2016年10月24日 (月)

【天守閣】外観復元天守2009年8月(9) - 熊本城(熊本県熊本市)

 

  最後の外観復元天守は熊本地震で大きな被害を受けた熊本城。

あまりにも甚大な被害でこの項では取り扱うのを止めようとさえ考えましたが、復興への励みになるのは元の元気な熊本城の姿を見る事ではないかと考え取り上げました。

実はお城は徳川時代に何度も地震、火災にあいその都度再建してきたものです。

どの城も歴史書を紐解くと驚くぐらいの厄災を受けています。

もちろんお城のみでなく城下の焼失から作物の不出来などによる飢饉など何度も厄災を被りながらその度に復興してきたのです。

きっと今回も新しくなりながらも復興していくでしょう。

もちろん皆さんの(自分も含めて)一人一人の努力が必要であろうとおもわれます。

 

  駅から熊本城までのアクセスは何と言っても市電。

Pict0129

 

  飯田丸五階櫓。

  一本ひと積みの石垣だけで崩落を免れていた櫓がこれです。

Pict0040

 

  扇の勾配と呼ばれる石の積み方。

Pict0043

 

  飯田丸五階櫓を上から。

  大樹が印象的です。

Pict0045

 

  大天守、小天守。

  現在の天守は昭和35年(1960年)の再建。

Pict0060

 

  現存する重要文化財の宇土櫓(うとやぐら)。

Pict0065

 

  平成19年(2007年)、築城400年に際して造営された本丸御殿。

Pict0069

Pict0072

 

  現存する宇土櫓の内部。

Pict0075

Pict0077

 

  大小天守反対側から。

Pict0080

 

  宇土櫓と高石垣。

Pict0090

 

  天守と宇土櫓。

Pict0095

 

  北の棒安坂を東に下りお城の東側を電車道に戻ってきました。

Pict0121

  撮影 2009/08/25

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 9日 (日)

【天守閣】外観復元天守(8)2016年10月 - 名古屋城(愛知県名古屋市)

 

  尾張の中心は長らく清須が中心でしたが、徳川家康は九男義直の尾張藩の居城として慶長15年(1610年)に天下普請として名古屋に築城を開始。

清須からのすべてが移住するといういわゆる「清須越し」は「家臣、町人はもとより、社寺3社110か寺、清須城小天守も移る」という徹底したものでした。

竣工は慶長19年(1614年)。

昭和20年(1945年)戦災のため焼失。

 

  さて、現在は本丸御殿復元のための工事が行われています。

  完成した部分から観覧が許されています。

Dsc06528

 

  現在の名古屋城図。

  ほぼ全域が拝観対象で大人500円(御殿も含む)。

Dsc06531

 

  本丸御殿の工事のために現在の写真はこんな風に

Dsc06563

 

  御殿が無かったころ。

                                          撮影 2006/11/12

Pb120013

  撮影 最後の一枚を除き 2016/10/07

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 7日 (金)

【天守閣】外観復元天守(7)2005年12月 - 和歌山城(和歌山県和歌山市)

 

 

  天正13年(1585年)の紀州征伐後、秀吉の命によりに築造された和歌山城は、天正14年(1586年)に桑山重晴が3万石で城代として預かることになります。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が戦功を認められ37万6千石で紀伊藩主に。

元和5年(1619年)浅野家は福島正則改易に伴い広島に転封し、徳川家康の十男・頼宣が55万5千石で入部し、ここに御三家の一つとして紀州徳川家が成立します。

ちなみに和歌山城も昭和20年(1945年)の戦災で焼失してしまいました。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

Wakayamatyo

 

  現代の分かりやすい地図。

  【引用元】和歌山県観光協会。

  思い返してみると裏坂から登り、表坂から下りて岡口門に至りました。

H1_photo_04

 

  阪和線から分岐している羽衣線東羽衣駅にて。

  歩いてすぐに南海本線羽衣駅があり乗り換え。

Pc160001

 

