2017年2月 6日 (月)

思いでの旅(2)1993年9月 - 山陰旅行(3)萩(山口県萩市) 松下村塾と東光寺

 

  萩の民宿で一泊し、あくる日は午前中にレンタサイクルを利用し松下村塾と毛利家の墓所である東光寺を訪れました。

萩へは2009年にも訪れ、丸一日レンタサイクルを漕いで見て回りましたが、まだ2、3割を見残している状況です。

さて、東光寺は奇数代の藩主と夫人の墓所であり、偶数代の墓所は萩市南部の大照院(萩駅から歩いて15分)にあります。

東光寺は黄檗宗の寺院で豪壮な建物が並んでいました。

反対に松下村塾はその小ささに驚きました。ここから多くの志士が輩出したとは思えない小ささでした。

 

  2009年に訪れた際もこの駅舎であった東萩駅。

  2005年に特急が廃止となり、優等列車はなくなりました。

Img282

 

  松下村塾。

Img283

Img284

 

  松下村塾は吉田松陰が指導した塾。

  講義室。

Img285

 

  松陰神社。

Img290

 

  東光寺総門。

  松下村塾から徒歩で15分ぐらい。

Img291

 

  三門。

Img292

Img293

 

  大雄宝殿。

Img295

 

  毛利家墓所。

Img296

 

  東光寺は奇数代の藩主の墓所。

  偶数代の藩主の墓所は萩駅(東萩駅ではない)から歩いて15分ぐらいの大照院にあります。

Img297

Img298

Img299

  撮影 1993/09/08

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月18日 (日)

宇治(京都府宇治市)を散策(3) - 平等院の南を浮島十三重石塔へ

 

  縣神社(あがたじんじゃ)から東に向かうと平等院の南に至ります。

そして平等院ミュージアム鳳翔館の外を平等院南口へ。

さらに東へ向かい宇治川に出ます。お目当ては中洲の島(浮島)にある十三重石塔。

その後北の中州の島(一帯が宇治公園となっている)に渡り、そこから宇治川対岸を目指します。

 

  何度も書きますが平等院は今回の散策に含まれていません。

平等院についての記事はこちら。奈良からの帰り 宇治平等院へ寄り道 2015年(2) - 宇治平等院鳳凰堂と平等院ミュージアム鳳翔館

 

  平等院ミュージアム鳳翔館の外を東へ。

Dsc06345

 

  平等院南口。

Dsc06346

 

  もうすぐ川に出られるという敷地に平等院多宝塔跡の復元基壇があります。

Dsc06348

Dsc06351

 

  宇治川に出ます。

Dsc06353

 

  赤い喜撰橋の北側に出ました。

Dsc06355

 

  喜撰橋と浮島十三重石塔。

Dsc06360

 

  浮島十三重石塔は鎌倉時代に奈良西大寺の叡尊という高僧によって建てられました。

  宇治川の氾濫が魚霊の祟りと考え、それを鎮めるためであったそうです。

  重要文化財に指定されています。

Dsc06363

 

  この辺りの地図。左が北。

Dsc06367

 

  喜撰橋とあります。

Dsc06371

 

  宇治川鵜飼の遊覧船の溜まり場。

Dsc06372

 

  大変大きな十三重石塔。

Dsc06376

Dsc06383

Dsc06384

 

  北側に渡ります。

Dsc06386

 

  対岸の観流橋。

Dsc06387

Dsc06388

 

  朝霧橋を対岸に渡ります。

Dsc06389

 

  手前の宇治橋とJR奈良線の鉄橋上の221系快速電車。

Dsc06392

  撮影 2016/09/15

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 2日 (金)

吉田城(愛知県豊橋市)を訪れる(2) - 豊橋市公会堂から豊橋公園へ

 

  江戸時代には吉田と呼ばれた当地は明治の版籍奉還の際に政府からの命令により豊橋という地名となりました。

江戸時代には吉田城の城下町、東海道の吉田宿として繁栄し、現在でも東三河の中核都市として人口も37万余人。

これは東三河の約半数にあたるそうで、地域の中心と言って良い町です。

 

