« 【天守閣】現存12天守(5)2012年9月 - 弘前城(ひろさきじょう 青森県弘前市) | トップページ | 【天守閣】現存12天守(7)2010年9月 - 丸亀城(香川県丸亀市)「石垣の美」 »

2016年12月13日 (火)

【天守閣】現存12天守(6)2011年4月 - 松山城(愛媛県松山市)

 

 

  この記事は以前に掲載した既出の記事の再掲です。

現存天守についてのシリーズは以前に企画しており、そのまま当時のものを引き写しました(一部手を加えている)。

 

 

  現存天守12城の第6回目は愛媛県松山市の松山城。

 

  松山城は1602年(慶長7年)加藤嘉明が築城を開始。

ただ、Wikiや松山市のHPでも完成時がいつであったかは明示されていません。

1627年(寛永4年)加藤嘉明は松山城の完成前に会津若松へ20万石から40万石に加増され移封。

替わりに蒲生忠知が24万石で松山藩主として入部。

蒲生家は本藩である会津藩の蒲生忠郷が嗣子を残さず死去し改易。
しかし、母が徳川家康の娘という配慮から、上山藩主であった弟の忠知が蒲生家を継ぐことを許され松山藩へ転封されました。

しかし、1634年(寛永11年)その蒲生忠知も死去し、ここに蒲生家は断絶となります。

翌年の1635年(寛永12年)桑名から松平定行が15万石で入部、以後15代、松山藩主として続き明治に至ります。

松平定行は定勝系久松松平家の2代目。

久松松平家は徳川家康が母である於大の方の再嫁先の久松俊勝との間の異父弟3人に松平姓を与えたのが始まり。

家康の異父弟である久松松平家には松平康元、勝俊、定勝の三系統があり、三男の定勝系が最も栄え、定勝の6人の男子の内、次男定行は兄の早世により宗家を継ぎ伊予松山藩15万石、三男定綱は桑名藩11万石、五男定房が今治藩3万石とそれぞれの藩祖となり、ほぼ明治までそれぞれの藩を治めました。

他の男子は旗本として子孫に受け継がれ明治に至っています。

そして松山藩の久松松平宗家からは1000石の旗本が分家し、その子孫が元NHKのアナウンサーであった松平定知さん、というのは最近では皆さんもかなり周知の事実です。

過去記事の阿久比町(愛知県)の坂部城跡を訪ねる(3) - 坂部城跡(久松松平家の発祥地)はこちら。

 

  大街道(おおかいどう)電停もしくはバス停から北に行くと松山城ロープウェイ・リフトがあります。

  松山城天守観覧券  大人510円(小人(小学生) 150円)、往復券510円(小人260円)、片道券270円(小人130円)、総合券(観覧券+往復券)1020円(小人410円)。 (2016年12月現在)。

  ロープウェイ・リフト同額でどちらを選択しても良い。

  帰りは歩いて下りるも良しです。

  私の場合は往復券を購入して、帰りは大手門跡から黒門道を歩いて下まで下り、片道分がふいとなりました。

Dsc01848

 

  大手門跡。

  ここから黒門道を下り二の丸から三の丸(堀之内)へ行けます。

Dsc01857

Dsc01864

 

  大手門跡の横から太鼓櫓。

  遠くに天守群のうちの小天守が見えます。

Dsc01858

 

  太鼓櫓下から戸無門(となしもん)。

Dsc01863

 

  戸無門から筒井門、太鼓門を経て本丸内に入ります。

  松山城天守と左が小天守。

Dsc01871

 

  ここからは入場料が必要です。

  入場料金は大人510円、小人(小学生)150円(2016年12月現在)です。

Dsc01874

Dsc01880

 

  天守、小天守等の内部。

Dsc01891

Dsc01892

Dsc01911

Dsc01912

 

  紫色の部分が重要文化財指定。

Dsc01916

 

  小天守から天守広場。

Dsc01894

 

  天守から艮門(うしとらもん)と艮門東続櫓。

Dsc01899

 

  天守から本丸内。

  桜は残念な状態でした。

  右、手前から馬具櫓、向こう太鼓櫓。

Dsc01900

Dsc01906

 

  天守閣の前にある天神櫓。

Dsc01915

 

  再び本丸の広場へ出ました。

  元の道を戻り大手門跡へ。

Dsc01920

 

  大手門跡。

  このあたりで○○○さんという地元のお城好きの方と偶然言葉を交わし、この後黒門道を下りながら案内して頂きました。

Dsc01926

 

  黒門道を下ります。

Dsc01930

 

  二の丸の二之丸史跡庭園の外。

Dsc01938

 

  二之丸史跡庭園入り口。

Dsc01936

 

  二の丸から右上に登っている「登り石垣」。

  こちらの南側の登り石垣はほぼ完全に残っていますが、北側は一部分のみ残っているそうです。

  登り石垣は山腹からの敵の侵入を防ぐ石垣で、朝鮮出兵時に倭城築城の際に採られた防備手法。

  彦根城などにも見られるそうです(何度も訪れているが気づかなかった)。

  松山城では○○○さんの案内で教えて頂き、初めて気づきました。

Dsc01945

 

  三の丸(堀之内)から山麓の二の丸と山上右から太鼓櫓、馬具櫓、天守群。

Dsc01953

 

  天守群。

  手前右が小天守で天守はその後ろ。手前左は天守群のうちの南隅櫓です。

Dsc01955

 

  堀之内から出て帰途へ。

  そのまま歩いて大手町の伊予鉄道の平面交差の写真を撮り、その後松山駅へ向かい、17時過ぎの電車で松山を離れました。

Dsc01959

  撮影 2011/04/06

|

« 【天守閣】現存12天守(5)2012年9月 - 弘前城(ひろさきじょう 青森県弘前市) | トップページ | 【天守閣】現存12天守(7)2010年9月 - 丸亀城(香川県丸亀市)「石垣の美」 »

【天守閣】現存12天守」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【天守閣】現存12天守(6)2011年4月 - 松山城(愛媛県松山市):

« 【天守閣】現存12天守(5)2012年9月 - 弘前城(ひろさきじょう 青森県弘前市) | トップページ | 【天守閣】現存12天守(7)2010年9月 - 丸亀城(香川県丸亀市)「石垣の美」 »