2017年11月22日 (水)

京都国立博物館「国宝」展とその周囲(2)蓮華王院南大門と太閤塀 - 京都市東山区

 

 

  京都国立博物館の南に対面しているのが蓮華王院三十三間堂です。

今回は拝観しませんでしたが、周囲にも何気なく文化財が存在するのが京都です。

敷地の南東部外には南大門が、そして門の西続きに太閤塀があり、これが何れも重要文化財。

太閤塀は日本三代土塀の内の一つで、もう二つは名古屋熱田神宮にある信長塀、兵庫県西宮市の西宮神社大練塀(おおねりべい)です。

大練塀は室町時代の造営とみられ、現存最古の築地塀とされています。

 

  博物館の一般出入り口の前の交差点を渡り、南へ。

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  南大門前から北を振り返って。

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  通用門から見える国宝三十三間堂。

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  南大門。

  桃山時代の建築。重文。

  こちらは内側。

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  太閤塀。重文。

  豊臣秀吉が寄進した塀なのでこう呼ばれている。

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  (参考)熱田神宮(名古屋市)の信長塀。

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  七条通りに戻って、今度は博物館の北側にある豊国神社を訪れます。

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  北向の道路に入って。

  京都国立博物館正門。重文。

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  撮影 2017/11/16

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2017年11月21日 (火)

京都国立博物館「国宝」展とその周囲(1) - 京都市東山区

 

  去る11月16日に京都国立博物館で催されている「国宝」展に行ってきました。

催されているのは平成知新館で行列待ちは20分でした。

しかし展示場内での人の多さは尋常ではなく、展示物に近寄れないという混雑ぶり。

仕方がないので遠くから展示物を眺める羽目となりました。

用意周到な人はオペラグラスを持参して鑑賞している人もいます。

展示品はすべて国宝という事で、お腹いっぱいになって出てきました。

 

  東山七条という事で、前には蓮華王院三十三間堂があり、博物館の裏には豊国神社、方広寺があり、ついでに回ってみました。

「国宝展」の会期は今度の日曜日11月26日までです。

 

  京都駅からは奈良線で東福寺駅へ、東福寺駅で京阪電車に乗り換え七条で降りその後は歩きました。

バスはまず座れないので京都ではバスを極力使わないようにしています。

 

  入口入った所右手に券売所があります。

  当日券は大人1500円。

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  正面にあるのが平成知新館。

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  記念撮影はここで。

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  正門は西側にあります。正門は重要文化財です。

  この日は団体専用口となっていました。

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  明治古都館(旧本館)。

  1895年竣工で重要文化財に指定されています。

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  撮影 2017/11/16

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2017年11月14日 (火)

紅葉の高山を散策(岐阜県高山市)(2) - 高山陣屋

 

  豊臣秀吉の命で飛騨を平定した金森長近は、天正14年(1586年)に高山に入り国主として高山城を築城、城下町を整備しました。

そして関ヶ原の戦い(慶長5年(1600年))では東軍に与した長近は美濃上有知(こうずち 現美濃市)などを加増されここに飛騨高山藩が成立しました。

しかし元禄5年(1692年)に第6代藩主金森頼時は突然出羽国上山藩(かみのやまはん 山形県)に移封されてしまい、飛騨一国は天領となり、代官所が置かれることになります。

こうして天領となった飛騨は明治まで幕府直轄地として治められました。

 

  現陣屋は元来金森家の下屋敷であったものを整備し代官所としたものだそうです。

 

  入口。

  履物はスリッパに履き替え、ビニール袋に入れ持ちます。

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  畳の上をスリッパで歩くのは初めてです。

  建物全体の内、入り口近くの大広間など玄関、諸間を除いては復元によるもの。

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  書物蔵。

  現存建物です。

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  左側が元締役宅跡。右側が手附・手代役宅跡。

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  庭園。

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  平成27年に将棋名人戦で羽生名人×行方八段が対局した部屋。

