2009年10月28日 (水)

備中高梁(たかはし)城(備中松山城)(4) - 下山、麓(ふもと)の武家屋敷へ(「鉄道の日記念乗り放題きっぷ」)旅行(12))

 

  本丸、天守閣、二重櫓等々を見学して後、本丸の下の二の丸でベンチに座り休憩しました。

「ふいご峠」駐車場での乗合タクシーの出発時刻が14時40分なので、若干の時間調整の意味もありました。

ふいご峠から上までは、個人差もありますが20分から30分というかんじでしょうか。若い人は降りる時など早い早い。

 

  本丸の建物を望みながらベンチで休憩。

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  下を見るとはるかに高梁川が見えます。

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  三の丸付近にある重文の土塀横を下りていきます。

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  三の丸から大手門跡付近の石垣群ともお別れです。

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  ふいご峠の駐車場に戻ってきて、休憩所の自動販売機のジュースを飲みながら乗合タクシーを待ちました。

  帰りのタクシーは下から女性一人を乗せてやって来ました。

  下りはもう一人の男性と私の二人。

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  下に降りてすぐのところに武家屋敷があります。

  駅まで行かず二人ともここで運賃420円を払って下車しました。

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  武家屋敷が並んで二軒保存されています。

  二軒の武家屋敷の拝観は共通で400円です。

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  この通りを石火矢町ふるさと村として、一般の家も武家屋敷に合わせて土塀をめぐらせています。

  この坂を降り切り左に上ると頼久寺があります。

  右に伯備線のガードをくぐり、そこを左手に進むとキリスト教会のある交差点に出ます。

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  坂を降りきったところです。

  線路のそばできれいに咲いている花を撮っていたら新見行きの電車が。

  ここらあたりはもうスピードがでています。

  213系と思われます。後部です。

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  撮影 2009/10/15

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2009年10月27日 (火)

備中高梁(たかはし)城(備中松山城)(3) - (「鉄道の日記念JR全線乗り放題きっぷ」旅行(11))

 

  二の丸からは現在日本に存在する現存天守閣の12の内のひとつである備中松山城の天守閣が望めます。

国指定の重要文化財です。

また、天守の後ろにある二重櫓、三の丸付近の土塀が重要文化財に指定されています。

 

  二の丸からの天守閣。

  天守があるのが本丸です。

  階段を上がって拝観料を。300円です。

  天守閣の内部も見ることができます。

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  門からの本丸と天守閣。

  江戸時代には山の上の城は平時には使われる事が無く、

  山麓の御根小屋という御殿で政務が執られました。

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  一時天守閣は荒れるにまかされていましたが、昭和初期に修復されました。

  小さいですが品のある天守閣です。

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  天守閣内から本丸と外の二の丸を。

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  天守閣内の天井の骨組み

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  天守閣の後ろにある二重櫓。

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  本丸と天守ほかを充分見終わって、外の二の丸に出ました。

  外の天守閣の脇をまわって二重櫓の下を行くと搦め手(からめて)のおりくちに出ます。

  しかし、すぐ下の道は崩れていました。

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  搦め手(裏口にあたります)付近から二重櫓を。

  天守と二重櫓はひとつの岩盤の上に石垣を組みたてて、その上に建てられているのがわかります。

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  後ろにある曲輪(くるわ)からの二重櫓。

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  撮影 2009/10/15

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2009年10月26日 (月)

備中高梁(たかはし)城(備中松山城)(2) - (「鉄道の日記念JR全線乗り放題きっぷ」旅行(10))

 

  備中松山藩は藩主の入れ替わりが激しく、最後の板倉氏が藩主として入った1744年までは一定しませんでした。

板倉氏は江戸時代の初期、家康から信任が厚い勝重が京都所司代として、朝廷、大坂豊臣氏との折衝にあたり重要な役割を務めた家柄です。

また、維新前後には第7代藩主の勝静(かつきよ)は、最後の将軍慶喜の新任が厚く老中を務め、幕府が倒れた後も新政府軍と五稜郭まで戦いました。

勝静(かつきよ)は、もともとは久松松平家の出身で伊勢桑名藩の久松松平家としては初代になる松平定永の八男で、板倉家には婿養子として入った人物でした。

ただ、最後まで抗戦したことで、備中松山藩を高梁藩に(愛媛の松山と紛らわしいという理由づけで)藩名を変えられたそうです(新政府になっても廃藩置県までは藩は存在した)。(Wikiその他より)。

高梁市内を流れる高梁川は、現在の倉敷市で瀬戸内海に流れ込みますが、その西に現在は水島という港があります。

このあたりは昔は玉島といい(現在でも町は玉島の名が)、江戸時代には備中松山藩の飛び地の領地だったそうです。

藩は高梁川から玉島港まで運河を開削したりして、玉島港は大変繁栄したそうです。

その関係で幕末に大船(おおぶね)を持っていた備中松山藩の板倉勝静(かつきよ)は五稜郭まで行ったそうです。(最後の話は、武家屋敷の係員さんが説明をしてくださいました。調べましたがよくわかりませんので、確信はもてません)

 

  大手門跡付近の石垣群。

  石は山中から切り出し使用したので、下から運ぶということは無かったそうです(観光案内所の人談)。

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  石垣群の上が三の丸です。

  さらに三の丸の石垣群。

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  この三の丸から階段を登っていくと天守の見える二の丸へ。

  土塀は江戸時代からの遺構で重要文化財に指定されています。

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  登りの途中から土塀のある三の丸を見おろします。

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  最後の登りになります。

  石垣の上が二の丸で天守が見えます。

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  そして、皆さんがお撮りになる有名な天守が。

  天守と後ろの二重櫓が現存遺構で重要文化財です。

  ここが二の丸で、天守閣のあるところが本丸になります。

  本丸は有料で拝観料300円です。

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  撮影 2009/10/15

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2009年10月25日 (日)

備中高梁(たかはし)城(備中松山城)(1) - 高松から備中高梁(岡山県)へ (「鉄道の日記念JR全線乗り放題きっぷ」旅行(9))

 

  あくる日は宿を7時に出て、琴電瓦町駅から築港駅に向かいました。

そしてJRの高松発7時45分の快速「マリンライナー12号」で岡山に、さらに伯備線の新見行きに乗り換えて備中高梁駅に着いたのは10時少し過ぎでした。

この日の目的地の備中高梁城は数百メートルの山上にあり、日本三大山城のひとつに数えられています。

現在は車が登ることができる道路がつけられていますが、一般の車が登れる「ふいご峠」駐車場からは、なおまだ距離にして700メートルを登らなければなりません。

土日、祝祭日には登山道は一般の車をすべて締め出し、自家用車利用者向けにシャトルバスが運行されます。

山への登り口近くの城見橋公園に大きな駐車場があり、ここで車からバスに乗り換えます。

また徒歩者向けには、平日を含めて毎日駅前の観光案内所まえから観光乗合タクシーが運行されています。

要予約で本数も上下4本ずつです。

シャトルバスは往復300円。

観光乗合タクシーは片道420円です。

 観光乗合タクシーのリンクはこちら。

        こちらに予約先の電話番号と運行時間表があります。

        リンク先は高梁市のホームページです。

なお、観光乗合タクシーの場合一人でも予約可です。

実際、登りの時は私一人でした。

 シャトルバスの案内はこちらです。

       こちらのリンク先は高梁市観光協会です。

 

  朝7時半頃の高松駅。

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  10時過ぎ備中高梁駅にて。

  岡山から乗ってきた新見行きが出発していきます。

  備中高梁までは1時間に2本の間隔で電車があります。

  新見まではそのうち1本が。

  ただし13時台のみ備中高梁止まりです。

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  備中高梁駅。

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  備中高梁の駅前通り。

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  駅前通りから北(右)に向いてアーケード街がありました。