  南海電車の和歌山市駅。

Pc160014

 

  大手門にあたる一の橋と一の橋大手門。

Pict0003

 

  徳川家時代の切込接ぎ(きりこみはぎ)の石垣。

  中御門跡の石垣。

Pict0008

 

  桑山時代の古い野面積みの石垣。

Pict0012

Pict0013

 

  坂道を登ります。

  どこをどう登ったのかは覚えていない。

  多分裏坂と思われる(地図確認)。

Pict0016

 

  和歌山城大天守。

  天守群は昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリートで外観復元されました。

Pict0018

Pict0020

 

  楠門。

Pict0026

Pict0024

 

  天守曲輪のうち乾櫓。

Pict0028

 

  左が二ノ門櫓と右が乾櫓。

Pict0030

 

  乾櫓。

Pict0031

Pict0037

Pict0035

 

  公園南から。

Pict0041

 

  天守曲輪の天守群。

Pict0043_2

  撮影 2005/12/16

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 3日 (月)

【天守閣】外観復元天守(6)2015年1月 - 福知山城(京都府福知山市)

 

  旧丹波国は明治になってから京都府と兵庫県に分割されてしまいました。

兵庫県に編入された町では篠山市や旧柏原町(かいばらちょう)の城下町が含まれます。

京都府では何と言っても福知山市や綾部市。

その京都府丹波の中心都市が福知山市です。

 

  福知山城は丹波平定に功のあった明智光秀が丹波の拠点として築造しました(天正7年(1579年)。

関ヶ原の戦い(慶長5年(1600年)の後、戦功をあげて6万石に倍増されて入部してきたのが有馬豊氏で、大坂の陣でさらに功を積み重ね20万石で筑後久留米藩に移封していくと、幕府領、岡部家、稲葉家、再び幕府領、松平(深溝 (ふこうず))家と目紛るしく藩主家が入れ替わりましたが、寛文9年(1669年)朽木稙昌(くつきたねまさ)が3万2000石で入封するとやっと安定し、、明治まで13代にわたり朽木家が統治しました。

この朽木氏は分家筋にあたり、本家は本領の近江国朽木谷で交代寄合の旗本として存続しました。

 

  福知山駅の北口に出て、県道を右(東)へ歩いて行きます。

  お城まで徒歩で15分ぐらいです。

Dsc07147

 

  途中福知山市役所や裁判所の前を通ります。

Dsc07055

 

  その途中から見える福知山城天守。

Dsc07048

 

  お城の東側にある法川と太鼓橋。

Dsc07058

 

  櫓風の建築物となっている福知山市佐藤太清記念美術館。

Dsc07060

 

  歩道橋の右側から登ります。

  左の建物が福知山市佐藤太清記念美術館。

Dsc07066

 

  南に向けて登っていきます。

Dsc07072

 

  福知山市佐藤太清記念美術館を見下ろして。

Dsc07073

 

  法川に架かる太鼓橋。

Dsc07074

 

  本丸にて。

  銅門番所(あかがねもんばんしょ)。

Dsc07094

Dsc07092

 

  福知山城天守。

  昭和60年(1985年)に外観復元されました。

  この際に銅門番所も本丸に移築されたそうです。

  入館料大人310円、こども(小・中学生)100円。

Dsc07098

Dsc07102

 

  小天守。

Dsc07105

 

  拝観は東から入ります。

  登り口に下りることができる模擬門。

Dsc07113

 

  帰り。

Dsc07134

  撮影 2015/01/04

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 2日 (日)

【天守閣】外観復元天守(5)2016年3月 - 大垣城(岐阜県大垣市)

 

  大垣藩は石川家5万石で3代、松平(久松)家2万石で2代、岡部家5万石で2代、松平(久松)家6万石で1代の藩主家の支配を経て、寛永12年(1635年)摂津尼崎藩より戸田氏鉄(とだうじかね)が10万石で封ぜられ、以後戸田家が11代にわたり明治までこの地を治めました。