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  勝手土蔵。

  江戸時代からの現存。

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  下台所。

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  大広間。

  この辺りは現存区域。

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  御蔵。

  中は資料室となっており撮影禁止。

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  御蔵は一番から十二番までありましたが、五番から八番までは失われ、

  一番から四番、九番から十二番までが現存しています。

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  高山城跡である城山の紅葉。

  手前は復元された蔵番長屋。

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  この日の高山市内は日曜日という事もあり、外国人も含めて多くの人々で賑わっていました。

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  撮影 2017/11/12

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2017年9月 2日 (土)

長崎観光は路面電車(長崎電気軌道)で(4) - 平和公園、カトリック浦上教会(浦上天主堂)

 

  長崎観光の締めくくりは原爆の爆心地である平和公園と原爆によって破壊された浦上天主堂(現在は再建されカトリック浦上教会という)。

長崎駅前電停から数えて八つ目の松山町電停が最寄りの駅です。

 

  出島電停から長崎駅前、浦上駅前を通過して長い距離を走ります。

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  最寄りの電停は松山町電停。

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  このあたり1.3kmほどは専用軌道。

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  平和公園登り口。

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  有名な平和祈念像。

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  平和公園の高台から見えるカトリック浦上教会。

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  現在の建物は昭和34年(1959年)の建築。

  旧浦上天主堂で現在もこの呼称が一般的です。

  原爆で破壊された当時の像などが外に展示されています。

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  さて、長崎観光はこれで終わり。

  主要な観光地だけを巡りましたが、まだまだ見どころはあり、またの機会にと思っています。

 

  長崎駅に戻ってきました。

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  帰りは取り敢えず諫早(いさはや)まで普通で行きます。

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  諫早行きの普通。

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  撮影 2013/01/05

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2017年8月31日 (木)

長崎観光は路面電車(長崎電気軌道)で(3) - 出島 史跡「出島和蘭商館跡」

 

 

  出島は江戸時代に鎖国政策の一環として造成された人口島でした。

出島には隔離するようにオランダ商館が置かれました。

戦後、埋め立てが行われ、島全体が陸続きとなってしまっています。

「出島和蘭商館跡」として史跡に指定されており、現在、長崎市により復元作業が進められています。

 

  南側を路面電車が走り、出島電停と築町(つきまち)電停を結んでいます。

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  大通りに出ると出島電停があります。

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  復元作業が進められています。

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  復元された町並み。

  内部も復元されています。

  一般510円 高校生200円 小中学生100円。

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  出島電停。

  南側の細い道路から回り込んできます。

  北に向かうと長崎駅前です。

  ここから北に向かい、浦上から平和公園、浦上天主堂を訪れました。

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  撮影 2013/01/05

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2017年8月29日 (火)

長崎観光は路面電車(長崎電気軌道)で(1) - 国宝大浦天主堂からグラバー園など

 

  長崎観光には路面電車が有効です。

どうしてもバスが必要な場合もありますが、主要な観光地は路面電車で行くことができます。

 

  長崎着が午後になってしまい、取り敢えずグラバー園を中心に観光することにしました。

  長崎駅前から正覚寺下行きに乗車して築町(つきまち)電停で石橋行きに乗り換えます。

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  築町電停。

  石橋行きに乗り換えます。

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  大浦天主堂下電停で下車。

  電車は終点の石橋へ向かいます。

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  国宝大浦天主堂。

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  グラバー園のグラバー邸。

  グラバー園には他にも多くの洋館が建ち並び洋館のテーマパークのようです。

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  歩いてオランダ坂に向かいます。

  オランダ坂は日本3大がっかり名所の一つに数えられています。

  他の二つは高知の「はりまや橋」、札幌の時計台だということです。

  オランダ坂については「えっ、これだけ!」というのががっかり感を醸し出します。

  それでも、オランダ坂を含む一帯が見どころとなっているので救われています。

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  旧英国長崎領事館などを観光しながら大浦海岸通り電停から築町(つきまち)電停乗り換えで長崎駅前に戻りました。

