2020年2月15日 (土)

薄暮の岐阜城 北から - 岐阜県岐阜市

 

  金華山(旧稲葉山)の頂上にある岐阜城は岐阜市近郊の多くの場所から望むことができます。

そのうちの北からの岐阜城。

金華山の北側は山が多く、天守から主に展望できる平地は西から南、東。

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  難攻不落の城のように見えるも歴史上5回(Wiki説)も落城しています。

  最後に落城したのは慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの前哨戦で、当時の城主は織田信長の嫡孫である織田秀信でした。

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  撮影 2016/02/04

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2020年2月 9日 (日)

地元民も登る岐阜城 - 岐阜県岐阜市

 

  現在の岐阜城は完全に観光城ですが、天守の存在はあまりよくわかっていないのが実情。

最近、天守の石垣が発見されたとのニュースがありましたが、一般的に余り知られていないのは、江戸時代には岐阜城は関ヶ原の戦い後に廃城となっていたことです。

当然、天守などは無く、現在のように山上に天守が聳え立ったのは昭和31年(1956年)になってから。

したがって、現在では殆んどの岐阜市民は高齢者でない限り、生まれたときには金華山上に岐阜城があったという事になります。

 

  織田信長居館跡の入り口にある模擬冠木門。

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  現在は誰でもロープウェイで山頂に行くことができます。

  三重塔は大正天皇御大典を記念して1916年5月に建立されたもの。登録有形文化財。

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  現在も続く発掘調査。

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  ロープウェイで約4分、山上へ。

  ロープウェイ料金 通常料金 大人(12歳・中学生以上) 往復1,100円 片道630円     小人 (4歳~11歳) 往復550円 片道300円(2020年2月現在)。

  山上駅から尾根を少し歩かねばなりません。

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  眼下に見える長良橋。

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  南東方向の展望。

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  撮影 2017/01/05

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2020年2月 2日 (日)

雪の岐阜城と岐阜駅 - 岐阜県岐阜市

 

  暖冬で岐阜市では全く雪が降りません。その雪の降った2012年の2月の様子。

岐阜シティ・タワー43の最上階から撮りました。

 

 

  雪の岐阜城は何度もあげましたが、これは2012年のもの。

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  岐阜シティ・タワー43の最上階からJR岐阜駅。

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  名古屋に向かう特急「しらさぎ」。

  単線の高山線線路が東に延びています。

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  名鉄岐阜駅を出たところ。

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  低い丘が鷺山城跡。

  斎藤道三の隠居城跡で、弘治2年(1556年)道三は子の義龍に攻め滅ぼされます。

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  撮影 2012/02/02

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2020年1月16日 (木)

岐阜市 本町三丁目バス停あたりからの岐阜城 - 岐阜県岐阜市

 

  所用で通りかかった本町あたりの長良橋通り。

JR岐阜駅、名鉄岐阜駅前から一貫して北に延びる長良橋通りはここで直角に東へ曲がります。

曲がった途端、目の前が一挙に広がり、この岐阜城を頂いた金華山(稲葉山)が見えます。

 

 本町三丁目の交差点より。

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  金華山(旧名 稲葉山)は標高329m。

  登山道は幾つもありますが、金華山ロープウェイを利用することもできます。

 

  現在の岐阜城天守は昭和31年(1956年)の建築によるもの。

 

  このあたり一帯は斎藤氏、織田信長などの時代には城下町として栄えましたが、慶長6年(1601年)に岐阜城は廃城。

  江戸時代には尾張藩領の商業町である岐阜町として栄えました。

  「人口は18世紀中頃で5300人」(「江戸時代の「岐阜町」のようす」「ふるさと岐阜の歴史をさぐる」No.4より引用)であったそうです。

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  撮影 2020/01/15

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2020年1月11日 (土)

雪の福知山城 - 京都府福知山市

 

  2015年の新年に福知山を経て姫路で一泊し、倉敷を観光した旅行。

ちょうど丹波地方は雪が積もり、しかし天候は晴れという絶好の旅行日和でした。

過去にお城通りからの福知山城の写真をアップしたことがありますが、今回は他の写真。

 

  西から見える福知山城の大天守と小天守。

  現在の縄張りは明智光秀の築城によるもの。

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  法川に架かる太鼓橋。

 

  私が福知山城を初めて訪れたのは1996年の9月9日。

  青春18きっぷを2枚残した9日に友人から福知山城の話を聞き、大阪からはるばる訪れました。

  当日は少し雨模様でこの太鼓橋の下で雨宿りをした思い出があります。

 

  ちなみに青春18きっぷの5枚目は翌10日に石山寺、近江八幡の長命寺を訪れ、無事使い切りました。

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  福知山市佐藤太清記念美術館(福知山市立美術館)。

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  登城道から見える太鼓橋。

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  現在の天守閣は昭和61年(1986年)に竣工した外観復元天守。

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  撮影 2015/01/04

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2020年1月 9日 (木)

名鉄 各務原線田神駅あたり - 岐阜県岐阜市



  2013年1月27日の雪景色の名鉄各務原線。

田神駅から犬山方面に出かけた際の田神駅、それに高田橋駅から見える雪景色の岐阜城です。

 

  田神駅は名鉄岐阜駅の次の駅。

  田神駅に到着の5000系普通犬山行き。

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  各務原線(かかみがはらせん)高田橋駅のホームから見える岐阜城と高山線特急「ワイドビューひだ」キハ85系。

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  撮影 2013/01/27

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2019年12月29日 (日)

2006年年末 高知城にて - 高知県高知市

 

