうか。

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  御寄附芳名板。

  全国から多くの寄付が寄せられています。

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  熊本地震への募金箱。

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  これから小天守は脚光から外れます。

  また考えなければいけません。

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  これからはこの写真が名古屋城のメインに成るかも知れません。

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  撮影 2016/10/07

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2016年10月11日 (火)

久し振りの名古屋城(2)2016年10月 - 表門から西南隅櫓、本丸御殿へ

 

 

  最初にいつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

 

  現在残っている名古屋城の縄張りとほぼ同じです。

二の丸御殿の南側の区域には現在愛知県体育館があり相撲などの興行が行われます。

それ以外が拝観区域(工事中で不可の部分もある)と考えて結構です。

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  こちらが正門に当たりますが、最寄りの公共交通機関がバスしかありません。

  案内もありません。

  敢えて私は地下鉄「丸の内」駅が最寄りの駅に成り得るのかを試してみましたが、地図付きなら可能です。

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  昭和34年(1959年)に天守と共に再建された正門。

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  売店の側に金の鯱(しゃちほこ)。

  傍らに募金箱が設置されています。

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  南東にある愛知県体育館を除いて拝観対象。

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  誰もがこの構図は逃さないでしょう。

  手前の西南隅櫓(本丸未申隅櫓)は現存遺構で重要文化財。

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  右手を見るとやはりどちらも現存遺構で重要文化財の東南隅櫓(本丸辰巳隅櫓)と表二之門(本丸南二之門)。

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  表二之門(本丸南二之門)は工事用車両の不測の事態を避けるためにガードがされています。

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  本丸表一の門跡を過ぎるとすぐに御殿が目に入ってきます。

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  今回も行けなかったのですが、最も北西にある西北隅櫓(御深井丸(おふけまる)戌亥隅櫓)。

  現存遺構で重要文化財です。(Wikipediaの写真を借用)。

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  撮影2016/10/07

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2016年10月10日 (月)

久し振りの名古屋城(1)2016年10月 - 地下鉄「丸の内」駅で下車しさっそく道に迷う

 

 

   地下鉄の駅って地上に出ると東西南北が分からなくなるってことがありませんか。

スマホを持たない私は案内標識や太陽の位置などで確認するのですが、駅から北東にある東照宮に出たので方向性は間違っていなかった模様。

しかし、結局そこから西に歩いてしまったので、途中でスマホのお兄さんに助けてもらう羽目に陥りました。

やはり名古屋城へは地下鉄「市役所」駅から行くのが王道と悟りました。

 

  北に歩いて行くと右手に神社。

  社殿は入って左側。

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  東照宮でした。

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  大国主命を祭神とする末社福神社がその右手に。

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  さらにその右手に福寿稲荷大明神。

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  そしてさらに右手に那古屋神社。

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  能楽堂の横、拝観受付にアクセスする途中に加藤清正公の像がありました。

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  能楽堂。

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  篠島(しのじま)の矢穴石。

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  篠島は知多半島の先にある島。

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  能楽堂入口を内から通り抜け振り返ったところ。

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  東へ歩いて行くと復元された正門があります。

  拝観受付大人500円、名古屋市内高齢者100円、中学生以下無料。

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  撮影 2016/10/07

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2016年10月 9日 (日)

【天守閣】外観復元天守(8)2016年10月 - 名古屋城(愛知県名古屋市)

 

  尾張の中心は長らく清須が中心でしたが、徳川家康は九男義直の尾張藩の居城として慶長15年(1610年)に天下普請として名古屋に築城を開始。

清須からのすべてが移住するといういわゆる「清須越し」は「家臣、町人はもとより、社寺3社110か寺、清須城小天守も移る」という徹底したものでした。

竣工は慶長19年(1614年)。

昭和20年(1945年)戦災のため焼失。

 

  さて、現在は本丸御殿復元のための工事が行われています。

  完成した部分から観覧が許されています。

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  現在の名古屋城図。

  ほぼ全域が拝観対象で大人500円(御殿も含む)。

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  本丸御殿の工事のために現在の写真はこんな風に

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  御殿が無かったころ。

                                          撮影 2006/11/12

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  撮影 最後の一枚を除き 2016/10/07

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2016年10月 7日 (金)

【天守閣】外観復元天守(7)2005年12月 - 和歌山城(和歌山県和歌山市)

 

 

  天正13年(1585年)の紀州征伐後、秀吉の命によりに築造された和歌山城は、天正14年(1586年)に桑山重晴が3万石で城代として預かることになります。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が戦功を認められ37万6千石で紀伊藩主に。