  豊橋鉄道市内線の駅前電停から四つ目が市役所前電停。

  次が豊橋公園前電停ですが、お城跡を目指すなら市役所前電停が近いのです。

  市役所前電停にて。

Dsc06192

 

  すぐ目の前に豊橋市公会堂があります。

  昭和6年(1931年)に市制25周年を記念して建てられ、現在ではれっきとした文化財(国登録文化財)です。

Dsc06195

Dsc06194

 

  後方の赤い鉄塔が写らないように撮ってみました。

Dsc06196

 

  2羽の鷲。

  昭和6年(1931年)の建設当時のもの。

Dsc06200

Dsc06201

 

  公会堂の横の道路の行く先が豊橋公園入口。

  入口はもちろん他にもあります。

Dsc06203

 

  入口。

Dsc06204

 

  碑には三の丸口門跡と記されています。

Dsc06205

 

  左側には陸軍歩兵18連隊が駐屯していた際に使用された衛兵の詰所(哨所)が残されています。

Dsc06206

 

  豊橋公園の図。

  歩いたのは木々が茂る左手のさらに左半分ぐらい。

Dsc06208

  撮影 2016/08/24

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月28日 (木)

(続)京都 伏見の一部を散策(5) - 寺田屋(2)家屋の内部 帰途につく

 

  寺田屋事件とは(1)薩摩藩志士粛清事件(文久2年(1862年))、(2)坂本龍馬襲撃事件(慶応2年(1866年))の二つの事件を指すことは前回に述べました。

前者は薩摩藩内の尊皇派志士が島津久光の命令で粛清された事件。

後者は伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。

 

  一般受けから言うと坂本龍馬の事件がどうしてもクローズアップされてしまいます。

しかし寺田屋入口には「伏見寺田屋殉難九烈士之碑」が建てられ(1)の事件にもふれられています。

 

  寺田屋は薩摩藩の定宿でした。

Dsc05982

 

  教義の意味での伏見の地図。

Dsc06009

 

  入口右横に建てられている「伏見寺田屋殉難九烈士之碑」。

  (1)の事件に関わる碑。

Dsc06010

 

  中は現在でも旅館として使用されているため生きた部屋造りとなっています。

  拝観は大人400円。予約が必要な宿泊は6500円など。

Dsc06011

 

  表階段。

Dsc06012

Dsc06013

 

  表通りを。

Dsc06015

 

  生きた部屋という意味はエアコンなど実用的な器具が揃っていることです。

Dsc06022

Dsc06030

 

  裏階段。

  現在の建物は再建されたものですが、おりょうが龍馬らに急を告げに昇ったのが裏階段。

Dsc06031

 

  裏階段を下りると風呂場やトイレ、中庭などがあります。

Dsc06032

 

  中庭。

Dsc06034

Dsc06036

 

  再建された建物なのですが雰囲気は伝わってきます。

Dsc06038

Dsc06041

 

  観覧船を見ながら長建寺に向かいました。

  長健寺は最初に紹介しましたので、記事上はここまで。

Dsc06045

 

  月桂冠大倉記念館の裏側。

  帰りは記念館の前の通りを北に向かいました。

  南に行けば京阪の中書島駅が近いことには全く気付いていません(徒歩5分ぐらい)。

Dsc06048

 

  南から大手筋通に出ました。

Dsc06060

  撮影 2016/07/21

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月27日 (水)

(続)京都 伏見の一部を散策(4) - 寺田屋(1)薩摩藩志士粛清事件と坂本龍馬襲撃事件

 

  寺田屋事件は(1)薩摩藩志士粛清事件(文久2年(1862年))、(2)坂本龍馬襲撃事件(慶応2年(1866年))の二つの事件を指します。

前者は薩摩藩内の尊皇派志士が島津久光の命令で粛清された事件。

後者は伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。

後者の方が一般受けがよく、私も坂本龍馬の方を念頭に訪れました。

 

  ちなみに坂本龍馬が暗殺されたのは近江屋事件(慶応3年11月15日(1867年12月10日))で寺田屋事件の翌年京都河原町の近江屋で中岡慎太郎らとともに暗殺されました。

