2015年12月16日 (水)

奈良を散策 般若寺と東大寺 2015年10月末日(3) - コスモス寺の般若寺(はんにゃじ)(3)

 

  般若寺の境内には般若寺と所縁(ゆかり)のある人物の供養塔や文化財が点在しています。

けっして広い境内では無いのですが、そんな供養塔などをさがしながらコスモスの間を歩いていると、つい時間が過ぎるのも忘れてしまいます。

 

  十三重石塔。建長5年(1253年)頃の建立。

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  中興上人良恵大徳供養塔。

  般若寺は平重衡の南都焼き討ちにより焼失。

  それを鎌倉時代の13世紀半ばに再興しました。

  復興を発願したのが良恵(慧)上人。(般若寺ホームページ参照)

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  大塔宮(だいとうのみや / おおとうのみや)護良親王(もりよししんのう / もりながしんのう)の供養塔。

  後醍醐天皇の皇子で後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕運動である元弘の乱に参戦し笠置城落城後一時般若寺に潜伏しました。

  そういう所縁(ゆかり)のある人物です。

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  平重衡は平清盛の五男。

  治承四年(1180年)「以仁王(もちひとおう)の乱」を平定した後大軍を率いて南都に向かい、般若寺で興福寺衆徒と戦い般若寺以下東大寺、興福寺など南都の大伽藍を焼き尽くしました。

   後日、「一ノ谷」で平氏は源氏に敗れ平重衡は囚われの身となり鎌倉に送られます。

  しかし、平重衡を恨んでいた南都の大衆は身柄を引き取り、木津川の河原で処刑し、その首を持ち帰り般若寺の門前に曝したという。(説明板より抜粋)

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  十三重石塔と後ろに経蔵。

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  本堂。

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  楼門。

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  藤原頼長は「保元の乱」(保元元年(1156年))の謀首とされ、合戦の最中流矢が首に刺さり、興福寺まで逃れたが落命。

  般若寺の近く「般若山のほとり」の葬られる。(説明板から抜粋)

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  笠塔婆。重文。

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  般若寺宝蔵堂での「白鳳阿弥陀仏寺宝特別公開」を拝観。

  別途200円。

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  般若寺宝蔵堂。

  入口前の銅鑼(どら)を控えめに鳴らすと中から引き戸を開けて頂けます。

  阿弥陀如来、胎内仏三尊(ともに重文)などが拝観できます。

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  かなり傷んでいる鎮守社。

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  撮影 2015/10/31

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2015年12月14日 (月)

奈良を散策 般若寺と東大寺 2015年10月末日(2) - コスモス寺の般若寺(はんにゃじ)(2)

 

  時期的にコスモスの盛りを逸したかもしれないと危惧しつつ般若寺を訪れましたが、幸いにも境内にはコスモスが咲き乱れていました。

それに好天にも恵まれました。

 

  開創は飛鳥時代、般若寺と命名されたのが奈良時代と古い歴史を持つ般若寺ですが、治承4年(1180年)の平重衡による南都焼き討ちにより焼失し廃寺同然に。

その後の鎌倉時代の再興後も戦国時代に再び焼失、明治には廃仏毀釈に直面するなど様々な苦難に直面しながら現在に至っています。(般若寺ホームページ参照)

般若寺はコスモス寺として知られていますが、四季を通じて花が咲き乱れるお寺でもあります。

般若寺ホームページ。

 

  本堂。

  寛文7年(1667年)の建立。本尊は文殊菩薩。

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  十三重石宝塔は建長5年(1253年)頃の建立で重要文化財。

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  経蔵は鎌倉再興期の建立で重要文化財。

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  本堂を拝観。

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  本堂から境内。

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  本堂前の石灯籠。

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  本堂の左側にある鐘楼。

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  撮影 2015/10/31

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2015年12月12日 (土)

奈良を散策 般若寺と東大寺 2015年10月末日(1) - コスモス寺の般若寺(はんにゃじ)(1)

 

