2017年6月20日 (火)

弘南鉄道弘南線黒石駅と雁木(がんぎ)のある町並み 2012年9月 - 青森県黒石市

 

  黒石津軽家は明暦2年(1656年)に本藩より5000石(のち4000石となる)が分地されて交代寄合の旗本として分家したのが始まりです。

本藩の弘前藩が蝦夷地警護役を務めることで文化5年(1808年)に10万石(元々は4万6千石、そして7万石になる)に加増されると、この際に黒石津軽家に6千石の分地があり(文化6年(1809年))、黒石藩が1万石で立藩され諸侯に列せられました。

 

  黒石駅にて。

  弘前からの所要は約30分。

  1時間に1本から2本の運行。

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  黒石駅駅舎。

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  津軽では雁木(がんぎ)は小見世(こみせ)と呼ばれるそうです。

  ちょうど「黒石こみせまつり」が催されていました。

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  古い街並みが保存されています。

  こみせ通り。

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  国重要文化財高橋家。

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  黒石藩の陣屋跡(黒石城址)。

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  東急7000系を譲り受けたデハ7000系。

  黒石駅にて。

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  撮影 2012/09/09

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2017年6月18日 (日)

弘南鉄道弘南線 津軽尾上駅(つがるおのええき)にて2012年9月 - 青森県平川市

 

  弘前藩津軽家の支藩であった黒石藩の黒石へ向かう途中にある平川市の津軽尾上駅(つがるおのええき)。

その雰囲気の良さに押されて途中下車してしまいました。

名所である盛美園、猿賀神社(さるがじんじゃ、さるかじんじゃ)へは行きませんでしたが、今から思えば1時間ぐらい時間を割いても良かったかなあと後悔しています。

 

  まだ朝早く8時過ぎ。

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  島式のプラットホームが一つ。

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  歩いて10分と15分ならば訪れるべきだったかなあと。

  しかし盛美園は朝早くで入園できなかったかもしれません。

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  車両はいずれもデハ7000系。

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  途中、津軽富士と言われる岩木山が望めます。

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  撮影 2012/09/09

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2017年5月 4日 (木)

弘前駅に到着の特急「つがる2号」2012年9月 - 青森県弘前市

 

  2012年9月初めの旅より。

 

  1日目名古屋港から太平洋フェリーで出発し、あくる日の夕方仙台港へ。

仙台から最終の高速バス(18時台出発、23時台到着)でその日の内に弘前に入り一泊。

3日目は弘前市内を一日中観光し弘前にもう一泊。

あくる日は太宰治生家のある金木へ津軽鉄道で訪れ、さらに弘南鉄道で黒石を訪れました。

夕方、奥羽本線で秋田、さらに羽越本線で鶴岡までただひたすら普通列車に乗り続け(北海道&東日本パス使用)、鶴岡で一泊。

あくる日は余目から陸羽西線で新庄へ、さらに山形から米沢に向かい米坂線で坂町、新潟を経てここもひたすら乗り続けて富山で一泊。

最終日、富山を終日観光し、夕方高岡へ向かい、高岡と岐阜を結ぶ(現在は岐阜ではなく名古屋)高速バスで岐阜に帰ってきました。

 

  早朝、青森発秋田行き特急「つがる2号」弘前駅到着。

  当時の「つがる2号」は早朝6時過ぎに弘前駅発着でしたが、現在は9時台。

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  弘前と言えば弘前城。

  現存12天守のうちの一つ。

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  撮影2012/09/08

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2015年10月 2日 (金)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(20) - 帰途 白石城(宮城県白石市)に寄る(2)

 

 

  白石城は仙台藩の支城として片倉氏が居城としました。

松井氏の八代城などと共に一国一城令の例外として知られたお城です。

当日はあいにくの雨でしたが、大震災の後遺症の癒えた白石城を見たくて無理やりの途中下車で訪れました。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

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  三階櫓(天守)と鐘堂。

  実質上の天守です。

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  本丸内には御殿が建っていました。

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  本丸内の大部分を占める本丸御殿。

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  鐘堂。

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  鐘堂の前にある本丸井戸。

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  登り口の屋根が独特。

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  天守内のみ拝観料が要ります。

  一ノ門前に自動販売機があります。

  白石城のみは大人300円、小学・中学・高校生150円。

  白石城、立体ハイビジョンシアター (歴史探訪ミュージアム 3階)、武家屋敷共通券は大人600円、小学・中学・高校生300円。

  武家屋敷はお城から歩いて7分ほど。2003年には訪れましたが今回は省略。

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  平成7年の再建で(白石城HPより)、震災に際しては壁等が破損しました。