  観光乗合いタクシーの出発の11時20分に合わせるために喫茶店で休憩。

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  ふいご峠の駐車場。

  一般の車はここまでです。

  右奥に遊歩道の入り口があります。お城までは距離にして700mとの表示。

  さらに上に行く車道がありますが、結局途中で遊歩道へ降りなければならず、

  その地点で気づかない可能性があるので始めから遊歩道を行く方がよいかもしれません。

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  遊歩道への入り口。

  松山城方面と書いてあるのは、備中松山城が正式名だからです。

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  高梁の街並みと高梁川。

  高梁川もお城と同じで昔は松山川であったそうです。

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  上太鼓丸跡の石垣。

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  石垣の上から。

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  大手門跡付近の石垣群。

  この上が三の丸になります。

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  撮影 2009/10/15

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2009年10月12日 (月)

愛知県田原市 - 三河田原城址の博物館(「鉄道の日記念JR全線乗り放題きっぷ」で)

 

  さて、博物館のある田原城址にやってきました。

現在お城の遺構として残っているのはお堀とその石垣です。

博物館を作るときにかなりの遺構を崩してしまい批判があったそうです(wiki参照)。

また桜門や二の丸櫓が再建されましたが、古写真に残っているものとはかなり外見が異なっているとの指摘もあります。

博物館は普段は拝観料210円ですが、特別展示がある場合はその都度料金が設定されます。

今回は秋の企画展として「能に見る日本の女性像ー能装束・能面の世界ー」(2009/8/22-11/8)があり拝観料600円でした。

常設展示では渡辺崋山の資料が充実しています。

崋山は田原藩の家老で藩の財政改革に腕を振るいましたが、蘭学を憎む当時の幕府の弾圧を受け、のちに藩への影響を恐れ自決しました。

この弾圧事件を歴史上「蛮社の獄」といいます。

 

  大手門跡。桜門と呼称しています。

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  東の方から大手門跡を。堀と石垣は昔の遺構です。

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  門の内から正面にある郷土資料館を。

  郷土資料館は無料ですから時間があれば寄ってみましょう。

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  桜門と二の丸櫓。

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  田原市博物館の入り口。

  駐車場はこの裏の道路沿いにあります。

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  二の丸櫓の中は博物館の一部でここは無料で拝観できます。

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  二の丸櫓の展示室。

  中央に田原城の模型があります。

  一番手前に門と左右にお堀がありますがこれが現在残っているお堀と思われます。

  それから、これを見る限りそんなに大きな城ではなかったようですね。

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  城門を出て道路を左に行くと大通りに出ます。

  それを南に行くとそのまま駅前に。

  駅前だけ道路幅が狭くなっています。

  写真は駅前の通りから北の方の博物館の方を。

  真っ直ぐ行くと博物館の東に出ます。

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  三河田原駅前。

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  三河田原駅にて。

  豊橋鉄道の電車は4色あり、緑、青、黄色、赤を基調としています。

  赤の数が一番多かったです。

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  新豊橋駅。写真は田原へ行く前のもの。

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  撮影 2009/10/10

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2009年9月25日 (金)

熊本城 - 2001年工事中の熊本城

 

  今年訪れた熊本城は、以前2001年に訪れたときには工事中であった櫓や門がすべて完成していました。

   

   下の写真は飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)を下から撮ったものです。

                                                                                                                                                                                                     (2009年撮影)

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   2001年に東側から撮影した西竹の丸五階櫓跡の石垣と飯田丸の工事の様子です。

   手前の西竹の丸五階櫓の石垣にはまったく通路が無く、現存していたころは橋でも架けてあったのでしょうか。

                                         (2001年撮影。フィルムスキャンした画像なので画質が悪い。)

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   飯田丸に入って間近からの五階櫓の工事現場。

   古い石垣に足すように新しい石垣を組んでいます。

                                                                                                                                                                                       (2001年撮影)      

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   そして復元なった飯田丸五階櫓を飯田丸内部から見た写真。

                                                                                                                                                                                                                      (2009年撮影) 

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    飯田丸五階櫓のそばにある大木は昔もありました。

                                                                                                                                                                                                                     (2001年撮影)

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   次に西出丸と奉行丸の櫓と門の工事中の写真。

   宇土櫓からの写真。

                                                                                                                                                                                                                   (2001年撮影)

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   すべてが完成しこんな様子に。

  左手の門が南大手門、その右に西大手門。

   西大手門に隠れるように元太鼓櫓。

   南大手門の奥に見えるのが未申櫓(ひつじさるやぐら)です。

   両大手門のこちら側が西出丸、向こう側の未申櫓(ひつじさるやぐら)までが奉行丸。

                                                                                                                                                                                                                       (2009年撮影)

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   最後に西出丸の北西の角に工事中の戌亥櫓(いぬいやぐら)。

                                                                                                                                                                                                                   (2001年撮影)

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   天守閣から西出丸全体を見渡したもの。

   手前の櫓は宇土櫓(うとやぐら)。

   向こうに白い塀のあるのが西出丸で、宇土櫓の右手奥にわずかに見えるのが戌亥櫓(いぬいやぐら)です。

                                                                                                                                                                                                                   (2009年撮影)

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   北からの戌亥櫓(いぬいやぐら)。

                                                                                                                                                                                                                   (2009年撮影)

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  (撮影 2001/7/25、  撮影 2009/8/25)

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2009年9月12日 (土)

鳥取県米子市 米子城跡 - 江戸時代米子は鳥取藩領(フェリーと青春18きっぷで行く旅(15))

 

  米子は江戸時代には鳥取池田藩の所領でした。

池田藩は現在の鳥取県ほぼ全域を支配する大藩で、旧国名でいうと米子や倉吉を含む地域が伯耆(「ほうき」鳥取県西部)、鳥取を中心とする因幡(「いなば」鳥取県東部)の二カ国を持ち、石高も三十二万石以上の大名でした。

米子城については家老の荒尾氏が城代に入り明治維新にいたるまで米子を統治しました。

荒尾氏の石高は一万五千石。

現在は石垣以外は残っていません。

藩主ではなく城代の治める城でしたが五重大天守などがある大きな城でした。

その後明治になって古物商に売り払われすべて解体されました。

惜しいことです。

   

   米子駅前からメインストリートの一本西の大通りをまっすぐ北に行きます。

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   上が南、下が北の米子の地図。

   川の左側に川を渡る道路(河口に近いところ)を挟んで上に小さな山、下に大きな山がありますが

   大きなほうが天守のあった城跡で、こちらに石垣が残っています。

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   城跡の見取り図ですが、今度は上が北になります。

   車の方は城跡の南側にある「P」とある駐車場に止めるとそこから登り口があります。

   私は登りは南から、くだりはこちらの駐車場の方に降りました

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   二の丸枡形入口。

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   枡形入り口から少し行くと頂上への 登り口があります。

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   本丸の石垣。すぐに頂上です。

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   天守台。

   眺望がすばらしいです。

   山自体は百メートル未満なので米子を訪れる機会があったら登ることをおすすめします。

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   伯耆富士といわれる大山。

   そういえば今年の春に訪れた松江城からもかすかに見ることができました。

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   礎石が残っている天守台。

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   中海。地図を持っていなかったのでよく判りませんでした。

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   少しひいて大山。

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   本丸の石垣。一番上が天守台。

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   内膳丸に。こちらは五十メートルぐらいの高さ。

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   休憩所がひとつあるだけで眺望もきかないし、なにもありません。

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   頂上の本丸と内膳丸の中間点のおりくち。

   駐車場に下りてきます。

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  撮影 2009/8/27

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2009年9月 5日 (土)

山口県萩市 萩城(指月城-しづきじょう)跡 - (フェリーと青春18きっぷで行く旅(9))

 

