2018年1月15日 (月)

2018年新年旅行 臼杵、佐賀、唐津 (6) - 臼杵市 二王座歴史の道から龍原寺三重塔へ

 

  休憩所となっている旧真光寺の前の切り通しの道はその西で二手に別れ、これを右へ歩いて行きます。

道は下りになり二王座歴史の道の西端に至ります。

ここからさらに道なりに歩いて龍原寺の三重塔に向かいます。

 

  旧真光寺のある切り通しの道を振り返って。

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  方向的には西になる右手へ。

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  左手の建物は直良信夫(なおら のぶお)顕彰記念館。

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  明石原人を発見した直良信夫氏生誕の地。 

  そういえば昔、学校で明石原人や三ケ日原人などを習ったことを思い出しました。

  ただ現在の研究では昔とはかなり異なった見解となっているようです。

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  切り通しの坂道を下ります。

  甚吉坂と言います。

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  坂の途中にある金毘羅水という井戸。

  二王座歴史の道の西端最後の見所です。

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  小さな辻から昭和風レトロな町並みに出ました。

  これを道なりに歩いて行きます。

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  そして理髪店の横から大通り(県道33号線)に出ました。

  正面には大橋寺。

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  大通りは途中から国道502号線となり臼杵石仏に通じています。

  龍原寺前の平清水(ひらそうず)バス停から臼杵石仏へは10分ほど。車も同じぐらい。

  臼杵石仏へのバスについては、前々回あたりの記事で本数が少ないと書きましたが、現在では1時間に1本ぐらいの運行が確保されています。

  また大分からもバスが出ています。

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  撮影 2018/01/05

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2018年1月14日 (日)

2018年新年旅行 臼杵、佐賀、唐津 (5) - 臼杵市 二王座歴史の道

 

  臼杵城の古橋口を出ると広場や道路で広々とした雰囲気になります。

この古橋口の南の交差点を西に歩いてすぐ、左手に入って行く路地があります。

突き当りには武家屋敷の重厚な門があり、ここから左、右と道を取ると二王座歴史の道に入って行きます。

二王座には上級武家屋敷と寺院が集まっており、切り通しの道など、その景観の趣きは情緒があり、臼杵の町の見どころの一つとなっています。

 

  臼杵城の散策は本来はこちらから登るのが本筋。

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  商店街に向かう道から左へ入ります。

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  突き当りに旧後藤家長屋門。

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  長屋門を振り返って。

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  一度左に、さらに右に道を取ると二王座歴史の道。

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  茶房長屋門。

  旧稲葉家長屋門が左手にあるのでこれを利用しているのでしょうか?

  中には庭園、ギャラリーなどがあるそうです。

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  寺院が集まる区域に。

  仁王山善正寺。

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  一般住宅も存在しているようですが景観に配慮された造りになっています。

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  旧真光寺の前から。

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  旧真光寺を上から。

  現在は休憩所として提供されています。

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  切り通しの道を奥に見える建物から右に曲がります。

  これを道なりに行くと三重塔のある龍原寺に至ります。

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  撮影 2018/01/05

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2018年1月 6日 (土)

雪の出石(いずし)城と辰鼓楼 - 兵庫県豊岡市出石町

 

  2016年に訪れた城下町出石(いずし)。

雪が激しく降る中、豊岡駅からバスで30分。雪にまみれながら城下町を巡りました。

バス運賃は豊岡駅~出石間 大人580円。

 

  全但バス出石のバスターミナル。

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  本丸西隅櫓。

  出石藩は最初小出氏、松平家1代を挟んで18世紀初頭から仙石氏が統治しました。

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  出石のシンボル辰鼓楼。

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  出石は「出石皿そば」が有名。

  城下には多くのお店があります。

  信濃上田藩から転封してきた仙石氏が蕎麦職人を連れてきたことにより始まったと言われています。

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  撮影 2016/01/22

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2017年11月 9日 (木)

JR東海道本線 垂井駅と中山道垂井宿 - 岐阜県不破郡垂井町

 

  垂井宿(たるいじゅく)は中山道57番目の宿場。

また美濃路の起点で、美濃路は垂井宿から大垣宿、墨俣宿を経て尾張に入り、清須宿や名古屋宿から東海道宮宿に至る脇往還です。

 

