2018年7月18日 (水)

駿府城跡 巽櫓と東御門 - 静岡県静岡市葵区

 

  静岡鉄道新清水駅から新静岡駅に至り、そこから西北に歩くと駿府城跡があります。

現存遺構は石垣とお堀のみですが、巽櫓、東御門、坤櫓が復元されています。

駿府城は家康が晩年を過ごした城として知られています。

 

  新静岡駅の西には外堀の遺構があります。

  大きな建物は静岡県庁。

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  内堀沿いを東に戻り巽櫓が見えてきました。

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  巽櫓と東御門。

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  東御門の高麗門。

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  東御門櫓門。

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  巽櫓に西日が当たるのを見ながら静岡駅に戻りました。

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  増結する浜松行き313系普通電車と特急「ふじかわ」373系。

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  撮影 2011/09/10

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2018年6月19日 (火)

久留米城からJR久留米駅へ - 福岡県久留米市

 

   毛利秀包(ひでかね)が久留米城に13万石で封ぜられ城を改修したのが織豊期のこと。

しかし、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に加担したため、戦後に改易となり、代わりに田中吉政が築後国一国32万5千石で柳川城に入り、久留米城は支城としての地位にとどまりました。

その後、田中家は子の忠政に嗣子なく廃絶。

築後国は分割され、柳川には立花宗茂が、久留米には有馬豊氏が封ぜられ、ここに久留米藩が成立します。

久留米藩の石高は 21万石で、この有馬氏の時代に久留米城は大規模に拡張されました。

 

  有馬氏と言えば島原半島のキリシタン大名である有馬氏が有名ですが、久留米の有馬氏は摂津有馬氏とも言われ、現在の兵庫県の有馬(有馬温泉で有名)を拠点とした氏族です。

ちなみに島原半島を拠点とした肥前有馬氏も近世大名として存続し、最後は越前国(福井県)の丸岡藩主として明治を迎えます。

 

  現在残っているのは本丸のみで、南側から中に入ります。

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  南面左側の石垣。

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  久留米城の図。

  中央に篠山神社が鎮座しています。

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  篠山神社の祭神は初代藩主有馬豊氏(とようじ)公、七代藩主有馬頼徸(よりゆき)公、十代藩主有馬頼永(よりとう)公、十一代藩主有馬頼咸(よりしげ)公、十四代当主有馬頼寧(よりやす)公の五柱。

  第十四代当主有馬頼寧(よりやす)公は中央競馬会理事長も務め、ファン投票で出走馬を選出する方式の「中山グランプリ(なかやまグランプリ)」を創設し(昭和31年(1956年))、公の死後に改称され有馬記念となりました。

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  篠山神社の創建は明治10年(1877年)。

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  毛利秀包(ひでかね)を祀った小早川神社。

  毛利秀包は小早川家の養子となったため小早川神社と呼ばれます。

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  西側に下りる石段。

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  本丸内にある有馬記念館。

  展示室(2階)とレストラン(1階)があります。

  展示室の入場料 一般200円、小学生・中学生100円、小学生未満は無料(2018年6月現在)。

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  筑後川の河川敷。

  高架の新幹線と鹿児島本線。

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  再び南側へ。

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  帰りはバスでJRの久留米駅へ向かいました。

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  JR久留米駅は新幹線駅。

  鳥栖行き普通817系電車。

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  撮影 2011/08/03

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2018年6月13日 (水)

甘木鉄道甘木駅から城下町秋月 - 福岡県朝倉市秋月

 

  秋月藩は福岡藩の支藩で、黒田長政の三男である長興が5万石を分地され元和9年(1623年)に立藩したもの。

以後12代にわたり秋月黒田家が藩主家として明治まで続きました。

秋月へは甘鉄甘木駅、もしくは西鉄甘木駅からのバスを利用して博物館前で下車。

所要は20分ほどです。

甘木観光バス秋月線路線図・時刻表。(朝倉市のホームページにあります)

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  甘木観光バスで博物館前までは約20分の所要。

  運賃は大人360円です(2018年6月現在)。

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  博物館前の一つ手前の秋月バス停で下車。

  歩いてみました。

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  博物館前バス停(当時は郷土館前)近くの野鳥橋から杉の馬場を奥に進みます。