  萩は長州藩の藩庁。

藩主毛利氏は関ヶ原の戦いで、敗れた西軍の名目上の総大将であったために、戦後に約九ヶ国120万石の所領を長門、周防(すおう)の二カ国に減封され、広島から萩にうつってきました。

幕末には下級武士が中心となって、薩摩と共に薩長同盟を結び江戸幕府を倒し、維新後は伊藤博文らの政治家や軍人などを輩出し、日本の歴史に大きな足跡を残しました。

 

  そんな萩の街を周るべく、 東萩駅の南脇にあるレンタサイクルで自転車を借りて出発。

9時半過ぎに借りて5時半までと申告して800円でした。

もちろん前払いです。

お店は5時に閉まるので、返し方はお店の方に教えてもらえます。

原則として1日1000円が目安です。

萩の市街地は北を海に西と南を橋本川、東を松本川に囲まれています。

西の長門市方面からやってくる山陰線は、市街地の南から大きく東に回り込む様に二本の川の外側をはしって東萩駅に着きます。

したがって萩市の三つの駅、玉江駅、萩駅、東萩駅、いずれも市街地に入るには橋本川、松本川のいずれかを渡らなければなりません。

昔の城下町の防御としては非常に巧妙にできています。

さて、駅を出発してまず松本川に架かっている萩橋を渡ります。

そのまま真っ直ぐ西に向かえば最短で萩城跡にたどり着けますが、ここは川沿いに北西に向かい、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている浜崎の商家町を訪ねました。

ここの写真はまた機会があればあげます。

そしてそこから海辺に出て、菊ヶ浜海水浴場を右に見ながら萩城跡まで自転車をこぎました。

ただ、海水浴場では一人も泳いでいませんでした。

   

   指月(しづき)山とその麓をも含む萩城のありし日の模型。

   旧厚狭(あさ)毛利家萩屋敷長屋にて展示の模型。

   指月公園を南に出たところにあります。

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   萩城跡 指月(しづき)公園案内図。

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   菊ヶ浜海水浴場から展望した指月山。

   判りにくいですが、周囲を石垣で防御しています。

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   指月山の東側の海岸から。

   土塀は復元されたもの。

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   海岸から海側を。船は観光船です。

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   石碑のある入り口から天守台跡。

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   入り口通路越しに天守台跡。

   拝観受付は通路を入ったところに。

   拝観料210円です。

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    あと全て天守台。

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   天守台から入り口の方を。

   入り口通路の前を真っ直ぐ、建物の間を右に行くと駐車場、レストランなどのある広場に出ます。

   私はそこで昼食をとりました。

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  撮影 2009/8/26

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2009年9月 2日 (水)

熊本城 城外から -加藤神社から棒庵坂、東側から市役所前電停まで - (フェリーと青春18きっぷで行く旅(6))

 

   熊本城の記事は今日で最後です。

「頬当御門(ほほあてごもん)」入り口に面した道路の反対側には「西出丸」がありますが、今回これは省略します。

さて、この入り口から右手に宇土櫓を見ながら北に向かい、加藤神社の前を過ぎ、場外を北から東にまわりこみ様々な櫓を見上げながら、南の電車通りに出て熊本城の見学を終わりにしました。

   

   加藤神社の前を北に向かいます。

   ここからはまだ宇土櫓がのぞめます。

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   北側に出て道を東にとると、高台にあるお城から坂を下って東側に下りて行きます。

   この坂は棒庵坂といいます。

   私がこの坂を下りていくときには地元の学校の生徒が、

   この坂でダッシュの練習をしていました。

   体育系のクラブ活動でしょうね。

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   坂をおりたところから見える天守閣。

   見えているのは小天守です。

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   近くには平櫓(ひらやぐら)という櫓があります。

   石を落とすためにせり出しているのでしょう。

   ちょっとその不安定さがユーモラスです。

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   右上の門が開不門(あかずのもん)です。三つ目の入り口。

   ここから上がって行くと御殿の地下に通ずる門に。

   左の櫓は五間櫓(ごけんやぐら)です。

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   完全に東側にまわりこんで道路を歩いて行きますと、

   熊本大神宮という神社があります。

   そこの鳥居の間から見た東十八間櫓と北十八間櫓。Pict0117

   

   さて、その後「うまや橋」を渡ると電車道に出ます。

   この橋の手前に、紹介する最後の入園入り口の「須戸口門」入り口があります。

   上に上がって右手に道をとるといくつかの長屋風の櫓を内側から見学することができます。

   私は前回来たときに全部見て回りましたので今回は行きませんでした。

   向こうに見えるのは通町筋電停です。

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   市役所前バス停付近から西の方を。

   右手の塀は「長塀」でこの先が最初の「はぜ方門」入り口です。

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   市役所前電停付近の市電。

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2009年9月 1日 (火)

熊本城天守閣と宇土櫓(うとやぐら) - (フェリーと青春18きっぷで行く旅(5))

 

  天守閣には東側の広場から入ります。

また、御殿の入り口は広場の南側にあります。

天守閣の入り口は北側の右側からで南の左側から出ます。

昨日も書きましたが、拝観は入園料に含まれていますので、天守閣、御殿大広間、宇土櫓、飯田丸五階櫓など全てフリーパスです。

   

   天守閣。

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   西側の眼下に見える宇土櫓(うとやぐら)。

   以前は小西行長の宇土城の天守閣を加藤清正が移築したという伝承がありましたが、 

   「平成元年の解体修理の際にその痕跡が見つからなかったので、現在は否定されています(熊本城公式ホームページより)」。

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   宇土櫓前広場から。

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   宇土櫓の内部です。

   国の指定重要文化財です。

   江戸時代からの建物。

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   宇土櫓から見た天守閣。

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   天守閣と宇土櫓のあいだの広場から出ると「頬当御門(ほほあてごもん)」の入り口です。

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    「頬当御門(ほほあてごもん)」の入り口。

   天守に一番近い入り口なので人も多いですね。

   観光バスの駐車場も近いです。

   手前左が宇土櫓で奥に見えるのが天守閣です。

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  撮影 2009/8/25

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2009年8月31日 (月)

熊本城 天守閣と本丸御殿大広間 - (フェリーと青春18きっぷで行く旅(4))

 

  飯田丸から天守閣に向かう途中は石垣が見所なんですが、今回は最後のところで本丸御殿がのっている風景になりました。

本丸御殿大広間は去年平成20年(2008年)3月に完成しています。

さて、天守閣の直下にたどり着くわけですが、この西側は天守の裏で天守に上るには東側の表の広場に出なくてはなりません。

現在は観光客のために橋を渡ればすぐに東側に出られるように便宜をはかっています。

しかし昔は、今の売店のある脇から御殿の地下に入り、その上で初めて天守閣前の東側に出られるという防御上の工夫がされており、それが御殿の再建と共に忠実に再現されています。

なお、最も観光客が利用する「頬当御門(ほほあてごもん)」入り口から入るとすぐに天守閣の直下西側に出られます。

しかし、熊本城の見所の大きなポイントの一つである大きな石垣を堪能するには南側の「はせ方門」からの入園をお薦めします。

   

   天守閣と手前に本丸御殿大広間。

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   天守閣への最後ののぼり。

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   西側からの天守閣。入り口は東側にあります。

   現在では観光客のために便宜上の橋が設置されています。

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   実際にはこの門をくぐって御殿の地下に入ります。

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   地下の途中では、東側に不開門 (あかずのもん)から通じている登り口からの門があります。

   こちらも入園入り口の4つの内のひとつです。

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   御殿地下を抜けてはじめて天守閣前に出られるのが、防御上の工夫でした。

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   天守閣のうち大天守から見下ろした本丸御殿大広間。

   天守閣も御殿も入園料500円を入り口で払っているので全て自由に入れます。

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  撮影 2009/8/25

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2009年8月30日 (日)

熊本城 飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら) - (フェリーと青春18きっぷで行く旅(3))

 

