2018年7月18日 (水)

駿府城跡 巽櫓と東御門 - 静岡県静岡市葵区

 

  静岡鉄道新清水駅から新静岡駅に至り、そこから西北に歩くと駿府城跡があります。

現存遺構は石垣とお堀のみですが、巽櫓、東御門、坤櫓が復元されています。

駿府城は家康が晩年を過ごした城として知られています。

 

  新静岡駅の西には外堀の遺構があります。

  大きな建物は静岡県庁。

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  内堀沿いを東に戻り巽櫓が見えてきました。

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  巽櫓と東御門。

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  東御門の高麗門。

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  東御門櫓門。

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  巽櫓に西日が当たるのを見ながら静岡駅に戻りました。

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  増結する浜松行き313系普通電車と特急「ふじかわ」373系。

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  撮影 2011/09/10

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2018年7月14日 (土)

静岡市 久能山を下る - 静岡県静岡市

 

  久能山東照宮を拝観の後、久能山東照宮博物館も併せて拝観。

ここから日本平へは戻らず、本来の久能山東照宮参道である石段を下りました。

こちらには久能山下(くのうやました)バス停があり、静岡駅へは東大谷乗り換えで平日は2時間に1本、土日祝日は1時間に1本の頻度でバスが運行されています。

問題は反対方向の清水駅方面へ向かう路線。

こちらの山原梅蔭寺線は平日は1日に5本、土日祝日は4本と少なく、15時台の発車時刻に合わせるように逆算し、それに基づいて日本平、久能山の予定を組んだ結果、バス停には30分前に到着することができました(時刻は2018年7月現在)。

 

  重要文化財の楼門から外に出ます。

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  久能山東照宮博物館。

  拝観料(単独)は大人400円、小人150円。

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  この辺りは昔から石垣いちごで有名。

  白いビニールハウスが並んでいます。

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  下り始めます。

  麓から国宝の御社殿までは1159段。

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  門衛所。

  江戸時代、久能山を警護しました。

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  門衛所の目の前にある一ノ門。

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  さらに下ります。

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  門前には土産物屋さんがあり、そこから東に向かうとバス停があります。

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  清水方面へのバス。

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  静鉄新清水の駅前で降車。

  電車で新静岡駅に向かいます。

  道路を挟んで反対側のバス停からは三保の松原に行けます。

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  撮影 2011/09/10

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2018年7月12日 (木)

静岡市 日本平と久能山東照宮 - 静岡県静岡市

 

  静岡駅からバスで日本平へ向かい、日本平で富士山を眺めてからロープウェイで久能山へ。

久能山には東照宮があります。

東照宮は徳川家康を祀る神社のこと。

家康は晩年を気候の良い静岡で過ごし、元和2年(1616年)に亡くなると久能山に葬られ、後に日光東照宮に改葬されました。

 

  まず駅前から日本平行きのバスに乗車しました。

  直通のバスは1時間に1本の頻度で運行されています。

  運賃は大人580円(2018年7月現在)。

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  日本平ロープウェイ乗り場。

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  展望台から見える富士山。

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  ロープウェイで久能山へ。

  ロープウェイの料金は大人往復 1100円、片道 600円。

  ロープウェイ往復+東照宮拝観+東照宮博物館入館 3点セット券 は大人(高校生以上)1750円、中学生1300円、小学生800円。(いずれも2018年7月現在)。

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  本殿、石の間、拝殿は国宝に指定されています。

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  徳川家康の神廟。

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  日本平へは戻らず石段を下りました。

  こちらにもバス停があります。

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  撮影 2011/09/10

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2018年7月11日 (水)

静岡駅にて - 静岡県静岡市

 

  青春18きっぷの最後の一枚を利用して静岡までを往復し、日本平、久能山東照宮を観光した際の様子。

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  富士行き211系普通で静岡駅に到着。

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  こちらは下り島田行き普通211系。

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  甲府とを結ぶ特急「ふじかわ」373系の到着。

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  甲府行きの特急「ふじかわ」。

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  撮影 2011/09/10

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2018年6月24日 (日)