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  撮影 2013/01/04

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2017年8月20日 (日)

山口県柳井市と防府市を観光(13) - 防府市 旧毛利家本邸

 

  結果的に最後となりましたが、旧毛利家本邸と博物館を拝観。

庭園との共通券は大人1000円、小中生500円。

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  重要文化財

 

  旧毛利家本邸

  旧毛利家本邸は、明治天皇から山口県内に本邸を構える承諾を得た 公爵毛利家が、維新の元勲井上馨の協力を得て、明治二十五年(1892)この地に建設することを 決定し、 建てられたものである。

工事は大正元年(1912)九月に着工し、四年弱の歳月を経て同五年に完成した。

                                     (後略)

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  邸内の撮影は可ですが、博物館区域は撮影不可です。

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  庭園の全体は見渡せません。

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  外から。

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  二階へ。

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  二階からの庭園。

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  寝室。

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  廊下の奥に博物館があり、拝観券のもぎりは博物館で行います。

  博物館は冷房が効いていました。

  係りの方(学芸員の方か?)に外は暑いのでゆっくりしていって下さいと声を掛けて頂きました。

  有難うございました。

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  さて、これで柳井市と防府市での観光は終わり。

  防府発13時半頃の電車に乗車しないと帰りのフェリーに間に合わないので、毛利氏庭園から取って返し、国分寺の前を通り過ぎ、防府天満宮前から萩往還を南に折れて駅へ向かいます。

 

  萩往還、防府天満宮の参道を南へ、振り返って。

  らんかん橋にて。

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  駅前の種田山頭火の像。

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  フェリーターミナルへの第一便の門司駅前発連絡バスは16時。

  無事に15時過ぎに門司駅に到着してバスで新門司港へ。

  新門司港は土砂降りでした。

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  撮影 2017/07/31

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2017年8月19日 (土)

山口県柳井市と防府市を観光(12) - 防府市 毛利氏庭園

 

 

  防府市の毛利本邸は維新後に公爵の爵位を得た旧長州藩主毛利氏が建てた邸宅。

明治時代に一度着工するも、日清、日露戦争で中断し、改めて大正元年(1912年)に着工し大正5年(1916年)に完成しました。

 

  説明板の抜粋

 

  国指定  名勝 毛利氏庭園

(前略)

庭園は、本邸から見渡せる周防国府跡、三田尻湾、瀬戸内海等の自然を背景・借景 としており、自然の地形・植生に人工的な作庭を加え両者の調和をはかっている。

本邸への導入部である路傍庭園、邸内の各建造物に調和するように配置された平庭、 瓢箪池を中心とした林泉からなり、池の周囲を回りながら景色を鑑賞する池泉回遊式庭園であるが、 滝の石組やせせらぎを設け、渓谷風の流れを重視した構成となっている。

  (後略)

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  券売所で博物館、庭園共通券を購入し、まず庭園から拝観しました。

  共通券は大人1000円、小中学生500円。

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  毛利本邸の家屋の前を通ります。

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  大きな屋敷です。

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  屋敷の一部を改装して博物館としています。

  博物館の宝物は2万点ほどもあり、博物館のみ写真撮影不可。

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  庭園内に入って行きます。

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  夏という事で緑一色ですが、秋は紅葉が良さそうです。

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  庭園の大きさが分かります。

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  とにかく暑くて閉口しました。

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  庭園は夏に来るものでは無いことを再確認。

  邸宅に向かいました。

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  撮影 2017/07/31

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2017年8月10日 (木)

山口県柳井市と防府市を観光(6) - 柳井市 「むろやの園」商家博物館

 

  「むろやの園」はその屋号である「室屋」から来ています。

 