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  市役所と手前は歴史探訪ミュージアム。

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  歴史探訪ミュージアムと大手の一ノ門、二ノ門。

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  本丸。

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  天守と二ノ門。

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  大手一ノ門。

  これで白石を後にしました。

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  撮影 2015/08/31

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2015年9月30日 (水)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(19) - 帰途 白石城(宮城県白石市)に寄る(1)

 

  帰途の途中、白石城(宮城県白石市)に立ち寄りました。

白石城は仙台藩伊達氏の支城として片倉氏が居城し、明治まで一国一城の例外として存続しました。

三階櫓、門、塀など本丸の建築物は1995年に木造で再建されたものです。

 

  あいにくこの日は雨模様。

  白石駅前。

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  駅前通り。

  駅前通りを真っ直ぐ歩いて行くと10分足らずで突き当たります。

  そこから左手に行き市役所の脇を案内に従っていくとお城への登り口があります。

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  白石はうーめんが名物のよう。

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  白石観光案内板。

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  登り口。

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  白石城「二ノ丸大手二ノ門」跡。

  門は当信寺(とうしんじ)山門として現存しているようです。

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  外郭石垣の積み方が北側と南側では異なると書かれています。

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  三階櫓がいきなり目に飛び込んできました。

  白石城の三階櫓は事実上天守と言っても良いものです。

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  大手一ノ門と二ノ門。

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  一ノ門越しに二ノ門。

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  大手二ノ門。

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  本丸内から。

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  本丸内 三階櫓。

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  撮影 2015/08/31

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2015年9月29日 (火)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(18) - 木古内駅から蟹田駅、青森駅

 

  松前のバス停(松城バス停)を16時過ぎ発のバスで木古内駅に向かい、木古内駅着が17時30分頃。

木古内から蟹田までは「青春18きっぷ」、「北海道&東日本パス」の特急自由席が可の特例区間で、特急「スーパー白鳥38号」に乗車。

蟹田からは普通電車に乗り継ぎ青森に向かいました。

 

  木古内駅にて。

  函館~木古内間の普通列車。

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  蟹田駅にて。

  津軽線 三厩(みんまや)行きの18時59分発普通最終列車。

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  青森駅にて。

  弘前行き普通電車。

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  同じく青森駅にて。

  青い森鉄道八戸行き電車。

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  撮影 2015/08/30

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2015年9月16日 (水)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(10) - 津軽線、海峡線で北海道木古内へ

 

 

  旅行日二日目は津軽線、海峡線を経て北海道へ。長い間の念願であった松前城を訪れました。

青森発8時過ぎの普通電車で蟹田まで行き、蟹田から木古内までは特急「白鳥」を利用。

普通列車が設定されていないこの区間は「青春18きっぷ」、「北海道&東日本パス」を利用する場合、特例として特急券無しで特急列車自由席に乗車できます。

 

  木古内駅では1時間半のバス待ち。

さらに松前へは木古内駅前からバスで約1時間30分の所要。

松前への輸送は国鉄民営化の翌年1988年に廃止されるまで松前線が担っていましたが、現在は徒歩旅行者にとってなかなか行きにくい場所となってしまいました。

 

  もう一つ心配していたのは荷物を軽くするためのコインロッカーの有無。

木古内駅では見つけられず、また私が探した範囲内では松前でもコインロッカーが無く、重い荷物を背負ったままの観光には本当に閉口しました。

 

  青森駅にて。

  朝早く6時台の電車で弘前から青森へ。

  前日は青森で花火大会が開催され青森に宿をとれず。

 

  快速「リゾートあすなろ」が待機中。

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  東北での旅行ではもうすっかり馴染みの701系電車で津軽線蟹田へ。

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  北海道新幹線の高架が津軽線より内陸の左方向に見えます。

