2017年6月24日 (土)

JR四国 高徳線 勝瑞駅(しょうずいえき)にて 2012年10月 - 徳島県板野郡藍住町

 

  四国徳島県の勝瑞駅(しょうずいえき)。

徳島駅から高徳線で10分ほど。

駅から歩いて10分ほどの距離(500m)には細川氏9代、三好氏3代の根拠地であった勝瑞城跡とその城館跡などがあります。

勝瑞城跡の見性寺は三好氏の菩提寺で三好氏4代の墓が現在も残っています。

 

  徳島行きの1500型普通。

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  勝瑞駅。

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  勝瑞城址の碑。

  現在は見性寺の境内となっている。

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  城館跡は盛んに発掘調査が行われていました。

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  図は上が南にあたる。

  したがって勝瑞駅は左方向。

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  勝瑞駅は特急「うずしお」が一部停車します。

  特急「うずしお」2000系と1500型普通徳島行き。

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  徳島近郊ということで乗客もけっこう多い。

  徳島行き普通。

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  撮影 2012/10/13

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2017年2月13日 (月)

思いでの旅(3)1996年7月~9月 - 初めての「青春18きっぷ」(3)高松城、高松駅とマリンライナー

 

 

  丸亀城を訪れたならば高松城を訪れるのは必然。高松はこの時が初めてでした。

以後、特に三ノ宮からのジャンボフェリーを四国渡航に利用するようになると、必ず高松駅を経由することになり、高松は馴染みの町となりました。

さて、青春18きっぷは岡山と四国内との電車に利用したとみられます。

 

  坂出駅にて。

  213系時代の快速マリンライナー。

  坂出駅地上駅時代。

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  高松駅にて。

  まだ、高松駅は旧来のだだっ広さが残っています。

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  JR四国8000系特急用車両。

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  1996年の高松駅。

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  現在の高松駅。

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  高松城 月見櫓と水門、渡櫓。

  いずれも現存遺構で重要文化財。

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  同上。

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  艮櫓(うしとらやぐら)。現存遺構で重要文化財。

  もともとは東の丸にあったものを太鼓櫓跡に移築。

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  撮影 1996/08/19

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2017年2月11日 (土)

思いでの旅(3)1996年7月~9月 - 初めての「青春18きっぷ」(2)丸亀城  岡山まで新幹線を利用する青春18きっぷ初心者

 

  青春18きっぷ2枚目は妙に行きたくなった丸亀城。

しかし18きっぷのみで日帰りは無理と考え、大阪から岡山まで新幹線を利用するという、18きっぷの精神に反することも初心者ならではのもの。

ついでに高松にも立ち寄り、岡山経由で再び大阪に戻りました。

どの区間で「青春18きっぷ」を利用したのかはもう覚えていません。

 

  坂出駅にて。

  高架はすでに完成していて、最後の地上駅時代でしょう(高架化は翌年1997年2月)。

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  丸亀城。

  天守を見上げて大手二の門(左)と大手一の門(右)。

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  本丸の天守。

  現在、外壁は綺麗に修復されています。

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  石垣の美。

  丸亀城は石垣が美しい。

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  遠くに瀬戸大橋が見えます。

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  讃岐富士。

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  斜め横からの天守。

  拝観料はこのとき50円だったと記憶しています(間違っていたら御免なさい)。

  現在は大人200円、小人(小、中学生)100円。

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  撮影 1996/08/19

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2015年1月22日 (木)

新年旅行 2015年1月(11) - 高松、坂出付近の雨中旅行(4) - 香川県立ミュージアムから石清尾八幡宮(いわせおはちまんぐう)

 

  五色台にある瀬戸内海歴史民俗資料館から高松市の中心部に入り昼食。

その後、香川県立ミュージアムでの日本伝統工芸展を鑑賞。

3時間近くかけてゆっくり鑑賞し、外に出るとあれだけ激しく降っていた雨も上がり薄暮となっていました。

 

  高松市には香川県漆芸研究所があり、全国的にも石川県立輪島漆芸技術研修所と共に稀有な文化的貢献がなされていますが、その研究所の前を通り、丹下健三の設計という香川県庁の前を過ぎ、さらに大通りに出て西に折れると残念なことになっている中野天満宮を横に見て石清尾八幡宮(いわせおはちまんぐう)に到着。