  垂井駅北口。

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  駅西の道路から。

  豊橋行き新快速313系。

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  手前は垂井から米原方面に向かう311系普通電車。

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  垂井の古い町並みの商家。

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  垂井宿お休み処旧旅籠長浜屋。

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  垂井宿内にある南宮大社石鳥居。

  寛永19年(1642年)の作で重要文化財。

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  金山彦命(かなやまひこのみこと)は南宮大社の主祭神です。

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  横道の町並み。

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  相川橋を北に渡ります。

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  相川橋北詰から東に行くと中山道と美濃路の追分(おいわけ)があります。

  左の道路が中山道。右への道路が美濃路。

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  石で作られた垂井追分道標。

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  美濃路の松並木。

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  垂井駅は橋上駅舎。

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  2面3線の垂井駅。

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  帰りは陽も傾いてきた頃になりました。

  大垣行き普通の到着。

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  撮影 2010/11/17

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2017年9月 5日 (火)

長良川鉄道 美濃市駅(岐阜県美濃市)にて - 旧名鉄美濃駅と「うだつ」の上がる町並み

 

  美濃太田を始終着駅とする長良川鉄道越美南線は刃物で有名な関市、和紙でその名を知られた美濃市から北上し郡上八幡を経て北濃駅に至ります。

実は岐阜市からだと郡上八幡、美濃市、関市へはバスの方が便利です。

郡上八幡へは高速バスが一日に11本運行されています。

郡上八幡への高速バスは予約が必要でなく、運賃は降車時に支払う仕組みです。

 

  美濃太田駅にて。

  ナガラ300形305号列車で出発。

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  車内。

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  30分ほどの所要で美濃市駅に到着。

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  美濃太田方面に向かう車両はナガラ300形306号でした。

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  美濃市駅前。

  基本的に何もありません。

  岐阜との路線バスの停留所がありますが、岐阜との路線バスは基本的に2時間に1本の運行頻度です。

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  旧名鉄美濃町線 美濃駅駅舎。

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  かって運行されていた車両が静態保存されています。

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  美濃市は「うだつの上がる町並み」で有名。

  また美濃和紙も有名。

  美濃市はもともとは金森長近が関ヶ原の戦いの功で当地を得、小倉山城を築城し、その城下町として整備されました。

  後に美濃市一帯は尾張藩領となり、上有知湊(こうずちみなと)を物資の集散地として、和紙を中心とした商業町として発展しました。

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  「うだつ」と屋根神様。

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  美濃という呼称を使用するようになったのは明治44年(1911年)の美濃町から。

  それまでは上有知(こうずち)と呼ばれていました。

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  上有知湊(こうずちみなと)のシンボルの川湊灯台。

  長良川を下ると岐阜に至ります。

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  撮影 2013/02/25

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2017年8月17日 (木)

山口県柳井市と防府市を観光(11) - 旧山陽道を佐波神社から毛利邸へ

 

  周防国分寺から旧山陽道をさらに東へ行くと、周防国衙跡西北隅という場所に出ました。

これをさらに東に向かうと佐波神社(さばじんじゃ)の前に出ます。

国分寺からは500mほど。

佐波神社は明治40年(1907年)に金切神社、浜宮神社、八幡宮、日吉神社が合併してできた神社で祭神は天照大神を含めて十四神。

 

  周防国衙跡(すおうこくがあと)西北隅とあります。

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  佐波神社(さばじんじゃ)。周防国(すおうのくに)総社。

  社殿は石段の上にあります。

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  鳥居の横。

  大村能章(おおむらのうしょう)顕彰碑があります。

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  大村能章(おおむらのうしょう)は昭和期の作曲家(1962年(昭和37年)没)。

  「野崎小唄」、「麦と兵隊」、「戦友の唄(同期の桜)」などの作曲で有名。

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  佐波神社社殿。

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  佐波神社拝殿と境内社。

  佐波神社の旧社格は県社でした。

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 佐波神社前の旧山陽道。

  このあたりでは少し高台を通っています。

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  やがて毛利氏庭園の前に。

  駐車場とトイレがあります。

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  坂を登っていくとこの表門へ。

  ここからさらに登っていきます(自転車が入って良かったかは判りません)。

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  手前の駐車場に自転車を置き毛利本邸の前に。

 