  般若寺はコスモス寺として知られています。

見頃は9月から11月初めと聞いて、やや危惧しつつ訪れましたが、これは杞憂に終わりました(訪れたのは10月末日)。

コスモスにも様々な種類があるようで、私が訪れたときには大きな花をつけるコスモスを中心に見頃となっていました。

般若寺はいわゆる奈良坂を登り切った場所に位置し、バスでJR奈良駅(西口)からは10分ほど、近鉄奈良駅からは7分ほどの般若寺バス停で下車します。

般若寺は地図の上端。

 

  近鉄奈良駅バス乗り場は近鉄のビルとは反対側。

  「青山住宅」行き、もしくは「洲見台八丁目」行きに乗車。

  運賃はJR奈良駅、近鉄奈良駅から共に大人210円。

  前者が1時間に4本、後者が1時間に2本あります(昼間帯)。

  ただし、近鉄奈良駅バス停では両停留所が少し離れているので注意が必要です。

  ちなみにJR奈良駅バス停は西口にあります。

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  般若寺バス停からの途中、般若寺の十三重石塔が塀越しに見えます。

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  般若寺は真言律宗の寺院。

  国宝 般若寺楼門。

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  門前の道が「京街道」。

  帰りはこの道を東大寺方面に歩きました。

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  拝観料は大人500円、中高生200円、小学生100円。

  入ると十三重石宝塔が目の前に。

  コスモスが咲き乱れています。

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  楼門を内側から。

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  コスモスの間を中に入ります。振り返って。

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  十三重石宝塔は建長5年(1253年)頃の建築で重要文化財。

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  十三重石塔の旧相輪が脇に。

  よく見ると現在のものは新しい。

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  本堂。

  江戸時代の寛文7年(1667年)の建立。

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  撮影 2015/10/31

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2014年5月22日 (木)

奈良 西ノ京(奈良市)を散策(6) - 唐招提寺(2)御影堂あたり

 

  さて、唐招提寺の金堂、講堂は拝観という観点からは当寺の目玉となる部分ですが、他には鑑真(がんじん)和上にまつわる場所として御影堂、御廟、戒壇等があります。

今回はそのうち御影堂あたり。

御影堂と鑑真和上像(国宝)の公開は毎年八月六日の開山忌舎利会前後の三日間のみなので、今回はその御影堂の周囲の様子のみです。

 

  金堂横から講堂。

  この講堂横を奥へ入って行きます。

  金堂、講堂内部は撮影禁止ですので、どうしても建築物の写真のみとなるのは仕方ありません。

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  開山堂の築地塀とつつじの間を北に行きます。

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  その手前にある芭蕉句碑と説明版。

  「若葉して 御目の雫 拭ばや(わかばして おんめのしずく ぬぐはばや)」。

  鑑真は渡日の際に失明したといわれています。

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  そこから振り返って。

  南が礼堂(らいどう)、手前が東室の建物。

  通路が途中にありそこで南北に分かれています。

  この右に鼓楼があります。

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  開山堂の横を奥に進みます。

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  振り返って開山堂。

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  門を中に入ります。

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  正面に中興堂。

  平成11年(1999年)建築とまだ新しい。

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  右手に御影堂。

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  瓊花(けいか)。

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  瓊花(けいか)。

  由来は下の案内板で。

  中興堂の裏手の庭に咲いていました。

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  中興堂から門を外へ。

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  開山堂前から鑑真和上御廟へ向かう途中に御影堂への入り口があります。

  この日は入れません。

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  撮影 2014/05/04

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2013年3月18日 (月)

山家(やまが)城址(谷氏13代の山家藩)を訪れる(3) - 京都府綾部市

 

  綾部市山家(やまが)の谷氏13代の山家藩の山家陣屋を訪れ、現存する土塁や空堀を見て歩いて模擬陣屋門の前にある観梅苑でしばし紅白の梅を観賞しながら休憩しました。

すぐ上が山家古城ともいうべき甲ヶ峰城跡で、さすがに登ることはしませんでしたが、階段の上には式内社である伊也神社が鎮座しており、そこまで登ってみました。

  帰りはもと来た道を吊り橋の「上原(かんばら)橋」のある国道27号線まで戻り、肥後橋から山家交差点を経て山家大橋経由で山家駅に帰りました。

その後、園部、京都、米原と乗り継いで岐阜へは暗くなってからの到着となりました。

 