石清尾八幡宮(いわせおはちまんぐう)は高松市の氏神で新年には初詣の参拝客で賑わうそうです。

旧社格は県社でした。

祭神は足仲彦命(仲哀天皇)、誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)。

立派な神社です。

本殿と上拝殿は1986年の火災で焼失しましたが1989年に復旧。

石清尾八幡宮(いわせおはちまんぐう)ホームページ。

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  随神門。

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  随神門から下拝殿。

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  下拝殿。

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  灯篭は歴代松平家藩主による寄進とか。

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  随神門を振り返って。

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  下拝殿。

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  上に上拝殿と本殿があります。

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  境内北側にある絵馬堂。

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  岩瀬尾八幡宮を後にして大雨に遭うという波乱に満ちた一日は終わりました。

  友人の車で再び丸亀まで送っていただき翌日は岐阜までユルユルと帰ります。

  途中久しぶりに明石城を訪れました。

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  撮影 2015/01/06

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2015年1月21日 (水)

新年旅行 2015年1月(10) - 高松、坂出付近の雨中旅行(3) 瀬戸内海歴史民俗資料館(2)

 

  五色台にある瀬戸内歴史民俗資料館の2回目。

こんなものが展示してあるというのが理解して頂ければけっこうです。

ただし何度も言いますがかなり充実した展示数なので、全部の写真を上げるわけにはいきません。

資料館は無料、写真OKですがアクセスは車以外無いのが玉に瑕。

 

  展示室の中央には数々の和船が展示されています。

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  円錐状の島が大槌島(おおづちじま)でこのあたりが良い漁場であった様子がよくわかります。

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  大漁着。

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  オオダコツボ。

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  ハセツボの説明。

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  突き漁具。

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  「おとり」も使われていたようです。

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  造船に関する展示。

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  ここは民俗資料。

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  香川県は降水量の少ない地域(瀬戸内全般に言えます)。

  そのため多くの溜め池があります。

  教科書で「まんのう池」は習いませんでしたか?

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  二階から和船。

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  雨乞いの龍。

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  造船作業を再現。

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  船材用には「弁甲材(べんこうざい)と言われる飫肥地方産(日向 現宮崎県)の杉がよく利用された旨が書かれています。

  青色で読みにくいところは「弁甲材」と書かれています。

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  機帆船に関する展示。

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  かなりランダムな写真の羅列で申し訳ありません。

  こんな感じの資料館ですよというのが分かって頂ければ幸いです。

 

  さて、資料館を出たのが午後1時頃。

  この後、高松市内に移動して昼食(ここも高松市内ですが)。

  そして高松城に隣接する香川県立ミュージアムを訪れました(写真は無し)。

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  撮影 2015/01/06

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2015年1月19日 (月)

新年旅行 2015年1月(9) - 高松、坂出付近の雨中旅行(2) 瀬戸内海歴史民俗資料館(1)と小槌島と大槌島

 

  車による雨中旅行は丸亀を出発し瀬戸大橋記念公園を経て坂出市の塩業資料館を訪れました。

その後、資料館を後にして県道16号線を海岸沿いに乃生岬(のおみさき) あたりに向かうも雨が激しく瀬戸大橋はまったく見ることができず、仕方なくそこから道なりに乃生岬から一旦海から離れ東に向かうと再び海沿いに出、ここを北上し大崎ノ鼻へ至りました。

山の峰が連なるこの辺り一帯は五色台と呼ばれ、瀬戸内海を眺望するには絶好の場所で、瀬戸内海国立公園の一部となっています。

 

  大崎ノ鼻あたりからも瀬戸大橋は雨で見ることはできませんでしたが、目の前に円錐形の島が二つ。

手前が小槌島(こづちじま)、わずかに雨に煙って見えるのが大槌島(おおづちじま)。

大槌島には岡山県と香川県の県境が中央を通っており、北側が岡山県玉野市、南側が香川県高松市です。

江戸時代の漁場争いの結果として備前国、讃岐国の境界線が大槌島に引かれたのが現在まで引き継がれました。

大槌島に関しては児島(現 倉敷市)あたりで語られている「樽流し伝説」なるものが存在するそうで、その内容は以下の引用の通りです。

【大槌島以西の島々の境界を決める際に、備前側の菅野彦九郎が大槌島から樽を流してその海流によって境を決めようと発案し、幕府の検分役立会いのもと樽を流したが、潮流が事前に行っていた実験時のそれとは大きく異なり、その時間の潮流を読んでいた讃岐側に有利な結果になったと言うものである。