  完全に暑さにやられて毛利庭園入口横のベンチで大休止。

  横に自動販売機があり、冷たい水やお茶で生き返りました。

  この日は月曜日で毛利邸横の喫茶店が休みだったのは計算外でした。

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  毛利本邸玄関と券売所。

  拝観料は庭園・博物館共通券 大人1,000円、中学生以下500円。

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  撮影 2017/07/31

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2017年8月12日 (土)

山口県柳井市と防府市を観光(8) - 防府市 種田山頭火生家跡から定念寺、宮市本陣兄部家を経て防府天満宮へ

 

  新山口(旧小郡)で一泊し、あくる朝、防府へ出発しました。

防府は新山口から電車で15分ほど。

レンタサイクルを借りることのできる観光案内所が開くのは9時、したがって9時頃の電車でゆっくりと出発しました。

レンタサイクルは電動アシスト自転車が4時間で300円、普通自転車が4時間200円で4時間を超えると追加料金が発生します。

私は当然のように電動アシスト自転車を借りました。

坂道での威力は抜群ですが、実際、毛利邸付近ではその威力を如何なく発揮しました。

 

  奈良時代以降、防府には周防国(すおうのくに)の国府が置かれ、その遺構としての国衙跡や国分寺は見どころです。

また、近世は萩藩が参勤交代で使用した港が防府市南部の三田尻にあり、御船手組の根拠地としてその遺構や茶屋などが残っています。

明治になると毛利宗家の邸宅が防府に計画され、大正元年(1912年)に着工、大正5年(1916年)に完成しました。

邸宅と庭園は現在、毛利博物館、毛利庭園として公開されています。

 

  新山口発8時59分徳山行きで出発。

  防府には9時14分着。

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  まず最初に訪れたのが俳人の種田山頭火の生家跡。

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  生家跡の少し北に山頭火が通学に利用したという小径があります。

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  中には入らず。

  さらに北に向かいます。

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  北に向かうと東西の道路に出ます。

  これを東に行きます。

  道路沿いにある定念寺。

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  そこに萩往還のモニュメントがあります。

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  萩往還はここからさらに東に通じ、防府天満宮の前で南に折れ三田尻へ向かいます。

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  定念寺から少し行くと右手に宮市本陣兄部家(こうべけ)があります。

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  残念ながら平成23年(2011年)に火事で焼失してしまい、更地と化しています。

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  門と築地塀がポツンと。

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  平成5年(1993年)の記述。

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  さらに東へ。

  じりじりと照り付ける日差しで腕がヒリヒリしてきました。

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  防府天満宮の前に出ました。

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  撮影 2017/07/31

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2017年8月10日 (木)

山口県柳井市と防府市を観光(6) - 柳井市 「むろやの園」商家博物館

 

  「むろやの園」はその屋号である「室屋」から来ています。

 

  柳井市のホームページによれば、

「室屋」の小田家は初代善四郎が元禄元年(1688)新庄村庄屋小田家から柳井津 金屋へ分家独立。

当初は反物、打綿、菅笠などの商売を営み、二代目善四郎の時、大阪との間で油の取引も始め、三代善四郎の時には50石~125石積船を50艘ばかりに増し、商取引は最盛期を迎えました。

四代目六左衛門の頃には油商としての性格が次第に強まっていきます(これが18世紀後半から19世紀の初め)。

 

  また小田家は岩国の吉川家に(柳井は岩国吉川領だった)献金などで度重なる貢献をし士分に取り立てられました。

(むろやの園に甲冑が残っていたり、中間部屋があったりするのはその名残りとも言えます。)

現在、(1)小田家代々の使用してきた生活用具1553点、(2)文書1011点、(3)町家、主家ほか10棟のすべてが県指定有形民俗文化財となっています。

主家(主屋)は享保年間(1730頃)の建築で県下でも最も古い町家に属する、そうです。

柳井市のホームページより。

 

  入口は交差点の南東側にあります。

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  「むろやの園」の南北の長さは119m。

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  入口を入って振り返った所。

  拝観料は大人450円、中高生350円、小学生300円。

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  「むろやの園」見取り図。

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  庭に出る前に振り返った所。

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  中間部屋があるのは小田家は士分ということで家来が必要だったとのこと。