  山家陣屋模擬陣屋門。

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  陣屋のある場所自体が高台にあります。

  下に山家の里が望めます。

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  陣屋跡地にある谷霊神社。

  藩祖の谷衛友(もりとも)が祀られています。

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  陣屋門から左が観梅苑と里に下りていく道路。

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  模擬陣屋門と山城である山家古城の甲ヶ峰城跡。

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  伊也神社まで登ってみることにしました。

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  伊也神社。

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  途中の右手に登城道があります。

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  矢印で方向を示しています。

  道がハッキリとしていないのでこの標識は有意だと思われます。

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  観梅苑全景。

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  もと来た道を下ります。

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  上原(かんばら)橋に戻って来ました。

  帰りは国道27号線を右手に山家交差点方向から山家駅へ。

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  上林川、肥後橋上から。

  上林川(かんばやしがわ)が由良川に注ぐ場所には国道27号線の肥後橋が架かっています。

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  肥後橋と山家古城。

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  肥後橋から由良川に架かる吊り橋の上原(かんばら)橋。

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  山家交差点。

  向こうが歩いてきた27号線の肥後橋方向。

  左手には写ってはいませんが府道1号線がここから分岐しています。

  宇治茶の創始者である上林(かんばやし)家出身地の上林城跡は現在も城山と呼ばれています。

  江戸時代には旗本藤懸氏が4千石で上林の地を治め、陣屋は上林城跡の城山に置いていました。

  右手が山家橋から山家駅。

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  山家橋を向こう側へ。

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  山家橋から上原(かんばら)橋。

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  上原橋と山家古城の甲ヶ峰城跡。

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  山家駅に帰って来ました。

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  山家駅にて。

  天橋立発京都行き特急「はしだて6号」183系。

  この日で183系はラストランだったんですね。後姿で残念。

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  山家駅にて園部行き普通223系2両編成が到着。

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  園部駅にて。

  接続の京都行きは8両編成の221系。余裕で座ることができました。

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  撮影 2013/03/15

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2013年3月16日 (土)

山家(やまが)城址(谷氏13代の山家藩)を訪れる(1) - 京都府綾部市

 

  現在は綾部市に属する山家藩谷氏1万石の山家城址を訪れました。

現在の綾部市は旧丹波国何鹿郡(いかるがぐん)の大部分を占め、江戸時代の綾部藩(九鬼家2万石)、旗本藤懸家上林(かんばやし)領(4千余石)、そしてこの日訪れた山家藩(谷家1万石)から成っています。

 

  山家藩祖の谷 衛友(たに もりとも)の父である谷 衛好(たに もりよし)は美濃の斎藤道三、龍興に仕え、美濃斎藤氏滅亡後は織田信長に仕えました。

その後、信長に中国方面の司令官である羽柴秀吉の与力を命ぜられ、その三木城攻めの際、子の衛友(もりとも)とともに三木城に対する付城を守っているところを別所勢に攻撃され父の谷衛好(たに もりよし)は討ち死に。

ここに家督は衛友(もりとも)が継ぎます。

 

  本能寺での信長の死後(1582年)、さらに明智光秀の死後の1582年に衛友(もりとも)は山家に1万6千石で封ぜられます。

その後は豊臣秀吉に従い賤ヶ岳の戦い(天正11年1583年)、小牧・長久手の戦い(天正12年1584年)、小田原征伐(天正18年1590年)、朝鮮出兵等主要な戦いに参加しました。

 

  そして、秀吉亡き後の1600年の関が原の戦いでは西軍に属して福知山城主小野木重勝、上林(かんばやし)の藤懸永勝、丹波亀山城主前田茂勝(前田玄以の子)ら丹波、但馬を中心とした諸大名の1万5千の兵とともに谷 衛友(もりとも)は細川 幽斎 / 細川 藤孝(ほそかわ ゆうさい / ほそかわ ふじたか)が籠城する丹後田辺城(現在の西舞鶴 田辺城の守備兵は細川忠興が本体を率いて家康軍に参加していて500ぐらいだった)を攻撃。

しかし、藤懸は細川とは旧知で、谷も細川は歌道の師匠で戦う意思を見せず逆に徳川家の本多正純と通じていたといわれています。

田辺城の戦いは、朝廷が歌道の奥義を託された古今伝授の継承者である細川幽斎の討ち死にを恐れて斡旋に乗り出し、細川幽斎は勅命ということで開城して、戦いは局地的には西軍の勝利となりました。