 

  やはりというか、龍馬がメインの町造りがされています。

  寺田屋の東の南北の通りが竜馬通りと名付けられていました。

Dsc05977

 

  竜馬通り商店街。

Dsc05976

Dsc05979

 

  手前が寺田屋。

  寺田屋は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており現在の寺田屋は再建されたものというのが公式の見解となっています。

Dsc05982

 

  とは言え、以前のその雰囲気は伝わってきますね。

Dsc05985

Dsc05986

 

  東側には様々なモニュメントや碑などが揃う「公園」となっています。

Dsc05987

Dsc05988

 

  夏には特に休憩できる場所があるのは助かります。

Dsc05990

 

  寺田屋の女将お登勢は神となってしまいました。

Dsc05991

Dsc05992

Dsc05994

Dsc05993

 

  坂本龍馬の碑。

Dsc05998

Dsc05995

 

  維新時代の井戸。

Dsc06002

Dsc06003

 

  寺田屋騒動記念碑。

  この後、家屋を拝観しました。

Dsc05997

  撮影 2016/07/21

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月25日 (月)

(続)京都 伏見の一部を散策(3) - 月桂冠大倉記念館

 

  月桂冠は「寛永14年(1637年)、初代・大倉治右衛門が京都府南部の笠置町(現在の相楽郡笠置町)から城下町、宿場町としてにぎわっていた京都伏見に出て来て創業」(ホームページより引用)したのが起こり。
現在の社長大倉治彦は数えて第14代目とか。大変な老舗ですね。

 

  月桂冠大倉記念館は十石舟乗船場のすぐ北にあります。

大倉記念館の大倉は創業家の名前。

月桂冠大倉記念館(明治42年(1909年)築)を始めとして一連の建築群と所蔵品、松本酒造酒蔵、十石舟などが「伏見の日本酒醸造関連遺産」として近代化産業遺産と認定されています。

月桂冠大倉記念館のホームページ。

 

  十石舟のりば入口。

Dsc05930

 

  その北にある月桂冠大倉記念館。

Dsc05932

 

  左が北、上が東の地図。

Dsc05934

 

  拝観料は300円(中高生100円)。

  案内パンフレットともに小ぶりのお酒がお土産に頂けます(未成年の人は絵葉書がお土産に頂けます)。

  また帰りに利き酒のコーナーがあります。

 

  お土産。純米酒(180ML)。

  ビニール袋入りで頂けます。

Img_03361

 

  入口。

Dsc05936

 

  北を向いて。

Dsc05938

 

  中庭への途中、左手の建物が拝観順路。

Dsc05940

 

  拝観場所は二棟あります。

  最初は日本酒のできるまでを実際に使用した器具・用具などが陳列されています。

 

  写真はフラッシュはNGですが撮影は可です。

Dsc05941

Dsc05942

Dsc05943

Dsc05945

Dsc05944

 

  中庭に出てみました。

Dsc05947

Dsc05949

 

  もう一棟の陳列。

  用具と共に酒に関する取集品などがあります。

Dsc05951

Dsc05954

Dsc05955

 

  拝観を終わって外に出ました。

Dsc05958

Dsc05960

 

  先ほどの入口。

Dsc05963

 

  月桂冠の北側には黄桜酒造のカッパカントリーがあります。

  何といっても黄桜と言えばカッパですよね。

Dsc05972

 

  周辺を歩きましたが中には入りませんでした。

Dsc05973

Dsc05975

  撮影 2016/07/21

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月20日 (日)

近江高島(滋賀県高島市 大溝藩2万石の城下町)を散策2016年3月(5) - 古式水道と武家屋敷跡(笠井家)から修身堂跡

 

  最初に地図を4枚見て頂きます。

最初の地図は大溝城の本丸、二の丸、三の丸の位置関係、大溝陣屋時代の町並みの様子の全体。

2枚目は分部時代の大溝陣屋の御屋鋪が設けられた三の丸、総門、(藩校)修身堂の位置を示す図。

3枚目は現代の古式水道、武家屋敷跡(笠井家)、修身堂跡(の碑)、圓光禅寺の位置を示す図です。

4枚目はそれらの位置関係がより正確な地図。

 

