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2017年1月13日 (金)

【天守閣】現存12天守(12)2008年4月 - 世界遺産かつ国宝姫路城(兵庫県姫路市)

 

  現存天守12城の最後は国宝姫路城。

姫路城はユネスコの世界遺産でもあります。

国宝は大小天守と渡櫓等8棟、国の重要文化財は櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟。

 

  ご存知のように姫路城は大天守保存修理事業が終了したばかりです。

写真はその前の写真で白い姫路城ではありません。


  姫路城は戦国時代には黒田氏、後に羽柴氏(豊臣秀吉)が城代として山陽路の拠点とし、山陽路の要の城でありました。

1600年の関ヶ原の戦いの後、姫路城には池田輝政が52万石で入城し、ここに姫路藩が成立します。

そして城郭の大拡張が行なわれ、現在ある姫路城は池田輝政の手によるものです。

 

  その後池田家3代の後、元和3年(1617年)忠勝系の宗家である本多忠政が15万石で入部、本多家3代の後1639年(寛永16年)から親藩の松平(奥平)家が15万石で2代、慶安元年(1648年)からは松平(越前)家が15万石で2代、以後本多家(忠勝系宗家)2代、榊原家4代、松平(越前)家2代。

そして寛延2年(1749年)に雅楽頭酒井家(うたのかみさかいけ)の酒井忠恭(さかい ただずみ)が15万石で入り、以後10代で明治となります。

雅楽頭酒井家(うたのかみさかいけ)は、酒井忠次で有名な左衛門尉酒井家(さえもんのじょうさかいけ)とは別系統で幕府初期の老中、大老であった酒井忠世の系統です。

 

  さて、今回の姫路城の写真は、私の兄に許可を得た兄からの借り物であることをお断りしておきます。

私自身は姫路城へは2度訪れており、最初は数十年前、2回目が90年代。

最初の写真はモノクロの10枚ぐらい、2度目は母の付き添いで城外に待機し、父のみが登城して私の写真は外からの数枚のみで、いずれも掲載に耐えうるものではありませんでした。

そろそろ姫路城へと思案していた矢先に工事が始まってしまい、現在に至るまで納得のいく私の姫路城の写真は無く、今回の措置となりました。

 

  駅前道路からの天守。

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  入り口となる菱の門。

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  西の丸から。

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  天守の下、備前丸。

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  天守から手前に三国堀、菱の門、向こうが西の丸。

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  三の丸広場と駅前通り。

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                                           撮影 2008/04/06

 

  2013年9月8日私の撮影で、駅前から素屋根で覆われた大天守。

Dsc01228

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