この戦いは大津城の京極高次の籠城戦と同じく本戦から兵力を割かせたという意味で、1万5千の兵力を田辺城に釘付けにさせ、開城は関が原の本戦の二日前でした。

戦後(田辺城の戦い)、谷衛友(もりとも)は小野木(福知山城主)を攻撃して東軍に内応し、関が原の戦いのあと、細川や本多正純の仲介で谷衛友(もりとも)は本領を安堵され、ここに谷家山家藩(山家藩)1万6千石が成立します。

こうして谷氏は13代、明治維新まで山家藩を治めました。

 

  ちなみに上林(かんばやし)の藤懸氏も後には(子の永重から)旗本(4000石余)として上林領を安堵された形で(関が原の戦い時は1万3千石を領していた)明治まで上林領を治めます。

山家藩主2代目の衛政(もりまさ)の代に弟三人(梅迫谷氏1500石、上杉谷氏2500石、十倉谷氏2000石)に6000石が分知され、それぞれは旗本に列し、以後、本家の山家藩(やまがはん)は1万石の大名として明治に到ります。

 

  前日に所用があり、福知山で一泊して午前中に福知山発園部行き普通223系で山家駅に到着。

  山家駅では1分停車のようで、写真を撮る事ができました。

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  駅前にあった「やまが散策マップ」。

  後ろに道路が見えますが左へ行くと山家橋、右へ行くと吊り橋の上原(かんばら)橋。

  山家城址へは吊り橋の上原橋の方へ行きます。

  山家橋の先には国道27号線との山家交差点から上林(かんばやし)から福井県小浜市に向かう府道1号線が分かれ、その付近に東山の古い町並や東山公園があります。

  帰りは山家交差点から山家橋を渡って山家駅に帰りましたが、東山は訪れませんでした。

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  簡素な山家駅(やまがえき)駅舎。

  無人であることはもちろん自動発券機もありません。

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  吊り橋の手前まで来ました。

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  上原(かんばら)橋。下は由良川です。

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  由良川に合流する上林川(かんばやしがわ)には国道27号線の肥後橋が架かっています。

  細川忠興が田辺から豊前に移封され、山家領内を通過する際に橋を上林川に架け、後に細川家は肥後の大名となったことから、この橋を地元の人が肥後橋と呼ぶようになったそうです。

  もちろん、現在のこの橋ではなく昔の名前を残したという事なのでしょう。

  細川家は洪水等での肥後橋の被害に対しては谷家を資金的に援助をしたということです。

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  由良川は丹波国の大河で丹波高地に源を発して南丹市から綾部市、福知山市を経て宮津市と舞鶴市の境界をなして若狭湾に注ぎます。

  下の写真は下流方向を。小さく山家大橋が見えます。

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  国道27号線の北側に来ました。

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  吊り橋の前に階段があります。

  徒歩旅行者にとっての山家城址への近道です。

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  上原(かんばら)橋を上から。

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  坂道を振り返ったところ。

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  坂道途中には石垣が残っています。

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  やがて、道路に。

  車の人は東側から迂回してここに登ってきます。

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  山家城址公園にある観梅苑の梅と山家陣屋の模擬陣屋門。

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  観梅苑の梅。

  東屋(あずまや)形式の休憩所が中央にあります。

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  模擬陣屋門の右手に伊也神社への上り口があります。

  この上の山が山家(やまが)城(甲ヶ峯城)跡で、関ヶ原の戦いの後に本領安堵を得て、山城を廃して山麓に陣屋を設けました。

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  山家藩模擬陣屋門。

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  撮影 2013/03/15

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2013年3月10日 (日)

法隆寺と斑鳩の里を散策(3) - 藤ノ木古墳から「西里のまちなみ」を歩いて法隆寺西大門へ

 