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  好天となりました。

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  右手に海を見ながら北上。

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  40分足らずで蟹田駅に到着。後続の特急を待ちます。

  津軽線は海峡線分岐点以遠は非電化区間。蟹田からはキハ40で運行されます。

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  そのキハ40。

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  折り返し青森行きとなる701系電車。

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  特急「白鳥」が到着。

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  1時間弱で木古内駅。

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  来春の北海道新幹線開業に向けて木古内駅は工事中。

  ここで1時間半のバス待ちとなりました。

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  撮影 2015/08/30

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2015年9月13日 (日)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(9) - 角館から秋田を経て弘前へ

 

  角館で訪れることができた観光スポットは全体の六割ほどだったかなあと考えながら、時刻表を確認。

本来ならば16時台の普通電車で大曲まで行き、さらに横手方面から来る秋田行きに乗り継ぐのが事前プランでした。

しかし翌日の弘前出発が早朝のため、なるべくならば弘前に早く着きたいという思いがあり、したがってどこかで特急を利用せざるを得ないと覚悟していました。

事前の想定では大館~弘前間で特急「つがる」を利用する予定でしたが、角館駅に入り改札の電光表示板を見ると秋田行きの「こまち」がすぐにやって来ることが分かりました。

一方、普通電車まではまだ1時間。

結局、これが決め手となり立ち席特急券(特別特急券 空いている席があれば座ることができる特急券)と乗車券を購入して秋田に向かうこととなりました。

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  やはり角館は春の桜なんだと思わせる跨線橋。

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  盛岡行き普通電車。

  田沢湖線大曲~盛岡間全線を走破する普通電車は一日3往復のみ。

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  角館の桜では枝垂桜(しだれざくら)が有名。

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  標準軌用の701系電車(新幹線と同じ線路幅)。

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  秋田行き「こまち19号」の到着。

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  途中の田園風景。

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  秋田駅にて。

  青森行き普通に乗り換え。弘前までは約2時間半の電車旅。

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  天気は好転しました。

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  鶴形駅。陽が傾いていきます。

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  糠沢駅。

  鷹ノ巣駅から一つ青森寄り。

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  大館駅ではすっかり陽が落ちました。

  弘前には19時06分に到着。

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  撮影 2015/08/29

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2015年9月12日 (土)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(8) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(6)天寧寺の芦名家墓所

 

  石黒家屋敷から武家屋敷通りの北端まで行くと角館城跡(古城山)が見えます。

 

  戦国時代に角館を治めていたのは角館城を居城とした戸沢氏です。

戸沢氏は西の安東氏や南の小野寺氏と争いながら盛安の時に最盛期を築き、秀吉の小田原征伐にはいち早く参陣。

この後、盛安は小田原の陣で没するも光盛が跡を継ぎ無事角館の本領安堵を得て豊臣大名として存続。

関ヶ原の戦いの際には東軍に参加するも消極的な態度に終始し、戦後戸沢氏は減封の上常陸松岡藩へ転封。(ちなみに、のち山形の最上氏改易に伴い新庄藩(山形県新庄市)6万石で入封、維新まで11代、新庄藩主として存続しました)。

そして戸沢氏を含む転封、改易の諸将の代わりに常陸から佐竹義宣が久保田藩(秋田)に入り角館へは所預(ところあずかり)として弟の芦名盛重(義勝と改名 義広→盛重→義勝)を配しました。

義勝は現在ある角館の町並みの整備に着手し、一方、角館城は元和元年(1615年)の一国一城令に伴い元和6年(1620年)に廃城としました。

角館散策マップ PDFファイル。

 

  古城山。

  芦名義勝は慶長7年(1602年)に1万6千石で角館城に入り、従前の城山北側の城下町を現在の南側に新しく整備しました。

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  旧石黒(恵)家。

  昭和10年に建設の住居。

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  武家屋敷通りの東側、花場山の山麓の道路を南へ歩きます。

  山麓の近くにある大村美術館。

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  途中から東西方向となる山麓の道路を歩いて行くと北側に天寧寺(てんねいじ)があります。

  もともとは会津若松の天寧寺が本寺で、山号、寺号を譲り受けてこの地に創建し芦名氏の菩提寺としました。

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  本堂。

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  本堂向かって左横の墓地へ石段をあがってさらに右上に芦名家墓地があります。

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  殉死した盛俊の下男(草履取り (姓名不詳))の墓。

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  芦名家墓碑

 

