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2018年6月27日 (水)

綾部市旧市内を散策(2) 綾部藩主九鬼氏の墓所を訪ねる(2) - 京都府綾部市

 

  九鬼氏が台頭したのは嘉隆の代で、嘉隆は織田信長に仕え運を開くことができました。

その後、関ヶ原の戦い(慶長5年(1600年))では子の守隆は東軍に加わり、その戦功と引き換えに西軍に加担した父嘉隆の助命を得るも、嘉隆は自刃した後。

守隆は本領を安堵され、鳥羽城を根拠地とした鳥羽藩藩主となるものの、彼の死後の跡目争いで九鬼氏は鳥羽を召し上げられることとなり、相続を争った五男の久隆は摂津国三田藩3万6000石に、三男の隆季は丹波国綾部藩2万石に移封され、ここに九鬼氏は海賊大名としての地位を失い、内陸の一大名としてそれぞれ存続することとなり明治に至ります。

綾部藩は上記のように守隆の三男である隆季(たかすえ)が初代藩主となり(寛永10年(1633年)のこと)陣屋で政治を行い城下町を整備しました(綾部藩九鬼氏は城主格の待遇を与えられた)。

初期の陣屋は慶安3年(1650年)の火災で焼失し陣屋を移さざるを得なくなり、その後期の陣屋跡は現在の大本教、綾部小学校などの敷地となっています。

 

  隆興寺門前。

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  入ると正面に本堂があります。

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  本堂前から振り返った所。

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  本堂の裏側は墓地となっています。

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  本堂に向かって左側の高台に九鬼氏墓所があります。

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  大きな五輪塔の後ろに並んでいるのが九鬼氏の墓。

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  案内板に従えば、右から三番目が綾部藩初代藩主九鬼隆季(たかすえ)、その左が祖父の嘉隆、さらにその左が父の守隆、一番左が第十代隆祺(部首がネ)、一番右が第二代隆常、右から二番目は隆季の室潜龍院。

  ちなみに第十代については隆備(たかとも)としているものもある。

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  草で見にくいのですが、案内板。

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  上の第十代もそうですが、右側五基の墓石が案内板と他の資料とは一致しないのでここは記さずにおきます。

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  下におりて駐車場から外に出ます。

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  駐車場出入口から本堂。

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  南側には本興稲荷神社があります。

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  北側に隣接する西福院から東に参道を歩いて振り返った所。

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  この目の前に綾部城大手門跡の案内板があります。

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  北側は坂になっていて、かっての大手坂でした。

  大正時代に皇后さまが馬車で通られるという事で拡幅工事が行われたようです。

  それ以来、かっての大手坂は皇后坂と呼ばれるようになったそうです。

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  かっての大手坂であった皇后坂。

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  撮影 2018/06/23

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