  熊本駅前から市電に乗り「熊本城前」電停で降り、道を左手から右へとると、橋の手前で加藤清正公の像が迎えてくれます。

熊本城への入り口は全部で4つあり、橋を渡ってすぐの入り口を「櫨方(はぜかた)門」といいます。

観光バスで来る客はもう一つ北にあり天守閣に一番近い「頬当御門(ほほあてごもん)」から入場するのが一般的です。

はぜ方門では、入場する前に左手に高く飯田丸五階櫓(やぐら)が望めます。

その後石垣を見ながら登り、天守の見えるあたりで左に折れ、飯田丸という広場に入ります(お城に詳しくない方は、本丸、二の丸、飯田丸などというのは、区画ごとに独立して戦えるような「区域」として作ってある場所と考えてくださればよいと思います)。

飯田丸五階櫓は自由に内部を拝観出来るので入ってみました。

   

   橋を渡って向こう側が入り口の「はぜ方門」。

   熊本城入園料は大人500円、こども(小、中学生)200円です。

   中の施設は全てフリーパスで見れます。

   市電とバス1日乗車券(500円)を購入すると団体割引400円で入れます。

   なお市電は1乗車150円をめどに。

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   下から見上げた飯田丸五階櫓(やぐら)。

   平成17年(2005年)2月に復元完成。

   私が以前訪れたときはこの高い石垣だけでした。

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    飯田丸入り口から天守を。

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   飯田丸の隅にある飯田丸五階櫓(やぐら)を内から。

   外からと内からでは外観の雰囲気が全然違います。

   櫓(やぐら)の基礎の石垣の一部はは新しく組み上げたものです。

   色で判りますね。

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   城内には驚くような巨木がたくさんあります。

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   飯田丸の広場から天守閣と数寄屋丸二階御広間(すきやまるにかいおんひろま)を。

   数寄屋丸には数寄屋丸五階櫓(やぐら)が再建される予定です。

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   飯田丸五階櫓(やぐら)から西の方の「西出丸」にある未申櫓(ひつじさるやぐら)を。

   未申櫓(ひつじさるやぐら)は平成15年(2003年)8月に復元が完成。

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  撮影 2009/8/25

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2009年8月18日 (火)

夏の金沢城 - (兼六園は金沢城の正面)

 

  金沢城です。

2008年の夏の旅。

もちろん青春18きっぷを使っての旅でした。

岐阜から金沢まで約4時間半ちょっと。

金沢では金沢城と兼六園のみでした。

夕方、新潟県の長岡に向けて出発、深夜に長岡で「ムーンライトえちご」に乗車して東京へというルートです。

   

   金沢城の江戸時代の遺構の石川門。

   兼六園の入り口あたりから。

   バスは橋の下にある大通りで降ります。

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   平成13年(2001年)7月に復元なった菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓のうち橋爪門続櫓。

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   橋の上から石川門の方向を。

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   橋爪門続櫓の裏から石川門を。

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   菱櫓。

   連なって五十間長屋、橋爪門続櫓とあります。

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  撮影 2008/8/27

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2009年7月28日 (火)

大垣城 - 岐阜県大垣市(大垣城は火曜日が定休日)

 

  雨模様の中、大垣に行ってきました。

岐阜市からは隣のとなり。

JRで12分です。

取りあえず大垣城へ行き、その後水門川の松尾芭蕉の「奥の細道」結びの地へ行ってみました。

大垣は戸田藩10万石の城下町で、美濃街道の宿場町でもあります。

中山道は旧大垣市内は通っておらず、現在の大垣市内になっている赤坂宿を経て、垂井宿で中山道と美濃街道は合流しています。

大垣藩は、最初の藩主は石川家で5万石、三代。次に松平(久松)家で2万石、二代。次に岡部家で5万石、二代。次に再び松平(久松)家で6万石、一代。そして最後に戸田氏で10万石、12代。

戸田氏の出自は三河で、宗家は松平(戸田)氏で信州松本の城主です。ただ、大垣戸田氏は別家として扱われているようです。

ここらあたりはいろいろ説があるみたいです。

大垣藩に戸田氏が入ったのは1635年でかなり遅いですね。

   

   大垣行きの特別快速がはいって来ました。

   岐阜駅にて。

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   大垣駅から折り返し快速豊橋行きになります。

   向こうに見えるのは養老鉄道の大垣駅。

   その間にあるホームは切り欠きの3番線。

   間にある線路は4番線で、電車は5番線。

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   大垣駅ビルと駅前のロータリー。

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    駅前の通りをまっすぐ南下すると中央分離帯にお城はこちら。

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   指し示されたとおり右(西)に曲がるとこんな感じで東門が。

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   入口の東門と丑寅櫓。

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   大垣城天守閣。一般100円。18歳未満は無料です。

   また郷土館、守屋多々志美術館との3館共通券は一般400円です。

   しかし、今日はお休み。

   火曜日が休みとはなんと変則的な。

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    西の広場から戸田氏大垣藩の藩祖である戸田氏鉄(うじかね)像と天守閣。

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  撮影 2009/7/28

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2009年7月19日 (日)

広島城 - 戦争による破壊

 

  広島城は原爆によって多くの人々の命と共に破壊されました。

原爆については、様々な議論や解釈があります。

しかし事実はひとつだけです

事実をどのように解釈しても、お城も人々の命も一度失ったものは戻ってきません。

これが解釈、議論以前の素の事実なのです。

   

   北西側からの広島城天守閣。

   フィルム写真をスキャンしたもので画質が悪いですが。

   今月、久し振りに訪れるつもりです。

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   西側のお濠越しに。

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   撮影 1998/8/28

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2009年6月26日 (金)

松阪城 - 江戸時代は紀伊藩領南伊勢を統括

 

  松阪城は安土桃山時代の1588年に蒲生氏郷(がもううじさと)により築城されました。

蒲生氏は近江で六角氏に仕えていましたが、1568年の織田信長の上洛の際に六角氏を離れ織田家の配下に入ります。

このとき六角氏は抵抗して滅びました。

氏郷はこのとき13歳で人質として預けられますが、信長は武将としての氏郷を評価し娘婿として遇しました。

氏郷は翌年の伊勢の北畠攻めの大河内城攻略戦を初陣として各地を転戦し、信長が倒れた後は秀吉に組みします。

のち柴田勝家との信長後継争いを制した秀吉は家康と対峙し小牧長久手の戦いとなりますが、氏郷も小牧に従軍します。

もともとこの戦いの直接の原因は秀吉と伊勢の松ヶ島城城主の信長の遺児の織田信雄とが不和となり、信雄が家康を見方に引き入れたものです。

したがって伊勢も戦場となり、氏郷は自分の兵を二分して松ヶ島城攻めにも坂源左衛門を遣わし参戦しています。

こちらの総大将は秀吉の弟の秀長でした。

そして戦後に氏郷は近江の日野(もともとの持ち城)から松ヶ島城に入ります。

先日の田丸城の記事で信長の北畠攻めの後、信雄が田丸城に入り、のち田丸城が火災にあい松ヶ島城に移ったことを書きました。

同じように氏郷は松ヶ島城に入りましたが、彼もここを打ち捨て結局松阪城を築きます。

彼は元の領地の日野から商人等を呼び寄せ松阪の基礎を築きました。

こののち、蒲生氏郷は小田原の役が終わるとその軍功により大きく加増されて会津に転封となり松阪を去ります。

これが1590年のことです。

そして城主は服部氏、古田氏を経て、1619年古田氏の移封にともない最終的に紀州藩領になります。

   

   御城番屋敷を石垣の上から。

   レンガ色の建物は松阪工業高校です。

   この高校の創立は古く、明治までさかのぼります。

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   松阪城の裏門です。

   普通の順路とは真逆に歩いています。

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    裏門の坂を上から。

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   あがるとすぐ左手に階段があり「鈴屋 (すずのや)」への門があります。