大垣城は各城主によってそれぞれ改修が加えられましたが、慶安2年(1649年)に氏鉄(うじかね)によって最終的な姿となりました。

大垣城も御多分にもれず昭和20年(1945年)まで天守が現存しましたが戦災で焼失してしまいました。

 

  駅前道路を南に行くと中央分離帯に西に入れと指されています。

Dsc05038

 

  すぐに東門と天守が見えます。

Dsc05039

 

  東門の右手にある艮隅櫓(うしとらすみやぐら)。

  この櫓も戦災で焼失しました。

Dsc05042

 

  東門。

Dsc05044

Dsc05049

Dsc05047_2

 

  天守は珍しい四層。

Dsc05054

 

  昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリートで外観復元されました。

Dsc05058

 

  西に抜けます。全体が公園となっています。

Dsc05062

Dsc05064

 

  戸田氏鉄(とだうじかね)の騎馬像と天守。

Dsc05069

Dsc05074

 

  乾隅櫓(いぬいすみやぐら)。

Dsc05084

Dsc05086

 

  西の公園から天守と乾隅櫓。

Dsc05090

  撮影 2016/03/31

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月28日 (水)

【天守閣】外観復元天守(4)2014年11月 - 会津若松城(福島県会津若松市)

 

  蘆名義広(あしな よしひろ 佐竹義重の二男で養子)が伊達政宗に敗れて追われるまで若松の前身の黒川城は蘆名氏の居城でした。

小田原征伐後に豊臣秀吉は伊達政宗から黒川を召し上げ、替わりに蒲生氏郷を92万石で封じ、氏郷は黒川の地を若松と改名。

氏郷は文禄元年(1592年)から本格的な近世城郭としての若松城と城下町を築きました。

 

  蒲生家2代以後、上杉景勝が120万石で入るも関ケ原の戦いで30万石に減封され米沢へ移ると、幕藩体制としての若松藩初代藩主として、若松での蒲生家2代目の蒲生秀行が返り咲きました。しかし子の忠郷は無嗣改易。

そして替わりに加藤嘉明が40万石で入るも2代目明成(あきなり)が御家騒動(会津騒動)を起こし40万石を返上(大名としての家名は残る)する羽目に陥ります。

 

  加藤家以降は幕府で重きをなした保科正之(ほしなまさゆき 3代将軍徳川家光の異母弟)が23万石で若松に入り維新まで10代続きやっと安定(3代目正容(まさかた)から松平姓を名乗る)。

会津藩の戊辰戦争での戦いぶりは白虎隊の自刃など今も語り草となっていますね。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  本丸の北と西にある北出丸、西出丸は加藤明成の造築によるものです。

Aizuwakamatutyo

 

  現在の会津若松城見取り図。

  西出丸は現在では駐車場となっています。

Dsc05730

 

  観光に便利なまちなか周遊バス。

  「ハイカラさん」と「あかべぇ」がそれぞれ逆方向に30分毎に運行されています。

  ハイカラさん・あかべぇ専用1日フリー乗車券は大人500円(小人 250円)。

  ちなみに1回乗車210円。

Dsc05593

 

  福島県立博物館の前の鶴ヶ城三の丸バス停で下車。

Dsc05596

 

  博物館は三の丸にあります。

Dsc05598

 

  鶴ヶ城入口。

Dsc05602

 

  三の丸から二の丸への虎口。

Dsc05609

 

  二の丸から本丸へ。

  天守が見えてきました。

Dsc05631

 

  石垣の右側に沿って奥へ。

Dsc05642

 

  昔々の黒瓦時代に一度訪れたことがありますが、赤瓦になってからは初めて。

  現在の天守は昭和40年(1965年)に鉄筋コンクリートで外観復元されました。

Dsc05658

 