  大溝城は本丸、二の丸、三の丸の様子から水城であったことがうかがわれます。

Dsc04924

 

  大溝陣屋を中心にした大溝の図。

  (三の丸の)御屋鋪、総門、(藩校)修身堂に印を付けてみました。

Dsc04927

 

  現代のマップ。

  古式水道、武家屋敷跡、修身堂跡、圓光禅寺に印を付けてみました。

Dsc04930

 

  現在のより正確な地図。

  この一枚を除き、いずれも駅の観光案内所で頂いたパンフレットを撮影した地図です。

Dsc04772

 

  駅から高架沿いを北に歩き、反対側にくぐってすぐ、左側に古式水道があります。

  古式水道は「江戸時代に出来た設備で、別名「殿様の水」。今も生活用水に使われている」(パンフレットより)。

Dsc04775

 

  古式水道の前の小道を少し下り気味に北側の道に出ます。

  その道路の北側に武家屋敷跡(笠井家)があります。

  向こう側に高島小中学校が見えます。

Dsc04778

 

  案内板より

 

  僅かに残る武家屋敷(笠井家)

 

  元和五年(一六一九)分部光信が伊勢から江州大溝(高島町)に入部し、この辺一帯は譜代家臣の集住する武家屋敷町となった。

明治維新後、家臣の多くが大溝を離れたため、今その遺構を見ることはむつかしいが、笠井家は現在残る数少ない一軒である。

通りに面して、両袖に部屋のある長屋門があったが、大正の初めに玄関脇に移築改造されて、今もその面影を残している。

また、解体した部分や増改築などで完全な状態とはいえないが、ほぼ藩政時代の代表的な家屋ということができる。

なお、庭園、屋敷囲いの生垣などは、当時の武家屋敷を想像させるものである。

Dsc04783

Dsc04781

Dsc04784

Dsc04787

 

  笠井家の前の道路を西、山の方向に歩いて行くと高島小中学校に面した道路に出ます。

  これを左に行くと右手に圓光寺に向かう道があります。

  そしてその道を少し行きすぎた左手に修身堂跡の碑があります。

  跡は木工所となっていました。

Dsc04790

 

  圓光寺本堂。

Dsc04793

  撮影 2016/03/12

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 9日 (火)

雪の出石(いずし)城跡と城下町(兵庫県豊岡市出石町)2016年1月(9) - 城下町を散策 永楽館と家老屋敷 豊岡駅に戻る

 

  出石の町の西の端ともいうべき谷山川の畔にある「おりゅう灯籠」を訪れた後、再び田結庄(たいのしょう)通りに戻るとお城のある南に向かいました。

この通りは南で福成寺に突き当たります。

通りをその手前で西に入ると芝居小屋の出石永楽館があります。

永楽館を拝観後、田結庄(たいのしょう)通りを南へ福成寺に突き当り、東に(左)に行くと出石城西門跡の石垣の続きに家老屋敷の長屋門があります。

門内の敷地には家老屋敷、伊藤清永(出石出身の洋画家)記念館と喫茶店があり、そのうちの家老屋敷を拝観して今回の出石の散策を終えました。

 

  谷山川河畔の「おりゅう灯籠」

Dsc04020

 

  田結庄(たいのしょう)通りに面した出石永楽館。

  奥にある建物が永楽館。

Dsc04021

 

  中から田結庄(たいのしょう)通りを振り返って。

Dsc04022

 

  出石永楽館は明治34年に開館した芝居小屋。

  平成20年に蘇りました。大人300円。

Dsc04045

 

  奈落。

  回り舞台。

Dsc04050

Dsc04051

Dsc04058

 

  歌舞伎公演が行われることもあります。

Dsc04062

 

  去年(2015年(平成27年))11月の永楽館歌舞伎の看板。

Dsc04064

 

  福成寺に突き当たります。

Dsc04024

 

  左を向くと出石城西門跡の石垣とそれに続く土塀と長屋門。

Dsc04025

 