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   移築された本居宣長旧宅の「鈴屋(すずのや)」。

   さらに奥に本居宣長記念館があります。

   拝観料は「鈴屋」と共通で300円です。

   写真はありますが、うまく撮れていないのでカットしました。

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   天守台跡のある本丸に向かいます。

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   天守台。

   意外に質素です。

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   天守台から本丸跡を。

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    松阪歴史資料館の前を下りて入り口に。

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   こちらが表です。

   大手通りの突き当たりと思っていただければわかりやすいと思います。

   右手の坂を上がるとすぐに松阪歴史資料館。

   明治時代の図書館だったそうです。

   拝観料は100円。

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2009年6月22日 (月)

田丸城(三重県玉城町)(2) - 江戸時代は紀伊藩領

 

   この日は天気があまり良くなく、時々薄日がさす程度でほぼ曇り空でした。

この後、松阪では雨にも降られましたし。

 

  さて、本丸の天守台から田園風景を眺めた後、二の丸に向かいます。

二の丸は本丸からは北の丸と正反対の方向にあります。

二の丸、本丸、北の丸が横にならんでいると思っていただければよいと思います。

二の丸からも下に下りることができますが、二の丸虎口(こぐち)の下は中学校のグラウンド。

ですが、このまま下りていくと学校に入ってしまいそうです。

思案していると生徒が何人か体操服で出てきて、「こんにちは」と声をかけてくれました。

そこで聞いてみるとやはり学校に入るそうで、仕方なく元の二の丸から本丸へ、本丸虎口から出て下りました。

ここで気付くのですね。

富士見門前の道路を来ると学校の門にも行けますが、途中で登り口に分かれて上に行けるということが。

 

  下りきると、大手の道路を挟んで玉城町役場と村山龍平記念館があります。

私は全く存じ上げませんでしたが、村山龍平さんは朝日新聞の創始者で、郷土の偉人といわれる方だったのですね。

この記念館から隣にある旧三の丸にあったという奥書院に行けます。

しかし拝観は要予約と聞いていたので、結局そのまま田丸駅に向かいました。

   

   本丸の天守台。

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   本丸からみた田園風景。

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   二の丸。

   左に下りると二の丸虎口でグラウンドの上に出ます。

   奥にも下り口があるはずです。

   帰りの列車の車窓から確認できましたから。

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   二の丸虎口。グラウンドの上です。

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   二の丸あたりから田丸駅の方を。

   中央に田丸駅の屋根が見えます。

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    結局、本丸下から下りて、中学校の校門を見ながら下ります。

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   そして元の富士見門の前に戻ってきます。

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   大手の外堀の橋を渡って、大手口を見たところ。

   左手に玉城町役場、右手に村山龍平記念館と奥書院。

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   村山龍平記念館の隣、お城跡側にC-58蒸気機関車が。

   私の小さいころ高山線の旅客列車を牽引していて、岐阜駅でよく見かけました。

   参宮線でも活躍していたのですね。

   とても懐かしかったです。

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2009年6月21日 (日)

田丸城(三重県玉城町)(1) - 江戸時代は紀伊藩領

 

  織田信長の伊勢侵攻時、田丸城の持ち主は田丸直昌という武将でした。

田丸氏は伊勢国司北畠氏の庶流で田丸(昔は玉丸と書いたようです)に居を定めて田丸を名乗ったようです。

信長の伊勢侵攻後、田丸直昌は城を明け渡し織田信雄に仕えるようになります。

田丸城も信雄の城となり1575年に改築されましたが、5年後火災にあい信雄は田丸城を捨て松ヶ島城に移ってしまいます。

その後、城の持ち主は蒲生氏、稲葉氏、藤堂氏と変遷しますが、1619年に御三家徳川紀州藩の所領となり、紀州藩の家老である久野氏が城主となり、明治維新に到ったそうです。

ただし久野氏は和歌山で藩主のもとにいましたから、田丸には城代を置いて統治しました。

 

   田丸駅前の左手の道をたどると信号のある五叉路に出ますが、そこもまっすぐに渡り行きますと、保育所の入り口に出ます。

この左右が外濠で、さらに左手に保育所、右手の方向に玉城町役場を見ながら行くと内濠に出ます。

   

   外濠の左手。

   こちらの方にも登り口があります。

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   内濠の石垣。

   この上には玉城中学校があります。

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   内濠と役場の間の道を行き、役場前のバス停留所のある大手からの入り口。

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   あがるとすぐに移築された富士見門(長屋門)の前に出ます。

   アジサイが綺麗です。

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この富士見門の前を左手には車が通行できる道路があり、中学校の校門に出られるようになっています。

右には遊歩道があり、左手の方は学校へ行く道と勘違いしてしまい、遊歩道へと向かいます。

帰ってから他のサイトやブログなどで確認すると、訪れた人皆さん、左手の道路は学校へ行く道と勘違いされ、遊歩道への道を選んでおられています。

これ、降りてきて気付くんですよね。

なんだ行けたのか、と。

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右手の遊歩道は、北の丸をぐるりと一周して北の丸と本丸との間の空堀に出、木製の階段を上がって本丸の前に行けます。

右が北の丸。左が本丸の石垣。

この左方向が下二枚の本丸虎口。

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   本丸虎口(こぐち)。

   入ると本丸です。

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   天守台。

   本丸に入って右にあります。

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2009年6月 6日 (土)

岡崎城 - 二回目の名鉄「まる乗り1dayフリーきっぷ」の旅

 

 蒲郡からいったんJRで豊橋に出て、豊橋から再び名鉄に乗り込み岡崎に向かいました。

名鉄の岡崎での駅は東岡崎駅です。

ここから歩いて15分ぐらいで岡崎城のある岡崎公園に行くことができますが、今回は東岡崎の西隣にある岡崎公園前駅で下車して岡崎公園に行きました。

東岡崎で特急から普通に乗り換えて行きます。

岡崎公園前駅は高架駅ですが、すぐ隣の愛知環状鉄道の中岡崎駅は名鉄を南北にまたぐために更に高い位置にあります。

愛知環状鉄道の中岡崎駅と名鉄の岡崎公園前駅は駅前広場を共有していて、広場の西側に中岡崎駅、南側に岡崎公園前駅と隣接してあります。

   

   東岡崎駅で特急から普通に。

   後続の普通電車を待っているところ。

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    岡崎公園前駅。

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   愛知環状鉄道中岡崎駅。

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   愛知環状鉄道の2000系が岡崎駅方面に出て行くところにちょうど出くわしました。

   2000系はJR東海の313系をベースに製造された車両だそうです。

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   東の方向に歩いて10分くらいで川沿いに出ます。

   公園方向に橋が架かっていて、そこから見える岡崎城天守閣です。

   この城はとにかく木がたくさん繁っていてなかなか写真にさせて貰えません。

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   この濠の左手上に天守があります。

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   岡崎城天守閣。

   1959年(昭和34年)に復元(木造ではないので外観が)されました。

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   天守閣の裏(北側)の濠。

   空濠になっています。

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   岡崎公園の南側を流れる乙川に架かる名鉄本線。

   名古屋方面への特急のパノラマスーパー。

   名古屋方面への先頭車は展望車ではありません。

   乙川はこのあとすぐに西に流れている矢作川に合流します。

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  撮影 2009/6/2

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2009年6月 4日 (木)

西尾城(愛知県三河地方) - 二回目の名鉄「まる乗り1dayフリーきっぷ」の旅

 

  西尾駅前から西にのびる2本の大通りのうち、南側の大通りを西に10分から15分歩くと左手に西尾城があります。

道路に面して駐車場があり、その南側に鍮石門(ちゅうじゃくもん)が見えます。

そして中に入ると左手に本丸の丑寅櫓(うしとらやぐら)がのぞめます。

西尾の城主は頻繁に変わっていましたが、1764年に大給松平家(おぎゅうまつだいらけ)が出羽山形藩から6万石で入封して5代続き明治維新に至ったそうです。

   