現在これらの島々のほとんどが香川県であることに鑑みたもので、当時の備前側に有利な結果を出そうとした彦九郎の後悔と不覚をベースとして、主に讃岐側を悪知恵の利いた悪者として語られる。

ただし、これは備前側海域の狭さを嘆いた後世の児島・下津井側の創作であることが指摘されている。】(Wiki引用)

 

  大崎ノ鼻から手前が小槌島(こづちじま)、うっすらと向こうに見えるのが大槌島(おおづちじま)。

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  前日JR瀬戸大橋線の車窓から偶然写した写真に大槌島と小槌島が写り込んでいました。

  右が香川県、左が岡山県。

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  大崎ノ鼻から五色台を南北に縦貫する香川県道281号五色台線を南に登った場所に「瀬戸内海歴史民俗資料館」があります。

  入場は無料ですがアクセスは車以外無いというまことに不便な場所に建てられています。

  「瀬戸内海歴史民俗資料館」のホームページ。

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  私も各地の郷土民族資料館を多く見てきましたが、海に関してこれだけの収蔵品が揃っている資料館は珍しいです。

  和船の展示や漁労や信仰等の資料が大変充実した民族資料館でした。

  全部ではありませんが、まずはうまく撮れている和船の写真。

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  館内。

  中央に収集された和船が展示されています。

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  興味がある人も無い人もいらっしゃるとは思うのですが大変充実した資料館と私は感じました。

  しかし無料とは言えアクセスが悪いので、香川県には一考して頂きたいです。

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  撮影 2015/01/06

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2015年1月17日 (土)

新年旅行 2015年1月(8) - 高松、坂出付近の雨中旅行(1)丸亀港太助灯篭、瀬戸大橋記念公園、坂出市塩業資料館

 

  新年旅行3日目は四国香川県の丸亀市から始まりました。

この日は朝からあいにくの雨でしたが、高松在住の友人の案内を頂いて車による旅行であったため、インドアの博物館、資料館中心の旅行としてなんとかしのぐことができました。

 

  手始めに丸亀駅から歩いて5分ぐらいの距離にある丸亀港の太助灯籠を訪れました。

以前、岡山県の児島(現倉敷市)の塩田王である野崎家を訪れた際の記事で下津井電鉄の設立の理由、原因等について書いたことがあります。

江戸時代から本州、四国の間の金刀比羅参拝の最短ルートとして賑わったのが下津井~丸亀ルートでした。

しかし、明治中期から末期にかけて岡山~宇野~高松のルートが開通し倉敷~下津井~丸亀のルートから前者に人、モノの流れが変わり、これに丸亀、児島、下津井の豪商、豪農、廻船問屋等が流れを元に戻すべく新しい鉄道を敷設し対抗しようとしました。

これが後の下津井電鉄です。

しかし結果的には国鉄の宇高連絡船に人、モノの流れは奪われ下津井~丸亀ルートは元の賑わいを取りもどすことはできませんでした。

その江戸時代から明治時代の賑わいを彷彿とさせる遺構として残るのが太助灯篭です。

 

  太助灯篭と瀬山登の像。

  瀬山登は丸亀藩家臣で丸亀うちわを藩の産業として育成、丸亀港を整備し、金刀比羅参拝客に丸亀うちわを土産として販促して丸亀うちわの名を全国的に広めることに貢献しました。

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  金毘羅講灯篭。(全文)