  杉の馬場は桜の名所。

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  右側に秋月美術館。

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  左側に旧秋月郷土館。

  現在は隣に秋月博物館が開館しています(平成29年(2017年))。

  それに伴いバス停も郷土館前から博物館前に変更されました。

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  櫓台の石垣。

  秋月城は陣屋仕立てでしたが、二重櫓、平櫓が5基あったそうです。

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  左側が城(陣屋)で堀が直線に掘られています。

  橋状の石垣は瓦坂といいます。

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  現在、お城跡は秋月中学校の敷地となっています。

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  長屋門。

  嘉永3年(1850)の建築。

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  杉の馬場の一番奥左手上にある黒門。

  移築された秋月城の大手門。

  かっては瓦坂の上にあったそうです。

  現在は垂裕(すいよう)神社の参道にあります。

  垂裕神社の主祭神は秋月藩祖の黒田長興。

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  眼鏡橋にも寄ってみました。

  他にも秋月の古い町並みは一見に値します。

  秋月のマップ。朝倉市のホームページにあります。

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  眼鏡橋バス停から甘木駅に戻りました。

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  撮影 2011/08/03

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2018年5月28日 (月)

桑名駅 (JR・近鉄・養老鉄道) と桑名町歩き - 三重県桑名市

 

  三重県桑名市の桑名駅はJR、近鉄、養老鉄道が発着する主要駅です。

1番線から8番線まで連番であり、5番線が欠番となっています。

JRが1番線から3番線まで、4番線が養老鉄道養老線、6番線から8番線が近鉄。

 

  桑名市は桑名藩の桑名城を中心とした城下町であり、かつ東海道五十三次の42番目の宿場町として発展しました。

名古屋の宮宿と桑名宿の間は七里の渡しで海上を船でつなぎました。

旧桑名城は本丸、二の丸が九華公園として整備されていますが、城跡の遺構としてはかなり改変されてしまっています。

最も築城時の面影を残しているのは外堀の石垣でしょうか。

七里の渡しの近くには蟠龍櫓が外観復元されています。

 

  養老鉄道養老線。

  区間運転の石津行き。

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  近鉄特急ビスタカー、名古屋行き。

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  関ヶ原の戦いの後、桑名藩初代藩主として10万石で入封したのは徳川四天王の一人本多忠勝。

  桑名藩の藩主家は本多家が2代、松平(久松)家が5代、松平(奥平)家が7代、そして再び松平(久松)家が戻り5代で明治の廃藩置県に至ります。

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  旧桑名城跡の九華公園。

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  平成15年(2003年)に外観復元された蟠龍櫓。

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  七里の渡跡(しちりのわたしあと)。

  「大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され」た。

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  外堀の桑名城石垣。

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  二代目諸戸清六の邸宅として大正2年(1913年)に完成した六華苑(ろっかえん)。

  諸戸家は地元の名望家。

  入苑料 一般[高校生以上] 310円。中学生 100円。

  旧諸戸清六邸は重要文化財、庭園は国の名勝に指定されています。

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  JR桑名駅はすべての特急、快速が停車します。

  快速「みえ」キハ75形。

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  撮影 2010/07/10

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2018年5月24日 (木)

JR播州赤穂駅と赤穂城 - 兵庫県赤穂市

 

  赤穂と言えば、江戸時代の「元禄赤穂事件」(「忠臣蔵」が一般には馴染みがある)を思い起こします。

浅野氏が赤穂藩藩主として入封したのは正保2年(1645年)の事。

浅野氏は長政の時、秀吉と最も近い姻戚として重用され、秀吉の死後は家康に接近しました。

そして、その子の幸長は関ヶ原の戦いでの功により紀伊和歌山37万6千石を与えられ初代和歌山藩藩主となります。

慶長18年(1613年)に幸長が死去すると、次弟の長晟(ながあきら)が継ぎ、安芸に移封され42万石で広島藩藩主となります。

 