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  庭と蔵。

  左側と奥は住居部分。

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  左側の住居部分。

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  本蔵。

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  本蔵の中。

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  奥に向かって右側の勘定蔵。

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  吉川家から拝領の甲冑。

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  次が米蔵。

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  米蔵の中。

  とにかく夥しく品々が残っています。

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  振り返って正面に本蔵。

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  主屋(主家)に戻って。

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  主屋二階部分。

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  外へ出て主屋の部屋。

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  大規模に家屋、生活用品などが残っていた「むろやの園」。

  「むろやの園」を出た頃には完全に暑さにやられていました。

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  暑い中、駅に戻ってきました。

  その暑さ故に、残りの防府市まで回る気力は失せました。

  防府はあくる日に回ることにしましたが、

  当のこの日はまだ日も高く、宿に入るには早いので、徳山駅で途中下車して喫茶店を探すことにしました。

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  撮影 2017/07/30

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2017年8月 8日 (火)

山口県柳井市と防府市を観光(5) - 柳井市 しらかべ学遊館、柳井市町並み資料館と松島詩子記念館、湘江庵の柳と井戸

 

  白壁の町並みの「ほぼ」西端(まだ西がある)にある「しらかべ学遊館」を訪れて後、駅前通りとの交差点に戻り、交差点の東側にある洋館の「柳井市町並み資料館」、大規模に商家建築が残っている「むろやの園」を最後に訪れました。

 

  「しらかべ学遊館」には柳井の歴史・民俗・伝統文化関連の展示があります。

  拝観は無料です。

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  「しらかべ学遊館」の内部。

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  東に戻り、駅前通りとの交差点に出ます。

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  交差点の北には洋館の「柳井市町並み資料館」があります。

  明治40年(1907年)に建築された旧周防銀行本店。

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  交差点を東に渡り、振り返った所。

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  商家博物館の「むろやの園」が南東角から南北に大規模に残っています。

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  まず「柳井市町並み資料館」に入ります。

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  柳井市に2年間居住した作家の国木田独歩の像が入口にあります。

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  中は冷房が効いていたので、しばらく滞在。

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  商家博物館の「むろやの園」がいかに大きいかが判ります。

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  二階は柳井市出身の歌手、故松島詩子の記念館として衣装やゆかりの品々が展示されています。

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  「むろやの園」を拝観する前に少し東にある「柳井」地名発祥の地の言い伝えのある湘江庵を訪れました。

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  湘江庵は曹洞宗の寺院。

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  柳と井戸。

 

  戻って最後に「むろやの園」を拝観します。

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  撮影 2017/07/30

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2017年8月 6日 (日)

山口県柳井市と防府市を観光(4) - 柳井市白壁の町並み(2)重文国森家住宅

 

  日本の各地には町並みを観光資源として提供している都市がたくさんあります。

そんな町並みに一つ、二つ重文級、国宝級の文化財が存在すると、これを核として魅力的な観光地を形成することができ、柳井においては国森家住宅がその役割を担っています。

 

  国森家住宅は18世紀の建築と見られており、貴重な近世の商家造りで、昭和49年(1974年)に重文に指定されました。

詳しくは国森家住宅((柳井市の文化財)で。

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  国森の表札があり、現在もお住まいのようです。

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  入口を入ると土間になっています。

 

  係りの方(家人の方か?)に家屋の説明をして頂けます。

  拝観料は大人200円、中学生以下100円。

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  先客があり、一人で二階まで上がってみました。

  下はお店。

  前に番頭さんが座り、後ろに主人が座っていたそうです。

  国森家は最初は反物商、後に手絞りともし油の製造、さらに、びんつけ油の製造販売を業としたそうです。

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  奥。

  二階への階段があります。

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  階段には戸があり、二階へ通じていることが分からないように工夫されていたそうです。

  もう一つ階段がありますが、これは後世のもので、本来はこの階段しかありませんでした。

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  二階。

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  屋根裏の梁(はり)。

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  正面の建具が「ぶちょう」。

  「「ぶちょう」は、三枚の板戸からなり、上の一枚は日中は内側に跳ねて吊り上げておき、下の二枚は柱に彫った溝に沿ってはずして全開するが、夜間は全部を閉める、機能的で開放的な商家の建具である。」

  実際にどう全開にするかを見せて頂きました。

  真ん中が全開になっています。

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  撮影 2017/07/30

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