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2016年12月31日 (土)

【天守閣】現存12天守(11)2009年10月 - 備中松山城(備中高梁城 岡山県高梁市)

 

  高梁市は岡山からJRの伯備線で米子方面に向かう途中にあります。

特急で35分、普通電車で50分少々の所要時間。

 

  車でのお城へのアクセスは、5合目の城見橋公園から8合目のふいご峠までのシャトルバス運行日には城見橋駐車場までしか入ることができず、シャトルバスに乗換えが必要。

ただし、運行日以外はふいご峠(8合目)まで車で登ることができます。

ふいご峠からは天守まで距離にして700m、20分ほど。

 

  徒歩旅行者については駅前からの乗り合いタクシーの利用がお勧めです。

私も当日は乗り合いタクシーを利用しました。

一人でも可ですが1日4往復で往き帰りとも予約が必要です。

片道420円。

シャトルバスと乗り合いタクシーの運行、料金についてはこちらのリンク先を参照して下さい(高梁市観光協会)。乗り合いタクシーの予約先電話番号も掲載されています。

 

  8合目のふいご峠駐車場。

  駐車できるスペースは10台ぐらいでしょうか。

  左手奥に休憩所とトイレが見えます。

  登城道は右手奥から。

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  松山城への遊歩道。

  城名が同じなので愛媛県松山市のお城を伊予松山城、こちらは備中松山城と呼称します。

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  中太鼓丸の櫓台石垣。

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  櫓台から眼下に見える高梁市市街地。

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  大手入り口からの石垣群。

  樹木の左の小さな石柱には大手門とありました。

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  右下の櫓台石垣の対となっている場所が大手門跡と見られます。

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  さらに上へ。

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  石段の左側は現存遺構の「三の平櫓東土塀」。

  国重要文化財に指定されている貴重な遺構です。

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  上から。

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  坂を登ると右側に三の丸の広場。

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  三の丸を後にしてさらに上に。

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  この坂を登りきると二の丸。

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  登りきると本丸の復元櫓群。

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  二の丸にはベンチが備わっていて、休憩には便利です。

  誰もがこの角度で撮影する場所。

  最近話題になっている雲海に浮かぶ備中松山城を望む展望台の情報についてはこちら

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  本丸へ入ります。

  本丸内と天守が有料。入館料は大人300円、小中学生150円。

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  松山城築城は13世紀、大松山に築かれたのが最初。

その後、14世紀に現在の天守がある小松山まで拡張されました。

戦国時代には三村氏が城主で、毛利から織田方についた三村元親は毛利氏と争い、天正3年(1575年)に落城、元親は自刃。

これにより松山城は毛利氏の領有するところと成ります。

 

  1600年の関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏は周防・長門二国に減封され、松山城は小堀氏が城番を務めることに。

その後、元和3年(1617年)に池田長幸(いけだ ながよし)が6万3000石で入り備中松山藩が立藩されます。

池田長幸の父は池田輝政の弟の長吉であり、宗家の利隆流(光政流 岡山藩主)や忠雄流(光仲から鳥取藩主)と並ぶ長吉流の2代目。

しかし、寛永18年(1641年)、2代長常が嗣子無くして断絶改易。

さらに寛永19年(1642年)水谷勝隆が5万石で入るも3代目でやはり嗣子無く断絶(元禄6年(1693年))。

 

  その後幕府は検地を行い、元禄8年(1695年)になり、ようやく安藤重博が6万5000石で入部、安藤氏は2代で転封、替わりに石川氏が1代。

延享元年(1744年)その石川総慶が伊勢国亀山藩に転封され、入れ替わりに伊勢国亀山藩から板倉勝澄が5万石で入部。

その後は板倉氏が8代にわたり松山藩主を務め、明治に至ります。

 

  幕末の戊辰戦争では幕府側につき函館まで転戦、敗戦後2万石に減封等の厳しい措置を受けました。

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  天守から本丸内と外の二の丸。

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  天守内部。

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  天守に向かって右にある本丸東御門。

  脇の石段を上がり天守の後ろへ。

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  天守の後ろにある国重文の二重櫓。

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  これで本丸は出て、右側を奥に行きます。

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  先ほどの東御門を外から。

  少し振り返って。

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  搦め手門跡。

  右の石柱には搦手門曲輪とあります。

  ここから大松山の城跡へ行けるそうですが、道が崩れていました。

  石段を左へ。

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  後曲輪の石柱。

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  後曲輪からの二重櫓。

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  帰りの乗り合いタクシーは上りで女性一人が降り、下りは私ともう一人男の人の二人。

  二人とも駅前ではなく「石火矢町ふるさと村」の武家屋敷前で降ろしてもらいました。

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  撮影 2009/10/15

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