丸亀は金毘羅参詣客の上陸地で、門前みなととして栄えてきた。
金毘羅講寄進のこの青銅灯篭は 、天保九年(1838年)の製作で、五・二八メートル、蓮    華をかたどり八角形である。
ここの船溜り(新堀湛甫)を築造するとき、当地の金毘羅宿の主人、栢屋団次らが発起で江戸に行き、江戸および近国で千人講を作り、
江戸本所相生町の富商塩原太助の奉納金八十両をはじめ、千三百五十七人が金でできた信仰と、航路標識をかねたもので、
江戸講中の代表八十両の最高額寄付者の名をとどめて、一名「太助灯篭」とも呼んでいる。
天保の昔、対岸に二基、福島湛甫に二基建てられたが、戦時中の金属回収で姿を消し、この一基だけが残っている。
金毘羅街道の「一の灯篭」である。
                 丸亀市教育委員会

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  太助灯篭付近から「みなと公園」。

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  「みなと公園」から。

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  丸亀から車で坂出市の瀬戸大橋記念公園へ。

  瀬戸大橋と瀬戸大橋タワー。

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  左のゾーンの海に面した白い部分が「香川県立東山魁夷せとうち美術館」。

  ここに入館。

  一般(大学生含む)300円。特別展は510円~610円。

  写真はありません。

 

  瀬戸大橋記念公園への公共交通のアクセスは坂出駅からのコミュニティバスがあります。

  坂出市営バス 時刻表、運賃表。

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  その後「坂出市塩業資料館」へ。

  大人200円、高校・大学生150円、小・中学生 無料、幼稚園以下 無料。

  塩業は瀬戸内での大きな産業でした。

  讃岐の塩づくりの歴史、道具展示を中心に塩づくりのいろいろな様や塩とくらしに関する展示が三つのゾーンに分けて展示されています。。

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  久米通賢(くめみちかた)。

  江戸時代の讃岐(現 香川県)の人。

  大坂で暦学・数学等を学び、1806年(文化3年)高松藩の測量方に採用され、讃岐国最古の実測地図を作成。

  のち塩田開発を藩に進言し採用され塩田開発に従事。「塩田の父」とも。

  また兵法、オランダ流砲術も学んだ。(以上Wiki等参照)。

  香川県の偉人の一人とされています。

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  塩田の絵図。

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  展示の一部。

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  撮影 2015/01/06

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2015年1月15日 (木)

新年旅行 2015年1月(7) - 坂出駅(さかいでえき 香川県坂出市)にて

 

  新年旅行二日目は倉敷の町並みを散策、のち夕方にかけて四国に渡りました。

岡山からの快速「マリンライナー」で四国の坂出駅で下車、乗り換え。

その際の駅撮りの写真です。

 

  坂出駅南側の駅前と讃岐富士の飯野山。

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  高松行き普通121系電車。

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  岡山発高松行き快速「マリンライナー」の坂出駅到着。

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  特急「いしづち20号」高松行き8600系特急電車。

  いきなり出くわしたユニークなデザインの新型特急。

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  観音寺(かんおんじ)行き快速「サンポート」121系電車。

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  同じく高松行き快速「サンポート」121系電車の到着。

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  撮影 2015/01/05

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2014年2月14日 (金)

現存天守12城(9) - 高知城(高知県高知市)

 

  現存天守12城のうち第9回目は高知城。

 

  高知を初めて訪れたのは1997年の8月下旬でした。

そして2回目は2000年の8月初旬で、この時は時間の都合で高知城へは行かず、竹林寺の五重塔を訪れたのみで帰った記憶があります。

で、今日の記事での写真は3回目に訪れた2006年の12月暮れの写真で、デジタルでの写真。

2006年の旅行では夜行列車を利用してまず松山に着き、その後すぐに南に向かい、内子、伊予大洲、宇和島を経て高知県にその日のうちに入り高知市で一泊。

あくる日朝一番で高知城を訪れ、さらに土佐くろしお鉄道で安芸まで出かけ、安芸城跡や安芸の町を散策、そして、その日のうちに高松へ向かいフェリーの深夜便で関西に帰るという、多少無理筋の旅程でした。

これ以後には高知は訪れておらず、そろそろ訪れてみたいなあと考えています。

 

  さて、関ヶ原の戦いによる長宗我部氏改易に伴い山内一豊が掛川から土佐一国24万2000石で浦戸城に入ると、新たに慶長6年(1601年)から高知城の築城を始め、慶長16年(1611年)2代目の忠義の時代に現在の縄張りが完成しました。