大垣駅にて 6月梅雨の晴れ間 - 岐阜県大垣市

 

  所用で京都府の福知山に向かう途中、大垣駅での乗り継ぎ待ち。

2番線ホームで米原行き普通を待つ間に撮影した何枚か。

 

  1番線の豊橋行き快速313系。

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  北側の切り欠き6番線を発着とする樽見鉄道車両。

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  2番線4番線ホームの西端にある切り欠きの3番線。

  美濃赤坂行きが2両で運行されています。

  電車がいないのが残念。

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  南を向くと構内の一番南端に養老鉄道のホームがあります。

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  柏原~近江長岡間の伊吹山、車内より。

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  撮影 2018/06/22

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2018年6月 7日 (木)

東海道本線 由比駅(ゆいえき) - 静岡県静岡市清水区

 

  岐阜から東海道本線を普通電車で東上し静岡市の由比(ゆい)駅で途中下車。

富士山の有名なビュースポットである薩埵峠(さったとうげ)の最寄りの駅ということで下車してみましたが、駅前の案内板に徒歩で45分とあり、これを見てさすがに怯んでしまい、結局、次の電車で再び東に向かいました。

 

  由比は東海道五十三次16番目の宿場町。

  もう少し散策してみれば良かったと後悔しています。

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  色々見どころはありそうです。

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  ここに薩埵峠(さったとうげ)まで徒歩で45分とありました。

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  由比は桜えびが名物のようです。

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  山の間からちょっと顔をのぞかせている富士山。

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  電車は島田行き普通313系。

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  撮影 2012/07/21

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2018年5月31日 (木)

名鉄広見線 御嵩駅(みたけえき)と中山道御嶽(みたけ)宿 - 岐阜県可児郡御嵩町(みたけちょう)

 

  御嶽宿(みたけじゅく)は中山道49番目の宿場であり、かつ願興寺(がんこうじ)の門前町として発展しました。

 

  御嵩駅(みたけえき)は広見線終着駅で、かっては名古屋方面からの特急も運転されていましたが、最近は廃止論議が盛んで、地元も様々な手を講じています。

 

  1面1線のシンプルな終着駅。

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  中山道に面して御嵩駅があります。

  平成20年(2008年)に無人化。

  翌年、御嵩町観光案内所として開業。

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  すぐ目の前にある願興寺(がんこうじ)。

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  本堂は天正9年(1581年)建立で重要文化財。

  木造薬師如来及び両脇侍像、木造阿弥陀如来立像 、木造阿弥陀如来坐像、木造釈迦如来及び両脇侍像、木造四天王立像、木造十二神将立像なども重要文化財。

  願興寺ホームページ。

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  願興寺前の中山道。

  少し先に中山道みたけ館があり(白い建物)、御嵩町内の中山道関連の展示がされています。

  無料です。

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  日も暮れた御嵩駅。

  6000系2両編成。

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  撮影 2011/08/31

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2018年5月30日 (水)

名鉄広見線 明智駅 - 岐阜県可児市

 

  名鉄広見線明智駅の以前の駅名は伏見口駅。

駅から北に1Km足らずの地に旧中山道伏見宿があり、その地名が駅名の由来です。

昭和57年(1982年)に明智駅と改称されました。

かっては明智駅から八百津線が分岐しており、私も過去に八百津(やおつ)町に私用があり三回ほど利用した記憶があります。

平成13年(2001年)10月1日に八百津線は廃線となり、現在は代替バスが1時間に1本ほどの頻度で八百津と明智駅とを結んでいます。

 

  岐阜県にはもう一つ現恵那市(旧明智町)の明智鉄道明智駅があります。

何れも明智光秀出自の地として長い間論争が行われてきましたが、NHKの大河ドラマでは光秀の出自をどう扱うかは興味のあるところです。

 

  明智駅駅舎。

  平成20年(2008年)に無人化。

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  ホームは2面3線。

  向かって一番左が1番線で、通常は使用されていません。

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  新可児~御嵩(みたけ)駅間を往復する2両編成6000系。

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  南に向かって1700mに明智城址があります。

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  新可児 - 御嵩間は廃止論議が盛んで、地元は様々なアイデアを実施していますが、なかなか成果を上げられていないようです。