  年末の慌ただしい中でも暇と気力があれば旅行はします。

そんな中、10数年前の年末に高知を訪れた際の高知城。

この年の年末旅行では高知城と共に安芸も訪れ、土佐くろしお鉄道にも乗車しました。

 

  高知城天守と御殿。

  天守は延享4年(1747年)の再建で重要文化財(御殿も)。

  年末の大掃除の忙しさの中で拝観しました。

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  追手門と天守。

  追手門も重文。江戸時代からの現存遺構。

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  高知駅にて、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線で安芸に向かいました。

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  撮影 2006/12/28




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2019年10月24日 (木)

思い出の盛岡 1991年9月 - 岩手県盛岡市

 

  本格的に旅行を始めたのは父から貰ったコンパクトカメラが切っ掛けでした。

中学生ぐらいにすでにこれも父から貰ったカメラで岐阜市近郊をミニ旅行をしながら写していた時期もありましたが、高校生になると全くカメラから遠ざかってしまい、この切っ掛けが無ければ写真に再び関わる事も無かったかも知れません。

初めての撮影旅行は親戚が東北に住んでいたことから、そこを起点にして東北旅行をすることにしました。

当時は均一周遊券なるものがあり、指定区域内は特急、急行(新幹線は除く)が乗り放題という切符で、これを最大限に利用しました。

 

  親戚の家を拠点に2回に分けて主な観光地を巡りました。

一回目は平泉、盛岡、青森を、二回目は弘前城、津軽鉄道の金木などを観光しました。

 

  初めての盛岡駅。

  盛岡以北はまだ在来線の時代。

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  ちょうど盛岡秋祭りの時期でした。

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  盛岡市内で一泊。

  あくる日、朝一番に盛岡城を訪ねました。

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  現在では記憶が薄く、石垣の配置などは覚えていません。

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  いつもの余湖くんのお城のページからの引用図。

 

  盛岡城は南部(盛岡)藩南部氏の居城。

  南部(盛岡)藩南部氏は盛岡城を拠点に15代に渡り岩手県中部から青森県東部にかけての地域を治めました。

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  盛岡城以外には銀行の洋館を見学しました。

  当時は観光情報は観光雑誌か旅行本から得るしかなく、現在と比べると大変な苦労でした。

  岩手銀行旧本店本館。

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  旧第九十銀行本店本館。

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  現在は盛岡市の所有となっています。

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  当時は空中の電線で景観が台無しでしたが、現在はスッキリとしているようです。

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  撮影 1991/09/15,16

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2019年9月15日 (日)

たつの市旧市街を散策(9)龍野城(2)模擬櫓、家老門、本竜野駅に戻る - 兵庫県たつの市

 

  龍野城は5万石の大名の居城としては大変質素な城郭ですが、脇坂安政が入封した時期はもう17世紀の後半で堅固なお城は必要なかったという事情があります。

家祖の脇坂安治は「賤ヶ岳の七本槍」の一人として武名を誇りましたが、三代目の安政は幕府の有力者である堀田家からの養子。

その事情もあり脇坂家は願い譜代として処遇され、幕府後期には老中を務め、正式に譜代扱いとなりました。

 

  いつもの余湖くんのお城のページからの引用図。

  安政が龍野に入封された際に城郭の再建が許されましたが、この際山頂部は放棄しました。

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  西門から城外に出ます。

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  西門は四脚門。

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  下の道路に下ります。

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  龍野城のシンボルとなっている模擬櫓。

  桜の木に包まれています。

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  塀に沿って南に下ると左さきが小学校。

  その反対側に家老門が現存しています。

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  家老門から東に戻ると元の埋門(うずみもん)の前に。

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  龍野橋を経て、暑い中、本竜野駅に戻ってきました。

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  昔の跨線橋の柱。

 

  姫路駅に戻ります。

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  撮影 2019/09/05

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2019年9月14日 (土)

たつの市旧市街を散策(8)龍野城(1) - 兵庫県たつの市



  江戸時代初頭、播磨一国は池田氏の所領でしたが元和3年(1617年)池田利隆が没すると嗣子が幼少であったため転封となり、播磨国は分割され、龍野には本多政朝が5万石で封ぜられ、ここに龍野藩が成立します。

その後、小笠原家1代、幕府領、岡部家1代、再び幕府領、京極家1代、三度幕府領と推移し、寛文12年(1672年)脇坂安政が5万3千石で入封、以後、脇坂家が10代続き明治に至ります。

龍野城は京極氏が移封された際に一度は破却されましたが、安政は龍野城の再建を認められます。

したがって現在に残る龍野城は安政によるものです。

 

  いつもの余湖くんのお城のページからの引用図。

  山頂部分は放棄され、山麓部分に質素な城郭が築かれました。

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  現在の龍野城の入り口に当たる再建された埋門(うずみもん)。

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  門前から左手に車が城内に入ることができる上り坂。

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  埋門前から振り返って。

  右手の塀の中は簡易裁判所と検察庁。

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  埋門前から右手に坂を登ると「たつの市立龍野歴史文化資料館」があります。

  入館料は一般 200円、小~大学生100円。

  三館共通券(龍野歴史文化資料館・霞城館・うすくち龍野醤油資料館)一般 300円、高校・大学生 220円、小学・中学生 140円。

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  埋門、内側から。

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  昭和54年(1979年)に再建された本丸御殿。

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  同じく本丸御殿。

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  奥に進むと四脚門の西門があります。

  ここから城外に出ます。

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  撮影 2019/09/05

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