2016年11月11日 (金)

【天守閣】木造復元天守(5)2012年4月 - 伊予大洲城(愛媛県大洲市)

 

  四国愛媛県松山市から伊予大洲に向かう場合、内子線経由の短絡線と伊予灘に面した伊予長浜経由があります。

特急などの優等列車は内子経由を利用しますが、伊予長浜経由の路線は1時間に1本の普通のみの列車しか運行されず、ゆっくりと列車の旅を思う存分満喫できる路線です。

 

  大洲城は文禄4年(1595年)に藤堂高虎が入城すると近世の城郭として整備され、慶長14年(1609年)には脇坂安治が入城し、この2人の時代に天守をはじめとする建造物が造営されました。

その後、元和3年(1617年)に加藤貞泰が6万石で入封すると明治まで13代にわたり加藤氏が治めました。

 

  伊予長浜駅にて。

  十数分の停車時間中に車外に出てみました。

  ここからは海を離れ肱川(ひじかわ)沿いを伊予大洲まで遡ります。

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  伊予大洲駅に到着。

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  伊予大洲駅。

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  大洲の町は駅から歩いて肱川の向こう側。

  徒歩15分ぐらいで河岸に出ます。

  川越しに伊予大洲城が見えます。

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  こちら側の桜はまだ若木みたいですね。

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  肱川(ひじかわ)の橋梁をのんびりと普通列車が行きます。

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  こちらは特急「宇和海」。

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  「おはなはん通り」。

  大洲の観光は大洲城だけではありません。

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  三の丸南隅櫓、高欄櫓と天守と台所櫓。

  天守を除いて現存遺構で重要文化財。

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  天守と高欄櫓。

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  手前が台所櫓、天守と左に高欄櫓。

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  苧綿櫓(おわたやぐら)。

  これも現存遺構で重要文化財。

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  櫓内。

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  天守内。

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  天守は平成16年(2004年)に復元されました。

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  撮影 2012/04/07

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2016年11月 9日 (水)

【天守閣】木造復元天守(4)2015年8月 - 白石城(しろいしじょう 宮城県白石市)

 

  肥後の八代城ととともによく一国一城令の例外として数えられるのが白石城。

白石城は仙台藩の支城として代々片倉氏が居城としました。

 

  角館と念願の松前城を訪れた後、いわばおまけ的な感じで訪れたのが白石城でした。

初めてでも無く、他に武家屋敷が残っていることもよく知っていますが、今回は雨と言うこともあり、お城だけを確認してみて回りました(震災後初めてであった)。

震災直後には白壁などが剥がれたという情報を得ていましたが、この時点では震災を感じさせるものは一切ありませんでした。

 

  白石駅前。

  駅前から北へ向かいます。

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  丘陵の上に築かれた平山城。

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  元来この地にあったという「二ノ丸大手二ノ門」。

  現在は移築されている。

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  外からの大櫓(三階櫓)。

  天守の代替とも言うべき。

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  平成7年(1995年)に木造で復元されました。

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  本来は本丸は御殿で埋まっていました。

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  鐘楼。

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  石段の屋根もこの様であったそうです。

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  大櫓の内部。

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  本丸は現在は広々とした公園となっています。

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  撮影 2015/08/31

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2016年11月 5日 (土)

【天守閣】木造復元天守(3)2012年8月 - 新発田城(しばたじょう 新潟県新発田市)

 

  丹羽長秀に仕えていた溝口秀勝は長秀の若狭支配時代に信長の直臣となります。

信長の死後は秀吉に仕え、丹羽長秀の後を受けて北陸支配を統括した堀秀政の与力となり大聖寺城主に(4万4000石)。

越後を支配していた上杉景勝が慶長3年(1598年)120万石で会津へ移封されると、北陸を支配していた諸将がそのまま横すべりで越後に入り、溝口秀勝も新発田に6万石で領地替えとなります。

関ヶ原の戦いでは東軍に与し本領安堵。そのまま12代で明治に至りました。

 