元和5年(1619年)浅野家は福島正則改易に伴い広島に転封し、徳川家康の十男・頼宣が55万5千石で入部し、ここに御三家の一つとして紀州徳川家が成立します。

ちなみに和歌山城も昭和20年(1945年)の戦災で焼失してしまいました。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  現代の分かりやすい地図。

  【引用元】和歌山県観光協会。

  思い返してみると裏坂から登り、表坂から下りて岡口門に至りました。

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  阪和線から分岐している羽衣線東羽衣駅にて。

  歩いてすぐに南海本線羽衣駅があり乗り換え。

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  南海電車の和歌山市駅。

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  大手門にあたる一の橋と一の橋大手門。

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  徳川家時代の切込接ぎ(きりこみはぎ)の石垣。

  中御門跡の石垣。

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  桑山時代の古い野面積みの石垣。

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  坂道を登ります。

  どこをどう登ったのかは覚えていない。

  多分裏坂と思われる(地図確認)。

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  和歌山城大天守。

  天守群は昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリートで外観復元されました。

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  楠門。

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  天守曲輪のうち乾櫓。

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  左が二ノ門櫓と右が乾櫓。

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  乾櫓。

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  公園南から。

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  天守曲輪の天守群。

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  撮影 2005/12/16

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2016年10月 3日 (月)

【天守閣】外観復元天守(6)2015年1月 - 福知山城(京都府福知山市)

 

  旧丹波国は明治になってから京都府と兵庫県に分割されてしまいました。

兵庫県に編入された町では篠山市や旧柏原町(かいばらちょう)の城下町が含まれます。

京都府では何と言っても福知山市や綾部市。

その京都府丹波の中心都市が福知山市です。

 

  福知山城は丹波平定に功のあった明智光秀が丹波の拠点として築造しました(天正7年(1579年)。

関ヶ原の戦い(慶長5年(1600年)の後、戦功をあげて6万石に倍増されて入部してきたのが有馬豊氏で、大坂の陣でさらに功を積み重ね20万石で筑後久留米藩に移封していくと、幕府領、岡部家、稲葉家、再び幕府領、松平(深溝 (ふこうず))家と目紛るしく藩主家が入れ替わりましたが、寛文9年(1669年)朽木稙昌(くつきたねまさ)が3万2000石で入封するとやっと安定し、、明治まで13代にわたり朽木家が統治しました。

この朽木氏は分家筋にあたり、本家は本領の近江国朽木谷で交代寄合の旗本として存続しました。

 

  福知山駅の北口に出て、県道を右(東)へ歩いて行きます。

  お城まで徒歩で15分ぐらいです。

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  途中福知山市役所や裁判所の前を通ります。

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  その途中から見える福知山城天守。

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  お城の東側にある法川と太鼓橋。

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  櫓風の建築物となっている福知山市佐藤太清記念美術館。

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  歩道橋の右側から登ります。

  左の建物が福知山市佐藤太清記念美術館。

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  南に向けて登っていきます。

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  福知山市佐藤太清記念美術館を見下ろして。

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  法川に架かる太鼓橋。

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  本丸にて。

  銅門番所(あかがねもんばんしょ)。

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  福知山城天守。

  昭和60年(1985年)に外観復元されました。

  この際に銅門番所も本丸に移築されたそうです。

  入館料大人310円、こども(小・中学生)100円。

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  小天守。

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  拝観は東から入ります。

  登り口に下りることができる模擬門。

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  帰り。

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  撮影 2015/01/04

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2016年10月 2日 (日)

【天守閣】外観復元天守(5)2016年3月 - 大垣城(岐阜県大垣市)

 

  大垣藩は石川家5万石で3代、松平(久松)家2万石で2代、岡部家5万石で2代、松平(久松)家6万石で1代の藩主家の支配を経て、寛永12年(1635年)摂津尼崎藩より戸田氏鉄(とだうじかね)が10万石で封ぜられ、以後戸田家が11代にわたり明治までこの地を治めました。

大垣城は各城主によってそれぞれ改修が加えられましたが、慶安2年(1649年)に氏鉄(うじかね)によって最終的な姿となりました。

大垣城も御多分にもれず昭和20年(1945年)まで天守が現存しましたが戦災で焼失してしまいました。

 

  駅前道路を南に行くと中央分離帯に西に入れと指されています。

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  すぐに東門と天守が見えます。

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  東門の右手にある艮隅櫓(うしとらすみやぐら)。

  この櫓も戦災で焼失しました。

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  東門。

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  天守は珍しい四層。

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  昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリートで外観復元されました。

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  西に抜けます。全体が公園となっています。

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  戸田氏鉄(とだうじかね)の騎馬像と天守。

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  乾隅櫓(いぬいすみやぐら)。

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  西の公園から天守と乾隅櫓。

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  撮影 2016/03/31

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