  柳井市のホームページによれば、

「室屋」の小田家は初代善四郎が元禄元年(1688)新庄村庄屋小田家から柳井津 金屋へ分家独立。

当初は反物、打綿、菅笠などの商売を営み、二代目善四郎の時、大阪との間で油の取引も始め、三代善四郎の時には50石~125石積船を50艘ばかりに増し、商取引は最盛期を迎えました。

四代目六左衛門の頃には油商としての性格が次第に強まっていきます(これが18世紀後半から19世紀の初め)。

 

  また小田家は岩国の吉川家に(柳井は岩国吉川領だった)献金などで度重なる貢献をし士分に取り立てられました。

(むろやの園に甲冑が残っていたり、中間部屋があったりするのはその名残りとも言えます。)

現在、(1)小田家代々の使用してきた生活用具1553点、(2)文書1011点、(3)町家、主家ほか10棟のすべてが県指定有形民俗文化財となっています。

主家(主屋)は享保年間(1730頃)の建築で県下でも最も古い町家に属する、そうです。

柳井市のホームページより。

 

  入口は交差点の南東側にあります。

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  「むろやの園」の南北の長さは119m。

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  入口を入って振り返った所。

  拝観料は大人450円、中高生350円、小学生300円。

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  「むろやの園」見取り図。

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  庭に出る前に振り返った所。

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  中間部屋があるのは小田家は士分ということで家来が必要だったとのこと。

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  庭と蔵。

  左側と奥は住居部分。

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  左側の住居部分。

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  本蔵。

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  本蔵の中。

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  奥に向かって右側の勘定蔵。

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  吉川家から拝領の甲冑。

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  次が米蔵。

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  米蔵の中。

  とにかく夥しく品々が残っています。

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  振り返って正面に本蔵。

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  主屋(主家)に戻って。

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  主屋二階部分。

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  外へ出て主屋の部屋。

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  大規模に家屋、生活用品などが残っていた「むろやの園」。

  「むろやの園」を出た頃には完全に暑さにやられていました。

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  暑い中、駅に戻ってきました。

  その暑さ故に、残りの防府市まで回る気力は失せました。

  防府はあくる日に回ることにしましたが、

  当のこの日はまだ日も高く、宿に入るには早いので、徳山駅で途中下車して喫茶店を探すことにしました。

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  撮影 2017/07/30

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2017年8月 6日 (日)

山口県柳井市と防府市を観光(4) - 柳井市白壁の町並み(2)重文国森家住宅

 

  日本の各地には町並みを観光資源として提供している都市がたくさんあります。

そんな町並みに一つ、二つ重文級、国宝級の文化財が存在すると、これを核として魅力的な観光地を形成することができ、柳井においては国森家住宅がその役割を担っています。

 

  国森家住宅は18世紀の建築と見られており、貴重な近世の商家造りで、昭和49年(1974年)に重文に指定されました。

詳しくは国森家住宅((柳井市の文化財)で。

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  国森の表札があり、現在もお住まいのようです。

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  入口を入ると土間になっています。

 

  係りの方(家人の方か?)に家屋の説明をして頂けます。

  拝観料は大人200円、中学生以下100円。

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  先客があり、一人で二階まで上がってみました。

  下はお店。

  前に番頭さんが座り、後ろに主人が座っていたそうです。

  国森家は最初は反物商、後に手絞りともし油の製造、さらに、びんつけ油の製造販売を業としたそうです。

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  奥。

  二階への階段があります。

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  階段には戸があり、二階へ通じていることが分からないように工夫されていたそうです。

  もう一つ階段がありますが、これは後世のもので、本来はこの階段しかありませんでした。

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  二階。

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  屋根裏の梁(はり)。

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  正面の建具が「ぶちょう」。

  「「ぶちょう」は、三枚の板戸からなり、上の一枚は日中は内側に跳ねて吊り上げておき、下の二枚は柱に彫った溝に沿ってはずして全開するが、夜間は全部を閉める、機能的で開放的な商家の建具である。」

  実際にどう全開にするかを見せて頂きました。

  真ん中が全開になっています。

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  撮影 2017/07/30

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