  堂々とした天守です。

  しかしあくまで外観復元ですから外から眺めた方が良いですね。

Dsc05663

 

  先ほどの本丸と二の丸とに架けられた赤い廊下橋。

Dsc05691

 

  鶴ヶ城天守閣入場料金は大人410円小人150円。

Dsc05695

Dsc05702

 

  鉄門(くろがねもん)。

  帯廓を経て西出丸の駐車場へ。

Dsc05708

 

  磐梯山と飯盛山。

Dsc05722

 

  飯盛山は白虎隊が自刃した場所で墓があります。

  さざえ堂も見所。

Dsc05723

 

  干飯櫓(ほしいやぐら)。

  平成13年(2001年)の復元。

Dsc05726

  撮影 2014/11/08

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月14日 (水)

【天守閣】外観復元天守(3)2010年4月 - 広島城(広島県広島市)

 

 

  広島城は広島藩42万6000石、浅野氏の居城でした。

元和5年(1619年)初代藩主の福島正則が改易となると、紀伊和歌山藩から浅野長晟(あさのながあきら)が移封され、以後明治まで12代にわたり広島藩を治めました。

天守は昭和20年(1945年)8月6日まで現存。

現在の天守は昭和33年(1958年)に外観復元されました。

 

  広島といえば路面電車。

  広島城へは広島駅から紙屋町東、もしくは紙屋町西電停で下車。

  その後、徒歩で15分ぐらい。

Pict0136

 

  立町電停あたり。

Pict0019

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  現在、本丸と二の丸が残っていますが三の丸は市街地化しています。

Hirosimatyo

 

  二の丸の手前から太鼓櫓、多門櫓、平櫓。

Pict0138

 

  西側に回り表御門と平櫓。

Pict0142

 

  日清戦争時には本丸に大本営が置かれました。

Pict0006

 

  本丸内からはなかなか写すのが難しい。

Pict0009

 

  拝観料は大人370円、シニア(65歳以上)180円、高校生180円、中学生以下は無料(シニアと高校生は年齢確認必要)。

Pict0011

 

  天守から。

Pict0015

 

  お堀の外から。

Pict0147

 

  同じく。

Pict0151

  撮影 2016/04/07

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月11日 (日)

【天守閣】外観復元天守(2)2015年8月 - 松前城(北海道渡島総合振興局管内松前町)

 

  松前城はロシア艦隊の来航などを踏まえて北方の警備のために、幕末の安政元年(1854年)に竣工した江戸時代では最後期の城郭の一つ。

惜しいことに天守は昭和24年(1949年)まで現存しましたが失火で焼失してしまいました。

 

  松前までの交通アクセスは1988年に松前線が廃止されると木古内からのバスが唯一の公共交通機関となりました。

さらに今年(2016年)新幹線が開通すると青森から木古内へのアクセスは2時間に1本のみとなり、開業前の1時間に1本の特急「白鳥(スーパー白鳥も含む)」停車時より不便となってしまいました。

そして、その木古内から松城(松前)まではさらにバスで1時間30分の所要です。

 

  ただし函館からは江差などとセットで観光できる定期観光バスがあります。

江差・松前名所周遊号(2016年現在).。

 

  2015年の夏の旅行は東北・北海道がメインであったためにJR東日本とJR北海道共通の「とくとくきっぷ」である「北海道&東日本パス」を利用しました。

  蟹田~木古内間は特急券無しで乗車できるのが魅力でした。

  木古内駅にて。

Dsc00688

 

  まだ工事中であった新幹線木古内駅。

Dsc00691

 

  駅前からバスで松前に向かいます。

  電車とバスの連絡が悪く1時間半ぐらいベンチでゴロゴロしていました(喫茶店も見つけられなかった)。

Dsc00704

 

  津軽半島。

Dsc00706

 