   鍮石門(ちゅうじゃくもん)。

   二の丸の表門。

   天守閣や御殿は二の丸にあったと資料館のパンフレットにあります。

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    西尾市歴史公園の全体が良く判ります。

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   西尾市資料館の入り口付近から濠越しに丑寅櫓を。

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   丑寅櫓への入り口。

   ちなみに丑寅櫓も資料館も無料で拝観できます。

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   丑寅櫓から北の方向に鍮石門(ちゅうじゃくもん)と駐車場。

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   西尾市資料館。

   無料です。

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   北側の道路から丑寅櫓と鍮石門。

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   さて、名鉄の西尾駅に戻りさらに南の吉良吉田へ向かいます。

   新安城方面からやってきた吉良吉田行き急行。

   西尾駅にて。

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  撮影 2009/6/2

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2009年5月30日 (土)

岐阜城 - 名鉄各務ヶ原線田神駅前にて

 

  名鉄各務ヶ原線の田神駅前からの写真です。

岐阜城からは南南西の方向でしょうか。

電線がものすごく邪魔なんですが、ほんとに電線は写真にとって天敵ですね。

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撮影 2009/3/26

 

   田神駅にて。

   名鉄岐阜駅発中部国際空港行き。

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撮影 2009/1/6

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2009年5月27日 (水)

大阪城 - 五月の平日(2007年)

 

  大阪に住んでいた頃の五月の平日、天気が良くブラッと大阪城に出かけました。

環状線森ノ宮駅で降りて公園の中に入り、濠の東側に出ました。

右手に行くと玉造口ですが、これをやり過ごして南外濠沿いに右に石垣を見ながら六番櫓の前へ。

大阪城の南西側にはNHK大阪放送局の大きなビルがあります。

そして外濠を北に曲がったところに大手門があります。

大手門、多聞櫓をすぎて空濠になっている内濠を渡って桜門をくぐると天守閣が。

この日は天守閣には上がらず、下をすり抜けて今度は水が満々の北側の内濠に架かっている極楽橋を渡ります。

そして東外濠、北外濠の境界になっている青屋門を出ると大阪城ホールの横に出ます。

お城はここで終わりです。

この大阪城ホールの前を抜けて水上バス乗り場を横目に右手の方向に行くとJR環状線の大阪城公園駅に出ます。

下の喫茶店で一休みしてから帰りました。

城内はちょうどお昼時で、サラリーマンやお弁当を取っているOLさんを多く見かけました。

   

    六番櫓と南外濠。

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    千貫櫓と多聞櫓。

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    千貫櫓。

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    極楽橋からの天守閣。

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    ビジネスパークのビル。(この写真のみ2007年の記事に既出。)

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    青屋門。

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   撮影 2007/5/28

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2009年5月17日 (日)

墨俣一夜城と稲葉山城(岐阜城)

 

  墨俣城と右手の長良川の堤防のはるか遠くに望める岐阜城。

円錐形の山が金華山(稲葉山)です。

岐阜城は小さい頃から何度も行っていますが、かなり見通しが良く、条件がよければ伊勢湾も見えるとか。

私は伊勢湾を頂上から見たことはありませんが、戦国時代にはずっと空気が澄んでいたはずですから、尾張で昼間に兵を動かせばすぐに美濃方は察知できたでしょうね。

   

    墨俣歴史資料館と遠くに望める金華山(稲葉山)。

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  撮影 2009/3/10

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2009年5月 8日 (金)

津山城(岡山県) - (桜の頃)

 

  今年、「青春18きっぷ」で山陰の松江、津山を訪れた時の写真です。

予定では一日目に松江を観光したあと、二日目は米子、鳥取を訪れる予定でしたが、山陰の二日目は本降りの雨。

取り敢えず鳥取まで行きましたが雨は変わらずで、急遽(きゅうきょ)因美線の智頭経由で岡山県の津山に向かうことにしました。

前日の天気予報では山陰は雨でも岡山県は日が差すということでした。

結果は予報どおりで、鳥取県の智頭ではあれだけ降っていた雨も岡山県側に抜けるとあがっていました。

 津山に着いたのは午後2時。

津山城跡のみの観光になってしまいました。

しかし、思いもかけず津山城跡の桜を見れたのは幸いでした。

今まで津山は何度も旅行予定にあがりながら、いつも日程の都合で実現しなかった城跡でした。

    

   備中櫓が復元され、石垣のみの城跡(しろあと)にアクセントがつきました。

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  撮影 2009/4/1

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2009年5月 4日 (月)

松江城 - (桜の頃)

 

  今年(2009年)の松江城です。

桜はこれからという時期でした。

93年頃に一度訪れたことがありますが、その頃と比べて「ループバス」のおかげで格段に観光がしやすくなっていました。

当時は駅から松江城まで歩いた覚えがあります。

 

  前にも書きましたが、「ループバス」は一方通行で一周約50分。

終点は特に無いので、松江駅も素通りできます。

一乗車200円。

「一日乗車券」が500円で、松江城など五ヶ所が団体割引になる特典があります。

ただし松江城等三ヶ所の共通入場券はそれ自体が団体割引料金と同じになっているので、松江城だけしか見学しないという人は一日乗車券の特典を使ってください。

ほかにもお堀巡りの遊覧船も団体割引、宍道湖遊覧船は一割引になります。

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  撮影 2009/3/31

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2009年4月27日 (月)

水口城跡 - (近江鉄道「近江商人1dayパス」で行く旅)

 

 近江八幡から八日市までは二十分弱で着きます。

ここで本線に乗り換え、JR草津線と出会う貴生川方面に向かいました。

八日市から貴生川までは四十二、三分の所要。

今日は、水口城跡が目的なので、近江商人の町のひとつ日野はパスします。

水口城跡の最寄の駅は水口城南駅で、終点貴生川のひとつ手前の駅です。

水口城跡は、本丸の石垣と敷地とお濠が丸々残っていますが、建物は残っていません。

ただ、本丸の出丸に櫓、門、塀が建てられています。

 

    八日市駅。

    ここで乗り換えです。

    以前は八日市市でしたが、現在は東近江市です。

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車内は貫通式でワンマン運転。

一編成を除いてロングシートです。

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水口城南駅。

乗ってきた電車が、貴生川駅に向かって出発して行きます。

すぐにある踏み切りを渡ろうとしていますが、この道路を右に行くとすぐに水口城跡です。

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水口城南駅の駅舎。

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   水口城跡の隅櫓。

水口はもともとは東海道の宿場町ですが、三代将軍家光が上洛の際に、宿館として築いたのが水口城でした。

しかし将軍の宿舎として使われたのは家光の時だけで、その後1682年に加藤氏が二万石で入城し水口藩が立藩されました。

ですので城とはいえ、もともとは宿舎としての城構えなので、イメージとしては京都の二条城 のような感じでしょうか。

  下の説明板に要領よくまとめてあります。

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城跡の説明。

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 駐車場案内の看板ですが、非常にわかりやすい付近の地図です。

城跡は今はグラウンドになっています。

左下隅に水口町役場となっていますが、現在は甲賀市水口庁舎です。

地図での方向は、上が北にはなっていません。

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 水口城は二回目ですが、前回と同じように同じ家の犬にほえられました。

最後に書き忘れましたが、門が閉まっていましたが休みは木曜と金曜です。

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  撮影 2009/4/23

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2009年4月 3日 (金)

松江城 - 現存天守 (青春18きっぷで行く山陰旅行)

 

 特急「やくも5号」で米子まで2500円近くの出費でした。

乗車券まで買わなければならないので、そこが。

米子からは再び普通列車に乗車。

西出雲までは電化区間ですが、全身カーキ色のキハ47気動車が大活躍です。

今回、松江までは電車に乗れました。

  