  長屋門。

  門内の敷地内にある家老屋敷は江戸後期の上級武士の居宅。

Dsc03766

 

  家老屋敷。

Dsc04044

 

  家老屋敷入口。

  家老屋敷(大人100円)、明治館(大人100円)、出石資料館(大人300円)の3館共通券は大人400円。

Dsc04032

 

  左から喫茶店と出石出身の洋画家である伊藤清永記念館。

  伊藤清永記念館は大人500円。

Dsc04042

 

  家老屋敷内部。

Dsc04034

 

  外見は平屋に見えますが隠れ二階とも言うべき部屋があります。

Dsc04036

Dsc04037

 

  既出ですが、出石バス停と出石城本丸西隅櫓。

Dsc03748

 

  豊岡駅前に戻ってきました。時計が3時を指しています。

  あとはひたすら岐阜まで帰りました。

  出石(豊岡)はさすがに遠い。

Dsc04066

  撮影 2016/01/22

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 3日 (水)

雪の出石(いずし)城跡と城下町(兵庫県豊岡市出石町)2016年1月(8) - 城下町を散策 酒蔵、明治館からおりゅう灯籠へ

 

  出石資料館から通りを東に行くと本高寺というお寺に突き当たります。

通りは右へ曲がり、その角に赤い土壁つくりの出石酒造酒蔵があります。

さらに、ここから通りを南に向かい、一本東寄りの角にあるのが洋館づくりの明治館。

出石明治館は木造の擬洋風建物で郡役所として明治20年に建てられたものです。

館内では地元の偉人が紹介されています。

 

  明治館から一転、町を横切るように西へ歩いて行くと、川の流れが南北に変わった谷山川の畔に至ります。

その川端には面白い形状のおりゅう灯籠があります。

 

  出石資料館と宵田(よいだ)通りを振り返って。

Dsc03985

 

  本高寺に突き当たります。

Dsc03990

 

  本高寺門前から振り返って。

  赤い土壁の出石酒造酒蔵。

Dsc03992

 

  本高寺本堂と境内。

Dsc03993

 

  門内から。

Dsc03996

 

  南に歩いて行くと明治館があります。

Dsc03998

 

  出石明治館は「旧出石郡役所」。

Dsc04004

Dsc04000

Dsc04005

 

  中心部へ戻るように西に歩いて行きます。

Dsc04006

 

  街並みの中心部に戻ってきました。

  辰鼓楼(しんころう)付近。

Dsc04009

 

  田結庄(たいのしょう)通り。

  これを横切りさらに西へ。

Dsc04011

 

  川端に出ました。

  「おりゅう灯籠」。

Dsc04013

Dsc04014

  撮影 2016/01/22

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月30日 (土)

雪の出石(いずし)城跡と城下町(兵庫県豊岡市出石町)2016年1月(6) - 辰鼓楼(しんころう)と大手前通り

 

  出石城跡には西側の登城橋を経て登城門から入りましたが、帰りは東側にある赤い有子橋から外に。

外と言っても辰鼓楼までは旧三の丸の城郭内です。

その辰鼓楼(しんころう)は大手門内側に建てられた時を告げるやぐらで、出石城の廃城後に建築されました。

最初は太鼓で、後には時計が据えられ、町の人々に時を告げてきました。

今では出石のシンボル的存在です。

 

  有子橋まで下りてきました。

Dsc03909

 

  西には最初の登城橋が見えます。

Dsc03913

 

  谷山川に架かる有子橋。

Dsc03914

 

  いつもの「余湖君のお城のページ」からの引用図。

Photo

 

  さらに出石の観光地図。

  下が北です。

Dsc03916

 

  お城側からの辰鼓楼(しんころう)。

Dsc03929

Dsc03935

 

  辰鼓楼と大手前通り。

Dsc03931

 

  大手前通りとお堀跡。

Dsc03937

 

  辰鼓楼を正面から。

Dsc03939

 

  大手門跡の石碑。

  このあたりに大手門がありました。

Dsc03944

 

  辰鼓楼と大手前通り。

  背後に有子山城跡と出石城跡。

Dsc03946

  撮影 2016/01/22

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