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2016年12月10日 (土)

【天守閣】現存12天守(5)2012年9月 - 弘前城(ひろさきじょう 青森県弘前市)

 

 

  この記事は以前に掲載した既出の記事の再掲です。

現存天守についてのシリーズは以前に企画しており、そのまま当時のものを引き写しました(一部手を加えている)。

 

 

 

  現存天守12城の第5回目は青森県の弘前城です。

弘前城は元は大浦氏を称していた津軽氏の居城で、弘前藩初代藩主の津軽為信が関ヶ原の戦い(1600年)以後に築城を開始し(1603年)、2代目津軽信枚(つがる のぶひら)の代の1611年に完成しました。

当初は5層5階の天守が築かれるも寛永4年(1627年)に落雷で焼失。

その後、文化3年(1806年)に樺太、択捉の日本の拠点へのロシアの攻撃があり(文化露寇)、幕府は3000名の軍を蝦夷地に派遣し、津軽藩も100余名を派遣。

津軽藩兵は斜里郡に陣屋を設けるも、越冬の際に72名が死亡するという事件を引き起こします(津軽藩士殉難事件(つがるはんしじゅんなんじけん)1807年)。

この派兵で1808年(文化5年)に、それ以前に蝦夷地警備で7万石に加増されていた石高がさらに10万石に加増され、この際に3階櫓の築造を幕府に願い出て許されています。

これが現在にまで残る弘前城天守です(1811年に完成)。

さらに交代寄合の旗本であった黒石津軽家に6000石を分地し、ここに支藩である黒石藩1万石が成立(文化6年(1809年))。

 

  現在の弘前城には現存天守の他にも三棟の現存櫓、五棟の現存門が存在し、何れも国重文に指定されています。

 

  いつもの余湖くんのお城のページからの引用図。

Hirosakizu


 

  南側に位置する追手門から入り、北に向かって北門から城外に出る道順をとりました。

  追手門。
 

Dsc01661

 

  三の丸を北に向かいます。

Dsc01667

 

  やがてお堀を隔てた二の丸へ。

  お堀越しの右側にある二の丸辰巳櫓(たつみ やぐら)。

Dsc01670

 

  お堀越しの左側にある二の丸未申櫓(ひつじさる やぐら)。

Dsc01676

 

  三の丸から二の丸へ南内門を入ります。

Dsc01684

 

  本丸南東隅にある弘前城天守(御三階櫓とも)。

Dsc01694

Dsc01704

 

  天守内から橋を見下ろして。

Dsc01719

 

  本丸内側からの天守。

Dsc01721

 

  本丸西から見える津軽富士(岩木山)。

Dsc01731

 

  北側から天守。

Dsc01735

 

  二の丸丑寅櫓(うしとら やぐら)。

Dsc01744

 

  二の丸東門。

Dsc01757

 

  三の丸東門。外から。

Dsc01768

 

  二の丸丑寅櫓(うしとら やぐら)。別方向から。

Dsc01774

 

  一番北にある北の郭北門(亀甲門)内側から。

Dsc01792

 

  北の郭北門(亀甲門)外側から。

  お堀を見ながら外に出ます。

  道路の反対側に現役の商家 石場家住宅があります。

Dsc01800

  撮影 2012/09/08

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