    出雲市行きの普通電車。

  二輌編成です。

  これで松江まで行きました。

  松江まで30分です。

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松江駅。日差しが出てきました。

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市内観光はループバスで。

一方通行で一周約50分です。

一乗車200円ですが、「一日乗車券」が500円でバスカード方式になっています。

運行間隔も20分ですぐやってきます。

運転手は全て女性でした。

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まずは松江城ということで、大手門で下車。

桜は少々早いですが、とにかく天気は良くなりました。

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城には白塗りと黒塗りのお城がありますが、ここや熊本などは黒塗りですね。

この色の違いについてはいろいろ説があるようです。

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桜はまだ三分咲きというところでしょうか。

木によっては満開に近い桜もあります。

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ここで拝観料を徴収します。

松江城のみで550円。

ループバスの一日乗車券を提示すると団体割引料金の440円になります。

また、お城と小泉八雲記念館、武家屋敷の三ヶ所共通入場券は920円。

ただし、バスの一日乗車券提示で個別に三ヶ所拝観する場合の割引料金合計も920円となります。

どちらを選ぶかは拝観する数によりますね。

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松江城の近世の歴史は、1600年の関が原の戦いで功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が月山富田(がっさんとだ)城に入城して、その後今の松江城を以前からあった城跡に築いたのが始まりです。

その後堀尾家は子が無く断絶。

後に京極氏が入封し、三の丸の修復で 松江城の全容が完成したと言われています。

で、京極氏も一代で、無嗣で断絶し、1638年信濃松本から松平直政が入封して、やっと松江藩が確立し(立藩は堀尾氏)、明治まで続きます。

 

  松江城の天守閣。

  現存天守十二の内のひとつで重要文化財に指定されています。

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天守に入る前にある洋館、興雲閣。

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武家屋敷等のある城の北側に向かう途中の搦め手(城の裏口)にある石垣。

天守の北西から廻り込むとここに出るらしいです。

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2009年3月27日 (金)

清洲城 (桜はちらほら) - 平日の名鉄の旅

 

 笠寺観音を参詣した後、東南に600mぐらいの距離にある旧東海道沿いの笠寺一里塚を見学してきました。

とても立派な一里塚でした。

 

 で、その後、再び本笠寺の駅に戻り、やってきた犬山行きの普通に乗って神宮前へ。

ここで急行に乗り換え、名古屋を通り越して、新清洲駅で下車。

駅から歩いて15分の清洲城へ行ってきました。

 

 本笠寺(もとかさでら)駅にて。

  やってきた犬山行き普通。

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新清洲駅。

お城に行くには、駅前の通りをしばらく行くと広い通りに出ます。

右手にすぐ橋があり、その川沿いを左手に方向をとると、やがて対岸に立派な天守閣が見えてきます。

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立派な天守閣。

このあたりは桜の名所です。

橋の手前側が古城址にあたります。

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清洲古城址の碑。

川を挟んで天守閣とは反対側にあります。

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天守閣の上から。

左に見える線路は東海道線。

写ってはいませんが、新幹線も平行しています。

名鉄線は、このガード下を抜けて行きます。

また、JRの清洲駅は、この線路に沿って北にやはり15分の距離です。

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後ろ側のグランドからの写真です。

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2009年3月19日 (木)

安土城址の桜  (昨年の過去記事より)

  

   桜の季節、ということで、昨年の4月に訪れた安土城址の桜です。

  過去記事で掲載しましたが、その中で未掲載の写真。

  山自体には桜は、そんなに多くは無いです。

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大手の登り。

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そんなに高い山では無いのですが、息がきれます。

現在は入山料が必要です。

去年の時点で500円でした。

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     撮影 3枚とも  2008/4/9

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2009年3月17日 (火)

岐阜城  はるか南西方向から(墨俣にて)

 

 墨俣城のすぐ東側の長良川の堤防からの金華山(稲葉山)、岐阜城の写真です。

 あまり鮮明ではありませんが。

 二枚目は普通の目で見るとこんな感じで見えるという写真です。

 

  右端ののっぽビルは岐阜シティ・タワー43で足元はJR岐阜駅です。

  中央手前の右側のビルは岐阜県庁舎で、左側が岐阜県警察本部の建物です。

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2009年3月14日 (土)

墨俣城  (史実には無い立派な天守閣)

 

  大垣駅前から名阪近鉄バスで二十数分。

墨俣のバス停に降り立ちました。

墨俣の町は長良川沿いにあります。

東海道の宮宿を起点とする美濃街道は、清州ほかの宿場を経て、木曽川沿いの起(おこし)宿で木曽川を渡り、現在の羽島市を経て長良川に出て、これを渡り墨俣宿に入ります。

    墨俣のバス停。

大垣からの名阪近鉄バスと岐阜からの岐阜バスのバス停です。

なお、岐阜バスは墨俣終点なので、バス停横にバスが向きを変えられる位のスペースと駐車スペースが確保されています。

道路は昔の国道21号線で、今は県道に。

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長良川に架かる大橋。

この堤防を左に折れ、町の東側に廻り込みます。

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町の東側から入ります。

昔はこのあたりが船着き場で、橋につながる道路が美濃街道です。

このまま堤防を北に行くと墨俣城模擬天守に。

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墨俣城模擬天守(墨俣歴史資料館)。

先ほどの橋を渡って町の中に入り、美濃街道沿いに行くと途中で右に折れ、町の北に出ます。

美濃街道は、再び西に方向をとりますが、ここで反対の東に堤防沿いにいくとお城の前に出ます。

城は史実的には価値がありませんが、中の展示はなかなか興味深いものでした。

入場券は200円です。

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木に隠れて見えませんが遠くに岐阜城のある金華山(稲葉山)が望めます。

その写真はまたの機会に。

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長良川の堤防から。

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2009年3月 8日 (日)

岐阜城(北東から) 護国之寺(ごこくしじ)の境内より

  

 岐阜市の長良川の北に位置する護国之寺。

 岐阜城からは北東にあたります。

  この護国之寺も含めて、先だって訪れた羽島市のお寺もそうですが、美濃のお寺は、1891年(明治24年)の濃尾大震災でほとんどが甚大な被害を受けています。

このあたりのお寺の歴史、由来などを調べると、ほとんどがこの濃尾大震災の被害に触れている事からも、その被害の大きさが窺い知れます。

 

   護国之寺の仁王門。

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境内の中から見た岐阜城。

境内は無料。

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同じく境内より。

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撮影 2009/3/1

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2009年2月11日 (水)

岐阜城 南から-異なる表情

  山は見る角度、方向によって表情が変わるとはよく言いますが、

山城もその表情を変えます。

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   引くと、こんな街並みの猥雑さが。

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2009年1月11日 (日)

遠州地方の旅 (久し振りの掛川城)

  掛川に着きました。

天竜浜名湖線の駅を出て、JR掛川駅前の広場の東よりの大通りをまっすぐ行くと、掛川城の下に出ます。

お城と御殿と美術館の共通券で400円。

お城と御殿で300円でしたが、私は400円ならばと全部拝観することにしました。

御殿は唯一江戸時代から伝わる貴重な建築で、状態もよく、長く保存して貰いたいですね。

そういえば、昨年か一昨年かに熊本城の御殿が再建されましたし、名古屋城の御殿も再建されることになっていますが、これだけの御殿が残っている掛川は幸せと言うものです。

ただ、この御殿も1854年の嘉永東海地震以後に再建されたものだそうです。

JR掛川駅

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 以前にもここで書きましたが、1590年徳川家康が秀吉から関東移封を命ぜられると、

そのあとの東海道の諸城には秀吉子飼いの武将が配置され、掛川城には山内一豊が入りました。

で、現在の掛川城の形ができたのは、この一豊の時代であるそうです。

  掛川城天守閣

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     天守閣から見おろした御殿の全景

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   御殿の内部。

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   御殿から見た天守閣

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  御殿や天守閣から少し歩いた所にある大手門

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2009年1月 3日 (土)