  これが浅野宗家で、浅野長政の隠居領であった常陸真壁5万石を継いだのが三男の長重。

そして、その子の浅野長直が赤穂に入ったのが前述の正保2年(1645年)でした。

現在まで残る赤穂城の縄張りはこの長直の時代のもの。

そして元禄14年(1701年)に殿中で刃傷沙汰(にんじょうざた)を起こしたのが長直の孫の長矩(ながのり)で、長矩は切腹、赤穂浅野家は断絶しました。

その後、赤穂藩は永野家1代、森家12代で明治に至ります。

 

  播州赤穂駅。

  2面3線のホーム。

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  播州赤穂駅。

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  三の丸大手門と隅櫓。

  昭和30年(1955年)の再建。

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  大石邸長屋門。

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  三の丸にある大石神社。

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  創建は明治33年(1900年)。

  主祭神は大石内蔵助良雄以下四十七士命、萱野三平、浅野家三代、森家七将。

 

  森家七将とは森可成、森可隆、森長可、森成利(蘭丸として知られる)、森長隆、森長氏、森忠政。

  可成は信長に仕えた有力武将で、可隆以下忠政までは可成の子の六人兄弟。

  六男の忠政以外は父の可成を含め何れも戦死しましたが、末弟の忠政は関ヶ原の戦いで東軍につき、美作一国津山藩18万6500石の太守として残りました。

  その子孫が2万石で赤穂藩藩主となり明治まで存続したものです。

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  本丸にある天守台。

  天守閣は造営されませんでした。

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  播州赤穂駅にて。

  姫路行き普通223系と到着したばかりの115系電車。

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  撮影 2010/08/21

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2018年5月16日 (水)

忠節橋からの岐阜城 - 岐阜県岐阜市

 

  難攻不落の岐阜城と書きたいのですが、実際には占拠、開城などを含めて六度も落城しているようです。

 

  最初は永禄7年(1564年)竹中半兵衛、安藤守就が謀って占拠した事件。

半年間ほど占拠して、城主の斎藤龍興に返還しました。

 

  二度めは織田信長による攻撃で落城した永禄10年(1567年)の戦い。
これにより岐阜城は織田信長の本拠となりました。

 

  三度目は天正9年(1582年)の本能寺の変で城主の織田信忠が討ち死にしたため斎藤利堯が占拠しました。
落城の範疇に入れるかどうかは微妙ですが広義の意味で落城と言えるのかもしれません。

 

  四度目は天正9年(1582年)、清洲会議の後、秀吉が岐阜城を囲み、城主の織田信孝から信忠の嫡子三法師(のちの秀信)や信孝の母親と子供を奪っていった事件。

 

  五度目は天正10年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでの岐阜城攻防戦。
城主織田信孝は開城し、知多半島の野間で切腹。

 

  六度目は慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍に与した城主織田秀信(信長の嫡孫)が激しく抵抗するも落城。
秀信は降伏し高野山に送られました。

         (出典参考 岐阜城は、6回落城している)

 

  忠節橋からの岐阜城。

  関ヶ原の戦い後に岐阜城は廃城となり、江戸時代に天守などは存在しませんでした。

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  明治43年(1910年)に早くも復興天守が築造されましたが、この天守は昭和18年(1943年)に失火により焼失。

  現在の天守は昭和31年(1956年)に鉄筋コンクリートで復興されたもの。

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  忠節橋。南から。

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  再興されてからでもすでに60年以上。

  すっかり風景に馴染んでしまっています。

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  撮影 2011/03/23

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2018年5月10日 (木)

新緑の犬山城と犬山橋 - 愛知県犬山市

 

  新緑の季節というよりは梅雨の一歩手前の季節。

木曽川がかなり増水している様子が見て取れます。

犬山橋はかっては道路・鉄道併用橋として鉄道ファンにはつとにお馴染みの場所でした。

しかし、2000年に新たにツインブリッジとして道路専用橋が併設されると旧犬山橋は鉄道専用橋に改良。かっての勇姿は見る事ができなくなりました。

 

  道路専用橋越しに見える国宝犬山城。

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  新鵜沼駅に向かう特急新鵜沼行き。

  木曽川の北岸である岐阜県各務原市(かかみがはらし)側から。

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  木曽川畔から見える犬山城は城の後ろ姿と横側。

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  増水している木曽川と犬山城。

  鵜飼は岐阜市が有名ですが、犬山でも鵜飼いが行われています。

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  撮影 2011/05/31

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2018年5月 9日 (水)

