« 京都駅 新幹線ホーム - 京都府京都市 | トップページ | JR湖西線 大津京駅 - 滋賀県大津市 »

2018年5月16日 (水)

忠節橋からの岐阜城 - 岐阜県岐阜市

 

  難攻不落の岐阜城と書きたいのですが、実際には占拠、開城などを含めて六度も落城しているようです。

 

  最初は永禄7年(1564年)竹中半兵衛、安藤守就が謀って占拠した事件。

半年間ほど占拠して、城主の斎藤龍興に返還しました。

 

  二度めは織田信長による攻撃で落城した永禄10年(1567年)の戦い。
これにより岐阜城は織田信長の本拠となりました。

 

  三度目は天正9年(1582年)の本能寺の変で城主の織田信忠が討ち死にしたため斎藤利堯が占拠しました。
落城の範疇に入れるかどうかは微妙ですが広義の意味で落城と言えるのかもしれません。

 

  四度目は天正9年(1582年)、清洲会議の後、秀吉が岐阜城を囲み、城主の織田信孝から信忠の嫡子三法師(のちの秀信)や信孝の母親と子供を奪っていった事件。

 

  五度目は天正10年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでの岐阜城攻防戦。
城主織田信孝は開城し、知多半島の野間で切腹。

 

  六度目は慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍に与した城主織田秀信(信長の嫡孫)が激しく抵抗するも落城。
秀信は降伏し高野山に送られました。

         (出典参考 岐阜城は、6回落城している)

 

  忠節橋からの岐阜城。

  関ヶ原の戦い後に岐阜城は廃城となり、江戸時代に天守などは存在しませんでした。

Dsc00112

 

  明治43年(1910年)に早くも復興天守が築造されましたが、この天守は昭和18年(1943年)に失火により焼失。

  現在の天守は昭和31年(1956年)に鉄筋コンクリートで復興されたもの。

Dsc00126

 

  忠節橋。南から。

Dsc00135

 

  再興されてからでもすでに60年以上。

  すっかり風景に馴染んでしまっています。

Dsc00139

  撮影 2011/03/23

|

« 京都駅 新幹線ホーム - 京都府京都市 | トップページ | JR湖西線 大津京駅 - 滋賀県大津市 »

お城」カテゴリの記事

東海地方(岐阜県、愛知県、三重県、静岡県)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/154291/66726246

この記事へのトラックバック一覧です: 忠節橋からの岐阜城 - 岐阜県岐阜市:

« 京都駅 新幹線ホーム - 京都府京都市 | トップページ | JR湖西線 大津京駅 - 滋賀県大津市 »