  斑鳩の里の散策は吉田寺(きちでんじ)を手始めに龍田神社から斑鳩町役場を経て藤ノ木古墳までやってきました。

藤ノ木古墳は古墳時代後期の6世紀の古墳と見られ、被葬者は出土品などから大王クラスではなくその一族と見られています(Wiki参照)。

出土品は一括して古墳文化研究上価値の高いものとして1988年に重要文化財、2004年に国宝に指定され、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館において保管・展示されている(Wikiより)そうです。

古墳の南にある斑鳩文化財センターでは藤ノ木古墳の概要などがガイダンスされているので、関心のある人は立ち寄ってみてください。

さて、藤ノ木古墳の北の道を東に向かうと法隆寺の西大門へ至ります。

その途中の町並みが「西里のまちなみ」で、わき道も含めてその雰囲気を感じながら西大門までの300m余を歩きました。

もう少し時間があれば脇道に深く入っていく事もできたのですが、あまりゆっくりしていると、この日の最終地点である法起寺まで日没までにたどり着けなくなります。

 

  藤ノ木古墳。

  ご覧の通り「円墳」といわれる形の古墳です。

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  公園内には説明板が幾つも設置されています。

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  石室への入り口。

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  ドア越しに覗くとセンサーが働き、中の照明が点灯して内部を覗うことができるように工夫されています。

  ただ、外が明るくてあまり良く見えませんでした。

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  「西里のまちなみ」の案内板。

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  古墳とはこんな位置関係です。

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  これは西を振り返ったところ。

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  わき道にも入り込みたいところです。

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  こちらもわき道です。

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  途中の西福寺の梅。

  これは失敗でしたね。

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  西大門が見えてきました。

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  西院伽藍の五重塔も見えます。

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  法隆寺西大門。

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  西大門前から右の南のほうに続く土塀。

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  門内から、歩いてきた道を。

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  撮影 2013/03/06

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2010年5月 4日 (火)

稲沢市(愛知県)を散策(3) - 「ぼたん」と多宝塔の萬徳寺とJR稲沢駅

 

  稲沢市の散策の続きの続き。

今回が3回目で最後です。

名鉄国府宮(こうのみや)駅の西を南の方に歩くこと30分の性海寺(しょうかいじ)、隣接してアジサイ公園があり多宝塔があるお寺ですが、ここを訪れた後駅に戻り、「はだか祭り」で有名な国府宮神社を参拝してのち、楼門の前の東西の道を東に歩いて次は萬徳寺を訪れました。

国府宮(こうのみや)神社の前の道を500mから600mぐらいで信号のある交差点がありますが、さらにやはり歩くこと5、600mで再び信号のある交差点があります。

この左手(北)の奥に目指す萬徳寺はありました。

したがって国府宮神社からは真東に1Kmちょっとの距離でしょうか。

萬徳寺は「ぼたん」のお寺で、ちょうど見ごろで私のお目当ての多宝塔の前も「ぼたん」の花で色取られていました。

 

  国府宮神社の楼門を後にして、真東に1Kmちょっと歩きます。

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  萬徳寺の入り口で、正面に本堂があります。

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  境内に入って本堂。

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  本堂の左手にある鎮守堂。

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  多宝塔と「ぼたん」ですが、

  文化財的には多宝塔と鎮守堂が室町時代の建築で重文指定です。

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  特にこの一角の白い花がみずみずしく、きれいでした。

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  萬徳寺を後にして、一挙に南に歩きます。

  すると国府宮駅の南踏切から延びてきている東西の道に出ます。

  それを国府宮駅とは反対の東(左)に歩くと突き当りにJRの稲沢駅があります。

  萬徳寺から10分足らず。

  この橋上駅舎になったのは2000年の春ということです。

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  西の名鉄国府宮駅の南踏み切りにのびる駅前通り。

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  駅の東西をつなぐ通路。

  JR貨物の敷地が広いので大きな通路になっています。

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  ホームは西寄りに1本のみ。

  普通しか停車しません。

  313系の豊橋行きの普通6両編成。

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  ホームからJR貨物の機関車。

  先頭がEF66、次がEF200、その後ろにはEF64が留置されていました。

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  私が岐阜までの帰りに乗ってきたのは4両編成の311系。

  岐阜駅5番線にて。

  折り返して名古屋方面の岡崎行き普通になります。

  左の3番線には到着したばかりの高山線のキハ48の普通列車。

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  撮影 2010/05/01

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