  松城バス停(松前ではない)待合室。

Dsc00710

 

  バス停の一本北側の城下通り。

Dsc00712

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

Matumaezu

Dsc00714

 

  搦手二ノ門(からめてにのもん)。

  奥が拝観入口。

  拝観料は大人360円、小、中学生240円。

Dsc00731

 

  館内。

  鉄筋コンクリート造りで趣はありません。

Dsc00736

 

  本丸表御殿跡。

  その向こうに松前神社。

Dsc00738

 

  天守最上階。

Dsc00743

 

  重要文化財の本丸御門と外観復元された天守。

Dsc00759

Dsc00750

Dsc00754

 

  天守は昭和36年(1961年)に落成しました。

Dsc00764

 

  重要文化財の本丸御門。

Dsc00765

 

  本丸表御殿跡から。

Dsc00779

 

  松前神社。

  松前氏(蠣崎氏)の先祖とされる武田信広公を祀っています。

Dsc00780

 

  松前藩主松前家墓所。

Dsc00860

Dsc00867

 

  松前藩屋敷。

  松前を再現したテーマパーク。

  拝観料大人360円、小人240円

Dsc00894

Dsc00896

  撮影 2015/08/30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 8日 (木)

【天守閣】外観復元天守(1)2013年4月 - 岡山城(岡山県岡山市)

 

 

  外観復元天守は現在まで残る図面や写真などから再現され得るものの内、外観のみを復元した天守。

鉄筋コンクリートなどで再現され、70年前までは現存したものの、戦災で焼失した天守が多いのも特徴です。

 

  戦国時代以降、宇喜多氏が根拠地としていた岡山城は、関ケ原の戦いで西軍から東軍に寝返ったことで有名な小早川秀秋の統治を受けて後、江戸時代を通じて池田氏の居城となりました。

ちなみに岡山藩は31万5000石の大藩でした。

 

  天守閣は昭和20(1945年)年まで現存しましたが、残念ながら空襲により焼失。

現在の天守は鉄筋コンクリートで昭和41年(1966年)に再建されたものです。

 

  岡山駅前から市電(岡山電気軌道株式会社(おかやまでんききどう))の東山線で「城下(しろした)電停」まで利用します。

  運賃は区間により100円と140円の二通りあります。

  駅前から城下電停までは100円。

Dsc08451_2

 

  城下電停にて。

Dsc08597

 

  電停からさらに東に歩いていくと旭川(あさひがわ)の畔に出ます。

  右手に岡山城、左手に後楽園があります。

Dsc08458

 

  月見橋を渡り後楽園に向かいます。

Dsc08460

 

  月見橋の途中から。

Dsc08462

 

  後楽園側から。

  城下電停からここまで歩いて約10分ぐらいでしょうか

Dsc08464

 

  後楽園南門。

  裏口にあたります。

Dsc08466

 

  後楽園内からの岡山城。

  桜は満開でしたが曇り空であったのが残念。

Dsc08487

Dsc08505

 

  南門から再び旭川沿いに出て。

Dsc08528

 

  城門。

Dsc08557

 

  現存遺構として残っている月見櫓。

  やはり現存遺構として残っている西の丸西手櫓とともに重文指定を受けています。

Dsc08584

 

  内側からの月見櫓。

Dsc08570

Dsc08571

 

  南へ向かう途中の石垣。

Dsc08542

 

  公園案内図。

  旭川に架かる月見橋からの道を真っ直ぐ南に歩いて現在地に至りました。

  ここから天守のある本丸内へ。

  したがって掲載写真の前後関係は正確ではありません。

Dsc08544

Dsc08550

Dsc08549

 

  本丸内で移築保存されている天守閣の礎石。

Dsc08561

Dsc08562

 

  本丸内からの天守。

  昭和41年(1966年)の再建。

Dsc08567

  撮影 2013/04/04

| | コメント (0) | トラックバック (0)