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  バス停広場。

  旧八百津線の代替路線である八百津とを結ぶYAOバスなどが発着します。

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  撮影 2011/08/31

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2018年5月28日 (月)

桑名駅 (JR・近鉄・養老鉄道) と桑名町歩き - 三重県桑名市

 

  三重県桑名市の桑名駅はJR、近鉄、養老鉄道が発着する主要駅です。

1番線から8番線まで連番であり、5番線が欠番となっています。

JRが1番線から3番線まで、4番線が養老鉄道養老線、6番線から8番線が近鉄。

 

  桑名市は桑名藩の桑名城を中心とした城下町であり、かつ東海道五十三次の42番目の宿場町として発展しました。

名古屋の宮宿と桑名宿の間は七里の渡しで海上を船でつなぎました。

旧桑名城は本丸、二の丸が九華公園として整備されていますが、城跡の遺構としてはかなり改変されてしまっています。

最も築城時の面影を残しているのは外堀の石垣でしょうか。

七里の渡しの近くには蟠龍櫓が外観復元されています。

 

  養老鉄道養老線。

  区間運転の石津行き。

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  近鉄特急ビスタカー、名古屋行き。

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  関ヶ原の戦いの後、桑名藩初代藩主として10万石で入封したのは徳川四天王の一人本多忠勝。

  桑名藩の藩主家は本多家が2代、松平(久松)家が5代、松平(奥平)家が7代、そして再び松平(久松)家が戻り5代で明治の廃藩置県に至ります。

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  旧桑名城跡の九華公園。

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  平成15年(2003年)に外観復元された蟠龍櫓。

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  七里の渡跡(しちりのわたしあと)。

  「大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され」た。

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  外堀の桑名城石垣。

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  二代目諸戸清六の邸宅として大正2年(1913年)に完成した六華苑(ろっかえん)。

  諸戸家は地元の名望家。

  入苑料 一般[高校生以上] 310円。中学生 100円。

  旧諸戸清六邸は重要文化財、庭園は国の名勝に指定されています。

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  JR桑名駅はすべての特急、快速が停車します。

  快速「みえ」キハ75形。

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  撮影 2010/07/10

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2018年5月16日 (水)

忠節橋からの岐阜城 - 岐阜県岐阜市

 

  難攻不落の岐阜城と書きたいのですが、実際には占拠、開城などを含めて六度も落城しているようです。

 

  最初は永禄7年(1564年)竹中半兵衛、安藤守就が謀って占拠した事件。

半年間ほど占拠して、城主の斎藤龍興に返還しました。

 

  二度めは織田信長による攻撃で落城した永禄10年(1567年)の戦い。
これにより岐阜城は織田信長の本拠となりました。

 

  三度目は天正9年(1582年)の本能寺の変で城主の織田信忠が討ち死にしたため斎藤利堯が占拠しました。
落城の範疇に入れるかどうかは微妙ですが広義の意味で落城と言えるのかもしれません。

 

  四度目は天正9年(1582年)、清洲会議の後、秀吉が岐阜城を囲み、城主の織田信孝から信忠の嫡子三法師(のちの秀信)や信孝の母親と子供を奪っていった事件。

 

  五度目は天正10年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでの岐阜城攻防戦。
城主織田信孝は開城し、知多半島の野間で切腹。

 

  六度目は慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍に与した城主織田秀信(信長の嫡孫)が激しく抵抗するも落城。
秀信は降伏し高野山に送られました。

         (出典参考 岐阜城は、6回落城している)

 

  忠節橋からの岐阜城。

  関ヶ原の戦い後に岐阜城は廃城となり、江戸時代に天守などは存在しませんでした。

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  明治43年(1910年)に早くも復興天守が築造されましたが、この天守は昭和18年(1943年)に失火により焼失。

  現在の天守は昭和31年(1956年)に鉄筋コンクリートで復興されたもの。

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  忠節橋。南から。

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  再興されてからでもすでに60年以上。

  すっかり風景に馴染んでしまっています。

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  撮影 2011/03/23

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