享保12年(1727年)の高知城下の大火では追手門以外の城のほとんどが焼失、現在に残る高知城の建築はこれ以降に再建されたものであるそうです。

したがって現存の天守は焼失以降の延享4年(1747年)に再建されたもの。

高知城の建造物では天守を含む15棟が重要文化財に指定されています。

 

  いつもの余湖くんのお城のページからの引用図。

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  追手門。重文指定。

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  城内にある板垣退助の像。

  我が岐阜市の岐阜公園にも板垣退助の像があります。

  かの有名な「板垣死すとも自由は死せず」の由来である板垣退助遭難事件(岐阜遭難事件ともいう)は岐阜市で遊説中に暴漢に襲われた事件。

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  奥に詰門。

  石段を上がり右手へ行くと二の丸。

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  その石段から東に天守閣。

  朝なのでどうしても逆光となります。

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  本丸内に入って懐徳館(本丸御殿)と天守。

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  天守から三の丸の石垣修復工事を望んで。

  この工事はすでに2010年に完成を見ています。

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  暮れの12月28日という事で、大掃除で忙しい中での拝観となりました。

  拝観料(懐徳館(本丸御殿)と天守)は今年(平成26年、2014年)3月31日までは18歳以上400円、

  4月1日以降は18歳以上420円となります。

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  御殿前の黒鉄門から外へ出て振り返ったところ。

  天守、懐徳館(本丸御殿)、黒鉄門、詰門いずれも重文指定。

  下の写真の塀も現存遺構の重文だそうです。

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  詰門前に戻り、追手門から出ました。

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  撮影 2006/12/28

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2014年2月12日 (水)

現存天守12城(8) - 宇和島城(愛媛県宇和島市)

 

  現存天守12城の第8回目は伊予(愛媛県)の宇和島城。

  宇和島市は愛媛県でも南予といわれる南に位置する都市で、10世紀に乱を起こした藤原純友の根拠地であった日振島(ひぶりしま)が宇和島港から西に約28Kmの宇和海にあります。

初めて宇和島を訪れた際に、市内の喫茶店のマスターに日振島が港から近いと言われて、その時初めて宇和島は畿内からはさすがに遠いと実感したものです。

 

  さて、宇和島城は文禄4年(1595年)に宇和郡7万石で入った藤堂高虎により大改修が加えられ(慶長元年(1596年))、慶長6年(1601年)に完成を見て宇和島城と名付けられ、高虎は今治へ移り宇和島城には城代が置かれました。

慶長13年(1608年)に伊勢津藩より移封されてきた富田信高が10万1900石(12万石とも)で藩主となりここに宇和島藩が成立しました。

その後、慶長18年(1613年)富田信高は改易、翌年の慶長19年(1614年)に伊達政宗の長男(庶子)である伊達秀宗が10万石で入り、以後9代、明治まで宇和島の地を治めました。

 

  いつもの余湖くんのお城のページからの引用図。

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  南から登り、急な階段状の道をとると、苔むした石垣の間を通ります。

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  撮影 1998/07/28

 

  二の丸から本丸への坂から見た天守閣。

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  意外に大きい天守閣。

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  天守から港の方向。

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  以上 撮影 2005/08/10

 

  宇和島駅、予讃線を西側に越えて北西にある和霊神社。

  主祭神は宇和島藩家老 山家公頼(やんべ きんより)。

  公頼は家老として善政を敷き領民に慕われるも、讒言により殺害されてしまいます(和霊騒動)。

  公頼を慕った領民は密かに公頼一族の霊を祀り、その後、公頼の無実が判明すると藩主秀宗は公頼を祀る神社を創建し山頼和霊神社としました(承応2年(1653年))。

  現在の場所に遷座されたのは享保20年(1735年)。

  例祭である和霊大祭では同時に「うわじま牛鬼まつり」が催されることで有名です。

  一時、私は全国の祭りに興味を抱いた時期があり、その時代に「うわじま牛鬼まつり」の事を知りました。

  その関係で和霊神社を思い出し訪れました。

  建築自体は空襲で焼失しており、現在の神社は昭和32年(1957年)の再建です。

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  以上 撮影 1998/07/28

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