  義勝(最後の会津芦名氏当主芦名義広、豊臣大名としての常陸江戸崎城主芦名盛重、初代角館芦名氏)。

  盛俊(義勝の子、第2代角館芦名氏)。

  盛泰(義勝の子、盛俊の兄、義勝の兄である初代久保田藩主佐竹義宣の養子となるも夭逝)。

  千鶴丸(せんつるまる 盛俊の子、第3代角館芦名氏、享年4歳)。

 

  千鶴丸の早世で芦名氏は断絶。

  岩橋又右ェ門、宮崎主殿之助は盛俊の死に際して殉死した家臣。

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  花が供えられているのが義勝の墓碑。

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  これで角館を離れます。

 

  最後に芦名義勝について。

芦名氏は戦国時代には会津の黒川城(現会津若松 福島県)を本拠とした中世以来の名族で芦名盛氏の代に最盛期を迎えるも世継ぎが次々と亡くなり佐竹義重の次男である義広(義勝)を養子として迎えます。

しかし芦名家中がまとまらないまま伊達政宗と摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい 天正17年(1589年))を迎えこれに大敗。

義広(義勝)は黒川城を捨て常陸の父の元に落ち延びます(会津芦名氏の滅亡)。

その後、豊臣大名として常陸の龍ヶ崎に4万石、次いで江戸崎に4万5,000石を与えられ復活(盛重と名乗った時代)。

しかし関ヶ原の戦いでは兄の佐竹義宣と共に西軍につき義宣は秋田に転封(久保田藩)、義広(義勝)は改易となり兄に随従し秋田へ赴き家臣として角館1万6千石を与えられます。

これが角館芦名氏となります。

 

 所預(ところあずかり)について。

 

  久保田藩では一国一城令の例外として本城の久保田城以外にも大館城、横手城が持ち城として認められ、それぞれ城代として大館城には佐竹西家、横手城には戸村氏が入りました。

また角館(城)には所預(ところあずかり)として芦名氏、のち佐竹北家、

湯沢(城)には所預として佐竹南家、

檜山(城)には所預として多賀谷氏、

十二所(城)には所預として茂木氏、

院内(城)には所預として大山氏が入り、

これらの城代、所預が藩内の地方支配を行い治めました。

所預とは城代とともに藩内領主のような地位にあったものと言えるでしょう。

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  撮影 2015/08/29

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2015年9月10日 (木)

夏の終わりに角館、松前を訪れる 2015年(7) - 武家屋敷通りの角館(かくのだて)を散策(5)石黒家

 

  さて、青柳家と並び角館武家屋敷通りのもう一つの見どころは石黒家。

屋敷の古さでは角館随一で現在も子孫が暮らす武家屋敷として知られています。

また子孫が暮らしながらも屋敷の内部を母屋などの一部を除き公開されているのも魅力的。

拝観料は大人(高校生含む)300円、小中学生150円。

石黒家は佐竹北家が角館の所預(ところあずかり)として入部して以後に召し抱えられた家系で、主に財政を担当し石高も150石と高禄であったそうです(ちなみに家老の小野崎家200石に次ぐ高禄(Wiki参照))。

展示もコンパクトにまとまっていて大変興味深く拝見しました。

自由見学の前に母屋の中心部の見どころを係りの人(家人?)に解説して頂けます。

もう一つ石黒家に関して付け加えますと、最後の角館町長及び初代仙北市市長を務めたのが現当主の石黒家第12代当主だそうです。

 

  入口の薬医門。

  「文化6年(1809年)4月27日の墨書銘との矢板がある」そうです。

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  茅葺の母屋。

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  解説を拝聴しながら撮影。

  石黒家ではすべてが写真撮影可です。

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  昔は板敷であったという部屋。

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  透かし彫りの欄間。

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  石黒家の庭。

  敷地の北西隅には樹齢300年のモミの大木があります。

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  明治・大正期に増築された蔵。

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  こういう展示を撮影できるのは嬉しい。

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  角館出身の小田野直武関連の資料も多い。

  小田野直武は「秋田蘭画」で知られ、「解体新書」の挿し絵を手がけました。

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  角館の武家屋敷群の古絵図。

  現在位置から見ると上が北になります。

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  通りから見た石黒家の樹齢300年のモミの大木。

  この後、芦名氏の墓地がある天寧寺に向かいました。

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  撮影 2015/08/29

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