  駅から城址まで徒歩で25分ぐらい。健脚な人には問題ありませんが微妙な距離です。

  1時間に1本のコミュニティバスがあります。

  あやめバス路線図と時刻表。

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  駅前通り。

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  城址は微妙な距離にあります。

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  本丸の三分の二ぐらいが陸自の新発田駐屯地。

 

  まず目にするのが旧二の丸隅櫓。

  寛文8年(1668年)の大火後に再建され、現場所に移築されました。

  国の重要文化財。

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  享保17年(1732年)に再建された現存する本丸表門。

  国の重要文化財。

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  溝口氏の家紋である溝口菱。

  五階菱(ごかいびし)、掻摺菱(かきずりびし)ともいう。

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  溝口秀勝公。

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  三階櫓。天守の代替とも言うべき櫓。

  平成16年(2004年)に本丸辰巳櫓と共に、木造で復元されました。

  陸自の敷地にあるため拝観はできません。

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  本丸表門。

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  本丸辰巳櫓と本丸表門。

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  本丸辰巳櫓。

  木造で復元。

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  撮影 2012/08/22

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2016年10月31日 (月)

【天守閣】木造復元天守(2)2013年3月 - 掛川城(静岡県掛川市)

 

 

  掛川城は東海道の重要拠点の一つ。

名古屋(清洲)から岡崎、吉田(豊橋)、浜松、掛川、駿府(静岡)まで関東の徳川家康を押さえるべく豊臣秀吉が諸城に恩顧の大名を入れました。

しかし皮肉なことに関ヶ原の戦いではこの恩顧の諸大名は徳川方へ。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い時には掛川城主は山内一豊でした。

もちろん東軍に与したわけですが、戦後一躍土佐一国の大大名となりました。

 

  幕末の1854年(安政元年)末に大地震が襲い(安政東海地震)建築物が倒壊、御殿は再建されましたが、天守は再建されませんでした。

その際に再建された二の丸御殿は貴重な遺構として重要文化財に指定されています。

 

  掛川藩の藩主家は13家が入れ替わり立ち代わり、激しい出入りで、最も長い藩主家は最後の太田氏で7代で明治を迎えました。

 

  掛川駅はJRの他に天竜浜名湖鉄道(旧二俣線)の発着駅。

  それから新幹線駅です。

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  駅前道路を真っ直ぐ行きます。

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  太鼓櫓と天守が見えてきます。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  地形的に比較的昔の面影を止めています。

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  天守は木造で平成6年(1994年)に復元されました。

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  二の丸御殿の玄関前から。

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  御殿の内部。

  ほぼ原形を止めた御殿として貴重な遺構です。

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  御殿を外から。

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  太鼓櫓。

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  天守から二の丸御殿。

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  天守内部。

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  天守下からの御殿。

  二本の避雷針は見栄え的に悪いですがそれだけ貴重という事です。

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  静岡方面行き普通電車211系。

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  撮影 2013/03/26

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2016年10月27日 (木)

【天守閣】木造復元天守(1)2003年3月 - 白河小峰城(福島県白河市)

 

  前回の熊本城に続いて先の東日本大震災でその石垣が壊滅的に被害を被った白河小峰城。

去年の東北旅行(2015年8月)の際に車窓から観察してみましたが、まだ重機が動いていて、工事は継続されている模様でした。

さて復元木造天守ですが、こちらも色いろ物議を醸し出しました。

私も天守の中に入ってみましたが、最上階はほとんど密閉状態で、これでは消防が黙っていないし、その木造建築としての大きさから建築基準法が許しません。

しかし当初は人を入場させないという理由で許可を得て築造。

消防法の方もけっきょく消火器の設置と人数制限を設けることで折り合いが付いたと聞きました。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

  二の丸の南側に白河駅があります。

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  石垣が美しいお城でした。

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  内部はこんな感じ。

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  外に開いた空間が無いので閉じ込められた感じ。

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  平成3年(1991年)に天守が平成6年(1994年)に前御門が復元されました。

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  結城氏や阿部氏に関する資料を展示した「白河集古苑」は一見の価値があります。

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  撮影 2003/03/05

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