福井駅と福井城、養浩館庭園(ようこうかんていえん)など - 福井県福井市

 

  福井市は戦国時代の柴田勝家が築いた北ノ庄城の城下町に源を発し、江戸時代には越前松平家を藩主とする福井藩の藩庁である福井城を中心に発達した城下町です。

現在の人口は26万人ほど。

 

  福井駅にて。

  敦賀から乗車してきた521系電車は折り返し敦賀行きとなりました。

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  柴田勝家が築城した北ノ庄城跡の石垣がある柴田神社あたり。

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  隣にある北の庄城址資料館から見下ろして。

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  福井城跡の方に向かいます。

  現役の銀行が入っている洋館。

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  中央公園のつつじ。

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  福井城御廊下橋。

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  天守台。

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  天守台から御廊下橋。

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  さらに北に歩いて行くと養浩館庭園(ようこうかんていえん)があります。

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  養浩館庭園(ようこうかんていえん)は旧福井藩主松平家の別邸でした。

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  舎人門にも寄って見ました。

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  撮影 2011/05/14

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2018年4月 8日 (日)

出石(いずし)城の桜(4) 辰鼓楼(しんころう) 2018年4月 - 兵庫県豊岡市出石町

 

 

  西の登城橋、登城門から二の丸、本丸へと入り、帰りは稲荷神社参道を下り、東の有子橋から外に出て、旧三の丸の公園のお店前のベンチで休息を取りながら、町並み散策に向かいました。

三の丸の旧大手門跡には明治になってから建設された時を告げる辰鼓楼(しんころう)があります。

辰鼓楼は出石のシンボル的存在となっています。

辰鼓楼の付近には出石皿そばのお店を中心に多くの店が並んでおり、昼食に私も皿そばを頂きました。

私の入ったお店は最初の五皿(一人前)で900円でした。追加注文は一皿150円。

お店によって異なるようです。

 

  三の丸の内側から見た辰鼓楼。

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  三の丸にある旧出石町役場玄関車寄せ。

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  大手前通りの辰鼓楼を内側から。

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  同じく正面から。

  辰鼓楼は明治4年(1871年)に建設されました。

  当初は太鼓で時刻を知らせていましたが、明治14年(1881年)からは時計台となりました。

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  辰鼓楼下のお堀跡。

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  ここからお店が並びます。

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  大手前通りを北に歩いて振り返ったところ。

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  有子山(ありこやま)城跡の様子。

  頂上に石垣が見え、その上に東屋(あずまや)の屋根が見えます。

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  撮影 2018/04/03

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2018年4月 7日 (土)

出石(いずし)城の桜(3) 本丸と稲荷丸(稲荷郭) 2018年4月 - 兵庫県豊岡市出石町

 

  出石城は一国一城令により但馬国で唯一の城郭でした。

宝永3年(1706年)に信濃国上田藩より仙石政明が入りますが、その祖は秀吉の家臣で後に家康に仕えた戦国大名の仙石秀久。

また仙石政明の出石移封に伴い、「仙石氏が信州からそば職人を連れてきたのが特産の出石皿そばのはじまりとされています」。

 

  いつもの余湖くんのお城のページからの引用図。

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  本丸のさらに上には有子山稲荷神社のある稲荷郭(稲荷丸)があります。

  その石垣。

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  本丸東隅櫓、内側から。

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  本丸の仙石秀久を祀った感応殿。

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  本丸から稲荷神社参道をさらに登り稲荷郭へ。

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  出石城を築城することにより廃城となった有子山城への登り口。

  標高は300m以上あります。

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  稲荷郭にある有子山稲荷神社の本殿。

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  同じく稲荷郭にある恵方稲荷大明神。

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  本殿。

  拝殿は下にあります。

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  稲荷郭から本丸と出石の町並み。

  江戸時代を通じて天守閣は存在しませんでした。

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  本丸の西隅櫓と感応殿。

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  稲荷神社参道を下ります。

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  二の丸下にある稲荷神社の拝殿。

  拝殿と本殿が上下に離れてあります。

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  谷山川に架かる有子橋。

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  撮影 2018/04/03

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