一国一城令の例外

 江戸時代の初期に、一国一城令が発布されて、多くの城が破却されたり、打ち捨てられ、

これによって領国には城は一つという大原則が立てられました。

 しかし、実際には例外もあり、例えば津藩の藤堂家では伊勢と伊賀の二カ国にまたがって

いたため、津城と伊賀上野城が認められました。

また、熊本細川藩では、八代を家老の松井氏が城持ちとして治めましたし、仙台伊達藩でも

白石城に家老の片倉氏が入っています。

また、御三家の尾張藩の家老成瀬氏が犬山城を、紀伊藩では、新宮、紀伊田辺に城がありました。

何事にも例外はあるみたいです。

    白石城天守

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                                                                                              ( 撮影 2003/03/04)

  同じく白石城

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   紀伊田辺城唯一の遺構の水門跡

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                                              (撮影 2003/10/16)

   紀伊田辺 高山寺多宝塔

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                                          (撮影 2003/10/16)

津城隅櫓

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                                             (撮影 2000/01/20)

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2008年10月 3日 (金)

木造で再建された天守閣

 復元天守、復興天守、模擬天守のいずれにせよ、お城が再建される場合(厳密には再建とは言いがたい場合もある)、最近は木造にこだわる事例が増えています。

残念ながら、昔から名城と言われてきたお城のほとんどが(現存を除き)コンクリート作りで再建されており、大変興味が削がれるものばかりです。

ただ、昭和の時代には火事を想定して、消防法によって厳しく規制されていたというやむを得ない事情がありました。

建築基準法の縛りもあるようです。

 平成になってから、伊予大洲城のように大きな天守も建てられましたが、これは例外と噂に聞きます。

白河小峰城の場合も、一時天守への立ち入りができなかったようで、この城は天守の上層に出口が無く、まったくの密閉状態なので、消防が懸念を示したのは理解できます。

 どちらにしても、私としては、木造で再建された後世に残せるようなお城がもっと増えたら良いのにと思っています。

静岡県の;掛川城

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愛媛県の 伊予大洲城

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宮城県の白石城

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福島県の白河小峰城

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2008年7月24日 (木)

東海道の城のうち小田原城

 2002年に訪れた小田原城です。

7月下旬で大変暑かったのをおぼえています。

戦国時代の北条氏五代の居城として難攻不落を誇った小田原城も、1590年の小田原の役で無血開城し、のち徳川家康に与えられます。

この北条氏時代の城は1614年に家康によって破却され、今の小田原城の原型は城主であった大久保氏によってつくられたものです。

再建された二の丸隅櫓

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復元された銅門(あかがねもん)

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銅門(あかがねもん)

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再建された常磐木門(ときわぎもん) Img009

天守閣2枚

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天守閣から見た相模湾

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2008年7月17日 (木)

東海道の城のうち掛川城

2001年に訪れた時の掛川城です。

下の写真のうち、天守から見下ろした二の丸御殿の写真がありますが、今は植え込みの木が大きくなっているようです。

その後、掛川へはご無沙汰です。

掛川は新幹線の駅もありますから交通の便は良いですね。

掛川の城は1854年の嘉永の東海地震でほとんど倒壊したそうで、その後、再建された建物のうち二の丸御殿だけが今に残っています。

天守閣については再建されなかったようです。

なお1994年(平成6年)に再建された現在の天守閣は木造で造られています。

掛川城天守閣

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二の丸御殿の庭からみた天守閣

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天守閣からみた二の丸御殿

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二の丸御殿とその内部

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2008年7月10日 (木)

東海道の城(2)

 東海道の城の続きです。

浜松城から水口城までをあげます。

京都の二条城も行ったことがありますが、写真が古いので、ここではあげません。

浜松城の天守閣

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浜松は家康が本拠地にしていました。

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豊橋の吉田城跡

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石垣

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岡崎城

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ちょっと古い写真ですね。

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名古屋城  今年の写真です。

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伊勢亀山城 丹波亀山城と区別するためにこう言うそうです。

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水口城 今は小さな区域に建てられています。

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2008年7月 3日 (木)

東海道の城

 今日は東海道の城をあげて見ます。

1999年から2002年にかけて訪れたお城です。

それぞれに思い出のある写真ですが、コメントは少しづつにしておきます。

今日は掛川城までです。

江戸城 皇居ですね。

特別な場所なので厳重な管理がなされています。中にも入り、 天守台も見てきました。

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小田原城 江戸時代の小田原城です。

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駿府城 家康が晩年をすごした城ですね。

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掛川城 御殿が現存しています。二枚目が御殿です。

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2008年1月24日 (木)

空襲で焼けた天守閣

 先の戦争では多くの文化財が空襲で焼けました。

古来から人類は戦乱の中で、多くの財を破壊してきましたが、本当に残念なことです。

日本でも、戦乱のたびに多くの文物を含む財が破壊され、人が死んでいきました。

私の好きな城は、皮肉にも戦乱の中から、言い換えれば戦乱そのものからの必要によって生み出されたものです。

そんな逆説にあっても平和な今の城が私たちをわくわくさせるのは、大きな皮肉ですよね。

下の写真はすべて国宝級だった城で、空襲で焼けた天守閣です。

再建和歌山城

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再建広島城 

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再建岡山城

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再建名古屋城(手前のやぐらは現存)

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2007年10月18日 (木)

城郭の犬走り

 城郭には、石垣と堀の間にある空き地を犬走りと呼んでいます。

犬走りは、現代では建築用語として一般に広く使用されているようで、その他にも線路の犬走り、土手の犬走り、築地の犬走りと様々の場面で使用されているようです。

城郭の場合、防御的には不利なもののように思いますが、石垣のメンテナンスの面から有用だったのでしょうかね。

私にはよく解りません。

  彦根城の犬走り

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岸和田城の犬走り

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今治城の犬走り

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2007年9月27日 (木)

石垣の城跡

 各地に城跡はたくさん在りますが、建造物が殆んど残っておらず、ただ石垣のみが、それも大規模に残っている城跡もあります。

今年の夏行った甲府城もそのうちの一つですが、他にも松阪城、豊後竹田岡城、津山城などがあります。

津山は残念ながら、私はまだ訪れたことは無いのですが、松阪と豊後竹田へは、それぞれ2002年と2003年に訪れました。

豊後竹田の岡城址は山の上に大規模に石垣が残っていて、ちょっと壮観でした。夏に訪れましたが、殆んど人を見かけることが無く、余計に石垣だけの城跡の寂寥感を感じました。

松阪城の石垣

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豊後竹田岡城址

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丹波篠山城址

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2007年7月19日 (木)

越前丸岡城

丸亀城

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備中松山城(備中高梁)

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松本城

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犬山城

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宇和島城

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高知城

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彦根城

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弘前城

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姫路城

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松江城

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松山城

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 日本のお城で天守閣が現存するのは、十二城しかありません。

先の大戦の空襲で随分と焼けました。名古屋城、和歌山城、広島城等国宝級のお城ばかりでした。

本当に残念ですね。

ところで、現存する十二城は、北から数えていきますと、弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、備中松山城、松江城、丸亀城、松山城、高知城、宇和島城となります。

で、実は私は、まだ丸岡城のみまだ訪れたことが無いのです。自分でも不思議なのですが、めぐり合わせなのか、近くの越前大野城や、福井城などは行っているのにどういうわけか丸岡城のみ私の中では空白になっています。

空白といえば、金沢へも行ってないので、私の中では北陸はまだ未知の領域です。

それも石川県を中心にした地域のみです。

ちなみに富山へは行っています。

今年の夏には、せめて丸岡城ぐらいは訪れたいものです。

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